鍼灸資生経巻一 bU 腹部

●腹部中行、十五穴

 
鳩尾、一名尾翳、一名骭。在臆前、蔽骨下五分。不可灸。令人畢世、少心力。此穴、大難鍼。好手、方可下鍼。不然、取気多、令人夭。鍼三分、留三呼、瀉五吸。肥人、倍之。忌同。
 鳩尾は、別名を尾翳、また別名を骭とも呼ぶ。前胸部で、剣状突起の下五分にある。灸してはいけない。心力が少なくなって死んでしまう。この穴は、刺鍼が難しい。うまい人だけが刺鍼できる。そうでないと気を多く取り過ぎて早死にさせる。鍼は三分刺入して三呼留め、五吸瀉法する。太った人は倍にする。避ける食物は同じ。


 明下云、灸三壮。素注、在臆前、蔽骨下五分。不可灸。刺人無蔽骨者、従岐骨際、下行一寸。
 『明堂下巻は、灸三壮という。『素問の注は、前胸部で、剣状突起の下五分とする。灸は悪い。剣状突起がない人に刺鍼するときは、胸骨柄下際から一寸下を刺す。
 
*心臓に当たりやすいことを注意している。心臓肥大には刺鍼できない。また上に向けた斜刺も危険。直刺か下に向けて斜刺する。


 巨闕、心之募。在鳩尾下一寸。鳩尾拒者少、令強一寸中。人有、鳩尾拒、之鍼六分、留七呼、得気即瀉。可灸七壮、止七七。忌同。
 巨闕は、心の募穴。鳩尾の下一寸にある。鳩尾に抵抗がある人は少ないので、強く一寸当てる。鳩尾に抵抗があれば、鍼を六分刺入して七呼留め、得気があれば瀉法する。灸は七壮から七×七壮。避ける食物は同じ。


 、(一作管)。在巨闕下一寸。当寸五分。去蔽骨三寸(明云、去巨骨三寸)。鍼八分、先補後瀉、神験。如風癇、熱病、宜先瀉後補、立愈。日灸二七壮、至百壮。未愈、倍之。忌同。明下云三壮(千、一名胃管)。
 上、(一説には上管としている)。巨闕の下一寸。一寸五分とする。剣状突起から三寸下(『明堂は、巨骨から三寸といっている)。鍼は八分刺入して先補後瀉すると非常に効果がある。急に痙攣する熱病には先瀉後補すると、すぐに癒える。一日に灸を二×七壮から百壮。それで癒えねば倍すえる。避ける食物は同じ。『明堂下巻は三壮という(『千金には別名を胃管とある)。


 、一名太倉。胃之募。在上下一寸。上紀者、中也。鍼八分、留七呼、瀉五吸、疾出鍼。灸二七壮、止百壮。忌同。明云、日灸二七壮、止四百(千、一名胃募。在心下四寸。胃管下一寸)。
 中は太倉とも呼び、胃の募穴である。上の下一寸にある。上に記したのが中である。鍼は八分刺入して七呼留め、五吸瀉法して、すばやく抜鍼する。灸は二×七壮から百壮。避ける食物は同じ。『明堂は、一日に灸は二×七壮から四百壮(『千金要方には、別名を胃募。心下四寸にあり、胃管の下一寸とある)。


 按気穴論注云、中、居心、蔽骨与臍之中(上下、各四寸)。刺入寸二分。与銅人、稍異。宜従銅人、為穏。其曰、胃之募、葢飲食蓄積、於此也。予嘗苦、脾疼。嘗灸此穴。覚冷気、従両脇下、而上至灸処、即散。此灸之功也。自後、頻灸之。亦毎教人、灸此。凡脾疼不可忍、飲食全不進者、皆宜灸(難疏、府会太倉。府病、治此。在心下四寸)。
 『素問・気穴論の注によれば、中の中心は、蔽骨と臍の中間である(上下に、それぞれ四寸ずつ)。一寸二分刺入する。これは『銅人穴図経とは、いささか異なる。銅人に従うのが穏やかである。それは胃の募穴で、ここに飲食は蓄積する。私は脾疼になったことがある。ここの灸を試してみた。すると冷気が両脇下から上がり灸の処で散ったように感じられた。これが灸の効果である。それからは頻繁に施灸した。また人にも、この灸を教えた。脾疼がひどく、飲食が全く進まないものは、誰でも施灸するとよい(『難経疏に、腑会の太倉。腑病は、これで治す。心下四寸とある)。


 建里、在中下一寸。鍼五分、留十呼。灸五壮。 明云、鍼寸二分。
 建里は、中の下一寸。鍼は五分刺入して十呼留める。灸は五壮。 『明堂は、鍼を一寸二分という。


 、在建里下一寸。鍼八分、留三呼、瀉五吸。灸二七壮、止二百。
 下は、建里の下一寸。鍼は八分刺入して三呼留め、五吸瀉法する。灸は二×七壮から二百壮。


 水分、在下下一寸。臍上一寸。鍼八分、留三呼、瀉五吸。若水病、灸大良。可灸七壮、止百壮。禁鍼。鍼、水尽即。 明云、水分穴。若水病、灸大良。日灸七壮、止四百。鍼五分、留三呼(明云、水気、惟得鍼水溝。鍼余穴、水尽即死。何於此、却云可鍼。今校勘、不鍼為是)。
 水分は、下の下一寸。臍の上一寸。鍼は八分刺入して三呼留め、五吸瀉法する。水病ならば灸がよい。灸を七壮から百壮。禁鍼穴。刺鍼すると水が尽きて死ぬ。『明堂は、水分穴。水病には灸が良い。一日に灸を七壮から四百壮。鍼は五分刺入して三呼留める(『明堂は、水気には水溝にのみ刺鍼する。他の穴に刺鍼すると水が尽きて死ぬという。どうして、ここに刺鍼できるのか?現在の校勘では、鍼をしないのが正しい)。


 明堂云、若是水病、灸之大良。鍼入五分。而銅人云、若是水病、灸之大良。禁不可鍼。鍼、水尽即。是又不可鍼矣。恐、人但知明堂之可鍼、不知銅人不可鍼也。於是書之、以示世医伝(水分穴、校之、不鍼為是)。
 『明堂は、水病には灸が良い。鍼は五分刺入という。そして『銅人は、水病には灸が良い。鍼は悪い。鍼すれば、水が尽きて死ぬという。これも鍼できない。恐らく鍼できるとするいう『明堂』は誰でも知っているが、『銅人が鍼できないとしていることは知らない。この書によって、医学の言い伝えを示す(水分穴の校正では、鍼しないのが正しい)。


 神闕、一名気合。当臍中、灸百壮。禁鍼。忌同。 素注、禁刺。刺之、使人、臍中悪瘍。潰、矢出者、死。不可治。灸三壮。
 神闕は気合ともいう。臍中にあり、灸は百壮。禁鍼穴。避ける食物は同じ。『素問の注では禁鍼穴。刺鍼すれば臍に腫瘍ができる。潰れてオナラが出るものは死ぬ。治らない。灸は三壮。


 臍中、千金等経、不言灸。只云禁鍼。 銅人云、宜灸百壮。近世名医、遇人中風、不省。急灸臍中、皆効。徐平、中不省。得桃源簿、為灸臍中百壮、始甦。更数月、乃不起。鄭糾云、有一親、卒中風。医者為、灸五百壮、而甦。後年余八十。向使徐平、灸至三五百壮。安知、其不永年耶(論神闕穴、多灸極是)。
 臍中は、『千金などの経典では灸とは言っていない。ただ禁鍼穴とだけいう。 『銅人は、灸を百壮という。最近の名医が、脳卒中で人事不省となった人に会った。すぐに臍中へ施灸し、いずれも効果があった。徐平は脳卒中で人事不省になった。桃源簿が臍中へ灸を百壮すえると、やっと覚醒した。さらに数ケ月したが、逆に起きられない。鄭糾がいうには、ある親戚が脳卒中になった。医者が、灸を五百壮すえると覚醒し、それから後は八十歳以上。もしも徐平に灸を三百から五百壮すえていれば、どうして長寿でないと判ろうか?(神闕穴には沢山施灸するのが正しい)。


 陰交、一名横戸。素問云、在臍下一寸。鍼八分、得気即瀉。灸百壮止。 明云、灸不及鍼。日三七壮、止百壮。
 陰交は横戸とも言う。『素問は臍下の一寸。鍼は八分刺入して得気があれば瀉法するという。灸は百壮まで。『明堂は、灸は鍼に及ばない。一日三×七壮から百壮という。


 
気海、一名、一名下肓。在臍下寸半、宛宛中。鍼八分、得気即瀉。瀉後宜補之。灸百壮。今附、気海者、是男子、生気之海也。治、蔵気虚憊、真気不足、一切気疾、久不差。皆灸之。忌同。 明下云、灸七壮。
 気海は、別名、またの名を下肓という。臍下一寸半の凹みにある。鍼は八分刺入して得気があれば瀉法する。瀉法したあと補法するとよい。灸は百壮。ここで、気海は男にとって生気の海であり、臓気の衰弱や真気不足など、すべての気の疾患で、久しいこと治らぬものを治療することを付記しておく。いずれも施灸する。避ける食物は同じ。『明堂下巻は、灸七壮という。


 此経、以気海、為生気之海。難経疏、以為元気之海。則気海者、葢人之元気所生也。故柳公度曰、吾養生、無他術。但不使元気、佐喜怒、使気海常温爾。今人、既不能不、以元気、佐喜怒矣。若能時、灸気海、使温、亦其次也。予旧多病、常苦気短。医者教、灸気海。気遂不促。自是、毎歳、須一二次、灸之。則以気怯故也。
 この経典は、気海を「生気の海」とする。『難経疏は「元気の海」とする。気海とは、人の元気が生まれる所である。だから柳公度は、私の養生法には、他の術はない。ただし元気で喜怒を助けずに、気海を常に温めるだけという。現代人は、元気で喜怒を助けないわけにゆかない。もし灸で気海を温めることができても、それは次善である。私は以前、病気がちで、いつも息切れしていた。医者に気海の灸を教わった。すぐには気が促されない。それより毎年、必ず一〜二回、施灸した。気が弱っているからである。


 石門、一名利機、一名精露。在臍下二寸。灸亦良。可灸二七壮、止百壮。婦人、不可鍼。鍼之、終身絶子。 明云、甲乙経云、一名精露、一名丹田、一名命門。鍼八分、留三呼、得気即瀉。 下云、灸七壮。 千云、灸絶孕。刺五分。
 石門は、別名を利機とか精露という。臍下の二寸にある。灸も良い。灸は二×七壮から百壮。婦人には鍼できない。鍼すると一生、子供が出来ない。『明堂や『甲乙経は、別名を精露や丹田、命門という。鍼は八分刺入して三呼留め、得気があれば瀉法する。 『明堂下巻は灸七壮という。『千金は、灸は不妊症になる。鍼を五分という。


 臍下二寸、名石門。 明堂載、甲乙経云、一名丹田。 千金、素問注、亦謂丹田、在臍下二寸。世医、因是、遂以石門、為丹田、誤矣。丹田、乃在臍下三寸。難経疏、論之詳。而有拠。当以難経疏、為正(詳見関元)。銅人云、鍼之、絶子。 千金云、灸之、絶孕。要之、婦人、不必鍼灸此(論丹田穴、当以臍下二寸、為是)。

 臍下二寸は石門である。『明堂に記載され、『甲乙経も、別名を丹田という。『千金や『素問の注でも丹田を臍下二寸とする。世間の医者は、そのために石門を丹田としたが誤りである。丹田は、やはり臍下三寸にある。『難経疏が、それを詳しく論じ、また証拠もある。『難経疏を正しいとする(詳しくは関元を見よ)。『銅人は、ここに鍼すれば子ができないといい、『千金は施灸すると不妊になるという。要は、婦人なら鍼灸するなということだ(丹田穴は、臍下二寸が正しい)。


 関元、在臍下三寸。小腸之募。足太陰、少陰、厥陰、三陰、任脈之会。下紀者、関元也。鍼八分、留三呼、瀉五吸。灸百壮、止三百壮。忌同。 明云、若懐胎、必不鍼。若鍼、而落胎、胎多不出、而鍼外崑崙、立出。灸不及鍼。日三十壮。 下云、五壮。岐伯云、但是、積冷、虚乏、皆宜灸。
 関元は、臍下三寸にある。小腸の募穴。足の太陰、少陰、厥陰など、足の三陰脈と任脈の交会穴である。下に記すのが、関元である。鍼は八分刺入して三呼留め、五吸瀉法する。灸は百壮から三百壮。避ける食物は同じ。『明堂は、妊娠していれば刺鍼するな。刺鍼すれば流産する。胎児が多くて出なければ、外崑崙に刺鍼すれば、すぐに出る。灸は鍼に及ばず。一日三十壮という。『明堂下巻は五壮という。岐伯は、ただし冷えの積もった虚証には灸がよいという。


 関元、乃丹田也。諸経不言。惟難経疏云、丹田、在臍下三寸、方圓四寸。著脊梁、両腎間、中央赤、是也。左青、右白、上黄、下黒。三寸法三光、四寸法四時、五色法五行。両腎間、名大海。而貯其血気、亦名大中極。言、取人身之上下、四向、最為中也。老医、与人灸、皆従此説。多者、千余壮、少亦三二百。不知、全活者、幾何人。然亦宜、頻灸。故曰、若要安、丹田、三里、不曽乾。
 関元は、丹田である。諸経は、そう言わない。『難経疏だけは、丹田は臍下三寸にあり、周囲は四寸。背骨に付着し、両腎の間にあって中央は赤いものである。左は青、右は白、上は黄、下は黒。三寸は日、月、星、四寸は四季、五色は五行と対応する。両腎の間を大海と呼び、血気を貯えるので大中極ともいう。人体の上下、四方で最も中心である。老医は人に灸するとき、誰でもこの説に従う。多ければ千壮あまり、少なくとも二〜三百壮。人生をまっとうしたものが幾人あるか判らない。だがやはり、頻繁に施灸するがよい。そのため、もし安らかでいたければ、丹田と足三里へ常に施灸するという。


 
中極、一名玉泉、一名気原。在関元下一寸。鍼八分、留十呼、得気即瀉。灸百壮、止三百。 明云、主婦人断緒、四度鍼(銅人作、以度鍼)。鍼即有子。故却時任鍼也。灸不及鍼。日三七壮。 下云五壮。
 中極は、玉泉とか気原と呼ぶ。関元の下一寸にある。鍼は八分刺入して十呼留め、得気があれば瀉法する。灸は百壮から三百壮。『明堂は、婦人の不妊に四度の鍼(『銅人では治るまで鍼としている)。鍼すれば子ができる。だから時に任せて鍼をする。灸は鍼に及ばす。一日に三×七壮。『明堂下巻は五壮という。


 
曲骨、在横骨上、毛際陥中。灸七壮、至七七。鍼二寸。 明下云、横骨上、中夾下一寸、毛際陥中。 千云、臍下五寸。
 曲骨は、恥骨の上で、毛際の陥中にある。灸は七壮から七×七壮。鍼は二寸。 『明堂下巻は、恥骨の上で、中極の下一寸、毛際の陥中という。 『千金は、臍下五寸という。
 
*中夾下一寸は、中極の下一寸の間違い。


 会陰、一名屏翳。在両陰間。任脈別絡。侠督脈、衝脈之会。灸三壮。
 会陰は、屏翳ともいう。性器と肛門の間。任脈の別絡。督脈と衝脈の交会穴を挟む。灸は三壮。


●腹第二行、左右二十二穴

 
幽門二穴、侠巨闕、両旁、各五分。灸五壮、鍼五分。 明云、在巨闕、旁各寸半陥中。
 千・腎蔵云、夾巨闕、各一寸。

 幽門二穴は、巨闕を挟んで両側五分。灸は五壮、鍼は五分。『明堂は、巨闕の傍ら一寸半の陥中という。
 『千金・腎蔵は、巨闕を挟んで各一寸という。


 
銅人云、幽門夾巨闕、肓兪夾臍、旁各五分(相去一寸)。明堂乃云、幽門在巨闕旁、寸半。通天夾上管、旁相去三寸。 按千金、四満(第二行穴)、在丹田(今石門)両辺、各寸半。与明堂合、始知、銅人誤云。
 『銅人は、幽門は巨闕を挟み、肓兪は臍を挟んで、傍ら各五分(互いに一寸離れる)という。『明堂は、幽門は巨闕の傍ら一寸半という。通穀は上を挟んで傍ら、互いに三寸離れるという。『千金に基づけば、四満(第二行穴)は丹田(現在の石門)の両側、各一寸半にある。これは『明堂と一致する。そこで初めて『銅人が誤まっていたことを知る。
 
*通天は通谷の誤り。


 
通谷二穴、在幽門下一寸。鍼五分。灸五壮。 明云、夾上管、両旁相去三寸。 下云、灸三壮。
 通穀二穴は、幽門の下一寸。鍼は五分。灸は五壮。『明堂は、上を挟んで、両側で互いに三寸離れているという。『明堂下巻は灸三壮という。
 
*以前では穀の字と谷の字が混用されていた。


 
陰都二穴、一名食宮。在通谷下一寸。灸三壮、鍼三分。
 陰都二穴は、食宮ともいう。通穀の下一寸。灸は三壮、鍼は三分。


 石関二穴、在陰都下一寸。灸三壮、鍼一寸。
 石関二穴は、陰都の下一寸。灸は三壮、鍼は一寸。


 商曲二穴、在石関下一寸。灸五壮、鍼一寸。
 商曲二穴、在石関下一寸。灸五壮、鍼一寸。


 
肓兪二穴、在商曲下一寸。臍旁各五分。灸五壮、鍼一寸。
 肓兪二穴は、商曲の下一寸。臍の傍ら各五分。灸は五壮、鍼は一寸。


 中注二穴、在肓兪下一寸。灸五壮、鍼一寸。
 中注二穴は、肓兪の下一寸。灸は五壮、鍼は一寸。


 四満二穴、一名髄府。在中注下一寸。鍼三分、灸三壮(千、丹田、旁各寸半、即心下八寸、臍下横文是。今校勘、四満二穴、千金云、在丹田旁各寸半、即心下八寸、臍下横文是。尤証得、丹田在二寸)。
 四満二穴は、髄府とも呼ぶ。中注の下一寸。鍼は三分、灸は三壮(『千金は、丹田の傍ら一寸半。すなわち心下八寸で、臍下の横紋にある。現在の校勘では四満二穴。『千金は、丹田の傍ら一寸半。すなわち心窩部の下八寸で、臍下の横紋という。特に丹田が二寸というのは証明されている)。


 気穴二穴、一名胞門、一名子戸。在四満下一寸。灸五壮、鍼三分。
 気穴二穴は胞門とか子戸と呼ばれる。四満の下一寸にある。灸は五壮、鍼は三分。


 大赫二穴、一名陰維、一名陰関。在気穴下一寸。灸五壮、鍼三分。
 大赫二穴は、陰維とか陰関ともいう。気穴の下一寸にある。灸は五壮、鍼は三分。


 
横骨二穴、在大赫下一寸。灸三壮(千云、名屈骨端。在陰上、横骨中宛、曲如却月中央是)。
 横骨二穴は、大赫の下一寸にある。灸は三壮(『千金は、屈骨端と呼ぶ。陰部の上で、恥骨中の凹み。半月のように曲がった骨の中央)。


 以上二十二穴、去腹中行。皆当為寸半説。見幽門。
 以上の二十二穴は、腹中央を離れたところを行く。いずれも一寸半の説がある。幽門を参照。


●腹第三行、左右二十四穴

 不容二穴、在幽門両旁、各寸半。灸五壮、鍼五分。 明云、在上管両旁、各一寸。灸三壮(素注、在第四肋端)。
 不容二穴は、幽門の両側一寸半にある。灸は五壮、鍼は五分。『明堂は、上の両側一寸。灸は三壮という(『素問の注は、第四肋骨の端)。


 素問云、夾鳩尾外、当乳下三寸、夾胃管、各五。不容至太一也。夾臍、広三寸、各三。滑肉門、天枢、外陵也。下臍二寸、夾之各三、大巨、水道、帰来也。皆腹第三行穴也。新校正云、甲乙経、天枢在臍旁各二寸、与諸書同。特此経、為異。信若是、則其穴、不当乳下可也。必当乳下、則広三寸之説、為当。
 『素問は、鳩尾を挟んだ外側で、乳の下三寸に当たる。胃を挟んで五つずつ。不容から太乙まで。臍を挟んで幅三寸、三つずつ。滑肉門、天枢、外陵である。臍下二寸を挟んで三つずつ、大巨、水道、帰来である。いずれも腹の第三行穴である。『新校正は、『甲乙経は天枢を臍旁二寸と言っている。各書も同じである。特にこの経典は変わっている。もしそれを信ずるなら、その穴は乳の下にならなくてもよい。どうしても乳の下ならば、幅三寸の説が妥当である。


 承満二穴、在不容下一寸。鍼三分、灸五壮。 明云、三壮(千、夾巨闕、両旁各一寸半)。
 承満二穴は、不容の下一寸にある。鍼は三分、灸は五壮。『明堂は三壮という(『千金は巨闕を挟んで両側一寸半)。


 梁門二穴、在承満下一寸。灸五壮、鍼三分。
 梁門二穴は、承満の下一寸にある。灸は五壮、鍼は三分。


 関門二穴、在梁門下一寸。鍼八分、灸五壮。

 関門二穴は、梁門の下一寸にある。鍼は八分、灸は五壮。


 太一二穴、在関門下一寸。灸五壮、鍼八分。
 太乙二穴は、関門の下一寸にある。灸は五壮、鍼は八分。


 滑肉門二穴、在太乙下一寸。灸五壮、鍼八分(下一寸、至天枢)。
 滑肉門二穴は、太乙の下一寸にある。灸は五壮、鍼は八分(下一寸は天枢に至る)。


 天枢二穴、一名長谿、一名穀門、大腸之募。去肓兪、寸半。夾臍旁、各二寸陥中。灸五壮。鍼五分、留十呼(千、魂魄之舎、不可鍼。合臍相去、各三寸)。
 天枢二穴は、長谿とか穀門とも呼ぶ。大腸の募穴。肓兪から一寸半。臍を挟んだ傍ら二寸の陥中にある。灸は五壮、鍼は五分刺入して十呼留める(『千金は、魂の居場所だから鍼できない。臍を合わせて互いに三寸ずつ離れている)。


 外陵二穴、在天枢下一寸。灸五壮、鍼三分。
 外陵二穴は、天枢の下一寸。灸は五壮、鍼は三分。


 大巨二穴、在長谿下二寸。灸五壮、鍼五分(長谿、天枢也。千、在臍下一寸、両旁各二寸)。
 大巨二穴は、長谿の下二寸。灸は五壮、鍼は五分(長谿とは天枢である。『千金は、臍の下一寸、その両側二寸ずつ)。


 
水道二穴、在大巨下三寸。灸五壮、鍼三寸半。
 水道二穴は、大巨の下三寸。灸は五壮、鍼は三寸半。


 帰来二穴、在水道下二寸。灸五壮、鍼八分(外台、水道下三寸。今校勘、帰来二穴、在水道下二寸、為是)。
 帰来二穴は、水道の下二寸。灸は五壮、鍼は八分(『外台秘要では水道の下三寸。現在の校勘では帰来二穴を水道の下二寸が正しいとする)。


 
気衝二穴、一名気街。在帰来下、鼠上一寸、動脈応手、宛宛中。禁鍼。灸七壮、立愈。如大麦。 明下云、五壮。 素注云、在腹臍下、横骨両端、鼠上。鍼三分。 千云、帰来下一寸。
 気衝二穴は、気街ともいう。帰来の下で、鼠径部の上一寸。動脈が手に応える凹みの中。禁鍼穴。灸を七壮で、すぐに癒える。モグサは大麦ぐらい。 『明堂下巻は、灸五壮という。『素問の注は、腹の臍下、恥骨の両端、鼠径部の上。鍼は三分という。『千金は、帰来の下一寸という。


 以上二十四穴、去腹中行、当各三寸
 以上二十四穴は腹の中心から三寸離れたところを行く


●腹第四行、左右十四穴

 
期門二穴、肝之募。在不容、旁寸半。直両乳、第二肋端。鍼四分、灸五壮(千、直両乳下、第二肋端、旁寸半。又云、乳直下寸半)。
 期門二穴は、肝の募穴である。不容の傍ら一寸半、両乳の直下で、第六肋間の端にある。鍼は四分、灸は五壮(『千金は、両乳直下、第六肋間の端、傍ら一寸半。また乳の直下一寸半ともいう)。


 
日月二穴、胆之募。在期門下、五分陥中。灸五壮、鍼五分(千名、神光、一名胆募)。
 日月二穴、胆の募穴である。期門の下、五分の陥中にある。灸は五壮、鍼は五分(『千金』での名は神光、別名は胆募)。
 
*胆とい字は、分解すると月と旦になる。旦は地平線から太陽が昇る意味。昔は右から左に読んだので日月。


 
腹哀二穴、在日月下寸半。鍼三分。
 腹哀二穴は、日月の下一寸半。鍼は三分。


 大横二穴、在腹哀下三寸半。直臍旁。灸三壮、鍼七分。
 大横二穴は、腹哀の下三寸半。臍に真っ直な傍ら。灸は三壮、鍼は七分。


 肓兪、去臍旁、当一寸半。天枢、去臍、当三寸。大横、去臍、当四寸半。其去章門、合為六寸。難経疏乃云、章門、在臍上二寸、両旁九寸。為可疑耳。
 肓兪は、臍の傍ら一寸半。天枢は臍から三寸。大横は臍から四寸半。それは章門から離れること、合わせて六寸。『難経疏は、章門を臍の上二寸で両側九寸という。疑わしい。


 
腹結二穴、一名腸屈。在大横下三分。鍼七分、灸五壮。
 腹結二穴は腸屈ともいう。大横の下三分にある。鍼は七分、灸は五壮。


 
府舎二穴、在腹結下三寸。足太陰、厥陰、陰維之交会。此三脈、上下三、入腹、絡肝脾、結心肺、従脇、上至肩。此太陰。三陰、陽明之別。鍼七分、灸五壮。
 府舎二穴は、腹結の下三寸にある。足の太陰、厥陰、陰維の交会穴。ここから三脈は上下の三つに分かれて腹に入り、肝脾に絡まり、心肺に結び、脇から上がって肩に至る。これは太陰の穴であり、三陰と陽明の絡脈である。鍼は七分、灸は五壮。


 衝門二穴、一名慈宮。上去大横五寸。府舎下、横骨両端、約中動脈。鍼七分、灸五壮。

 衝門二穴は、慈宮ともいう。上の大横を五寸はなれる。府舎の下で恥骨の両端、ほとんど動脈の中である。鍼は七分、灸は五壮。


 以上十四穴、去腹中行、各当為四寸半。
 以上の十四穴は、腹部中央を四寸半離れて行く。


●側脇、左右十二穴

 章門二穴、一名長平、一名脅。脾之募。在大横外、直臍。季肋端。側臥、屈上足、伸下足、挙臂取之。鍼六分、灸百壮。
 章門二穴は、長平とか脅とも呼ぶ。脾の募穴。大横の外で、臍と水平。第十一肋骨の端。横向きに寝て、上の足を曲げ、下の足を伸ばし、腕を挙げて取穴する。鍼は六分、灸は百壮。
 
*これは穴名だから脅としたが、あとの本文では脇の字に改める。


 
明云、日七壮、止五百。忌同(難疏、蔵会、季肋、章門也。蔵病、治此。是脇骨下、短肋。在臍上二寸、両旁九寸)。
 『明堂経は、一日に七壮から五百壮までという。避ける食物は同じ(『難経疏では臓会、季肋、章門なり。臓の病は、ここで治す。これは脇骨の下で、短い肋骨の端。臍の上二寸で、両側九寸)。


 
京門二穴、一名気、一名気府、腎之募。在監骨腰中、季肋本。侠脊。灸三壮。鍼三分、留七呼。
 京門二穴は、気とか気府とも呼ぶ。腎の募穴。第十二肋骨端で腰中、肋骨の先。脊を挟む。灸は三壮。鍼は三分刺入して七呼留める。


 
帯脈二穴、在季脇下寸八分陥中。鍼六分、灸五壮。 明下云、七壮(如帯身、管束諸経脈。 千云、在季肋端)。
 帯脈二穴は、第十一肋骨下一寸八分の陥中にある。鍼は六分、灸は五壮。 『明堂下巻は七壮という(帯が身体を巻くように、諸経脈を拘束する。 『千金は、季脇端という)。


 
五枢二穴、在帯脈下三寸。一云、在水道、旁寸半陥中。鍼一寸、灸五壮。 明下云、三壮。
 五枢二穴は、帯脈の下三寸。一説には、水道の傍ら一寸半の陥中にあるという。鍼は一寸、灸は五壮。 『明堂下巻は三壮という。


 維道二穴、在章門下五寸三分。鍼八分、灸三壮。
 維道二穴は、章門の下五寸三分にある。鍼は八分、灸は三壮。


 
二穴、在章門下八寸三分、監骨上陥中。灸三壮、鍼八分。
 居二穴は、章門下の八寸三分で、腸骨上の陥中にある。灸は三壮、鍼は八分。
 
*監骨は第十二肋骨先端だが、一説には腸骨とある。


 
脇堂二穴、在腋下二骨間陥中。挙腋取之。灸五壮。
 脇堂二穴は、腋下で二つの骨の間にある陥中。腋を挙げて取穴する。灸は五壮。


 
明堂下経、有脇堂穴。主胸脇気満、噫、、喘逆、目黄、遠視。而銅人無之。故附入於此。
 『明堂下巻には脇堂穴があり、胸脇が膨らんだ感じ、ゲップ、シャックリ、喘いでゼイゼイいう、目が黄色くなる(黄疸)、遠くのものがぼやけて見えるものを主治する。そして『銅人には、この穴が無い。それで、ここに加える。


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