鍼灸資生経巻二
●鍼灸須薬
千金云、病有須鍼者、即鍼刺、以補瀉之。不宜鍼者、直爾灸之。然灸之大法、其孔穴、与鍼。無忌、即下白鍼、或温鍼、訖乃灸之、此為良医。其脚気一病、最宜鍼。若鍼而不灸、灸而不鍼、非良医也。鍼灸而薬、薬不鍼灸、亦非良医也。但恨下里間、知鍼者鮮爾。所以学者、須解用鍼。燔鍼、白鍼、皆須妙解。知鍼、知薬、固是良医。
『千金方』は、病に鍼が必要であれば、すぐに鍼刺して補瀉をする。鍼が悪ければ、すぐに灸する。そして灸の原則、その穴位は鍼と同じである。問題がなければ、すぐに刺鍼したり灸頭鍼したり、施灸したりする。それが良医である。脚気という病には、鍼が最もよい。鍼ばかりで灸しなかったり、灸だけで鍼しなければ良医ではない。鍼灸と薬、薬だけで鍼灸しないものも良医ではないという。しかし田舎では残念なことに鍼を知るものは少ない。だから学者は、鍼の使い方を知らねばならない。灸頭鍼も毫鍼も、その長所をすべて理解しなければならない。鍼を知り薬を知るものは良医である。
此言、鍼灸与薬之、相須也。今人、或但知鍼而不灸、灸而不鍼、或惟用薬而不知鍼灸者、皆犯、孫真人所戒也。而世所謂医者、則但知有薬而已。鍼灸、則未嘗過而問焉。人或詰之、則曰是外科也。業貴精、不貴雑也。否則曰、冨貴之家、未必肯鍼灸也。皆自文其過爾。吾故、詳著、千金之説、以示人云。
これは鍼灸と薬が、ともに必要だと言っている。現在の人は、鍼は知っていても灸は知らず、灸は知っていても鍼は知らず、薬の使い方だけ知っていて鍼灸を知らなかったりするが、これはすべて孫真人の戒めを破っている。そして世にいう医者とは、薬を知っているだけである。鍼灸などは、試したことも質問したこともない。人に問い詰められると「それは外科だ」、「業は精通しているのが貴く、雑多を問題としない」、さまなくば「冨貴の家は、鍼灸が好きだと限らない」と、いずれも自分で、その誤りを述べている。そこで私は『千金方』の解説書を著し、人の言うことを示そうと思う。
●鍼忌
千金云、夫用鍼者、先明其孔穴、補虚瀉実、而失其理。鍼毛皮理、勿傷肌肉。鍼肌肉、勿傷筋脈。鍼筋脈、勿傷骨髄。鍼骨髄、勿傷諸絡。傷筋膜者、愕視失魂。傷血脈者、煩乱失神。傷皮毛者、上気失魄。傷骨髄者、呻吟失志。傷肌肉者、四支不収。失智、此為五乱。因鍼所生。若更失度、有死之憂也。
『千金方』は「鍼を用いる者は、まず孔穴を明らかにして補虚瀉実しなければ、道理を失う。毛皮理を刺すときは、肌肉を傷付けるべからず。肌肉を刺すときは、筋脈を傷付けるべからず。筋脈を刺すときは、骨髄を傷付けるべからず。骨髄を刺すときは、諸絡を傷付けるべからず。筋膜を傷つければ、驚いて目を見開き、魂を失う。血脈を傷付ければ、心が乱れて精神を失う(失神)。皮毛を傷付ければ、咳が出て魄を失う。骨髄を傷付ければ、呻吟して志を失う。肌肉を傷付ければ、手足が動かなくなる。知識がないために、こうした五乱を招いた。これは鍼によって起きたものである。もしさらに落ち度があれば、死の危険性まである。
素問亦云。刺骨、無傷筋。刺筋、無傷肉。刺肉、無傷脈。刺脈、無傷皮。刺皮、無傷肉。刺肉、無傷筋。刺筋、無傷骨。刺中心、一日死。中肝、五日死。中腎、六日死。中肺、三日死。中脾、十日死。中胆、一日半死。刺上、中大脈、血出不止、死。刺頭、中脳戸、入脳、立死(又無刺、大酔、大怒、大労、大飢、大渇、大驚、新飽云云。詳見素問)。
『素問』もいう。骨を刺すならば、筋は傷付けるな。筋を刺すならば、肉は傷付けるな。肉を刺すならば、脈は傷付けるな。脈を刺すならば、皮は傷付けるな。皮を刺すときは、肉を傷付けるな。肉を刺すときは、筋を傷付けるな。筋を刺すときは、骨を傷付けるな。刺して心臓に当てれば一日で死ぬ。肝臓に当てれば五日で死ぬ。腎臓に当てれば六日で死ぬ。肺に当てれば三日で死ぬ。脾臓に当てれば十日で死ぬ。胆嚢に当てれば一日半で死ぬ。足背を刺して大きな動脈に当て、出血が止まらねば死ぬ。頭を刺して大後頭孔に当り、脳へ入れば、ただちに死ぬ(また刺してならない例として、酔っぱらい、激昂している、疲れ切っている、ひどい空腹、ひどく喉が渇いている、ひどくびっくりしたあと、食事の直後などがある。詳しくは『素問』を参照)。
●孔穴相去
甲乙経云、自大椎、下至尾骨、二十一椎、長三尺、折量取兪穴。或云、第一椎上、更有大椎、在宛宛陥中。非有骨也。有骨処、即是第一椎。若以大椎至尾、二十一椎、長三尺法校之、則上節。云椎。毎傾一寸四分。惟第七椎下、至於膂骨、多分之七。故上七節、共九寸八分、分之七。下節、十四椎、毎椎一寸四分。分之五、有奇。故下七節、共二尺一分、分之三。此亦是一説也。但第一椎有骨、乃骨節、之収大椎。雖無骨、実是穴名、既曰自大椎、下至十一椎。豈可不量、大椎以下。或者之説、於是不通矣。
『甲乙経』はいう。大椎から下の尾骨までは二十一椎、長さ三尺、量を換算して兪穴を取る。または第一椎の上に、さらに大椎があり、それは凹みの陥中という。骨のあるところではない。骨のあるところが第一椎である。仮に大椎から尾骨までを二十一椎、長さを三尺とする法に基づけば、上節を椎体とする。30寸を21椎で割ると、一つが一寸四分である。ただ第七椎から下の背骨は、だいたい七つに分かれている。だから上の七椎は全部で九寸八分。これは七つに分かれている。その下節の十四椎は、各椎体が一寸四分。これを五つに分けるのは変なので、七節から下は全部で二尺一分。このように全体を3つに分けている。これも一説である。しかし第一椎は骨であり、骨節に大椎が収まっている。骨がないといっても穴名である。すでに大椎から下は二十一椎と言っているのだから、どうして大椎以下を量らなくていいだろうか?またはの説は、そのために意味が通じない。
*この文により、昔の中国文献では、第1胸椎から仙椎を含めたものを背骨と呼んでおり、頚椎は含めていなかったことが判る。頚椎が背骨でなければ、何なのか?当時は頭を支えるため、柱骨と呼ばれていた。
一般的には、膂骨は第1胸椎とされている。しかし当て填まらない。膂とは背骨も意味するので脊椎のこと。
最後の文は十一椎とあり、二が落ちていたので補足した。
この文により胸椎、腰椎、仙椎の区別なく、機械的に七の数字で椎体を分けていたことが判る。
自蔽骨、下至臍八寸、而中管、居其中(上下各四十)。気穴論注云、中管居心、蔽骨与臍之中、是也。按明堂下経云、鳩尾、在臆前、蔽骨下五分。人無蔽骨者、従岐骨際下、行一寸則是。欲定中管、之中。又当詳、有蔽骨、無蔽骨也(当準、人長短、肥量)。自臍下寸半、為気海。三寸為丹田。至屈骨、凡五寸。千金云、屈骨、在臍下五寸。明堂下経亦云、屈骨、在横骨上、中極下一寸。当準人長短、肥、量之。
剣状突起から下に臍まで八寸。そして中は、その中点にある(上下に各四寸)。『素問・気穴論』の注は、中は心にある。剣状突起と臍の中点であるという。『明堂下巻』によると、鳩尾は胸の前、剣状突起の下五分にある。剣状突起がない人は、分かれた骨の際から一寸下がったところである。中は、中央であるが、詳しくいうと剣状突起がある人と剣状突起がない人とでは異なる(身長や体型を基準とする)。臍下一寸半は気海である。三寸は丹田である。恥骨結合までは五寸である。『千金方』は、恥骨結合を臍下五寸にあると言っている。『明堂下巻』も、恥骨結合は、恥骨の上で、中極の下一寸と言っている。人の身長や体型を基準にして量る。
銅人云、幽門、夾巨闕、旁各五分。肓兪、夾臍、各五分(明堂云、在巨闕、旁各寸半。通谷、夾上管旁、相去三寸)。不容、在幽門、旁各寸半。天枢、去肓兪、寸半夾臍。期門、在不容、旁寸半。大横、直臍、旁(不容、天枢、期門、既各寸半。則幽門、肓兪、各五分、誤也)。銅人云、腎兪、在十四椎下、両旁各寸半、与臍平。肓門、在十三椎下、相去各三寸、与鳩尾相直。腎兪、既臍平。肓門、乃鳩尾相直。亦可疑也。
『銅人経』は、幽門は巨闕を挟んで傍ら五分ずつ。肓兪は臍を挟んで、五分ずつ(『明堂経』は、巨闕の傍ら一寸半ずつ。通谷は上を挟んだ傍らで、互いに三寸離れているという)。不容は、幽門の傍ら一寸半ずつ。天枢は、肓兪を去ること一寸半で臍を挟む。期門は、不容の傍ら一寸半にある。大横は、臍に水平な傍ら(不容、天枢、期門は一寸半。つまり幽門、肓兪が五分ずつというのは誤りである)。『銅人経』は、腎兪は十四椎下で、両傍ら一寸半ずつ。臍と水平という。肓門は、十三椎の下で、互いに三寸ずつ離れており、鳩尾と一直線という。腎兪は臍と水平なのに、肓門を鳩尾と一直線とするのは疑わしい。
甲乙経云、人有長七尺五寸者、髪以下至頤一尺、結喉至骭(鳩尾也)一尺三寸、骭至天枢八寸、天枢至横骨六寸半、横骨至内輔上廉一尺八寸、内輔上廉至下廉三寸半、内輔下廉至内踝一尺三寸、内踝至地三寸。又膝膕至属一尺六寸、属至地三寸。又肩至肘一尺七寸、肘至腕一尺二寸半、腕至中指本節四寸、本節至末四寸半。
『甲乙経』は、人の身長が七尺五寸者であれば、髪から顎までは一尺、喉頭結節から剣状突起(鳩尾である)までは一尺三寸、剣状突起から天枢まで八寸、天枢から恥骨まで六寸半、恥骨から大腿骨内側上顆まで一尺八寸、大腿骨内側上顆から脛骨内側果まで三寸半、脛骨内側果から内踝まで一尺三寸、内踝から地まで三寸。また膝窩から足背まで一尺六寸、足背から地まで三寸。また肩から肘まで一尺七寸、肘から手首まで一尺二寸半、手首から中指の中手指節関節まで四寸、中手指節関節から末節骨まで四寸半という。
●定髪際
明堂上経云、如後髪際、亦有、項脚長者、其毛直至骨。頭亦有、無項脚者、毛齊至天穴。即無毛根、如何取穴?答曰、其毛、不可輒定、大約如此。若的的定中府、正相当、即是。側相去各二寸。此為定穴(下云、両眉中、直上三寸、為髪際。後、大椎直上三寸、為髪際)。
『明堂上巻』は、後髪際にも毛足の長い人があり、その毛は大椎まで達している。頭に毛足がない人もあり、毛は天穴と水平である。毛根がなければ、どうやって取穴するのか?答は、毛を基準にできないこともある。それは、おおよそのことである。もし風府が定まれば、それを正しいとする。そこから二寸離れたところが後髪際である。これを定穴とする(『明堂下巻』は、両眉中央の直上三寸が前髪際。後ろは、大椎の直上三寸が後髪際という)。
●論同身寸
下経曰、岐伯、以八分為一寸。縁人長短、肥不同、取穴不準。扁鵲、以手中指第一節、為一寸。縁人有、身長手短、身短手長、取穴亦不準。孫真人、取大拇節横文、為一寸。亦有差互。今取、男左女右、手中指第二節、内庭両横文、相去為一寸(若屈指、即旁。取指、則中節上下、両文角、角相去遠近、為一寸。謂同身寸)。自依此寸法、与人、著灸療、病多愈。今以為準。銅人亦曰、取中指内文、為一寸。素問云、同身寸、是也。又多用、縄度量、縄多出縮、不準。今、以薄竹片、点量分寸、療病準的。亦有用蝋紙條、量者。但薄易折、蝋紙亦粘手、難取。稲稈心、量、却易。為勝於、用縄之信縮也。
『明堂下巻』によると、岐伯は八分を一寸としたが、人の身長や体型の違いがあって、取穴は不正確となる。扁鵲は手中指の第一節を一寸としたが、人には身体が長くて手が短かったり、身長が短くて手が長かったりするので、この取穴も不正確だ。孫真人は、親指の横紋を一寸としたが、また互いに差がある。ここでは、男は左、女は右の手中指、近位指節間関節内側の両横紋、この離れた距離を一寸とする(もし指を屈すれば傍ら。つまり近位
指節間関節の上下が作る、両紋の角、角間の距離を一寸とする。これを同身寸という)。
この寸法を使って灸治療すると、大概の病は癒える。それを基準とする。『銅人経』も、中指内側の横紋を一寸という。『素問』の同身寸もこれである。またヒモを使って量るが、紐は伸縮するから正確でない。現在では薄い竹片を使って分寸を量り、治療の基準にしている。また長いパラフィン紙を使って量ったりもする。しかし薄い竹片は折れやすく、パラフィン紙は手に粘着するので取穴しにくい。稲藁の芯で量るのが簡単だ。これは伸縮するヒモに勝る。
*信縮は伸縮の間違い。
●審方書(医学書の審査)
経云、爪甲与爪甲角、内与外間、内側与外側、与夫陥中、宛宛中。要精審、如其穴、去某処、幾寸。与其穴、去処同者。自各有経絡。
経典は、爪甲と爪甲角、内と外の間、内側と外側、そして陥中と宛宛中がある。その違いを明らかにせねばならない。ある穴が、ある場所から何寸離れているか。その穴と同じほど離れているものは、同じ経絡に属している。
灸膏肓云、其間、当有四肋三間、灸中間者。謂四肋、必有三間、当中間灸。不灸、辺両間也。
千金曰、経云、横三間寸者、則是三灸。両間一寸、有三灸。灸有、三分、三壮之処、即為一寸也。又曰、凡量一夫之法。覆手、并舒四指、対度四指上下節、横過為一夫。夫有両種。有三指、為一夫者、若灸脚弱、以四指、為一夫也(見脚気)。
膏肓の灸は、その間は四肋三間にあり、中間に施灸するという。4本肋骨があれば、必ず3つの肋間があり、その中間に施灸する。両側2つの肋間には施灸しない。『千金方』によると、経典の横三間寸は三灸であるという。両間の一寸に三灸ある。灸には三分、三壮があり、それを一寸とする。また量一夫之法がある。手で覆い、四指を揃えて伸ばす。そして4指の近位指節間関節で量り、横の長さを一夫とする。それには二種類ある。小指を除いた三指を一夫とするものもある。もし脚が弱った患者に施灸するときは、四指を一夫とする(脚気を見よ)。
*『千金方』の述べる意味が、訳者にはよく理解できないが、背骨から三寸離れたところは刺鍼でなく施灸すべきだと述べているのではなかろうか?あるいは後の文に、モグサの底面は直径三分だから、三壮なら3×3で1寸かも知れない。教えを請います。もしかすると句読点の打ち間違いかも?
●穴名同異
手有、三里、五里。足亦有、三里、五里。手有、上廉、下廉。足亦有、上廉、下廉。側頭部有、竅陰。足少陽亦有、竅陰。偃伏部有、臨泣。足少陽亦有、臨泣。既有五里矣、労宮、亦名五里。既有光明矣、攅竹、亦名光明。肩有肩井、又有所謂中肩井。足有崑崙、又有所謂下崑崙。太淵、太泉之名。或殊天鼎、天頂之字、有異。丹田、初非石門。和(明堂上経、誤作和字)、亦非禾。陽、実為申脈、本非附陽。陰、実為照海、本非交信。有之名、扁骨、見於外台。懸鐘之名、絶骨。童子之名、前関、見於千金注。如此者、衆可不審処、而鍼灸耶。苟不審処、則差之毫釐、有尋丈之謬矣。於是、挙其畧、以示世医俾之、謹於求穴云。
手には三里と五里がある。足にも三里と五里がある。手には上廉と下廉がある。足にも上廉と下廉がある。側頭部には竅陰があり、足少陽にも竅陰がある。偃伏部に臨泣があり、足少陽にも臨泣がある。すでに五里があるのに、労宮も五里の別名がある。すでに光明があるのに、攅竹も光明の別名がある。肩には肩井があるのに、さらに中肩井がある。足に崑崙があり、さらに下崑崙がある。太淵には太泉の別名がある。また天鼎には天頂の字があって異なる。丹田は、もともと石門ではなかった。和(『明堂上巻』は、和を禾と間違えている)は、禾ではない。陽は申脈であり、附陽ではない。陰は照海であり、交信ではない。肩[上腕骨頭]の名を扁骨とするのは、『外台秘要』である。懸鐘は、絶骨ともいう。童子を前関とするのは、『千金方』の注である。このように人々は知らないで鍼灸するのだろうか?もし知らなければ、その違いはわずかなものでも、一尋や一丈もの誤りとなるのではなかろうか?そこで、そのあらましを挙げ、世の医者に示して、慎重に取穴させようというものである。
●点穴
千金云、人有老少、体有長短、膚有肥痩。皆須精思商、量準而折之。又以肌肉、文理、節解、縫会、宛陥之中。及以手按之、病者、快然。如此、子細、安詳、用心者、乃能得之耳。許希亦云、或身短而手長、或手長而身短、或胸腹短、或胸腹長、或、或肥、又不可、以一概論也。
『千金方』は、人には年齢があり、身体には身長があり、脂肪による体型がある。すべてを細かく考えて、正確に取穴する。筋肉、紋理、関節、縫線、凹みの中。そして手で押すと、病人は怠く感じる。このように細かく、落ちついて、注意深く調べることで、正確な穴位が得られる。許希も、背が低くて手が長い、背が高くて手が短い、胸や腹が短い、胸や腹が長い、痩せている、太っているなどがあるので、一概には論じられないと言っている。
*「高くて手が短い」は原文と違うが、その意図を汲んで意訳したもの。縫会は判らないが、文脈からして縫線と思う。
千金云、凡点灸法、皆須平直、四体、無使傾側。灸時、恐穴不正、徒破好肉爾(明堂云、須得、身体平直。四支、無令拳縮。坐点、無令俛仰。立点、無令傾側)。若坐点、則坐灸。臥点、則臥灸。立点、則立灸。反此、則不得其穴。
『千金方』は、灸点を下ろすには、常に身体を真っ直にして、傾けないようにする。そうしないと施灸したとき取穴が不正確で、いたずらに良い肉を傷付けるだけであると言っている(『明堂経』は、必ず身体を真っ直にして、四肢は拳を握ったりすくめたりしない。座って点を下ろせば、前後に身体を曲げさせない。立って点を下ろせば、傾けさせないという)。座って点を下ろしたら、座った姿勢で施灸する。寝て点を下ろせば、寝て施灸する。立って点を下ろせば、立って施灸する。これに従わないと穴位を得られない。
千金云、凡灸、当先陽後陰。言、従頭、向左、而漸下。次後、従頭、向右、而漸下。先上後下。
明堂下云、先灸於上、後灸於下。先灸於少、後灸於多。皆宜審之。
『千金方』は、陽から陰へ施灸するという。頭から左へ向かい、徐々に下がる。その次は、頭から右へ向かい、徐々に下がる。上から下の順序。『明堂下巻』は、先に上へ施灸して、後で下に施灸する。最初に少なくすえ、後は多くすえる。みな、これを知るとよい。
●論壮数多
千金云、凡言、壮数者、若丁壮、病根深篤、可倍於方数。老少、羸弱、可減半(又云、小児七日以上、周年以還、不過七壮。如雀屎)。扁鵲灸法、有至五百壮、千壮。曹氏灸法、有百壮、有五十壮。小品諸方、亦然。惟明堂本経、多云、鍼入六分、灸三壮。更無余論。故後人不準。惟以病之軽重、而増損之。
『千金方』は、壮数について述べている。もし成人男子で、病根が深くて重ければ、規定の倍すえてもよい。老人と子供、痩せて弱々しければ半分に減らしてもよいという(また1週以上で1年未満の小児は、七壮を超えてはならない。スズメの糞ほどのモグサにする)。扁鵲の灸法には、五百壮や千壮に達するものがある。曹氏の灸法には、百壮や五十壮とある。小品諸方も同じである。ただ『明堂本経は、ほとんどが鍼は六分、灸は三壮。これより他の説はない。だから後世の人のものは当てにならない。ただ病の軽重によって増減する。
凡灸頭頂、止於七壮、積至七七壮止(銅人)。若治風、則灸上星、前頂、百会。皆至二百壮。腹背、宜灸五百壮。若鳩尾、巨闕、亦不宜多。四支、但去風邪、不宜多灸。灸多、則四支細、而無力(明上)。而千金於、足三里穴乃云、多至三二百壮。心兪、禁灸。若中風、則急灸、至百壮。皆視其病之軽重、而用之。不可泥一説、而又不知其有一説也。下経只云、若是禁穴、明堂亦許、灸一壮至三壮、恐未尽也。
頭頂の施灸は七壮で止める。毎日積み重ねても七×七壮になったら止める(『銅人経』)。もし風の治療なら、上星、前頂、百会にすえるが、いずれも二百壮までである。腹背は灸五百壮がよい。もし鳩尾や巨闕なら多くしない。四肢で、風邪が去っていれば多く施灸しない。灸が多いと、四肢が細くなり、力がなくなる(『明堂上巻』)。そして『千金方』では、足三里穴には、多くて二〜三百壮という。心兪は禁灸穴である。もし脳卒中ならば、すぐに灸を百壮すえる。いずれも病の程度によって定める。一説に捕らわれて、他の説を知らぬようではいけない。『明堂下経』では禁穴であっても、『明堂』は一壮から三壮の施灸なら許している。おそらく尽きないのだろう。
*「恐未尽也」は「恐らく命は尽きないのだろう」という意味と思うが、訳者はよく判らない。
千金云、凡官遊、呉蜀。体上、常須三両処、灸之。切令瘡暫差、則瘴癘・温瘧毒気、不能著人。故呉蜀、多行灸法。
有阿是之法、言人有病、即令捏其上。若裏当其処、不問孔穴、即得便快、成痛処。即云、阿是。灸刺、皆験。故曰、阿是穴。
『千金方』の言うには、政府の役人が、呉蜀の地へ派遣されると、身体の二〜三ケ所に施灸する。そして灸痕を残しておくと、瘴癘や温瘧の毒気が人に着かない。だから呉蜀の地では、ほとんど灸法がおこなわれている。「阿是の法」がある。人に病があれば、その身体をこねる。もし裏で、そこに当れば、穴位であろうがなかろうが、すぐに怠くて痛むところを得られる。それが阿是穴であり、そこへ灸や刺鍼すれば、いずれも効果がある。だから阿是穴という。
●艾大小
千金云。黄帝曰、灸不三分、是徒寃。務大也。小弱、乃小作之(又云、小児七日以上、周年以還。不過七壮。如雀糞)。明堂下経云、凡灸、欲艾、根下広三分。若不三分、即火気、不能遠達病、未能愈。則是艾、欲其大。惟頭与四支、欲小爾。
『千金要方』によると、黄帝の言うには、灸の直径が三分に満たねば無駄である。モグサは努めて大きくする。小さくて弱ければ、小さく作るとある(また、小児で七日以上、一歳未満ならば七壮を超えてはならない。モグサは雀の糞ぐらいにするという)。『明堂下巻』は、施灸ではモグサの底面は、直径三分とする。もし三分に満たねば、火気は病まで到達できないので治らないという。だからモグサは大きいほうがよい。ただ頭と手足は小さくする。
*訳者は、そうは思わないが、そう書いてあるので(つらいつらい……)。
至明堂上経乃云、艾、依小竹箸頭作。其病脈、粗細、状如細線、但令当脈、灸之、雀糞大、亦能愈疾。又有一途、如腹内、疝・癖、塊。伏梁気等、惟須大艾。故小品曰、腹背爛焼。四支、則但去風邪、而已。如巨闕、鳩尾、雖是胸腹穴、灸之、不過四七、祇依竹箸頭大。
『明堂上巻』では、モグサは小さな竹箸の先をまねて作る。発病した脈の太さが、細い線のようならば、その脈に施灸すれば、雀の糞ぐらいのモグサでも病気が治せるという。まだ一法ある。たとえば腹内に疝や癖などのシコリ、伏梁の気などがあれば、モグサを大きくするしかない。だから小品には、腹背は爛れるように焼く。四肢では、ただ風邪が去れば治るとある。また巨闕や鳩尾は、胸腹の穴といえども、そこへ施灸するときは四×七壮を超えないようにし、モグサも竹箸の先ほどのものにする。
*箸は、本来はタケカンムリに助だが、異体字の箸に変更した。
但令正当脈、灸之、艾、若大、復灸多、其人、永無心力。如頭上灸多、令人、失精神。臂脚灸多、令人、血脈枯渇、四支細、而無力。既失精神、又加於細、即令人短寿(見承漿穴)。此論甚当。故備著之。
ただし、ちょうど脈に当てて施灸するとき、もしモグサが大きくて、何度も多く施灸すると、その人は永いこと心力がなくなる。もし頭上の灸が多ければ、人の精神を失わせる。手足に灸が多ければ、人の血脈が枯渇して四肢は細くなり、力がなくなる。精神を失ったうえに、手足が細くなれば、人を短命にする(承漿穴を見よ)。この論は、まことにもっともだ。それで詳しく著す。
●点艾火
下経云、古来灸病、忌・松、柏、枳、橘、楡、棗、桑、竹・八木。切宜避之。有火、珠曜日、以艾承之、得火。次有火、鏡耀日、亦以艾、引得火。此火、皆良。諸蕃部落、用鉄、撃石、得火出、以艾引之。凡人卒、難備、即不如無木火、清麻油、点燈、燈上焼艾茎、点灸、是也。兼滋潤灸瘡、至愈、不疼痛。用蝋燭更佳。
『明堂下巻』は、古来の灸治療では、松、柏、枳、橘、楡、棗、桑、竹など八種類の木を用いない。絶対に避けたほうがよい。火は、玉で太陽の日を集め、モグサに受けて得た火がよい。次の火は、鏡で太陽の日を集め、やはりモグサに引火させた火がよい。こうした火は、いずれも良い。村落では、鋼鉄で黒石を叩き、出た火花でモグサに引火させる。人が急に発病したときは、準備していないので木火もなく及ばない。精製したゴマ油で灯を点し、その火でヨモギの茎を焼いて点灸する。そして灸瘡がしっとりし、癒えたら痛まなくなる。ロウソクの火を使えば更によいという。
良方云、凡取火者、宜敲石取火(今舟行人、以鉄鈍刀、撃石穴、以紙灰為火丸、在下承之。亦得火)。或水精鏡於日、得太陽火為妙。天陰則以槐木、取火。
『良方』は、火を取りたければ、石を叩いて火を取ればよいという(現在の舟で行く人は、鉄の鈍刀で石穴を叩き、細かな紙で火の玉とし、それを下で受けても火が得られる)。あるいは水晶のレンズを日に当てて、太陽の火を得るのもよい。曇りの日なら槐木によって火を取る。
●治灸瘡
下経云、凡著艾、得瘡発所、患即差。不得瘡発、其疾不愈。甲乙経云、灸瘡不発者、用故履底灸、令熱熨之。三日即発。今用赤皮葱、三五茎、去青、於火中、熟。拍破、熱熨瘡、十余遍。其瘡、三日、自発。予見人、灸不発者。頻用、生麻油、清之、而発。亦有用皀角、煎湯、候冷、頻点之、而発。亦有、恐気血衰、不発、於灸前後、煎四物湯。服以此湯。滋養気血故也。葢不可、一概論也。予嘗、灸三里、各七壮。数日過、不発。再各灸両壮、右足発、左足不発。更灸、左足一壮、遂発。両月、亦在人、以知取之。若任、其自然、則終不発矣。此人事、所以当尽也。
『明堂下巻』は、モグサで施灸して、灸瘡ができれば患部は癒える。灸瘡ができねば、その疾病は癒えないという。『甲乙経』は、灸瘡ができなければ、古い靴の底に施灸し、それを当てて熱すれば三日で水疱となる。ここでは赤皮の葱を三五茎ほど使う。青葉の部分を取り去って、弱火の中で蒸し焼きにする。それを叩いて破り、灸瘡に当てて十数回ほど熱すると、その瘡は三日で自然に発疱する。私は、施灸しても不発な人を見たとき、よく生ゴマ油で拭くと発疱する。また皀角を煎じ、冷めたころを伺って、頻繁にそれを塗れば発疱する。また、恐らく気血が衰えているため発疱しないと思われれば、施灸の前後で、四物湯を煎じ、それを飲ませる。気血を滋養するためである。だから一概には論じられない。私は足三里へ七壮ずつ施灸したことがある。数日しても発疱しない。さらに二壮ずつすえると、右足は発疱したが、左足は発疱しない。さらに左足へ一壮すえたところ、ついに発疱した。二ケ月して、また人にこの方法を知らせた。もし自然に任せていれば、最後まで発疱しない。これは人事なので任すよりない。
*これも「当尽」が判らなくて尽を任すとしたが、ベストを尽くさなければならないという意味かもしれない。
凡著灸、住火。便用、赤皮葱、薄荷、煎湯、温洗瘡周回、約一二尺。令駆逐風気、於瘡口出。兼令経脈、往来不滞、自然、瘡壊、疾愈(今人、亦有恐水、殺人。不用湯淋)。若灸瘡、退火痂後、用東南桃枝、青嫩柳皮、煎湯、温洗。能護瘡、中諸風。若瘡、内黒爛、加胡煎。若瘡、疼不可忍、多時不効、加黄連煎、神効。
施灸して火が消える。そしてすぐに赤皮葱と薄荷を煎じた湯で、灸瘡の周囲を約一二尺ほど温めながら洗う。こうして風気を灸瘡口から追い出すとともに、経脈を往来させて滞らなくする。自然に灸瘡は壊れて疾病は癒える(現在の人は、水は人を殺すと恐れて湯浴みしない)。もし灸瘡の火によるカサブタが消えたら、東南にある桃の枝、青くて柔らかい柳の皮を煎じ、その湯で温めて洗う。そうすれば灸瘡から諸風が入り込まないよう保護できる。もし灸瘡内が黒く爛れたら、胡を加えて煎じる。もし灸瘡が痛くてたまらなければ、効かないことが多い。そのときは黄連を加えて煎じれば神効がある。
凡貼灸瘡、春用柳絮、夏用竹膜、秋用新綿、冬用兎腹上白細毛、猫児腹毛、更佳。今人、多以膏薬貼之、日三両易、全不疼。但以膏薬、貼則易、乾爾。若要膿出多、而疾除、不貼膏薬、尤佳。
灸瘡に貼りつけるものは、春ならば柳の綿毛、夏ならば竹の皮、秋ならば新しい綿、冬ならばウサギの腹上の白い細毛、子猫の腹の毛ならさらによい。いまの人は、ほとんど膏薬を貼るが、一日2〜3度ほど貼り替えるとまったく痛くない。しかし膏薬を貼ると乾きやすい。もし膿をたくさん出すことによって疾病を除きたければ、膏薬を貼らないほうがよい。
●忌食物
既灸忌、猪、魚、熱麺、生酒、動風冷物、鶏肉、最毒。而房労、尤当忌也。
下経云、灸時、不得傷飽、大飢、飲酒、食生硬物、兼忌-思慮、憂愁、恚怒、呼罵、呼嗟、歎息等(今下里人、灸後亦忌飲水、将水濯手足)。
灸の禁忌は、豚肉、魚、熱い麺類、生酒、動風させる冷い食物、鶏肉などが最も毒である。そしてセックスもいけない。
『明堂下巻』は、施灸時には、満腹状態、空腹状態、酔っぱらい、なまものや硬いものを食べた。それに考えたり、心配したり、怒ったり、罵ったり、嘆いたり、溜め息をついたりなどを避けるという(現在の人々は、施灸した後に水を飲むことも避ける。水で手足を洗おうとする)。
*硬物は判らなかったので、文字通り訳した。たぶん殻つきの松の実などと思う。
●避人神等
千金云、欲行鍼灸。先知、行年宜忌、及人神所在。不与禁忌相応、即可。故男忌除、女忌破。男忌戊、女忌巳。有日神忌、有毎月忌、有十二時忌、有四季人神、有十二部人神、有十二部年人神、有九部旁通人神。有雑忌旁通、又有所謂血支、血忌之類。凡医者、不能知此、避忌。若逢病人厄会、男女気怯、下手至困。通人達士、豈拘此哉。若遇急卒暴患、不拘此法。許希亦云、若人病卒暴、宜急療。亦不拘此。故後之医者亦云、卒暴之疾、須速灸療。一日之間、止忌一時是也。
『千金方』によると、鍼灸をしたければ、まず、その年の善し悪し、そして人神の所在を調べる。禁忌がなければよい。だから男は除を避け、女は破を避ける。男は戊を避け、女は巳を避ける。日神の厄があり、毎月の厄があり、十二時の厄があって、四季には人神があり、十二部の人神があり、十二部年の人神があり、身体の九部の傍らを人神が通る。いろいろ旁通を避けるとか、また血支があって血を避けるなどがある。医者が、これを理解して避けるわけにゆかない。もし病人が厄にぶつかり、男女の気が弱ければ、治療を下すのに困る。道理に通じた達人が、それに捕らわれるはずがない。もし突然に発病したものならば、それにこだわってはならない。許希も、もし人が突然に発病したなら、急いで治療するほうがよいと言っている。そのため後世の医者も、突然な発病なら、すばやく施灸しなければならぬ。一日の間で、一時だけ避けることを止めるだけである。
*この部分は関心のないことなので、訳者もあまり自信がありません。
千金云、癰疽、丁腫、喉痺、客忤、尤為急。凡作湯薬、不可避凶日。覚病、須臾、即宜便治。又曰、凡人卒暴得風、或中時気、凡百所苦、須救急療。漸久之後、皆難愈。此論、甚当。夫急難之際、命在須臾。必待吉日、後治、已鬼録矣。此所以、不可拘避忌也。惟平居治病、於未形、選天徳、月徳等日、服薬、鍼灸可也。
『千金方』によると、癰疽や丁腫などのハレモノ、喉の痛みや小児のヒキツケなどは、もっとも急を要する。湯薬を作るのに凶日を避けているわけにゆかない。発病したと思ったら、すぐに治療したほうがよい。また人へ急に風が侵襲したり、伝染病にかかったりなど、百ぐらいの病気は、すぐに治療しなければならない。しばらく時間を経れば、みな治りにくくなってしまう。この論は、まことに当を得ている。だから緊急の際では、命は一刻一秒にある。必ず吉日を待ち、その後で治療しても、すでに患者は死んで鬼籍に入っている。だから厄日にこだわってはならない。ただ平常の治療で、まだ表面化していない病気ならば、天徳や月徳などの日を選んで、服薬したり鍼灸してもよい。
●相天時
千金云、日正午以後、乃可灸。謂陰気未至、灸無不著。午前平旦、穀気虚、令人癲眩、不可鍼灸。卒急者、不用此例。
下経云、灸時、若遇陰霧、大風雪、猛雨、炎暑、雷電、虹霓。暫停、候晴明、即再灸。急難、亦不拘此。
『千金方』は、一日の正午以後ならば灸をできる。まだ陰気が至っておらず、灸はすべて着く。午前の夜明けには穀気が虚しており、患者が目まいを起こすので鍼灸できないという。急に発病したものは、この限りではない。
『明堂下巻』は、施灸する時、もし陰霧や大風雪、猛雨、炎暑、雷電、虹霓などの日であれば、しばらく治療を中止し、晴朗になるのを伺って、再び施灸するという。急に発病した場合は、これに捕らわれてはならない。
*「午前平旦、穀気虚」ならば、朝の食事前だから空腹である。空腹なところへ鍼灸すると貧血を起こす。午後になって暖かくなってから施灸し、明け方の冷え冷えとしているときには裸にしない。また陰気が強すぎたり、陽気が強すぎる気候では、正常な天気になるまで待って治療する。