鍼灸資生経巻三 bP 2001年7月6日更新
鍼灸資生経巻三1
虚損
脳虚冷、脳衂、風寒入脳、久遠頭疼等疾、宜灸会。
予年踰壮、沍寒夜,観書、毎覚脳冷、飲酒過量、脳亦疼甚。後因灸此穴、而愈。有兵士、患鼻衂、不已。予教、令灸此穴、即愈。有人、久患頭風、亦令灸此穴、即愈。但銅人、明堂経、只云主,鼻塞,不聞香臭等疾、而已。故予、書此、以補,其治療之闕。然以脳戸、不宜鍼、観之会、亦不宜鍼。鍼経止云、八歳以下、不宜鍼、恐未盡也。
凡飲食不消、心腹膨脹、面色萎黄、世謂之,脾腎病者、宜灸中腕。
腎虚による頭の冷え、口や鼻からの出血、風寒が脳へ入ったもの、慢性で難治の頭痛などには会の灸がよい。
壮年を過ぎた私は、厳寒の夜に本を読んでいると、いつも頭が冷える。飲酒が過ぎたりすると頭も痛む。その後、この穴に灸をして治った。ある兵士が、鼻血が出て止まらない。私が、この穴へ灸をさせると治った。ある人が、慢性の頭痛を患っており、やはりこの穴へ灸して治った。しかし『銅人』やら『明堂経』には、鼻詰まりや匂いの判らないものを主治するとだけある。そこで私が、この書によって治療部分を補足する。しかるに脳戸に刺鍼は悪く、会も鍼はよくないと思う。『鍼経』に至るまで八歳以下は鍼が悪いとある。邪が尽きないからであろう。
飲食したものが溜り、上腹部が膨れ、顔色は黄色くくすむ。世にいう脾腎病である。中の灸がよい。
諸葛亮、夙興夜寐、罰至二十、皆親覧、而所食、不至数升。司馬仲達、知其将死既、而亮卒仲達、追之。楊儀、反旗、鳴鼓、若将拒焉。仲達、乃退、不敢。百姓為之諺曰、死諸葛、走生仲達。仲達聞之,曰、吾便料生、不便料死故也。其曰,料生、葢料、其事多、而食不如前、死之兆也。食不如前、仲達且知、諸葛之、且死。今人飲食減少、是胃気、将絶、不可久生矣。方且常食、堅硬、使愈難剋化。服峻補薬、使脾胃,反熱、愈不能食。初不知、灸中腕等穴、以壮脾胃、亦感之甚也(難経論四時、皆以胃気為本、釈者曰言、三臓、皆以胃気為本。胃者、水穀之府。人、須仰胃気、為生也。然則,欲全生者、宜灸胃腕)。
諸葛亮は、朝早くから起きて夜遅く寝る。罰として二十、食事が数升にも満たないことを全て自らの目で見た。司馬の仲達は、将軍が死んでいることを知り、諸葛亮が死んだので、仲達は追いかけた。そこで楊儀は、旗を翻して太鼓を鳴らし、応戦した。そこで仲達は退散し、敢えて追い詰めなかった。それで民衆は「死せる諸葛が、生きた仲達を走らせる」とはやした。それを聞いて仲達は「私は生きていると思う。死んでいるとは思わない」と言った。「生きている根拠は、食べる量が以前に及ばなければ死の兆候である。食事量が少ないので、仲達は諸葛亮の死を知った。今、人の飲食が減っていれば、胃気が絶えようとしているので、永くは生きられない。そのうえ硬いものを常食としていれば、ますます消化できない。峻補薬を飲むと、脾胃を逆に熱くさせ、ますます食べられなくする。最初は中などの穴へ灸すると、脾胃が強くなることを知らず、非常に疑っていた(『難経』は四時を論じて、みな胃気を本とする。注釈者は「三臓は、みな胃気を本とする」と言う。胃は水穀之府である。人は胃気によって生かされている。だから生をまっとうしたければ胃[中]に灸をするといい)。
久冷、傷憊蔵府、洩利不止、中風,不省人事等疾、宜灸神闕。旧伝、有人年老、而顔如童子者、葢毎歳、以鼠糞灸、臍中一壮故也。予甞,久患溏利、一夕灸三七壮。則次日、不如厠連数。夕灸則数日、不如厠。足見経言、主,洩利不止、之験也。又予、年踰壮、覚左手足,無力。偶灸此、而愈。後見同官説、中風人、多灸此、或百壮、或三五百壮、皆愈。而経不言、主,中風、何也。
久しい冷えで臓腑が傷付き、下痢が止まらず、脳血管障害で人事不省となっていれば、神闕の灸がよい。言い伝えによると、ある人が老いているのに顔が子供のようであったという。それは毎年、ネズミの糞ぐらいの灸を臍中に一壮すえていたからだ。私も久しく下痢を患っていた。ある夕方、三七壮ほど施灸すると、翌日には以前ほど連続でトイレに行かなかった。夕方に施灸すると、数日は以前ほどトイレに行かない。これは経典の「下痢が止まらずを主治する」を裏づけており、効果がある。また私は壮年を過ぎてから、左手足に力がなくなった。たまたま臍中へ施灸して治った。後に同官に会って「中風の人は、ここに百壮あるいは三百壮ほど施灸すると、みな治る。しかし経典は脳血管障害を主治するとは言っていない。何故だろう?」と言った。
蔵気虚憊、真気不足、一切気疾、久不差者、宜灸気海。人身有四海、気海,血海,照海,髄海、是也。而気海,為第一。気海者、元気之海也。人以元気,為本。元気不傷、雖疾、不害。一傷元気、無疾、而死矣。宜頻灸此穴、以壮,元陽。若必待疾作,而後灸、恐失之晩也。府蔵虚乏、下元冷憊等疾、宜灸丹田。
臓気の虚憊や真気不足など、気の疾患で久しく治らないものには、すべて気海の灸がよい。人には四海があり、それが気海,血海,照海,髄海である。その第一が気海である。気海とは、元気の海である。人は元気を本とする。元気が傷付いていなければ、疾病と言えども害することができない。しかし一たび元気が傷付くと、疾病もないのに死ぬ。そこで、この穴へ頻繁に施灸し、元陽を強くしておけばよい。病気になるのを待って、その後で施灸しても手遅れであろう。腑臓の虚乏、下元(腎陽)の冷憊などの疾病では、丹田の施灸がよい。
(太歳:木星。十二年で天を一周するという。また太歳神という神の名前)
人有常言、七七之数、是旁太歳壓本命、六十有一、是太歳壓本命。人値此年、多有不能必者、是固然矣。然伝不云吉人、吉其凶者乎。常観素問、以六八之数、為精髄竭之年、是当節、其欲矣。(千金云、五十者、一月一泄。要之、四十八、便当依此)。千金載,素女論、六十者、閉精、勿泄、是欲当絶矣。宜節不知節、宜絶不能絶、坐此,而喪生。葢自取之、豈歳之罪哉。人無罪、歳則雖有、猶可違矣。所謂吉其凶者、如此、雖不灸丹田、可也(丹田、可灸七七壮、或三五百壮)。
人は七×七の数があるというが、これは旁太歳圧の本命であり、六十年に一度、太歳圧の本命がある。この年に人が当たれば、多くは必然ではなく、固定したものである。しかるに言い伝えは人が吉とは言わない。吉とは、それが凶なるものか?いつも見る『素問』は、六×八の数を精髄が尽きる年としており、その時は性欲を節制する。(『千金』は、五十になると1月に1回だけ精液が漏れる。つまり48歳とは、それを根拠としている)。『千金』が記載している『素女論』には、六十になると精液が閉じて排出されず、性欲はなくなる。節制がよいのに節制を知らず、絶やすのがよいのに絶やすことができず、坐して生を失う。それを自ら選択するのは歳の罪なのか?人に罪はなく、歳に原因があるのだが、それでもなお従わない。いわゆる吉、それが凶とは、丹田に灸しなくても良いというようなものだ(丹田には七×七壮、あるいは三百から五百壮ほど施灸できる)。
陽気虚憊、失精,絶子、宜灸中極。
中極、一名気原、葢気之原也。人之陽気,虚憊者、可不灸此、以実其気耶(按難経云、丹田,亦名,大中極。言丹田、取人之身,上下,四旁、最為中間也。故名為極。此亦曰、中極,其去丹田、只一寸、雖未若丹田之最中、然不中不遠矣)。
陽気の虚憊、無精子の不妊症には、中極の灸がよい。
中極は、気原とも呼び、気の原である。人の陽気が疲憊していれば、ここへ施灸すれば、その気を実とできるではないか(『難経』によると、丹田は別名を大中極という。丹田というのは、人の身体で、上下四方のうち最も中央である。だから、それは極である。これは中極とも言う。それは丹田から1寸だけ離れている。丹田の中心ではないといっても当たらねど遠からずである)。
三里治,胃寒、心腹脹満、胃気不足、悪聞食臭、腸鳴、腹痛、食不化(銅)。秦承祖云、諸病皆治。華佗云、療五労、羸痩、七傷、虚乏、胸中血、乳癰。外台、明堂云、人年三十以上、若不灸三里、令気上衝目(明下云、眼暗)。千云、主陰気不足、小腹堅、熱病,汗不出、口苦、壮熱、身反折、口噤、腰痛,不可顧、胃気不足、久泄利、食不化、脇下注満、不能久立、狂言、狂歌、妄笑,恐,怒,大罵、霍乱、遺尿、失気、陽厥,,悪寒云云。凡此等疾、皆刺灸之、多至五百壮、少至二三百壮。
足三里は、胃寒、心窩部の膨満、胃気不足、息が臭い、腸鳴、腹痛、消化不良を治療する(銅人)。秦承祖は、諸病をすべて治すという。華佗は、五労、羸痩、七情、虚証、胸中の血、乳腺炎を治療するという。『外台秘要』や『明堂』には、人が三十歳以上になっても足三里へ施灸しなければ、気が目に上衝するという(『明堂下巻』には、眼が暗くなるとある)。『千金方』は、陰気不足、下腹が堅い、熱病で汗が出ない、口が苦い、高熱、反弓角張、口噤、腰痛で身体がひねれない、胃気不足、慢性の下痢、消化不良、脇下に邪気が入った膨満、久しく立てない、でたらめを言う、狂ったように歌う、むやみに笑う,恐れる,怒る、やたら罵る、霍乱、遺尿、オナラ、陽厥で冷えて悪寒するなどなど。こうした疾病では、すべてここに鍼灸する。多ければ五百壮、少なくとも二〜三百壮はすえる。
注:五労には3つの意味がある。一つは久視、久臥、久坐、久立、久行。2つめに志労、思労、心労、憂労、痩労。3つめに肺労、肝労、心労、脾労、腎労。ここでの五労は、2番目か3番目を指していると思われる。七傷には、2つの意味がある。食い過ぎで脾を傷付けた。怒りで気逆して肝を傷付けた。重量物を持ち上げたり、湿地にいたために腎を傷付けた。形寒、寒飲で肺を傷付けた。憂愁思慮で心を傷付けた、風雨寒暑で形(体)を傷付けた。危惧や不節で志を傷つけた。または陰寒、陰萎、裏急、滑精、精少で陰下湿、精清、小便苦数。
小品云、四支、但去風邪、不宜多灸、七壮至七七壮止。不得過随年数。故銅人於三里穴、止云灸三壮、鍼五分而已。明堂上経,乃云、日灸七壮、止百壮、亦未為多也。至千金方、則云多至五百壮、少至二三百壮。何其多耶。要之、日灸七壮,或艾甚小、可至二七壮。数日灸至七七壮止。灸瘡既乾、則又報灸之。以合乎,若要安,丹田、三里、不曾乾之説,可也。必如千金之壮数、恐犯,小品之所戒也。予,旧有脚気,疾、遇春,則足稍腫。夏中尤甚。至冬、腫漸消。偶夏間、依素問注所説、穴之所、在以温鍼、微刺之。翌日、腫消、其神効。有如此者、謬刺、且爾况於灸乎。有此疾者、不可不知此、不止治足腫、諸疾皆治云。
『小品』は、四肢で、風邪が去っていれば、多い施灸は悪いので、七壮から七×七壮でやめる。歳の数以上すえてはならないという。だから『銅人』は足三里を、灸なら三壮、鍼は五分で止めるといっている。『明堂』上経も一日七壮、百壮で止める。やはり多くしない。『千金方』は、多ければ五百壮、少なければ二〜三百壮という。何故多いのか?つまり一日七壮か、あるいはモグサが非常に小さいので二×七壮までいける。数日すえて七×七壮で止める。灸瘡が乾いたら、また施灸する。それは丹田と足三里を乾かしてはならないという説と合致するといってもいい。だが『千金』の壮数では『小品』の戒めを犯してしまうのではなかろうか?私は昔、脚気があって、春になると足が少し腫れた。夏には最もひどくなり、冬になると腫れが徐々に消える。たまたま夏の間に『素問』の注に基づいて、穴の所へ温鍼(灸頭鍼)をわずかに刺した。翌日は腫れが消え、このようにとても効果があった。謬刺は、このようだったが、灸と比較していかがなものか?こうした疾患がある人は、知らぬわけにゆかない。これは足の腫れだけでなく、諸疾をすべて治すという。
涌泉治,心痛、不嗜食、婦人無子、男子如蠱、女子如妊娠(千作如阻)、五指端,盡痛、足不得履地、宜鍼灸(銅)。千云主,忽忽喜忘、身体,腰脊如解、大便難、小便不利、足中清,至膝、咽中痛、不可内食、不能言、衂不止云云。
涌泉は、心痛、食欲不振、女性不妊症、男子で蠱(下腹部の膨れ)のよう、女子の妊娠のよう(『千金』は阻とある)、五指の先が痛む、足が地に着けられないものを治療する。鍼灸がよい。『千金』は、すぐによく忘れる、身体で腰脊が解けるようだ、便秘、排尿困難、足の冷えが膝まで至る、喉のイガイガ痛、食欲不振、声が出なくて喋れない、鼻血が止まらぬ云々を主治する。
千金、於諸穴、皆分主之。独於膏肓、三里、涌泉穴、特云治雑病。是三穴者、無所不治也。但,明堂云、若灸、廃人行動爾。既欲愈疾。雖不行動数日、未為害也。脾兪治,食多,身痩、洩利、体重、四支不収、腹痛、不嗜食(銅)。胃兪治,胃寒腹脹、不嗜食、羸痩(銅)。
『千金』では、諸穴は、みな分かれて主治している。膏肓、足三里、涌泉穴だけは、特に雑病(伝染病以外の病気)を主治するという。この是三穴は、治せない病気はない。ただし『明堂』は、灸をしたら人は行動を止める。病気を治したければ、数日だけ行動しなければ害にはならないという。脾兪は、食べても痩せる、下痢、身体が重い、四肢がだらりとしている、腹痛、食欲不振(銅人)。胃兪は、胃寒による腹の膨満感、腹痛、食欲不振、羸痩を治す(銅人)。
人之言曰、血気未動者、瘠甚、而不害。血気既竭者、雖肥、而死矣。則身之羸痩、若未足,為人之害者。殊不知、人之羸痩、必其飲食不進者也。飲食不進、則無以生,栄衛、栄衛,無以生、則気血,因之,以衰、終於必亡、而已。故難経疏云、人仰胃気為主。是人資胃気、以生矣。五蔵論云、脾不磨、食不消。是脾不壮、食無自,而消矣。既資胃気,以生、又資脾,以消食、其可使脾胃一日不壮哉。必欲脾胃之壮、当灸脾胃兪等穴可也。
人は、血気に病がなければ、ひどく痩せていても害にならない。血気が竭きていれば、太っていても死んでしまう。だから痩せているからといって人の害になるとは限らないという。ところが人が痩せているのは、飲食量のためであることをご存じない。飲食が入らねば栄養とならず、栄養しなければ気血が生み出されないので、それによって衰弱し、最後には死ぬだけである。それで『難経疏』は、人は胃気を主として仰いでいるという。つまり人は胃気によって生かされている。『五臓論』は、脾が、こなせなければ食が消えずという。つまり脾が丈夫でなければ、食物が自然に消化されることはない。胃気によって生かされ、また脾によって食物は消化されているが、そのように脾胃を使えば一日で弱る。脾胃を強くしたければ脾兪や胃兪などの穴へ施灸するとよい。
心中風、狂走、発癇、語悲泣、心胸悶乱、唾血、宜鍼心兪(銅)。難経疏言、心為蔵府之主、法不受病。病則神去、気竭。故手足為之清(手足節冷)。名真心痛。旦発、夕死。手足温者、名厥心痛、可急治也。故千金言、心中風者、急灸心兪百壮、服続命湯。必泥,心兪不可灸之説、則無策矣。但心兪、雖可鍼、若刺中心、一日必死。又豈易鍼耶。必欲無此患、平居当養其心、使之和平。憂愁思慮、不使傷其神、乃策之上。必不免此。亦当服鎮心丹等薬、補助乃其次也。
心中風(心窩部の症状)、狂証、癲癇、悲しいことや泣くことをいう、心胸の悶乱、咳をすると唾に血が混じるなどには、心兪の鍼がよい(銅人)。『難経疏』は、心は臓腑の主であり、病を受けられない。発病すれば神気が去り、気が尽きる。それで手足が冷たくなる(手足の節が冷たい)。それを真心痛と呼び、朝に発病すれば夕刻には死ぬ。手足が暖かければ厥心痛であり、すぐに治療する。それで『千金』に、心中風は、すぐに心兪へ百壮すえ、続命湯を飲ませるという。必ず心兪へ施灸しなければならないという説にこだわれば、無策である。しかし心兪に鍼できるといえども、もし心に当てれば一日で死ぬ。なのに簡単に刺鍼できるのか?こうした病気になりたくなければ、平素から心を養って、それを落ち着かせる。そして憂いや心配で、精神を傷付けないのが上策である。そうすれば必ずこれを免れる。また鎮心丹などの薬を服用するのは、次善の策である。
腎兪治,虚労、羸痩、腎虚、水蔵久冷、小便濁出精、陰中疼、五労七傷、虚憊、足寒如氷、身腫如水(銅)。難経疏云、夾脊骨、有二腎。在左為腎、在右為命門。言命門者、性命之根本也。其穴、与臍平。凡灸腎兪者、在平処立、以杖子,約量至臍、又以此杖子、当背脊骨上量之。知是、与臍平処也。然後、相去各寸半、取其穴、則是腎兪穴也。更以手,按其陥中、而後灸之、則不失,穴所在矣。凡灸,以随年為壮。灸固有功、亦在人滋養之如何爾?人、当愛護丹田。吾既於既効方論之、詳矣。而妻妾之害、葢末之及也。
腎兪は、労、羸痩、腎虚、腎臓の久しき冷え、小便に精が混じって濁る、陰部の痛み、五労七傷、虚憊、足が氷のように冷たい、身体が水のように腫れる(銅人)。
『難経疏』は、背骨を挟んで二腎がある。左が腎で、右は命門であるという。命門と言うものは生命の根源である。その穴は臍と水平である。腎兪に施灸するものは、平らな場所に立ち、杖で地面から臍までを測り、この杖を背中の背骨に当てて測れば、臍と水平な部位が判る。そして、それぞれ一寸半ずつ離れて取った穴が、腎兪穴である。さらに手で、その陥中を圧し、そのあとで施灸すれば、穴の所在を失うことはない。灸は、歳の数を壮数とする。灸はもとより効果があり、また人は命門をどうやって滋養するか?人は丹田を愛護しなければならない。私は、すでに『既効方』にて、それを詳しく論じている。それによって妻や妾の害は、未だに命門に波及しない。
君子、偕老之序曰、夫人淫乱、失事君子之道。故陳人、君之徳、服飾之盛、宜与君子、偕老也。宜偕老、而不至偕老、夫人之罪多矣。故詩人以刺之、意可見也。至於士夫志得意満、不期驕而驕、至侍妾数十人、少亦三五輩、淫言褻語,不絶于耳、不能自克、而淫縦、其欲者、多矣。為内子者、恬不之怪。人有問之者、則曰、自母言之、則為賢母。自我言之、未免為妬婦人也。人或以此多之、其夫亦以為賢、而不妬。孰知其不妬、乃所以為禍之歟。雖然二南之化、至於無妬忌,而止。今,而言此、豈求異於詩人耶。是不然。古人十日一御。荀子、彼其不妬者、葢使妾得備十日一御之数爾。不妬則同、所以不妬則異。吾故表而出之、以為夫婦之戒。固非求異、於詩人也。
君子は夫婦で老いるの序に、夫人が淫乱であれば君子の道を失うとある。だから古い人は、君の徳は服飾が豊かで、君子は夫婦共に老いるのがよい。共に老いればよいが、共に老いることができなければ、夫人の罪は多い。だから詩人は、それを風刺し、そうした考えが見られる。若い男では、思いがかなって得意になると、自惚れようとは思わなくても自惚れてしまい、妾を数十人、少なくても三〜五人ほど従え、猥褻なことばかり喋り続けて自制できず、その卑猥な欲に任せる者が多い。妻は平然として、それを責めない。人に問われれば、自分の母が賢母であるという。自分で言えば、嫉妬深い女は免れ得ない。人は、このような者が多く、その夫も賢い者は嫉妬しないと思っている。だが嫉妬しないのは、災いであることを知らない。二南は化すと言えども、嫉妬せずに終わる。現在で、それを言うものは、人とは異なるものを求める詩人ではないだろうか?そうではない。古人は十日に一御であった。荀子は嫉妬しないものは、その妾に十日一御の数で準備させる。嫉妬しなければ同じだから、嫉妬しなければ異なる。そのため私は、それを表して、夫婦の戒めとする。異を求める詩人では決してない。
曲骨主,失精、五蔵虚竭、灸五十壮(千)。明下云、但是虚乏、冷極、皆宜灸。骨髄冷疼、灸上廉七十壮(千)。難経疏、八会曰、府会中管、治府之病。蔵会章門、蔵病治此。筋会陽陵泉、筋病治此。髄会絶骨、髄病治此。血会鬲兪、血病治此。骨会大杼,禁灸、骨病治此。脈会太淵、脈病治此。気会亶中、気病治此。然則骨髄有病、当先大杼、絶骨、而後上廉可也。膀胱,三焦,津液少、大小腸,寒熱(見腰痛)、或三焦,寒熱、灸小腸兪,五十壮(千)。三焦,膀胱、腎中熱気、灸水道、随年(千)。膏肓兪主,無所不療,羸痩、虚損、夢中失精、上気、逆、発狂、健忘等疾。
曲骨は、失精、五臓の虚竭を主治する。灸五十壮(千金方)。『明堂下巻』は、ただし虚乏、冷極には、いずれも灸がよいという。骨髄冷疼には上廉に灸七十壮(千金方)。『難経疏』の八会には、腑会の中、腑の病を治す。臓会の章門、臓の病を治す。筋会の陽陵泉、筋の病を治す。髄会の絶骨、髄の病を治す。血会の膈兪、血の病を治す。骨会の大杼(禁灸)、骨の病を治す。脈会の太淵、脈の病を治す。気会の中、気の病を治すという。だから骨髄の病では、まず大杼と絶骨、そのあと上廉でもよい。膀胱、三焦、津液が少ない、大小腸の寒熱(腰痛を参照)、あるいは三焦の寒熱には、小腸兪に灸を五十壮(千金方)。三焦や膀胱、腎中の熱気には、水道へ歳の数だけ施灸する(千金方)。膏肓兪は、羸痩、虚損、夢中失精、上気、逆、発狂、健忘など、治療できない疾患はない。
膏肓兪,無所不療、而古人不能求其穴。是以,晋景公有疾、秦医曰、緩者、視之。曰在肓之上,膏之下。攻之不可、達之不及、薬不至焉。不可為也。晋候、以為良医。而孫真人、乃笑、其拙為。不能尋其穴、而灸之也。若李予豫之、赤龍丹,又能治。其膏肓上、五音下之、鬼無待於灸也。是緩、非特拙於、不能灸、亦無殺鬼薬矣。其亦技止、於此哉。
膏肓兪は、すべての病を治療できるのに、古人は、その穴を求められなかった。晋国の景が病気になったとき、秦の医者である緩は、それを見て「邪は肓の上で、膏の下にある。だから灸で攻めてもダメで、鍼でも及ばず、薬も至らない。どうしようもない」という。晋公は、彼を良医と思った。だが孫真人は、彼の医術の稚拙さを笑う。その穴を捜して灸できないからだ。もし李予豫であれば赤龍丹で、膏肓上で五音の下にいる鬼を灸をすることなく治すことができた。緩は、灸ができるでもなく、鬼を殺す薬もなかった。その医術も、それまでのものである。
灸二十種骨蒸(二十種の骨蒸に施灸する)
崔知悌序云、骨蒸病者、亦名傳尸、亦謂、亦稱復連、亦曰無辜。丈夫,以精気為根、女人,以血気為本。無問老少、多染此疾。予甞三十日灸、活十三人、前後差者,数踰二百。非止,単攻骨蒸、又別療気,療風、或瘴,或労,或邪,或癖。病状、既廣。灸活者、不可具録。灸後、宜服治労地黄元良。
崔知悌は序で「骨蒸の病は、別名を伝尸(結核)、または、あるいは復連、また無辜とも呼ぶ。男性は精気を根とし、女性は血気を本とする。老人や年少を問わず、多くがこの疾病に感染する。私は三十日施灸して十三人を生かした。相次いで治った人は二百人を越える。単に骨蒸を攻めるに留まらず、気、風、瘴、労、邪、積滞も治療できる。病状が広い。灸で命を取り留めたものは記録しきれない。施灸したあとは治労地黄元良を飲むとよい。
凡取四花穴、以稲稈心,量口縫、如何闊。断、其長多少。以如此長、裁紙四方、当中、剪小孔。別用長稲稈、踏脚下、前取脚,大指為止。後取脚、曲、横文中為止、断了。却環在結喉下、垂向背後、看稈止処、即以前小孔紙、当中安、分為、四花、葢灸紙四角也。又一医,傳一法。先横量口吻、取長短、以所量草、就背上三椎骨下、直量至草盡処、両頭,用筆、点了。再量中指,長短為準。却将量中指、草横直、量両頭、用筆圏四角、其圏者、是穴(不圏、不是穴)。可灸七七壮止。
四花穴を取るときには、稲藁の芯にて口の幅を測り、その長さで切る。この長さに基づいて紙を正方形に切り、その中心に穴を開ける。そして別の長い稲藁を足で踏みつけ、前は第1趾の先、後ろは膝窩横紋中で止めて切る。それを喉仏の下で一周させて背中へ垂らし、稲藁が尽きたところに、前に四角く切った穴を当てて四花に分けるが、それが紙の四隅である。また、ある医者が伝える一法がある。まず口の横幅を測り、測った草を背中の第三椎から垂らし、草が尽きた処、この両端に筆で点をつける。次に中指の長さを基準として測る。中指を草と垂直にし、その両端を筆で四角く囲むが、その囲んだところが穴である(囲まれてなければ穴ではない)。七×七壮ほど施灸する。
鍼灸資生経巻三3
労(伝尸、骨蒸、羸痩)
中治,丈夫,五労、七傷、六極、腰痛、大便難、小便淋瀝、腹脹,下利、食洩(銅)。三里治,五労、羸痩、七傷、虚乏。明下云、五労、虚乏四支、羸痩。肩井治,五労、七傷。大椎治,五労、七傷、温瘧、瘧、気、背膊急、頚項強(明上下同)、風労食気。肺兪治,寒熱,喘満、虚煩、口乾、傳尸、骨蒸,労,肺痿、嗽。明云療,肉痛、皮癢、傳尸、骨蒸、肺嗽。魄戸治,虚労、肺痿(明云、労損、痿黄)、五尸、走、項強。明下云療,労損、虚乏。
中は、男性の五労、七傷、六極、腰痛、排便困難、小便がポタポタ出る、腹部の膨満感、下痢、消化不良による下痢を治す(銅人)。足三里は、五労、羸痩、七傷、虚乏を治す。『明下』は、五労、虚乏、四肢が痩せ細るものという。肩井は、五労、七傷を治す。大椎は、五労、七傷、温瘧[発熱した後で寒気がする症状]、瘧[伝尸のこと]、気、背中や肩甲部が引きつる、後頚部がこわばる(『明堂』の上下とも同じ)、風労食気[肝労のこと。表裏両虚のところへ食べ物によって風邪が侵襲したもの]。肺兪は、寒熱による喘息、虚煩[熱病で余熱が残り、胸中や心窩部に違和感があるもの]、口乾、伝染力の強い結核、慢性の発熱、虚労[消耗性疾患]、肺結核、咳嗽を治す。明堂は、肉の痛み、皮膚の痒み、伝染力の強い結核、慢性の発熱、気管支炎を治療するという。魄戸は、虚労、肺痿(『明堂』は、労損:虚労のこと。痿黄:身体が黄色いが、眼は黄染されない。としている)、五尸[不明。恐らく五種類の伝尸]、走[リウマチ]、後頚部のこわばりを治す。『明堂下巻』は、労損、虚乏を治療するという。
(六極とは、極度に疲労した状態。筋極、骨極、血極、肉極、精極、気極とある)。
秦承祖云、支正療,五労、四支力弱、虚乏等(明下)。療,労損、虚乏、不得睡。下焦兪療,背痛、身熱。曲骨、但是,虚乏、冷極、皆灸。気海療,冷病、面黒、肌体羸痩、四支力弱、小腹,気積聚、賁豚、腹弱、脱陽欲死,不知人、五蔵気逆,上攻(銅)。膏肓兪治,羸痩、虚損、夢中失精、無所不療。腎兪治,虚労、羸痩、耳聾、腎虚,水蔵久冷(明有腰痛)、心腹膨脹、脇満,引小腹痛、目視、少気、溺血、小便濁出精、陰疼、五労七傷、虚憊、脚膝拘急(明有,好独臥)、足寒如氷、頭重、身熱,振慄、腰中,四支,淫、洞洩、食不化、身腫如水。明下云、療,身寒熱、食多,身羸痩、面黄黒、目、女久積,冷気成労。
秦承祖は、支正は、五労、手足の力が弱い、虚乏などを治療するという(明堂下巻)。は、労損、虚乏、不眠を治療する。三焦兪は、背痛、身熱を治療する。曲骨は、虚乏、冷極[不明。恐らく冷えのひどいもの]を治療するが、いずれも灸をすえる。気海は、冷えの病気、顔が黒い、身体が痩せる、手足の力が弱い、下腹の気塊、賁豚、腹が弱い、陽気が脱けて仮死状態になり人事不省となる、五臓が気逆して上部を攻めるものを治療する。膏肓は、羸痩、虚損、夢精など、治療できないものはない(銅人)。腎兪は、虚労、羸痩、難聴、腎虚で水蔵[腎臓]が慢性的に冷える(『明堂』には腰痛とある)、心窩部の膨満、脇の腫れぼったさが下腹部に及んで痛む、目がぼやける、少気、血尿、小便が白く濁る、陰部の痛み、五労七傷、虚憊、脚や膝が引きつる(『明堂』には独りで寝ることを好むとある)、足が氷のように冷える、頭が重い、熱があって悪寒して振るえる、腰中と四肢が痛怠くて力が入らない、下痢、消化不良、身体が水のように腫れるなどを治す。『明堂下巻』は、身体の寒熱、食べても身体が痩せる、顔が黒っぽい黄色、視力がぼやける、女性で久しく冷気が積もって労となったものを治療するという。
脳空治,労疾、羸痩、体熱、頚項強。章門治,傷飽、身黄、羸痩。漏谷治,食不為肌膚。下管治,日漸羸痩(見癖)。下管(見腹脹)、胃兪(見虚損)、脾兪、下廉(見痃洩)治,羸痩。小児羸痩、食飲少、不生肌膚、灸胃兪一壮(明下)。
脳空は、労疾、羸痩、体熱、後頚部のこわばりを治す。章門は、傷飽(過食によって脾胃が傷付いた症状)、身体が黄色い、羸痩を治す。漏谷は、食べても太らないものを治す。下は、日に日に痩せてゆくものを治す(癖を参照)。下(腹脹を参照)、胃兪(虚損を参照)、脾兪、下廉( 洩を参照)は、羸痩を治す。小児が痩せ、飲食が少なくて太らなければ胃兪に灸を一壮(明堂下巻)。
灸労法、其状、手足心熱多、盗汗、精神,困頓、骨節疼寒、初発咳嗽、漸吐膿血、肌痩、面黄、減食、少力。令身正直、用草子、男左、女右、自脚中指尖量、過脚心下、向上,至曲大紋処,截断。却将此草、自鼻尖量、従頭正中(須分開頭心髪、貼肉量)、至脊,以草盡処、用墨点記。別用草一條、令病人,自然合口、量闊狭、截断。却将此草、於墨点上、平摺、両頭盡処、量穴。灸時、随年多灸一壮(如年三十、灸三十一)。累効(集効)。
労に対する灸法。労の症状は、手足の裏が火照り、寝汗、元気がない、関節が痛んで冷える、最初は咳が出て、だんだんと膿血を吐くようになり、肉が落ち、顔が黄色く、食が減り、力が弱くなる。身体をまっすぐにさせ、男は左で女は右の足を取り、草の茎を足中指先端に置き、カカトを通って上に向かい、膝窩横紋で切断する。この草を、鼻尖から測り、頭上を通って(髪を分けて頭皮を露出させて測る)、背骨に至って草が尽きたら、そこに墨で点をつける。別の草を一本取り、患者の口を自然に閉じさせて、その幅で切る。この草を、墨で点を付けたところに、草を二つ折りにした中点を当て、両端を穴とする。灸するときは、歳の数より一壮多く(三十歳ならば、灸を三十一壮)すえる。効果を積み重ねる(集効)。
羸痩、固疾、自有寒熱等証、宜随証、医治。若,素来清者、非有疾也。惟病後,痩甚、久不復常、謂之、形脱。与夫平昔、充肥、忽爾羸痩、飲食減少者、或有他疾乗之、則難救療。須辨之於早、而著艾可也。然仲景論六極、必曰精極、令人気少無力、漸漸内虚、身無潤沢、翕翕羸痩、眼無精光。且云、八味腎気,差六極、而差五労。則是八味丸,所当服(仲景,常服、或常服去附子、加五味子)、而腎兪等穴、尤所当灸也。
痩せた慢性の結核で、自然と寒熱などの証があれば、証に基づいて医治する。平素から痩せていれば病気ではない。ただ発病してからひどく痩せ、久しく正常に戻らなければ形脱と呼ぶ。それが昔は肥えていたのに、急に痩せ始めて飲食も減ったり、ほかの疾病に感染したりすれば、治療して救うことが難しい。だからできるだけ早く鑑別し、モグサを使えばよい。そして張仲景は六極を論じている。精極は、人の気を少なく無力にし、徐々に内虚となって身体のツヤがなくなり、だんだんと痩せて眼光が消えるという。さらに八味腎気は、六極を癒し、五労を癒すという。それが八味丸であり、それを服用し(張仲景は常服する。常服するには附子を取り去って五味子を加える)、腎兪などの穴に施灸する。
脾兪、大腸兪主,腹中気脹、引脊痛、食多,身羸痩、名曰食晦。先取脾兪、後取季肋。五蔵六府、心腹満、腰背痛、飲食吐逆、寒熱往来、小便不利、羸痩少気、灸三焦兪、随年(千)。
脾兪と大腸兪は、腹部の気脹が及んだ背骨痛、食べても痩せるものを主治する。それを食晦という。まずは脾兪を取り、後で季肋を取る。五臓六腑、心腹の膨満感、腰背痛、飲食すると吐く、寒熱往来、小便が出にくい、痩せて息が切れるものは、三焦兪に歳の数だけ施灸する(千金)。
鍼灸資生経巻三4
腎虚
腎兪治、腎虚、水蔵久冷(銅見労。明同)。中膂兪治、腎虚、消渇(見竭)。陽療,腎気(明)。下廉療,小腸気不足、面無顔色。灸,小腸気、痃癖気、発時,腹痛,若刀刺、不可忍者、并婦女,本蔵気血癖、走,刺痛、或坐臥不得、或大小便不通,可思飲食、於左右脚下、下第二指,第一節、曲紋中心、各灸十壮、毎壮、如赤豆大、甚験(集効、一云,治寒病、腎腸気発,牽連外腎,大痛、腫硬如石)。
腎兪は、腎虚で水蔵[腎臓]が久しく冷える者を治す(『銅人』の労を参照。『明堂』も同じ)。中膂内兪は、腎虚、消渇を治す(竭を参照)。申脈は腎気を治療する(明堂)。下巨虚は小腸の気不足、顔色が悪いものを治療する。小腸気(狐疝の別名)や腹部の積聚への灸。発作が始まると刀で刺すようで耐えられない。また婦人では、本臓の気血がシコリとなり、刺痛が動きまわり[恐らくは注で、走注、つまり行痺のこと]、座ることも横になることもできなかったり、大小便が出なくなり、飲食したくなくなったりする。それには左右の足の下、第二趾の第一節、足の裏側にある横紋中心へ、十壮ずつ施灸する。小豆大のモグサですえると非常に効果がある(集効や一説には、寒病で、腎腸気の発作が起き、それが外腎[睾丸]
まで及んで、ひどく痛くなって腫れ、石のように硬くなったものを治すという)。
治小腸気方,甚多、未必皆効。耆域方,奪命散、良方,倉猝散、皆已試之。効者、有一兵、患小腸気、依此方、灸足第二指下文、五壮。畧効、而再発。恐、壮数未多也。予、以鎮霊丹十粒、与之。令早晩五粒、而癒。灸固、捷於薬。若灸不得穴、又不如薬。相当者、見効之速、且灸、且薬方、為当爾。近伝一立聖散、用全乾蝎七枚、縮砂仁三七枚、炒茴香一銭為末、分三服、熱酒調下,和滓、空心服。此疾、是小腸受熱、蘊積不散、久而成疾。服此、立効。雖未試用、以其説有理、故附于此。有士人、年少、覓灸夢遺。為点,腎兪、疼。其令灸、而愈。則不拘老少、腎皆虚也。古人云、百病、皆生于心。又云、百病、皆生于腎。心労,生百病、人皆知之。腎虚,亦生百病、人未知也。葢天一生水、地二生火。腎水不上昇、則心火不下降。茲病所由生也。人,不可不養心、不愛護腎乎。
鼠径ヘルニアの処方は非常に多いが、皆効果があるとは限らない。『耆域方』の奪命散、『良方』の倉猝散は、すでに試した。効果があったのは、ある兵が鼠径ヘルニアとなり、この方法で、足第二趾下の横紋に灸を五壮すえた。ほぼ効果があったが再発した。恐らく壮数が少なすぎたためであろう。私が鎮霊丹十粒を与え、朝晩に五粒ほど飲ませると治った。もともと灸は薬より効き目が速い。施灸しても穴位が正確でなければ、薬に及ばない。適切であれば効き目が速く、灸をしながら薬を飲むのがよい。最近伝わる一立聖散は、乾燥した全蝎七枚、縮砂仁三七枚、炒茴香一銭を粉末にして三服に分け、熱い酒で調えて残渣と一緒にし、空腹時に飲む。この疾病は、小腸が熱を受け、蘊積して散らず、久しく経たために起きた病気である。これを飲むと即効がある。まだ試したことはないが、その説は道理にかなっているので、ここに付記する。ある男が、若いころ夢精の灸を探し求めた。腎兪が痛むので、そこに点をおろし、施灸すると治った。すなわち老弱に関わらずだれでも腎が虚しているのである。古人は「万病は、すべて心から生じる」といい、また「万病は、すべて腎から生じる」とも云っている。心労が万病を引き起こすことは誰でも知っており、腎虚が万病を発生させることも皆が知っている。天は一で水を生み、地は二で火を生む。腎水が上昇しなければ、心火も下降しない。そのために病気となる。人は、心を養って、腎を大切にしなければならない。