五大疾患の鍼治療
 

    淺野周-「経筋治療」の紹介



 坐骨神経痛の鍼治療
 膝痛の鍼治療
 腰痛の鍼治療 
 五十肩の鍼治療
 ムチウチ症の鍼治療


  ホームページの五大疾患鍼治療を見て、たずねて来た。
 
「先生は、どこに?」
 
「ここです」(嫁)
 
「ネコじゃないですか?」
 
「ネコとは失礼な!ミケです。着ぐるみ着てただけです!」などという会話が繰り返され。
 
「この五大疾患の局所治療に、名前を付けてください!」
 
「ブレンバスター」とか「真空飛び膝下痢」、「ムーンライト××のようなかな?」
 
「そうです」
 
「それはステキな考えだ。この治療は、下は坐骨神経痛、上はムチウチ症までを対象としていて、特徴というと、坐骨神経痛はエビのように丸くなると楽だし、ムチウチ症も詳しく書いている。この起点と終点を併せて、エビ曲げムチウチ療法というのはどうだろうか?」
 
「なんだか変態のような名前ですなあ。もうちょっと高尚な名前はないのですか?」
 
「なるほど」
 
「それから理論的に弱いので理論をはっきりさせてください」

 もしかすると初心者向けに公開してきた治療法のホームページは、エライ銭になるものではなかろうか? 
 吉野屋の牛丼並に温泉玉子付きぐらいの銭が取れるのではないか、というわけで理論と名前を付けることにしました。

 つらつら考えてみると、この五大疾患に対する治療法は「痛む所を兪とする」経筋治療と全く同じですが、刺鍼法をアレンジしています。そこで今世紀最大の科学者と呼ばれるアインシュタインの「一般相対性原理」にあやかって、「一般経筋治療」と名付けることにします。「特殊相対性理論」に相当する「特殊経筋治療」は、まだ考えてないので保留です。


 まず経筋ですが、これは当ホームページの『甲乙経』を見ても判りますが、『霊枢』に書かれた内容です。

 まず当時は、どのような概念で神経や血管、筋肉を考えていたかと申しますと、まず血の流れているのが脈、その血管が栄養して伸び縮みするのが経筋、なぜか神経は神経細胞しか考えられておらず、脳髄と脊髄しかありません。それにプラス骨髄です。
 髄は、骨の内にあって(神経細胞は重要なので、頭蓋骨や背骨に守られていますから)骨を栄養していると考えられていました。もちろん『霊枢』に書かれた間違いです。
 そして経筋は、起、結、布(薄く広がる)に分かれており、手足の関節部分に付着して(結の部分です)、骨を動かすと考えられていました。この考え方は、現在でも変更されていません。

 過去の中国では儒教がはびこっていたため、身体に傷を付けるのは親不孝の始めとされて、イレズミはおろか解剖も実施されませんでした。それがあったのは刑罰としてのみです。身体の内部を見る機会があったのは戦場を駆け回る兵士だけでした。そして戦場で死体を漁りまくる医者と。
 女は兵士にならないので、昔の解剖では、ほとんど男性を中心にしています。そうしたわけで戦国春秋時代には『黄帝内経』などの解剖書が現れましたが、孔子が誕生してからは解剖などされなくなりました。だから経脈も実際の血管とは異なり、経筋も現実とは違ったものであっても、現在まで修正されることがなかったのです。
 現在では女性の経穴図なども登場し、股間などには、嫁が「あんまりだ」と言ってハンカチを貼りつけてますが、ちょっと前までは男性の経穴図しかありませんでした。

 『内経』時代の解剖学は非常に観念的で、「栄養物から血ができるから血は胃から始まり、それが肺へ運ばれて酸素を供給され、全身の経脈をグルリと回ると肺へ戻ってガス交換される」という理論に基づいたものでした。

 経筋は、その十二経脈が栄養している筋肉という意味で、十二経脈に沿って走っています。

 神経は、脳髄と脊髄、そして骨髄とされていましたが、何をしているのか良く判らず、おおかた内部から骨でも栄養しているのだろうと考えられていました。

 そうした概念に基づく旧経筋治療は「痛むところを刺鍼点とし、治療法は火鍼で速刺、痛みが消えるまで何度でも刺鍼する」というものでした。

 現代中国の経筋治療では、阿是穴と呼ばれる筋肉を夾脊穴と組み合わせた経筋治療をしているようですが、それは「昔の経筋治療は、痛む所だけを治療ポイントとしていたが、経筋と言えども経脈に栄養されているので、下の病には上を取る治療を併用しなければならない」との観点からです。

 私の「一般経筋治療」は、火鍼で速刺する方法を毫鍼の置鍼に換え、「痛むところを治療ポイントとする」の阿是穴を具体的に示した、経穴をうろ覚えな新米鍼灸師でも手軽にできる経筋治療です。それは木と紙でできた日本家屋では、火を使うと危険じゃないかという観点から毫鍼のほうが日本に適していると思ったからです。

 この経筋治療は「冷えが筋肉を縮こまらせ、熱では筋肉が弛緩して収縮しなくなる」と考えていますが、冷えると血行が悪くなって筋肉が縮みやすくなること、例えば五十肩などでは冷えると痛みが激しくなりますが、そうした筋肉が硬直した疾患を中心に治療するもので、最後にチョコットだけ「火鍼は寒で引きつったものに使うもので、熱により筋が緩んで収縮しなくなったものには火鍼を使わない」と述べていますが、熱により筋が縮んで収縮しなくなったものとは、小児麻痺や脳炎により筋肉がダラリとしてしまった疾患、つまり脳性麻痺のような疾患を意味しています。「引きつれば痛み」なので、その引きつった筋肉に熱を与えて緩めることによって痛みを解消しようという治療法です。

 そうすると経筋治療には火鍼が不可欠に思えます。しかし「私は火鍼など持ってないし使い方も知らない」という声が聞こえそうです。
 新米鍼灸師ならば当然です。私も直径が1~2mmもある火鍼を持っているのですが、火事が恐いので使ったことがありません。鍼が焼けてくると、柄が熱くて握っていられなくなるものですから。 「エッ、あれは柄に綿花を巻いて焼くの? なるほど、そうすりゃ指が熱くないわな」。新米にしては、よくご存知で。
 それに火鍼では表面の筋肉は刺せるでしょうが、深部にある筋肉には届きません。ですから全身の筋肉に経筋治療を応用することはできそうにありません。

 ところが『内経』には、火鍼を使わなくとも毫鍼で温める方法が書かれています。それには「熱に刺すときは、熱湯の入ったヤカンを捜すように。寒に刺すときは、行って欲しくない人を引き留めるように」刺すと書かれています。
 この文は、一見すると「熱病患者に刺鍼するときは、熱湯の入ったヤカンで茶を一服飲み、冷えの患者に刺鍼するときは相手に抱きつきなさい」と述べられているように思えますが、こうした解釈は間違っています。

 熱いヤカンに手が触れれば、すぐに引っ込めます。行って欲しくない人が帰ろうとするときは、手を握って放しません。そういうふうに刺鍼しろということです!

 しーん。 みなさん感動しましたね。
 ですから高熱患者には速刺速抜、冷えて筋肉が引きつった患者には、最低20~40分は置鍼したまま置いておきます。そうした意味です。

 経筋治療は、筋肉が縮んで固くなり、痛みがでている患者を治療する方法です。ですから経筋治療では、熱病はあまり対象ではありません。そうして収縮して冷えた筋肉に置鍼したままにしておくと、なぜか陽気が集まってきてポカポカ暖かくなります。だから「寒に刺すときは、行って欲しくない人を引き留めるように刺せ」と言うのです。

 火鍼の代わりに、なぜ毫鍼で置鍼するのかという問題についての理由は、もうこれでいいでしょう。

 つまり「燔鍼については、毫鍼の置鍼で変換可能」です。あとは「以痛為輸」ですが、痛むところは全て刺鍼するということです。「以知為数」の数は法則とか原則で、知は判ること。つまり「治ったことが判るまで刺すことを原則とする」という意味です。つまり痛みが消えるまで刺鍼するということ。

 判りました?  エッ判らない。オカルトの人なら理解できるが、私は外国人だから合理的な説明でないと判らない?  なるほど。

 判りました。あなたにも理解できるように説明しましょう。
 まず筋肉を酷使しますと、筋肉内のエネルギーが使われて、死後硬直のような状態に筋肉が固く縮みます。
 筋肉は、筋肉内部に血管が張り巡らされ、それが筋肉を栄養しているんですが、筋肉が収縮して固くなると血管が圧迫されます。すると筋肉内部に血が通わなくなります。筋肉内部に血が通わなければ、血液によって体温が保たれているので冷たくなります。つまり筋肉は体温を逃がすラジエーターの役割をしているのです。 血が流れてこなければ、筋肉はエネルギーも体温も供給されないので、ますます冷えて硬直し、死後硬直を起こした死体のような状態が激しくなります。それで「寒ならば筋肉が収縮して固くなる」と経筋理論は説明していますが、実際は「筋肉が収縮して固くなり、血管を圧迫して血が流れてこなくなるため、熱が伝わらなくなって冷える」ということです。

 では何故、そうした説明を「寒ならば筋肉が収縮して固くなる」と書いたのか?
 それは昔の本に原因があります。昔は木や竹を削って本を作り、それに蝋燭やランプの煤で文字を書いていました。木や竹を削るのも大変な作業で、そうしたスジのあるデコボコしたものに、竹ペンに煤をつけて書くことはワープロを打つ以上に大変な作業でした。
 だからできるだけ短い言葉で、エッセンスだけをメモできればよかったのです。と、鍼灸師、みてきたような嘘を言い。
 しかし、それを解読するには、私のような熟練した鍼灸師がやらねば「熱ならば茶、寒ならば抱く」と解釈してしまいます。

 エッ、そのような解釈ができるあなたは、どなたですかって?私はただの通りすがりの町人で。

 筋肉が縮んで固くなると冷えることは判ったが、それで「以痛為輸」は説明されていない? 「以痛為輸」というぐらいだから、縮んだ筋肉は痛むのだろうって?

 ここで『内経』は、経筋と経脈の関係についてのみ述べています。つまり経脈は血管で、経筋は筋肉だから、筋肉が引きつれば血管が圧迫されて冷え、栄養がこなくなるので縮みもひどくなる。もし私が当時に誕生していれば、ここで「十二経神」というのを考えたことでしょう。十二経脈や十二経筋に習って、十二経神。すばらしい名前だ。一般相対性原理経筋より語呂がいい。
 えっ!「十二経神?」十二神経の間違いだろうって?  ウウッ、確かにそっちのほうがゴロがいい。

 この脳髄から脊髄までは古代中国医学でもいいのですが、その先の神経について『内経』は述べていません。チベット医学には、それらしきものがあるのですが、おおかた私のような鍼灸師が、なにかスケベイなことでもしでかしてチベットに流されたのでしょう。
 ご存知のように、筋肉には運動神経と知覚神経が通っています。エッ、私には運動神経がない? いえ、誰しも運動神経ぐらいあります。ただ鈍いだけで。

 ところが、この神経は圧迫に弱いのです。例えば足の上に鉄アレイ落とすと痛いでしょう? エッ、意味が違う? 神経が圧迫されると、感覚が遮断されることだって? 判ってます。鉄アレイが落ちたあと、痛いけど、しばらくするとジンジン痺れてきますね?アレですね。
 とにかく中国の実験では、神経にある程度の圧力をかけると刺激が伝導しなくなる実験がされたことがあります。ちょっと1平方センチに何グラムの圧力で遮断されるか忘れましたが、鍼灸関係で、そのような実験がされたことがあります。みごとに遮断されたようです。

 こうして判るように、筋肉が少し収縮して知覚神経を圧迫すると、そこの筋肉が重く圧迫されたように感じます。もう少し収縮して強く圧迫されると、痛みを感じます。さらに圧迫されると神経は伝わらなくなり、痛みも感じなくなりますが、血も流れてこないので筋肉が栄養されず、筋肉が萎縮してきます。これが最終段階です。
 つまり筋肉が収縮すれば、神経が圧迫されて重みを感じますが、その重みと感じるのは実際は電気信号であり、知覚神経としては重みとして感じますが、運動神経も刺激されて同じようなパルス信号を出します。ただ知覚神経ではないので「重み」としては感じられませんが、筋肉のほうでは運動神経からのパルス信号を「収縮せよ」という信号に受け取りますから、ますます筋肉は収縮します。すると筋肉の収縮が強まって神経の圧迫がひどくなり、痛みとして感じるようになります。運動神経のほうでも強いパルスが起こって筋肉が収縮します。すると筋肉の収縮が強まって、神経が伝わらなくなって感覚がなくなります。運動神経のほうでもパルスを出しますから……エッ、もういい? 運動神経がパルス出しても、筋肉で圧迫されるから信号は伝わらないはずだって。
 ああそうでした。つい同じことを繰り返していると、ワープロのコピーキーのようなもので楽なため、考えなしにグルグル回ってしまいました。負うた子に教えられるですな。

 こうゆうようにして痛みが悪化し、ついには感覚が鈍くなります。
 なに? じっとしているときの痛みは判ったが、ではなぜ特定の動きをしたときにだけ痛みが起きるかって? それが判れば苦労はないさ。

 これは朱漢章の「小鍼刀理論」に説明されています。
 それには、筋肉が、本来なら骨に付着していない部分、例えば筋肉の両端だけでなく筋腹が付近の骨と癒着すると、本来10cmの筋肉が7cmまで収縮できるものとしたら、その中央が癒着しているために半分の1.5cmしか収縮できず、それ以上の収縮しようとすると神経が引っ張られて痛むのです。なに、アホな師匠に物申す?  筋肉の中央が癒着しても、そこから1.5cmずつだから、たせば3cmになって7cmまで収縮できる? タッ、タワケ! アホはアナタです。 だってアホいうた者がアホなんだもん。

 筋肉は関節を一つ跨いで付着しています。だから関節を跨いだ部分だけは計算されますが、反対側の同じ骨で二個所付着していても、カマボコの板の上でカマボコが収縮しているようなもので、骨が邪魔して収縮できません。いまさらアッと言っても遅いのです。やはり師匠は賢かった。

 神経は、すべて背骨から出ています。だから背骨の周辺にある筋肉が収縮し、そこでガッチガッチに神経を押さえていれば、ちょっと神経を伸ばすような動きをしただけで、神経は引き伸ばされてしまいます。神経も引っ張られて切れてはたまらないので、悲鳴のインパルスを出しますわな? それが痛みですがな。まず背骨から出たばかりのところで神経が圧迫されていれば、それが分布する場所すべてに重圧感が発生します。
 そして上腕筋のように、先端の筋肉が圧迫していれば、肘から先で神経を引き伸ばすような動きをしたときに、強く締めつけられている筋肉には遊びがありませんから、神経が切れるような痛みを感じます。それが手首を腕時計ベルトのように取り囲んでいる筋支帯が肥厚して圧迫していれば、手首から先だけの血流が悪うなったり痛みが出たりします。手根管症候群のように。
 すべてこうだわな。 だから、どのような動きをすれば、どこに痛みが出るかによって、神経を圧迫している硬縮した筋肉を判断できるわけですわな。

 エッ!それでは経筋治療でなくて、筋肉治療だって!  いいのです。経筋というのは、昔の解剖学で筋肉のことですから。筋肉が血管に栄養されていることから十二経筋と命名されたに過ぎません。現在では、もっとキチンとした経脈の解剖学と経筋の解剖学、つまり脈管学と筋学があります。
 そうした筋肉群の中から、どの筋肉が収縮して神経を圧迫し、痛みを出しているのかを確定し、その収縮した筋肉へ毫鍼を刺入し、長く留めて緩め、筋肉が緩めば血管の圧迫が消えて血が流れ、体温が伝わって暖かくなり、神経も圧迫されないので遊びが生まれ、引っ張るような動きをしても神経が切れないので痛みのパルスを出さない。
 これが痛む場所を治療ポイントとし、温めることによって、冷えによる筋肉の引きつりを緩める経筋治療なのです。
 師匠、エライ!エライ!の拍手に乗って、天狗になる私。

 賢い人(つまり師匠のこと)は『内経』の経筋を読めば判りますが、それなりの人は今の説明で初めて納得するため、一般人にも理解できる経筋治療、つまり「一般相対性理論経筋」なのです。

 こうして理論は完璧なのですが、残念なことに実際おこなう治療は、中国で行われている「下の痛みに、上を取る」と「痛むところを刺鍼点とする」を併用した、物真似のような治療法です。

 つまり「下の痛みに、上を取る」は、背骨から神経の出るの出口で、そこの筋肉が神経を圧迫している部分を緩める方法です。そして「痛むところを刺鍼点とする」は、痛む筋肉に分布している神経が締めつけられているポイントに置鍼する方法です。それによって血が流れてきて体温が伝わり、患部が内部から暖かくなってくる局所療法、それが経筋による五大痺痛治療です。つまり偉大なる局所療法です。

 この治療が従来の経筋治療と異なる点は3つあります。一つは火鍼の代わりに「寒には長時間の置鍼をする」という内経理論を使って20分以上の置鍼をすること。第二点は「下の痛みに上を取る」の内経理論を加味して、従来の痛む部分だけ、つまり下の末梢部分だけに刺鍼していた従来の方法に、上の部分である神経根部を加え、神経線維の起始部と分布部の両面から治療すること。第三点は「痛むところを兪とし、治ったことが判るまで刺鍼する」というのが従来の経筋治療で、具体的に治療ポイントが示されていませんでしたが、それを動きの異常から治療ポイントをはっきりさせたことです。

 最初の2点は、現代中国でも実行されていますが、最後の三点目についてはバラバラで、しいて言えば整骨師である朱漢章が初めて誰でも公認する理論を作り上げ、実際に20年近く小鍼刀で治療し、その卓越した効果で理論を公認させたことぐらいです。現代中国では鍼灸師でさえ、痛みには朱漢章理論と思っています。
 従来の経筋治療では、痛みの出ている結部分、つまり関節部分に火鍼を使う人が多かったのですが、現実に痙攣して冷やしているのは関節部分の腱ではなく、血管の通っている筋肉なのです。これでは「熱はヤカンを探るように、寒は貴人を引き留めるように」を文字通りに解釈し、茶を飲んだり抱きついたりしているようなものです。

 それを痛む部位、および痛みの起きる動作から「冷えて縮んだ」筋肉を確定し、関節部分ではなく固まった筋肉部分へ刺鍼し、血液循環により体温で暖めることによって筋肉を緩め、血管や神経の圧迫をなくして痛みを消す。

 この高度な治療法は、ちょっと考えれば誰でも思いつくアホらしい局所治療ですから、今まで誰も紹介しませんでした。ウッウッウッ、かわいそうじゃ。そして「経筋治療? あっ、あの痛む部分に火鍼を刺す、ピップエレキバンのような治療法?」と、単純な素人臭い局所治療として皆に下げすまれ、隅っこに追いやられてきました。なにしろ「痛む所を治療点とする」は、かなり技術レベルの低そうな方法と思われてきたからです。
 しかし実際は、私のような熟練鍼灸師でなければ正しい経筋治療を使えません。だから新米鍼灸師では、痛みの治療ができないのです。たとえば「ギックリ腰を一発で治す」鍼灸師がいると話にはよく聞きますが、それは私のような経筋治療を習得した人間が局所治療を利用して行っていることなのです。

 経筋治療は深遠な理論による秘密の奥義ではなく、こうした単純な理論による解剖理解者向けの治療法です。ですから硬縮した筋肉は何筋なのかを正確に探し出し、その筋肉へ正確に刺入しなければならず、そこへ確実に刺入し、かつ安全に内臓へ刺さらないようにするには、筋肉の起始と停止、その筋肉の動作、位置、方向、厚さ、重なり具合、下にある骨や内臓などの組織、さらにはおおざっぱな神経走向などをイメージ的につかめなければなりません。

 患者さんのちょっとした動きから、どの筋肉がやられているのか判断するのは、新米鍼灸師には難しいんじゃないかな?
 また「硬縮している筋肉へ刺入をして大丈夫なのだろうか?」との心配する新米鍼灸師もあります。

 しかし熟練鍼灸師ならば治療の90%でやっていることであり、残りの10%だけ経絡治療とか辨証治療、時間配穴法を組み合わせているにすぎません。なぜなら鍼灸院にくる患者の90%は、どこかが痛くてくるのであり、内臓疾患や脳卒中は少ないからです。
 こうした筋肉へ刺鍼する方法は、危険に行えば危険ですが、安全に行えば安全です。
 危険な場合とは、筋肉を突き抜けて内臓に刺さってしまった場合。安全な場合とは、鍼が筋肉内部に留まっている場合です。ちょっと抽象的で、判りにくかったかな?どうも難しい表現しかできなくて済みません。
 これは今まで誰も公開しなかった「アホらし局所治療」ですが、このまま経絡治療とか辨証治療、時間配穴法がもてはやされては、昔ながらにおこなわれていた「局所治療(つまり毫鍼による経筋治療)」が廃れてしまうというのは忍びない。危機感を募らせたため従来の「経筋治療」にポイントである3点を加味し、重々しく「一般相対性原理経筋」と高度な命名をして普及させることにしました。 イヤ「一般相対性経筋原理」がいいかな?

 新米治療師で、どうやって治療してよいか判らない方は、熟練鍼灸師が無意識のうちに行っている「一般相対性経筋原理」、略して「一般経筋治療」、さらに略して「経筋治療」を使って局所治療してみませんか?  セーラームーンのハートがポコポコ出てくる必殺技のように、それなりの効果をもたらしてくれることは確実です。

 この局所治療を本格的に試してみたい方、私宛に「弟子申し込み書」と写真(グラサンに帽子、覆面という顔の判らない写真は不可)、申込料1万2千円を添えて申し込んでください。私特製の「真似のできない危険な刺入」(オール白黒文書)および中国製「ハムの輪切り写真」(カラー)セットを送ります。ただし現在は「ハム輪切り写真集」が一冊足りませんので、弟子受付を終了しています。「ハム輪切り集」が一冊足りなくともよいと言われる方は、8800円を添えて申し込んでください。
 10月中旬に「カラーハム輪切り集」を買ってくる予定ですので、そこで写真集が集まれば再開します。と、昔ながらの経筋治療を利用して、すぐに商売に結び付けることを考える。エゲツない私。
 なお「ハム輪切り写真集」には、私がこのハムはどうしたハムだとか、日本語で解説をつけています。中国のおいしそうなハムを見ながら、アホがおこなう「危険な刺入」と、それがもたらした結果を読んで、オカズにして笑い飛ばそうという趣向です。「真似のできない危険な刺入」は笑えますよ。人のアホな失敗を見て笑うというのは、「人の不幸は我が身の幸福」というくらい楽しいものです。 経筋に刺さずに『素問』の刺禁論などで禁止されている内臓に刺鍼したらどうなるか、などのケースがミスタービーンばりに紹介されています。実際に旦那の心臓に針刺したという恐い奥さんもありましたが、これは洒落になりませんね。くれぐれも配偶者に試さないように。

 「カラーハム輪切り写真集」は、同級生が欲しがるので一冊4000円で5人に販売し、なかなか好評でした。同級生には、同級生価格の4000円で販売しましたが、一般には利益を取って4200円にしようと思います。「悪どいなあ、私は」と、自己満足に浸る自分が怖い。
 うちのQ&Aにハム写真集の見本品が載っていますので、北京へ行ったら東四の人民衛生出版社販売部か、協和病院前の読者服務部、西単にある図書城、王府井の復活新華書店、鼓楼の新華書店、地下鉄軍事博物館の中国中医薬出版社のいずれかで販売されていると思います。お土産に買ってくることを勧めます。まあ、その場合は写真集だけで、私の評論が付きませんが。
 上海ならば、川の近くにある科学技術出版社、少し離れた上海書城、南京路の新華書店、上海中医薬大学麗都ホテルの道向こうにある奥の細長い書店にて販売していると思います。
 ハルピンは、よく判りませんが、新華書店や六道里の書店で売っているんじゃあないかと思います。

 以上は脳味噌のないものでも判る経筋治療の理論でした。

 なお以上の治療は現代経筋治療ですので、必ず筋肉へ刺入して置鍼せねばなりません。
 そのためには筋肉の位置や内臓の位置を正確に知らねばならず、現代解剖学の知識が必須です。
 ですから解剖学の知識をまったく持たない方が、上半身の2つ(五十肩とムチウチ症の経筋治療)を行い、脳や肺に刺さって問題が起きても、当方は一切関知いたしません。また消毒してないバイ菌だらけの鍼を下半身の3疾患に使用し、そのためにエイズなど感染しましても、当方は一切責任を持ちません。
 なお弟子になったからといって、上の治療法の具体的な刺入方法を見学に来れるだけで、それ以上の理論を授けてもらえるわけではありません。ただ、そのほかの細々した筋肉が損傷したときにどうなるかなどは教えてもらえますが、それらはすべて今までに書き述べた経筋理論に基づいたもので、「気を照射するとか、時間に基づいた気血の流れを利用する」、はては辨証法理論に基づいたり、難経の脈診理論に基づいた難しいものではなく、解剖を習得しさえすれば誰でもできる簡単な方法であることをお断りしておきます。
 一応、こうした経筋治療のできる弟子を紹介してくださいという患者さんもおられるので、ある程度マスターしたと思われる弟子は、北京堂ホームページにホームページを載せるという「弟子特典」を用意しています。ちょこっとですが。

 もともと経筋治療は、古代の解剖学に基づいた治療方法であり、鍼を白光するまで焼いて消毒した治療方法でもあるので、それに準じた解剖学や消毒方法を踏襲しなければ、非常に危険な治療法になってしまいます。だから気軽にはできんわなぁ~。
 この治療法を、解剖学の知識や消毒法の知識がない人は、おこなってはいけません。
 その場合、何があっても当方は、一切責任を持ちません。

  補足です。
 やはり、これだけの説明では、よく判らないという声があります。判りました。アホなあなたのために、特別に詳しく解説しましょう。
 まず、なぜゆえに筋肉が縮みっぱなしになるかという問題です。これには精神的な原因と肉体的な原因があります。
 筋肉というのは、そのままでは血が流れません。というと、あんたはアホかと言われます。心臓があるじゃないか! 確かに心臓はあります。しかし血管を見れば判りますが、動脈はゴムホースのような感じです。しかし静脈は、内側にビラビラの飾りが付いています。そのビラビラは何だと思います?

 a動脈より静脈のほうがオシャレなので、見えないところにフリルを付けている。
 b動脈は丈夫だからツルツルだが、静脈は柔らかいので、壁が垂れ下がってビラビラになっている。
 c動脈には血が流れるが、静脈は血が流れないので、ビラビラが弁の役割をしている。

 aを選んだあなた。かなりオシャレです。
 bを選んだあなた。論理的です。
 cを選んだあなた。知的過ぎて周囲が着いてゆけないでしょう。

 というわけで、静脈まで血が来たときには圧力が低くなっており、そのままでは血が循環しないのです。それというのは動脈から静脈に移行するとき、かならず毛細血管を通るからです。つまりエアコンに喩えれば、放熱機で管が細くなり、冷却機で管が広がる原理です。よく判らないでしょうから人体に喩えますと、心臓から送り出された血液は、徐々に血管が枝分かれして細くなり、例えば指先などでは毛細血管になって流れます。そこから先は静脈になって、徐々に太くなります。水道のホースを摘めば判りますが、細くなると水が勢いよく噴き出すでしょ? それが毛細血管部分です。しかし、そのあとは血管が徐々に広くなってゆくので、狭いところを通った血液の圧力は急激に低下します。だから静脈の血圧は、動脈より遥かに低いのです。そうした静脈でも血を流すため、弁を付けて血液の逆流を防げば、一歩、また一歩と血液が流れてゆくわけです。だから軽い運動をしてやれば、筋肉が静脈を締めつけたり緩めたりするので、血は静脈の中を一寸、また一寸と進んで行くのです。それが軽い運動をすれば肩が凝らないと言われる理由なのです。

 まだ静脈には血が流れにくいというのを疑ってますね。では、こういう例はどうでしょう。脳性麻痺や脳卒中で、脳がやられると、手足に動けという命令が行かなくなります。すると力が入らず、手足がダランします。そうした手足は、筋肉の緊張がないので温かそうに見えますが、意外にも冷たいものなのです。そのうちに手足が細くなってミイラのようになってしまいます。動かなくても血液が通うものならば、手足の筋肉は栄養されるので、細くなるはずありませんよね。老人が寝たきりになると、起き上がれなくなるのも同じ理屈です。廃用性萎縮といいますが、これは漢字が難しいので覚えなくていいです。
 つまり筋肉に血液が流れるためには、筋肉が心臓と同じように収縮を繰り返し、静脈の弁を使って圧縮しなければならないということです。

 脳味噌も同じです。脳を日本では味噌と呼びますが、中国では筋と呼びます。つまり日本では、脳は寝かせて発酵させれば、よい味噌になると思われています。ところが中国では脳筋ですから、働かさないと弱ると考えられています。髪は血の余り、歯は腎の余りと言われてますが、脳に血がなければ白髪になってしまいます。日本でも緑の黒髪などと言いますが、この緑の黒髪とは「頭がボケてないですよ」ということを外見から表したものなのです。だから美女の象徴として、白髪のない緑の黒髪といわれたのです。なんぼ美女でもウンコ漏らすためオシメしてたり、鼻水や涎を垂らしていたのでは艶消しです。亜麻色の長い髪などは、私はボケてまっせと表現しているようなものです。ただ実際には「緑の黒髪」を持っている人は少なく、セーラー戦士の水野亜美ちゃんが変身したとき、青い髪になるのが一番近いですね。

 適度な運動が脳にも身体にも現れ、体内の状態は、筋肉や髪の毛として外部に現れるというのが『内経』理論です。また髪は肝、脳は腎と関係付けられていますが、肝腎同源という言葉があり、脳と髪は、頭皮と脳内で血管により連絡されています。それが頭皮へ刺鍼して大脳皮質の血流を促し、硬膜下出血を消すという現代鍼灸の理論へと繋がります。外人は脳を大切にするため、よく「オー、ノー」と言ってますが、これは大脳の読み方を知らないためと考えられます。

 ああっ。いまは筋肉の話で、脳の話じゃなかった。
 とにかく適度に運動していれば、筋肉への血液供給は維持されることが判りましたね。
 では、なぜ筋肉が収縮するかという問題になりますが、『内経』は冷えと欝血を挙げています。ほかにも精神的な問題とか、いろいろと挙げていますが、漢文は読めないというあなたに解説します。『内経』には五労というのがあります。
 なんですか!キャーキャーと。五郎ではありません、五労です。一挙に静まり返りましたね。
 『内経』には「久視、久臥、久坐、久立、久行」とあります。つまり同じことをするなという教えです。近くを久しく見続けていると、目の網様体筋が痙攣したまま戻らなくなります。視というのは、ただ見ているのではなく、近くを凝視することなのです。だから師匠のように口を開けてポカンと見ているのは問題ありません。私が、よく空を見ながら口を開け、手を引かれながら歩いていますが、あれが健康にいいのです。リラックスしてますから。本やモニターのようなものを凝視するのは、長く続けられないのです。
 目を解説しましたが、ほかの場合も同じで、腰掛けて下ばかり向いていると、首の後ろ側の筋肉が収縮します。これで筋肉を緩めると頭が前に落ちますので、常に後頚部の筋肉を緊張させ続けていなければなりません。すると筋肉が血管を締めつけっぱなしになりますが、ただでさえ静脈は血が流れないのに、ますます血が滞ってしまいます。そこで仕事が終わったら、筋肉を縮めたり緩めたりして軽く運動すればよいのですが、それをしないで飲みにいったりすると、筋肉の収縮しっぱなし状態が続きます。すると静脈の血が滞ったままになります。そうして静脈に溜った血を『内経』では淤血と呼んでいます。静脈で血が流れなくとも、心臓が動いているので血はやってきます。すると静脈に欝血があって通れません。あなたならどうします? 工事中で通れなければ? そうです。別の道を通ってゆきますね。血も静脈が塞がっていれば、迂回路を通って心臓へ戻ります。これは私が言ったことではなく『内経』に述べられています。詳しくは北京堂のQ&Aを。

 つまり同じ姿勢を続けて筋肉が収縮しっぱなしになると、静脈が圧迫されて血が滞り、血は別の静脈を通って心臓に戻るから、その筋肉は酸素が来なくなり、酸素不足になって筋収縮が悪化し、ついには神経を圧迫して痛みが起きるという原理です。これを『内経』では「通じれば痛まず、通じなければ痛む」とだけ言っています。それでは学生には判りません。甬というのは管のことです。管に道を歩く意味のシンニョウを加えて通じる。管が病めば痛みです。こうした漢字も『内経』の言葉を表現しています。
 こうした同じ姿勢を続けることだけでなく、久行を見れば判りますが、同じ動作を続けていても、運動しているのに関わらず筋肉が収縮することを示しています。それは筋肉のエネルギー消費量や酸素消費量に、血液の供給量がついて行かず、バランスが崩れて起きるのですが、そうした超難しい理論は、学生が理解するには無理なのでやめます。

 ほかには何でしたっけ? 寒ですか。寒は冷えのことなので、クーラーにあたり続けていれば筋肉が収縮します。なに、言っている意味が判らないと!
 体温は一定に保たれていなければなりません。これが変温動物ですと、クーラーを利かせると冬眠してしまいますので仕事になりません。体温を保つしくみが、汗、血管、筋肉なのです。三つ挙げると賢そうに見えると言うので、今回も無理に三つ挙げます。四つにすると疑いを持たれますから。
 暑いと汗をかいて、水の気化熱で体温を下げます。だから夏はポカリスエットを飲んで電解質(イオン)を補給します。そこで夏になるとジャスコが儲かる。その心は「イオングループ」なんちゃって。これは、どうでもよろしい。
 次に血管、体表の血管を収縮させて血を流さなければ、体表から体温が奪われません。そして筋肉ですが、筋肉を振るわせて糖分を燃やせば、糖分が熱に変わるので震えます。血が流れなくとも、筋肉が収縮しても、やはり血管を圧迫したり内径が狭くなるので血液循環が阻害されます。

 あと何でしたっけ。三つ挙げないと賢く見えない。あっ、そうそう、精神ですね。これは『内経』では気と呼ばれています。喜びでは気が緩む、怒りは気が上る、悲しみは気が消える、恐れは気が下がる、思いは気が結ぶでしたっけ。記憶力が悪いので、よく覚えていませんが。驚きは気が乱れるなども入っていたような。
 日本では「喜びは気が緩む」とは言わないで、「気が抜ける」と言いますね。
 精神が緊張した状態では、筋肉が緊張します。恐らく、人間が武器を持たなかった頃、いつも動物に襲われる危険性があり、火のない戸外では常に逃げられるよう、つまり筋肉を収縮させ、動物が殴ってきても内臓に対するダメージが少ないように保護していたのだと考えられます。だから緊張して交感神経が興奮すると、筋肉も収縮しっぱなしになる。この連続した筋肉収縮が、静脈を締めつけて滞らせる原因になるのです。

 これで筋緊張を招く三つの原因を解説しました。そうした筋緊張が筋肉を収縮させっぱなしにし、静脈を圧迫して血が流れなくなる。動脈から送り出された血は、心臓に戻るために数少ない通行可能な静脈を通り、動脈は渋滞して血圧が高くなる。こうした『内経』理論をガッテンして戴けたでしょうか?
 ガッテンして下さって、どうも有難うございます。

 このようにして『内経』では、多くの病気が静脈の欝血から起きるとしています。
 では、これを治療するため、なぜ鍼でなければならないのでしょうか? マッサージやホットパックではダメなのでしょうか?
 ホットパックや赤外線治療は、当たると体表の温度が上がります。すると身体は「火傷しては、たまらない」と言います。暖めたとき皮膚に耳を当てると、何かザワザワ音がします。聴診器で聞くと「火傷しては、たまらない」と言っているのが聞こえます。つまり皮膚は、表面の血管を広げ、体表の血流量を増やして熱を運び去り、一定の体温を保とうとします。体内まで温度が上がれば、反応速度が進むので、安全に生命を保てません。それで熱を逃がすわけです。だから電気コタツに当たり過ぎると、網タイツを履いたように赤くなってしまいます。確かに表面ならば、それで血液が流れるようになります。しかし皮下は、皮膚に守られているので変化を受けません。
 そこでマッサージや按摩します。これは外部から力を加えて、筋肉を押したり緩めたりしますので、緩い力で揉んでいる限り、静脈内の血液が一寸、また一寸と流れます。すると『内経』に「旧血があれば、新血が生まれず」とあるとおり、古い血が運び去られるので、新しく流れてきた血が入ってきて筋肉の酸素不足が解消し、再び柔らかくなって神経の圧迫も消えるはずです。メデタシ、メデタシ。鍼、必要な~し。
 と、どっこい。そうは行かない。
 確かに肩や足など下に棒のような骨しかない場所ならば、力が届く限り、その理論が当てはまります。しかしカマボコ板に筋肉が載っているような場所ばかりではありません。
 背骨を輪切りにして見てみると判りますが、星のような形をしています。その星形の凹みにも筋肉があるのですが、太い指で押しても凹みの筋肉にまで力が伝わらないのです。しかも神経は背骨から出ています。だから肩や足の筋肉を揉んでも、神経の出口の筋肉は緩めることができないので、揉んでもスッキリせず、どうしてもすぐに肩が凝ってしまいます。だから星の凹み、つまり椎弓の筋肉を緩めるには、どうしても鍼でなければ届かないことになります。
 筋肉を収縮させる神経は、背骨の中を通っているので、神経が背骨の中を通っているときには手が出せません。神経が背骨から出てきたところで締めつけている筋肉を緩められるのは、鍼しかないことになります。
 つまり鍼の特色は、身体中で刺せない筋肉がないことが特徴です。それが按摩では、棘突起で守られた神経根部の筋肉だけでなく、大腰筋や小臀筋なども緩めることが難しいのです。
 つまり病気は、体表からの深さによって、使える治療法が変わってくるわけです。筋肉までなら鍼で刺せます。だけど内臓には刺せません。こんなことを書くと、鍼灸師さんたちに抗議されそうですが、胃と膀胱、前立腺や子宮などには刺鍼できます。胃下垂で胃袋へ鍼を入れて引っ張り上げたり、排尿障害で中極から膀胱上部へ刺鍼したり、前立腺で肛門付近から前立腺へと刺鍼したり、子宮筋腫で子宮に鍼したりとか、しかしそれは臓ではなく腑に刺鍼しているのです。つまり鍼で直接的に治療できるのは腑までで、臓になったら間接的な治療しかできないのです。確かに内関へ刺鍼して狭心症発作を鎮めるというのはありますが、それは心臓へ直接刺鍼しているのではなく、手に刺鍼して心臓血管を広げているのです。臓へ直接刺鍼するわけではありません。臓へ刺鍼する鍼灸師なんて、皆無に等しいです。普通は恐くてできないでしょう。

 以上が痛みの起きる原因、そして鍼を使う理由を解説しました。
 次に日本の鍼、中国の鍼の違いですが、外観や作用は全くと言ってよいほど同じです。現在では中国の鍼も鏡面仕上げですし、ステンレスの質も良くなって、中国鍼と日本鍼は同じです。しいて言えば持つところが違うぐらい。
 では、何を以って中国鍼とか日本鍼と呼ぶのか?
 理論が相当に違います。一般に日本の鍼は『難経』の六部定位によって虚実を決め、五行の母子関係に基づいて穴を選び、経脈と同じ方向か逆らうかで補瀉します。
 脈を診て虚実を決めるのだから、中国鍼でも同じじゃないかと思われるかも知れませんが、それは誤解です。
 脈を診て虚実を決めるのは、現在に行われている辨証施治と呼ばれる方法で、それも確かに中国鍼の一種です。中医理論は整然としていますし。ところが、そうした方法は、鍼がメインでなく、漢方薬に付随させた鍼治療なのです。だから漢方薬を処方する理論を使って鍼灸穴を決める。つまり薬と鍼灸の合併です。
 ところが中国には、鍼灸大成や鍼灸聚英などの鍼灸書があり、それには「虚実は、鍼を刺したときの鍼下の状態で決める」と書いてあります。そりゃあ鍼灸だって身体全体の状態も知りたいので、舌を診たり脈も診ますが、鍼灸で最も重要なことは鍼下の状態。つまり鍼の感覚になるのです。鍼を刺すまでもなく、その部位を押さえてみれば、およその虚実の状態が判りますが、鍼を入れると、それが何処にあるのか正確に判ります。そうした五臓の虚実だけでなく、経脈部分の虚実も問題にしているのが鍼なのです。『内経』に「邪が集まれば、そこの気が必ず虚す」とあります。漢方薬では、そうした理論を使わないですよね。漢方薬は全体を、鍼灸では部分を重視しているわけですね。
 したがって「漢方薬の補助としてではない鍼灸治療」となると、『鍼灸大成』や『鍼灸聚英』を始めとする鍼灸専門書を読み漁るしかなく、そうした中国の「鍼だけ」治療を集約すると、こうしたページになってしまうのです。
 それは中国の本を比較してみれば、よく判ります。例えば中医学院の教科書は「はい、こうした症状。辨証、治療原則、配穴、加減」となっています。そうした本は漢方薬の補助鍼ですから、鍼について重要なことが書かれていません。
 例えば「刺鍼する前、刺鍼する部位が、どのような状態になっているか(硬いとか柔らかいとか)? そして、どの方向へ何センチぐらい刺入したらよいのか? どういう得気があって、その得気を末梢へ伝わらせるのか、体幹へ伝わらせるのか?」まあ、このようなことが重要です。こうした内容について書かれた鍼灸書は、中国でも少ないです。それが教科書とは離れた鍼灸書です。

 日本では、中国鍼灸のことについて情報が片寄っており、ちょっと前までは「中国は経穴だけで経絡がない」と言われていました。誰も反論しませんでした。だから我々の教科書を翻訳して、中国の経絡学を示しました。これより詳しい本が日本にあれば「中国の経絡学はチャチ」なのでしょう。そして漢方薬理論を使った鍼灸の本は、日本でも多く翻訳されています。ところが『鍼灸大成』や『鍼灸聚英』のような鍼灸専門書は訳されていない。情報がないと一部だけを見て、全部を判断されてしまいます。例えば頭鍼などは、辨証配穴とは言っていますが、冷静に考えれば全く関係がない。こうして考えると、五臓六腑を中心した八綱辨証だけでは、鍼灸治療の辨証をカバーできないことになる。もちろん辨証は八綱辨証だけではないですが、主には漢方薬の道具です。鍼灸での辨証は、眼鍼も辨証になるでしょうから、症状分類という程度の意味になります。つまり筋肉を分類して刺鍼を決めることは、漢方薬では全く意味がないので、鍼灸だけの辨証法になります。だから漢方薬を中心とする教科書の辨証配穴には載らないわけです。
 それから学生の皆さんは誤解されていると思うけど、中国の病院では教科書の「鍼灸配穴」を使った治療なんて、ほとんどおこなわれていないのですよ。それで終わったら鍼灸の進歩が終わりですから。私の『難病の鍼灸治療』や『急病の鍼灸治療』なんて無意味になります。
 だから中国鍼灸は、けっこう奥が深いです。「冬ソナ」と同じで、どこにでもある使い古されたような初恋と記憶喪失をテーマとしたラブストーリーかと思っていたら、最後に近親相姦をテーマにしていたドラマだったとか。中国鍼灸は、日本の脈診のようにして証を決めて取穴しているのかなと思ったら、最後には鍼の感覚が問題となってくる。
 ドラマで言えば、チュンさんとユジンが初恋し、記憶喪失となって別れ、再会して思い出したときユジンが白血病で死に、チュンさんとサンヒョクがアメリカへ渡って結婚するぐらいのドンデン返しです。表面からだけでは判りませんなぁ。

 そして鍼下が硬ければ実ですが、それは鍼の「痛みは実」という考えからきているのでしょう。筋肉が収縮していれば、血管だけでなく神経も圧迫するので、当然にして痛みが出ます。そのように収縮した筋肉に鍼尖が当たれば、筋肉が一瞬収縮するので、筋肉内の神経が圧迫されてズシーンとした感覚があります。そこの位置で鍼を止め、筋肉が緩むまで置鍼する。なんだかんだ言っても、おもにそれだけですよ。そうしたことを中国の書物は述べているわけですが、鍼灸大成など、岡本一抱よりほかに翻訳した人がないとは驚き。そうした時代の本まで読めば、現在の教科書の鍼灸配穴は、漢方薬理論と穴位効能を組み合わせて、その場しのぎに作り上げたものだと判ります。国際化が早すぎて、鍼灸科の設置が急がれ、間に合わなかったのでしょう。それはそれで漢方理論がキチンとしてますから、体系化はされていますが、教科書の『鍼灸治療学』は『中医内科学』を簡単にし、効能の合った穴位を填め込んだとしか考えられません。『中医内科学』は『諸病源候論』に基づいていますが、それは漢方薬の本です。だから辨証配穴は、漢方薬に基づいた配穴といえます。

 以上のことを述べたのは「これって鍼灸配穴? 教科書のと随分違うじゃん」という意見があると思ったからです。まあ中国鍼灸は、理論はともかく、効果があれば何でもあれです。痺証については、この配穴を使ったほうが効果がありますよ。なにせ教科書の痛み治療が、あまりに悲惨だから作ったものなので。風を散らすとか、痰を除くとか、痛みには余り関係がない。

 これにて『内経』の解説による発病原理と治療機序についての話は終わりです。ちょっと難しかったかな?

 あとはホームページに寄せられた質問から。

 北京堂の鍼は、北辰会や経絡治療などに較べると、えらく本数が多いし、深いですね。
 これはトリッガーポイントの鍼とは違うのですか?
 木下晴都の神経傍刺とは違うのですか?

 確かに北京堂式は、深くて本数が多いです。骨表面付近まで鍼を刺入して置鍼します。
 それは小鍼刀とか項鍼や夾脊鍼の理論を取り込んだ面が大きいからです。でも少し違います。
 小鍼刀の理論は、筋肉が癒着しているので、それを剥がすというものです。

 北京堂理論は、同じ姿勢を続けると特定の筋肉が収縮しっぱなしになる。また同じ動きを続けていると、その筋肉に供給される血液量を上回るエネルギーを筋肉が消費してしまい、そのために筋肉が収縮しっぱなしになる。
 筋肉が緩んだり、収縮したりを繰り返していれば、静脈の弁によって筋肉内に血液が流れ、筋肉内の老廃物が排出されます。しかし筋肉が収縮し続けると、血管が圧迫されて血液循環が起こらない。それが病的な筋肉と正常な筋肉の違いです。
 つまり収縮し続けている筋肉へ刺鍼し、筋肉が解れるまで置鍼することで、凝り固まった筋肉を筋肉痛に変えるのです。筋肉痛は、筋肉の中に乳酸などの発痛物質が溜まって痛むと一般に思われていますが、筋肉痛を起こしている筋肉自体は軟らかいので、血液循環によって徐々に発痛物質は運び出されて痛まなくなるのです。ところが筋肉が痙攣していれば、血管や神経を圧迫しているので、血液循環がないので発痛物質は運び出されず、神経を締め付けている絞扼痛が悪化し続けます。筋肉痛を起こした筋肉は、筋肉自体は柔らかいので、老廃物が血液循環とともに排出され、3日ぐらいで正常な筋肉にと戻ってしまいます。つまり鍼は、痙攣した筋肉を軟らかくして血液循環を快復させ、発痛物質を運び去ることで神経を刺激しないようにし、神経は刺激されなくなるので恒常的にパルスを発しなくなり、そのパルスによって筋肉が収縮することもなくなる。鍼は疲労物質が溜まって収縮して硬くなった筋肉を、軟らかく広がらせるのです。つまり縮んで硬くなった筋肉を、軟らかい筋肉痛の状態にするんですね。

 どうして鍼の本数が多いか?
 昔風にしているのです。例えば現在の灸は、モグサを何度も精製した、まっ黄色なモグサを使いますので、ほとんど痕も残らないし、チクッとするだけで火が消えます。
 しかし昔のモグサは純度が悪く、ヨモギの繊維などが沢山入っていたので、色が黒かったそうです。農家が自宅で作ったそうです。そうしたヨモギは、葉っぱが炭になりますから、文字通り久しい火が続いたのです。だから熱い。それで北京堂は、喘息などの灸で、敢えて質の悪い灸頭鍼用のモグサを使います。

 鍼も同じです。昔は鍼を自作していました。馬の口にくわえさせた鉄を使って作ったのですが、それは馬がヒノエ馬だから火に属し、金の毒を尅すと考えられたからです。
 何度も折り曲げては焼いて、叩いて棒状にし、ある程度の細さになったら研いで鍼を作るというもので、太さがバーベキューの串ぐらいの鍼しか作れなかったと思います。そうすると刺すとき痛みを伴いますし、そんな太い鍼では摩擦が大きいのでスピードに任せて刺入しなくてはならない。痛みを伴うため、ゆっくり入れる余裕がないから鍼尖が何に当たっているか判らない。そんな治療だったと思います。
 現在の鍼はステンレスですが、ステンレスを溶かし、引き伸ばして作るため手間がかからず、コストが安くなります。
 そこで考えてみますと、昔の鍼は太かった。つまり鍼の表面積が大きいわけですから、筋肉との接触面も大きくなるわけです。現在の鍼は細いので表面積が小さく、筋肉との接触面も小さいため、同じ接触面を得ようとすると、本数を多くするか、斜めに刺して表面積を大きくするかしかないわけです。
 実際、昔の鍼は直刺がほとんどで、細い鍼が作られるようになってから斜刺やら透刺がされるようになりました。
 もう一つの問題は、材質の問題です。昔は竹鍼というのがあったそうです。竹を削って串を作り、表面にヤスリをかければ、鍼が簡単に作れます。現在の竹串から作れます。
 しかし竹鍼は、徐々に使われなくなり、鉄鍼が取って代わります。その理由は、材質に問題があったのではないかと思います。竹は電気を流さないが、鉄は電気を流す。だから竹鍼は筋肉を緩める作用がなくて効果がない。もし材質に関係なく、鍼の刺激が効くのであれば、蚊に刺されたって効果あるだろうし、サボテンの棘でも、ウニの棘でも、シバリが刺さっても効果があるはずです。しかし、それで病気が治った話は聞きません。
 なぜ筋肉が収縮し続けるかという問題を考えると、筋肉は神経からのパルス刺激によって収縮しています。みなさんもカエルに亜鉛と銅のピンセットで電気を流すと、カエルの足が収縮するなどという実験を、理科の時間にやったことがあると思います。
パルスは微弱な電気信号なのです。信号がなければ、脳性麻痺のように筋肉はダランと力が抜けます。金属は導体だから収縮する電気刺激を逃がします。それが竹鍼でなく、製作がめんどうな鉄鍼を使うようになった理由でしょう。
 筋肉から電気パルスを逃がすことによって筋肉が収縮しなくなると考えると、鍼との接触面積が大きいほど筋肉が緩みやすい現実と一致します。
 ステンレス鍼を鉄鍼と比較してみると、ステンレス鍼は電気が流れにくいのです。それはステンレスが錆びているからです。ステンレスは錆びないのですが、表面に錆びたステンレスが緻密な膜を作っているため深部が錆びないのです。この膜が、電気の伝導率を悪くしているのです。つまりステンレス鍼は、鉄鍼より効果が悪い。しかし錆びない利点がありますから、鉄鍼のような奥に錆ができたために、鍼の切れる恐れがない。
 そこで電気伝導率を良くして抵抗を減らすには、接触面積を増やす必要がある。それで多刺するのです。
 置鍼する理由も同じで、筋肉内の電気を逃がすために置鍼します。

 次に、どうして深刺するかです。
 他の流派は浅刺なのに、なぜ北京堂は、神経傍刺のように深刺するのか?
 これも昔の鍼法ですが、昔の鍼法は、補にしろ瀉にしろ天地人に分け、例えば表面へ入れてからグッと奥に入れたり、また一気に奥まで入れてから表面まで引き上げたりしています。そして奥とは地で、骨の近辺だと言っています。また『内経』にも三刺というのがあり、奥へ入れて穀気に達すると調整されて病が治ると言っています。
 両者とも骨の近くまで入れていることには違いありません。
 まあ、それは古代の本に書かれたことですが。これをどういうことか考えてみます。

 北京堂では、鍼で消せる痛みは、筋肉が収縮して神経を圧迫している痛みだと考えています。つまり腫瘍とか骨が神経を圧迫している痛みには、鍼は一時的な麻酔効果しかないわけです。
 筋肉が神経を圧迫して痛みを発生させるには、かなり強く圧迫しなければなりません。それに放散痛というのがあります。神経は、特に放散痛が起きるような太い神経は、かなり深部を走っています。筋肉表面を走っていて、刃物でも当たって神経が切れ、手が動かなくなったら困るため、簡単に切れないように深部を走っています。
 しかし、それによる欠点もあります。それが筋肉が収縮すると、神経が強く圧迫されて痛むことです。
 もし神経が表面を通っているとしたら、外は空気なので、いくら内側の筋肉が強い力で収縮していようが圧迫されません。しかし筋肉の奥を通るため、筋肉が収縮すると神経が強く圧迫されるのです。
 臨床治療していると判るのですが、女性は坐骨神経痛が少なく、男性は坐骨神経痛が多いようです。そして女性の坐骨神経痛は、骨粗鬆症によるものが多い。男性の坐骨神経痛は、大腰筋が圧迫して起きているものやヘルニアが多い。その理由を考えてみると、男性は大腰筋が太いが、女性は大腰筋が細いからでしょう。
 なぜ女性は大腰筋が小さいかですが、この筋肉は腹の奥にある筋肉なので、妊娠するとき胎児を圧迫するから細いのでしょう。
 大腰筋の大きい小さいは、その中を坐骨神経が通るかどうかの確率に関わってきます。
 大腰筋が大きければ、その中を坐骨神経が貫く可能性が高く、その筋肉中を神経が通っていれば、筋肉が収縮したとき強く圧迫されます。しかし大腰筋が小さければ、背骨から出た坐骨神経は、大腰筋と腹腔の間を通る可能性が高まります。大腰筋の内側に坐骨神経があれば、大腰筋が収縮しても神経が圧迫されず、足に痛みも出ないわけです。
 だから男は筋肉の発達している30~40代でも坐骨神経痛が多いのですが、女は老人の坐骨神経痛が多く、また男で腰の曲がった人は少ないですが、女は多くなります。それは男性では大腰筋の中を坐骨神経が貫いているために、大腰筋が収縮した時点で痛みに耐え切れずに治療してしまいますが、女性では腰が前かがみになるだけで足に痛みが出ず、治療しないから曲がってしまうのです。
 男でも腰が曲がっているのに、曲がるまでに坐骨神経痛が起きなかった人があって、男でも神経が大腰筋を通っていない人もあるんだと驚いたことがあります。つまり筋肉の中を神経が通っていれば、その筋肉が収縮したとき痛みが出るが、筋肉の中を通っていなければ筋肉が収縮しても痛みは出ないということです。ここでは血管の問題は分けて考えています。
 坐骨神経が圧迫されるポイントは、一つは背骨、これは手が出ません。次に大腰筋、そして梨状筋、梨状筋を坐骨神経が通っている人は割りに少ないです。これが大きなポイントで、中国では大腰筋や背骨で神経を圧迫された坐骨神経痛を「根性坐骨神経痛」、梨状筋で神経を圧迫された坐骨神経痛を「幹性坐骨神経痛」と呼んで区別しています。日本では幹性を梨状筋症候群と呼んでいます。そして膝の裏は、あまり坐骨神経を圧迫するような太い筋肉がありませんが、フクラハギの中央あたりにヒラメ筋という筋肉があり、それが骨付近で坐骨神経を圧迫しています。だから三ケ所が坐骨神経治療のポイントになります。
 骨付近では、筋肉が骨に付着しており、また外気など圧力を弱める要因もないため、骨付近を通る神経は、周りの筋肉に強く圧迫されますが、圧力の逃げ場がないので、筋肉が収縮すれば神経を圧迫することになります。血管も同じことで、深部を流れる大動脈などは筋肉の圧迫を受けます。つまり骨付近の筋肉が縮みっぱなしになると、深部の神経幹や大動脈を圧迫し、放散痛が起こったり、血の巡りが悪くなって冷えたりします。そこで表面でなく、深部の骨付近の筋肉へ広い面積で刺鍼します。
 実際に鍼を入れてみると、大腿前面などでは、表面は柔らかい筋肉なのに、大腿骨付近では1cmぐらいのところで非常に堅くなっています。膝が痛む人など、中間広筋が大腿骨に付着している部分でカチカチになっています。そこへ効率的に刺入するには、内腿から横刺で、中間広筋の大腿骨付着部へ刺入してゆきます。
 つまり深刺する理由は、表面の神経は外気があるので圧迫の圧力が逃がされるが、深部の筋肉は圧力の逃げ場がないので、圧迫による悪循環が解消されないから、刺鍼して人工的に筋肉を緩め、神経の圧迫を除いてやる必要があるのです。だから深刺なのです。
 手とか足では真ん中に骨があり、そこへ深刺することは誰でもできます。しかし首や背中では、そばで指導していても「まだ入ります」とか言ってくるので、やはりマンツーマンで教えないと危ないかなとも思います。

 例えば後頚部では、椎骨動脈や靭帯、椎間板、硬膜などの組織へ鍼尖が当たったりします。すると筋肉とは違う、弾力性に乏しい堅さがあります。そうした組織に当たって鍼尖を止めているのに「先生、まだ入ります」と言って入れよる。そりゃあ入るだろう。三寸鍼を首に刺鍼したことあるのだから。だけど目的ですね。硬直した筋肉へ鍼を入れ、筋肉を緩めて神経圧迫を除くのが目的なのに、筋肉を貫いて椎骨動脈や靭帯へ刺入して、その目的は何? 例えば頭痛なら大後頭直筋、小後頭直筋、下頭斜筋、上頭斜筋に鍼尖を入れたらいいじゃないか? それを突き抜けて奥の組織へ入れれば、効果がないばかりか、椎骨動脈に傷を付ければ、そこから血栓が成長し、それが脳へ流れてゆき脳硬塞を起こす危険がある。また硬膜を貫いて脊髄や延髄を刺せば、そこで出血して機能を麻痺させる恐れすらある。だから目的物に当たったら、そこで止めなければならない。しかしシロウトは鍼で貫いても効くと思っている。そんなことはない。
 例えば大腰筋痙攣の治療では、大腰筋へ刺入するが、そのとき表面の脊柱起立筋をどうしても通過する。で、脊柱起立筋も緩むかというと、まったく緩んでない。
 『内経』にもキチンと目標物に当てろ。病巣が深いのに届かなければ効果がなく、貫いてしまえば害になるとある。
 どうも鍼の初心者は、その辺が判ってないようです。まあ鍼で治したことがないから、どうやれば効果があって、どうやれば効果がないのか判らないから、仕方のないことだとは思いますが。こういうことは初心者を教えるとビックリします。こいつは手の感覚があるのか? いったい鍼の危険性を認知しているのかなどなど。
 そうした未熟者では、深く刺入することは危険で、まあ5mmなら大丈夫でしょう。お婆さんなど、5mmぐらいで背骨に当たる人がありますから。

 以上が北京堂の刺鍼本数の多い理由、並びに深刺する理由ですが、これは『内経』に基づいた刺鍼でもあるのです。

 次に「トリッガーポイント」と、どう違うかです。トリッガーポイントは、最近でも中国では言われています。トリッガーポイントは、私も日本の鍼灸学校時代にチョコット習いましたが、症状の起こる起点ですね。中国でも顔面痙攣などで、一番最初に痙攣が始まる場所に叢刺するというのがありました。
 トリッガーポイントは、症状の始まる部分ですが、そこは筋肉に神経や血管が入る場所だと言われています。ですから一般に、一筋肉に一ケ所しかありませんので、各筋肉に一本ずつ刺鍼します。深さについては述べられてなかったと思います。私も十年ぐらい前に読んだ本なので、記憶が定かではないのですが、だいたい筋肉の中央部分がトリッガーポイントになっていたと思います。それに刺入する深さについては述べられてなかったと思います。すべて直刺で。
 対して北京堂の鍼は、別に筋肉の一ケ所に限らず、主に筋肉の太い部分や硬くなっている場所へ刺入しますので、刺鍼も筋肉一つにつき一本と決まってないのです。腱や筋肉付着部は重視してないので、細くて短い鍼を使います。筋肉へ刺して緩めることで、神経の圧迫を除こうというものですから、トリッガーポイントと似てはいますが違います。

 神経傍刺は、神経の傍らに刺して柚索反射を利用する鍼だと書かれています。
 ですから神経傍刺は神経根部に刺鍼するのに対し、北京堂式は大腰筋へ刺入していますから、やはり鍼の本数とか位置が違います。木下式は、神経が筋肉へ入る部分を対象として刺鍼していますが、北京堂式は筋肉全体に刺鍼します。

 トリッガーポイントや神経傍刺は、どちらかというと西洋医学式の刺鍼方法ですが、北京堂のは筋肉へ入ったときに得気するから、得気を重視した『内経』や『難経』、『聚英』や『大成』の鍼法といえます。


 後日談
 
この北京堂式鍼灸は、本当に中国鍼灸なのか? 中国鍼灸は辨証配穴ではないのか?
 ごもっともな意見です。私は、明治で勉強して、大坂で試験を受け、島根にて免許を取得しました。それは国試に受かるための勉強であり、鍼灸治療の勉強ではありませんでした。だから実際に鍼灸治療を勉強したのは北京です。したがって、北京堂方式が中国鍼灸なんです。非常に理路整然としていますね。
 最近、外弟子になった藤田くん。彼は鍼灸の教員免許も取り、さらに天津にて鍼の勉強をしたそうです。彼は天津の病院にて実習したそうです。彼は中国語はできますが、古文を読めないので、チュット中途半端な中国語です。
 「天津の病院でも、やはり辨証治療などやってません。薬を処方するときのみ、舌を診たり脈を診たりするのです。そして鍼を受けに来る人は、圧倒的に脳卒中だ」といいました。つまり天津も北京も、全く変わらないわけです。北京で勉強した人も、天津で勉強した人も、辨証治療は、鍼灸の治療ではないという認識です。だって実際、病院では鍼灸の辨証配穴なんて、やってないんだもの。これは日本の誤解です。誤解が、なぜ生まれたかですが、私は88~90年代に中国へ行き、彼2000年代に中国へ行きました。私の前世代は、学校の先生になっていますが、彼らは77~85年代に中国で勉強しました。その時代には鍼灸の教科書がなかったのです。つまり漢方薬と鍼灸が分離されてなかった。だから漢方薬がメイン、鍼灸をソウザイとするしかないのですが、漢方薬がメインなために辨証法を中心にするしかなかった。
 
「なるほど、そういえば辨証配穴を習ったのは、兵頭先生です」。兵頭先生は、明治の先輩だし、北京中医の先輩でもある。しかし本人に聞いた話しだと、文革中で毛沢東が生きており、自分たちは野山へ漢方薬を採りに行ったという話しでした。しかも北京中医に鍼灸科ができる前の留学だ。
 
「やっぱり漢方薬が中心だ!」。だから現在の鍼治療は中西合作で、ほとんど解剖に基づいた鍼治療が中心になっている。
 
「でも辨証配穴をしなくなったのは、鍼灸の退歩だという先生もありますよ」。なにが退歩なもんか!甲乙経を見ても、資生経を見ても、大全を見ても、聚英を見ても、大成を見ても、鍼灸治療は症状取穴をしている。舌を診たり脈を診て、辨証鍼灸してる本など、見たことがないよ。だいたい身体も触らず動きも見ないで、舌や脈、大小便や汗などで配穴を決め、骨度法に基づいて取穴しようなど、おかしいよ。あれ自体が、過去における中国鍼灸の誤りだね。
 「そうでしょうか?」。ああ、霊枢経脈篇にある最後の文句を読んでご覧。彼は古文が読めなかったので、下の現代語訳を読んだらしい。
 
「人の身体が、それぞれ違うように、経脈も違いがあり、絡脈も異なっている」。チョット待て、そんなこと書いてないだろう。
 
「はぁ、私、古文は読めませんので、下の現代語訳を読みました」。中途半端な中国語やなぁ。じゃあ読んでやろう。人の経脈は同じでなく、絡脈が別れ出る部位も違っている。つまり経絡が人によって違うということは、経絡上にある経穴も人によって違うということだろ?それを身体も触らないで舌や脈だけで判断し、反応も現れてない経穴を骨度法で確定して取る。これは矛盾だろう?もしかすると中国人は、あまり霊枢を読まなかったのかな?この文の前にはチャンと「視之不見、求之上下」と書いてある。つまり見て判らなければ、上下に触ってみろということだ。そもそも霊枢骨度には、人体各部の長さは示してあるが、経穴の位置など正確に示されてない。甲乙経が確定したものだ。だから中国鍼灸は辨証治療だなんて誤解を消して、正しい中国鍼灸を広めなければ。これは北京中医で勉強した今村だけでなく、天津で学んだ藤田も同じ認識だった。もしかして北京と天津は近いから同じなのかも。
 一応、具体的な刺鍼法の写真は、ここにあります。と勝手に弟子のページをリンク。下の棒「見てわかる」をクリック。治療法紹介の五十肩①と②はオリジナルです。③と④は、彼のオリジナルでしょう。

 
鍼の辨証治療手順。
 まず患者さんを四診に基づいて分類し、証を建てたら経穴と補瀉を決め、効能に基づいて経穴処方を決め、経穴を骨度法に基づいて決定し、刺鍼治療する。
 なんとなく経験の蓄積で分類するので、すばらしい治療方針に見えます。しかし問題点もあります。

 霊枢に書かれた経穴の曖昧さ:鍼灸治療で中心となるのは、まず霊枢経脈だろう。そこには、さんざん経脈について述べた最後に「凡此十五絡者、実則必見、虚則必下。視之不見、求之上下。人経不同、絡脈異所別也」とあります。最後の部分「人経不同、絡脈異所別也」に注目してください。訳すと「人の経脈は、個人によって違い、絡脈の別れ出る部位も異なる」となっています。つまり「経脈には個人差があり、絡脈の出る絡穴も人によって違う」と言うことです。
 つまり骨度法に基づいて取穴しても、その経穴は正しくない。これは明治で真田先生(故人)に教わったことです。経脈が人によって異なれば、経脈上にある経穴だって部位がズレる筈です。
 霊枢によれば、骨度法は目安にしかすぎない。つまり王惟一の作成した銅人は、目安としてはよいが、臨床治療には甚だ疑問。
 では実際、どうやったら正確な経穴が得られるかですが、触ってみなければ判りませんね。梅花鍼の診察法と同じようにして、経穴付近を触ってみます。そうして異常な反応点があれば、そこが経穴になります。だいたい堅くなっていたり、紐のようなシコリになっていたりします。
 虚実の違い:辨証では身体全体の虚実、あるいは上下の虚実や、内外の虚実として判定します。ところが鍼灸では、身体の左右で、虚実の違いがあるのです。というより絡脈だけの虚実や、経脈だけの虚実が想定されています。つまり局部だけの虚実を問題にしていることが多いのです。それを『鍼灸大成』では、「虚実は、鍼を刺して判断する」と言っています。つまり刺鍼して鍼下が堅ければ実、緩ければ虚です。また『素問・繆刺論』には、身体の半分だけが虚していたり、虚実が偏っているケースが書かれています。
 漢方薬では、身体の左右で虚実が違えば、対処法がないと思います。
 そもそも漢方では、身体の上下で虚実が異なる場合は想定されていますが、左右や局部にて虚実が違うなど対処できないのです。なぜなら鍼は、身体の片側だけに刺鍼すれば、身体の片側だけを治療できますが、漢方薬は消化された後、身体全体へ回るため、一側だけの治療など不可能です。それを言っているのは、素問の綾刺論ぐらいなものです。
 鍼治療では「邪之所湊、其氣必虚(邪の集まるところ、そこの気は必ず虚す)」『素問・評熱病論篇』が重要ですが、漢方薬では違いますね。つまり体系の違うものを無理矢理当てはめてもダメなのです。
 『難経』は「身体の左右で虚実が異なる」などの発想はなく、五行に基づいた漢方薬と相性の良い書物です。そのため素問霊枢と、真っ向から対立する部分も多いのですが。
 経穴の効能の曖昧さ:経穴の効能は、多くの中国鍼灸書に記載されていますが、昔の鍼灸書では、経穴の効能が記載されてなかったのですよ。では、どう表現されていたか?
 主治として記載されていました。主治では限定されてしまうので、主治から効能や性質を推測したのです。この歴史は、まだ百年も経過していないんじゃないかな?わりと最近始まった傾向です。
 刺入方向や深度、得気を問題にしない:四つも問題点を挙げると疑われるでしょうけれど、一般的に鍼は、得気させる事が問題です。それは素問も霊枢も、難経ですら共通してます。しかし辨証配穴では、経穴ごとの刺入深度が記載されています。それは素問や霊枢と対立しています。鍼は、太り具合によって深さを決めたり、気血の流れ易さによって置鍼時間を決めたり、感受性によって刺鍼本数を決めたりしています。そうしたことが素霊には記載されているのに、辨証配穴では一律に穴位しか記載されず、その深さも決められています。

 つまり辨証配穴は、コンピュータでもできるマニュアル治療であり、漢方薬処方と同じ体系で治療できる便利さがあります。つまり鍼の治療法を、漢方薬の体系を使ってリニューアルしたものです。
 リニューアルというと、何となくカッコいい響きなので、私も辨証配穴に戻ろうかな?でも、別の言葉を使えばリストア、つまりリストラだ。やっぱりやめとこ、となりますわなぁ。

 
北京堂は、なにゆえに電気治療をしないのか?
 北京堂系列ではG6805治療儀をもっています。しかし、ほとんど使いません。使う場合は、脳卒中や夾脊鍼など、マニュアルに記された治療ばかり。
 パルス治療は、日本で誕生しました。戦後、中谷義雄という人が、電気の流れやすい部分が経穴だと考え、良導絡といって鍼に直流を通す治療法を開発しました。それは画期的な方法だったのです。なぜかといえば、それまでは鍼に通電することなど、誰も考えなかったからです。
 これはお昼のワイドショーなどテレビでも毎日紹介され、中谷義雄と浪越徳治郎は時の人となりました。それは直流を流す方法だったのです。
 なぜ時の人になったかといえば、それは非常に科学的だったからです。なぜなら電池という科学の産物を使っていたからです。電気は科学だから、良導絡は科学の鍼だ、こういうふうに一般民衆が考えたのです。このときは静かな日本の文化大革命でした。
 それから良導絡は、門戸を開いた中国へと渡りました。中国も、新しい物好きです。直流通電する中谷式を改良し、すぐに鍼麻酔儀であるG6805を完成しました。それが日本へ渡って、パルス治療器になりました。ですからパルスの源流は日本にあり、それを改良したのが中国です。
 中国では鍼麻酔が有名ですが、昔の鍼麻酔は、鍼を錐のように手で捻って麻酔していました。それが電池で鍼麻酔できるようになり、画期的なことになったのです。捻鍼刺激で鍼麻酔するのは、容易なことではありません。そこでパルス器は広まり、ほとんどのパルスを使った治療報告は、G6805を利用されています。頭鍼にも利用されて、多くのマニュアルが作られています。
 何もかもパルス治療器を使っていた中国でしたが、レーザー治療器をドイツ人が発明すると、パルス治療器が廃れ、レーザー治療器一辺倒になってしまいました。1980年代は、ヘリウムネオンレーザーが一世を風靡していました。ところが効果が悪かったため廃れてしまい、子供の下痢に使用されるぐらいになってしまいました。レーザー鍼が発明されたときは、鍼を刺入しないから絶対に感染の恐れがなく、安全な方法だと絶賛されていました。
 その後は冷光が発明されました。冷光とは、半導体レーザーで、青色レーザーのことです。ヘリウムネオンレーザーは、赤色の光なので熱、そして補法。冷光は青い光なので冷、そして瀉法。このように使い分けられ、手軽にできるレーザー補瀉として一時的に注目を浴びました。しかし効果の面で、あまり広まらなかったようです。またレーザーを使い続けることによる弊害も指摘されだしました。
 1990年代は、小針刀の時代でした。これは痛みによる運動制限を治療する鍼として、卓越した効果があるために流行しました。もともと発明者の朱漢章は、整形の医者であり、骨を切る道具として小針刀を発明しました。それは胃カメラが発明されたようなもので、鍼灸界にとって画期的な発明でした。それを小型化して、軟部組織を治療する道具にしたのが小針刀です。大型針刀は整形外科医に、小型針刀は鍼灸師に歓迎されました。彼は、パルスやレーザーのような道具だけではなく、治療理論までひっさげて登場しました。それも鍼灸師にをうならせ、一世を風靡しました。痛みの起きる原因は、軟部組織の癒着により神経が刺激されるからだという理論をひっさげ、その理論に基づいた小針刀が驚異的な治療効果をもたらしたからです。
 2000年代は、小針刀理論の普及により、鍼の治療理論と漢方薬の治療理論が解離した時代でした。それまでは辨証治療といって、中国では漢方薬と同じように鍼灸処方がされていたのです。おそらく今後は、神経と筋肉を中心にした鍼治療がメインとなってゆくでしょう。
 つまりパルス刺激によって脳内モルヒネを発生させ、その麻酔効果により鎮痛させる治療法が、鍼治療の中心でした。それが小針刀の理論、そして治療効果によって理論の正しさが証明され、麻酔効果に頼らなくとも、痛みの原因そのものを除去する鍼治療に変わってきたのです。
 つまり癒着や筋肉萎縮により神経が圧迫され、痛みのパルスを脳が感じていました。そこで鍼麻酔を使って、脳内モルヒネを産生させ、一時的に痛みを止める。この方法では、麻酔の効果がある3日ぐらいしか鎮痛作用がないので、また麻酔してもらいに鍼治療を受ける。だから「鍼はクセになる」と言われていました。しかし小針刀理論では、癒着を剥がして筋肉萎縮を解消し、神経に対する刺激原因を除去するので、完治してクセにならないのです。それと『膝の痛みを治す本』というベストセラーのなかで、「鍼は単なる麻酔作用で鎮痛しているのに過ぎず、その効果は一時的なものだ」と述べられていましたので、くやしいから姑息な鍼麻酔は使わないことにします。だから鍼麻酔も使っている弟子は要注意。
 もう一つの理由は、通電することにより、筋肉を律動的に運動させ、血液循環を促す作用を期待しているのです。しかし弛緩した筋肉ならともかく、収縮した筋肉へパルス刺激するのはどうでしょう。パルス刺激すれば、筋肉は確かに収縮しますが、パルス電気が筋肉を動かしているわけではありません。パルス電気が神経を刺激し、神経に電気刺激が起きるために筋肉が収縮しているのです。つまり筋肉を動かしているのは、結局は神経なので、自分で動かしているのと変わりません。そうして筋肉は動きながら、筋肉内にある酸素を消費し、エネルギーを燃やしているわけです。それを続けていれば、筋肉内にはエネルギーがなくなり、パルスを流しても収縮しなくなるでしょう。刺鍼すれば筋肉が弛緩して血管が拡張し、血液が流れるのに、ワザワザ通電して筋肉を収縮させる理由が判りません。だから筋肉萎縮による疾患は、原則としてパルス通電をしないのです。
 しかしパルス器は、脳卒中治療に使う頭針でも判るように、捻鍼の手間を省かせてくれます。ですから脳溢血の血腫消しなどには欠かせません。しかし、どうしてもパルスを使わなければならない治療以外は、鍼麻酔目的のパルスして脳内麻薬で麻酔されては、本当に痛みが消えたかどうか判りません。そこで原則としてパルス通電しないことにしています。
 ところで、なぜパルス通電すると麻酔がかかるかという理由ですが、もともとの鍼麻酔は手で捻鍼していました。それによって神経を定期的に刺激するのですが、神経は鍼が刺さったり、刺さった鍼を動かすと、パルス電気を発生させます。つまり手技による刺激は、神経にパルスを発生させる技法なので、パルス治療器を使って直接神経を刺激しても同じなのです。だからパルス電気(脈冲電流)は、捻転や提插と同じ効果があるとされているのです。逆に言えば、なまじっか収縮した筋肉に捻転や提插すれば、収縮がひどくなる可能性があるので、収縮した筋肉へパルスしたり手技したりは、却って悪化させることになります。
 そのために中国では、安全性の面もありますが、体幹のような発病部位では刺鍼手技をせずに、手とか足へ刺鍼したときのみ刺鍼手技を施して、そのパルス刺激を体幹の病巣患部へ伝わらせるようにしていました。現在でも体幹部へ刺鍼通電する治療は、側索硬化や精神病など特殊な治療法だけで、手足を取って通電する方法が多いのです。それも合谷はマイナス、曲池へプラスなど、手だけで回路を作り、心臓には電気が通らないように注意しています。
 うちの患者さんでも、心臓を回路としたパルス刺激をされ、心臓の律動に干渉されて苦しくなった患者さんがありました。うちはパルスしないから、別でされたのですけれど。一応、弟子には、心臓へ電気が流れないようにパルスすることを教えてありますが、マニュアルにないのに通電するのはいかがなものでしょうか? なぁ~んちゃって

 
北京堂方式の源流
 北京堂式の坐骨神経痛治療は、浅野周が発明したオリジナルではなく、木下晴都が試行錯誤のすえに開発した治療法です。当時は神経根傍刺と呼ばれ、神経の軸索反射によって治療するとされていました。木下晴都先生は逝去されましたが、その治療法は改良を加え、北京堂方式となって残っています。木下晴都の坐骨神経痛治療も、パルス電気など使いませんでした。改良した点は、①置鍼時間が20分だったものを20~40分に延ばした。②背骨の横だけではなく外側からの刺鍼を加え、軸索反射ではなく大腰筋を弛める目的にした。③腰方形筋を弛めることも加えた。④今までの鍼は、三寸十番が使われていたが、三寸五番と二寸五分四番を中心に使い、重症な場合のみ十番を使うこととした。⑤これまでは三寸の鍼管だけを使っていたが、三寸で切皮したあと、二寸五分、二寸、寸六の鍼管を被せて刺入してゆき、寸六と同じ感覚で三寸鍼が刺入できるようにした。⑥坐骨神経痛の治療方法を、膝痛や頚椎症、五十肩の治療まで拡大した。⑦朱漢章の小針刀理論、高維濱の神経理論を取り込んだ。とくに高維濱の神経理論を取り込んだことにより、運動疾患だけでなく、内臓疾患にも中西合鍼で対処できるようになった。
 この方式は、木下晴都が解剖に基づいて創作した方法です。神経根傍刺が中国の経穴では、腎兪、気海兪、大腸兪、関元兪に相当します。ところが刺灸法は、直刺で0.8~1寸です。志室、腰眼も直刺で0.8~1寸です(上海中医学院の五版教材『腧穴学』より)。これらの経穴に3寸鍼をブチ込んだのは、木下先生が最初でしょう。当時は大腰筋など考えず、神経根へ当てると考えていたので、男女や体格によって大腰筋の厚さが違うなど、ややこしいことを言い出す人はいなかったわけです。だから三寸鍼を内向きに刺入。でも木下先生も、最初から三寸鍼など使いませんでした。坐骨神経痛の治療で、最初の二十年間を治療して刺鍼していた深さは3㎝、これを5㎜刺鍼と比較して、深刺が有意だったという。それから徐々に深くなり、最終的には三寸鍼を直刺する木下方式に変わったわけです。ただ三寸の鍼を、どうやって刺入したらよいか判らない。それと怖い。木下方式は教科書にあるものの、誰も教えてくれない治療でした。明治の実習でもやらなかった。
 
木下方式との出会い:私の母親が、膝が悪くて整骨院へ通っており、そこの院長に勧誘されて鍼灸師になりました。鍼灸学校では、寮のような所に住んでいました。そこに木下慎二さんという人がいたのです。木下さんは間歇性跛行、長く歩けず、十分も立っていられない状態。私はアルバイト先の弁当屋で、社員に頼まれて腰痛の鍼治療をしていました。木下方式を試してみたくて三寸鍼を使ってました。ところが同じ寮に住んでいる木下さんが、いよいよ歩けなくなったという。すると同級生の小田さんが、「どうせ治らないなら我々に鍼をさせろ。それで卒論を書く」という。結局十回ぐらい鍼をした。私も二回ほど木下方式で三寸鍼を打ち、20分ほど置鍼した。そして一緒に外出すると、日本橋へ行ったが2時間歩いても痛くならないと言う。そのとき木下方式の効果を実感した。学校の病院で、どうやっても治らないので、いよいよ神経を殺す日がやってきた。学校で先生と会い、「いよいよ某日に殺すことになったから」と告げられ、「先生、もう治りましたからいりません」と答える。ボーゼンとする先生。「あっ、木下くん、治ったの?」で終わり。
 しかし、当時は三寸も怖いが、十番鍼で腎臓を貫くのも怖い。そこで三寸三番の鍼を使っていた。三寸三番では、フニャフニャしていて刺入できない。それで三寸、二寸五分、二寸、寸六と、徐々に短い鍼管を被せて刺入する事を考えついた。木下方式によってギックリ腰治療に自信を持ち、鍼灸師になると中国へ留学した。中国鍼は深鍼だというが、それは沿皮刺だけで、木下晴都のような深鍼は、日本独自のものだった。もっとも風池に二寸ぐらいを入れたりもするが。
 もちろん中国でも坐骨神経痛は治しにくい。三寸鍼を使って、日本人や中国人を治してやった。やはり鍼管を差し替える刺入方式使ったことは言うまでもない。帰国して開業しても、坐骨神経痛やギックリ腰をたちまち治すと評判になった。しかし同時に木下方式に疑問を持った。それは神経根傍刺ならば、神経根に鍼を当て、神経を刺激するから効果があるはずなのに、別に神経を刺激するような衝撃がなくても、同じような効果があったからだ。同時に三寸三番を使った治療方法を、三寸五番を使った治療方式に改善した。三番では軟らかいので、刺入に時間がかかるからだ。
 神経に当てなくても、大腰筋に入れさえすれば坐骨神経が治る。つまり木下理論は間違っている。神経に当てるから、治療効果があるわけではないのだ。
 当時の鍼治療は、中国で悪い得気とされる神経を狙った刺鍼が主流だった。
 神経根には当てにくい。また背中では、神経根を狙うと気胸を起こす危険性がある。実は、神経に鍼を当てたことによる軸索反射で効果が得られるわけでなく、筋肉へ鍼尖が入ることで効果が得られるのではないかと思った。それは大腰筋へ入れさえすれば、坐骨神経痛が治るからだった。しかし学生時代に読んだ木下晴都の「痛み拡大再生産」理論は、かなりのヒントになった。そして神経根や梨状筋の状態から、神経と筋肉が垂直に交わる場所で神経が挟まれ、そのために痛みが起きているのではないかと考えた。つまり木下晴都のように筋肉を弛めるだけでなく、そこで神経が圧迫されるから弛める必要性があるのではないだろうか?
 しばらくすると1990年代初期に、中国で『小針刀療法』という薄い本が出た。それを翻訳してみると、彼の考えも私と似ていることが判った。しかし彼の発明した小針刀は、日本人鍼灸師の目から見ると、あまりにも太く、尖端だって痛そうだ。それに間違えば神経を切ってしまう。その直後に、天津は馬軍団の専属鍼灸師が『松解鍼』という本を書いた。その理論は、少しオカルトがかっていたが、普通の鍼でも血流が快復しさえすれば、癒着を剥がすことができるというものだった。しかしオカルトがかっていたので、最初の部分しか訳さなかった。しかし、普通の鍼でも小針刀と同じような効果があるという部分は、取り入れた。
 坐骨神経痛の大腰筋刺鍼を続けてゆくうちに、ヘルニアと大腰筋萎縮による坐骨神経痛の違いが判るようになってきた。一番大きな違いは得気の有無。
 ヘルニアによる坐骨神経痛は、大腰筋萎縮がなくなっても痛みが残るのだ。しかし大腰筋萎縮による坐骨神経痛は、大腰筋が軟らかくなると坐骨神経痛が完治する。だから骨による痛みを、筋肉が原因の痛みと鑑別せねばならない。もっとも大きな違いは、MRIで異常があるかどうかだ。ヘルニアなどの異常があれば坐骨神経痛と診断されるが、筋肉が収縮して仙骨神経叢を圧迫した痛みは、MRIに筋肉収縮が写らないために精神病と診断されるのだ。そうした精神病による腰痛を、大腰筋刺鍼にて十年以上も治してきた。筋肉が萎縮し、神経を圧迫して坐骨神経が起きるなど、理解できないのだろう。こんな論を展開すると、浅野は狂っていると思われるだろう。しかし、そうした理論をひっさげて登場した朱漢章は、解決策となる小針刀で驚異的な治癒率を挙げて、世間に認めさせてしまった。彼は、自分で開発した小針刀を使い、北京などで小針刀学習班を作り、その使い方を学ばせて、小針刀を使いさえすれば誰でも可動制限や痛みを治せることを普及させた。
 私も木下理論を発展させた、神経と筋肉が垂直に交わる部分を弛める方法に自信を持っている。この方法は、一部のハイレベル技術者だけができてもつまらない。鍼灸学校を卒業したばかりの人間でも、マスターできなければならない。そこで中野を実験台とし、教育実験をした結果、中野もある程度治せる鍼灸師となって、つまらなそうな人生に生き甲斐を見いだしたらしい。
 私は確かに北京で学んだが、日本の鍼を悪いと思っていない。とりわけ後頚部で安全に深刺するには、細くて滑らかな日本鍼が一番だ。中国の友人に日本の二寸をやり、同僚の頭痛を治してやったら、名医だと感心されたという。日本鍼は捻鍼でもしないかぎり、絶対に硬膜を破ることはない。
 北京堂方式は、中国の四冊の刺鍼事故本、そして十冊の人体断面写真集、さらに四冊の小針刀療法や神経本を参考にし、木下晴都本を発展させた、安全で治癒率の高い治療方法です。何しろ安全性は、木下晴都が死ぬまで臨床して実証されている。
 だだし北京堂方式は、弟子もいることなので坐骨神経痛、五十肩、膝関節痛、腰背痛、頚椎症しか公開しません。間違って耳鳴の治療などや胃下垂の治療、喘息治療までも公開しちゃったけれど。今後は、あまり期待しないでください。例えばアトピー性皮膚炎や子宮筋腫の治療などは、内輪でしかしないつもりですから。だって経筋治療とは呼べないもの。

 ちなみに北京堂式の経筋治療をやってみたいと思う人は、まず解剖知識がなければいけません。それというのも後頚部や背中などでは、筋肉が深部にあるため、キチンと解剖知識がなければ危険ですから。一応は頚部や肩背部の刺鍼では、マンツーマンで教えるのが原則です。その方法は、テレビで「リング」を見てインスピレーションが湧きました。つまりネズミ溝方式、弟子が誰かに教えたら、マンツーマンでも倍々に習得する人が増えて行くということ。ネズミ溝方式というのは印象が悪いので、「貞子の呪いテープ方式」と名づけます。

 それから北京堂方式は、刺鍼する本数が多いです。この方式は、テレビで「北斗の拳」を見てインスピレーションが閃きました。ケンシロウは、大きなビルでも一発で破壊できるようなパンチを持っています。また堅い岩盤を一撃で砕いて、涸れ井戸から水を湧き出させるほどのパンチ力を持っています。しかし敵を倒すときは、敢えて秘孔を突きます。この秘孔を突くというケンシロウのワザを、経絡的に考えてみますと、『霊枢・経脈』の終わりに、「凡此十五絡者、実則必見、虚則必下。視之不見、求之上下。人経不同、絡脈-異所別也」と書かれています。つまり「絡穴は、実ならば見えるし、虚したら窪む。見ても判らなければ、経脈を上下に触って求める。人の経絡は個人差があって違うが、絡脈の別れ出る絡穴も部位が異なっている」と書かれています。ということは秘孔が人によってズレがある。しかし敵は服を着ているから絡脈が見えない。そこでパンチを出す瞬間に、相手の身体を撫でて秘孔を探し当て、そこを突いているワケですわなぁ。超高速です。しかし師匠の私ならば、患者さんの皮膚を触り倒すことによって秘孔を探し当て、そこへ鍼を入れることもできますわなぁ。しかし未熟な弟子には無理です。そこで考えました。ケンシロウは、岩盤を撃ち砕いたり、ビルを一撃で破壊するだけのパンチを持ちながら、敢えて秘孔を突いている。もしかすると秘孔を突かなくても、そのパンチの破壊力ならば、敵を倒せるのではあるまいか? つまり秘孔を突かなくとも、その秘孔の周囲にパンチを万遍なく撃っておけば、どれかが間違って秘孔に当たり、「お前は、すでに死んでいる」効果をもたらすのではなかろうか? 高度な専門用語を使うなら、大穴狙いの一点買いか、それとも流しで買うかということなのです。

 すなわち、安全に深刺する方法さえ教えておけば、まず刺鍼して患者さんが死ぬようなことはない。次に、鍼を刺入すれば必ず秘孔に当たるような刺鍼方法ならば、弟子でも師匠と同じような効果が挙げられるはずだ。
 こうして安全に深刺する方法を子ネズミ方式で伝授する貞子方式、そして「ヘタな鉄砲も数撃ちゃ当たる」という北斗の拳方式を考えつきました。
 まあ、北京堂方式を見ると、経絡治療の脈診、温病派の舌診、そして辨証治療などと比較して、非常に単純で簡単そう。ボクチャンにも、私にも、簡単にできそうと思う。ところが弟子は、私から高い本を譲り受けているのです(売りつけられたとも言う)。そうした弟子用本は、日本で手に入らない。そこで日本でも似たような本を探すと、まず医学書院の『筋の機能解剖』が人民体育出版社の『運動解剖図譜』に似ています。そして南江堂
『断層解剖カラーアトラス』が遼寧科学技術出版社『断面解剖与MRICTECT対照図譜』に似ています。そして三輪書店『臨床解剖断面アトラス』が上海中医葯大学出版社『全身経穴応用解剖図譜』に似ています。さらに南江堂『局所解剖カラーアトラス』が北京科学技術出版社『医用解剖学標本彩色図譜』と似ています。そうした本を買って独学すれば、あるいは誰に教わらなくとも北京堂式経筋治療をマスターできるかも知れません。ちなみに人民衛生出版『影像断層解剖学』と上海中医葯大学出版社『全身経穴応用解剖図譜』は、書虫にて買えるようです。ほかに日本の鍼治療に役立つ本として、『筋筋膜痛の治療』『整形外科医のための神経学図説』『ボディ・ナビゲーション』、古いですが『図説筋の機能解剖』などがあります。
  これを書いたときとは違い、現在では小針刀は中国の中国の鍼灸界に取り入れられ、その理論は中心的なものになっています。1992年に初めて『小針刀』の本が書かれてから、十年以上も経ていますから世の中変わりました。
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