鍼灸資生経巻七 bR    2001年6月23日更新


鍼灸資生経巻七13

発背(背中のデキモノ)
 頻刺風門、洩諸陽熱気、背永不発癰疽。灸発背法、或不見瘡頭、以湿紙傅、先乾者、是以大蒜去皮、生切銭子、先安一蒜銭在上、次艾灸三灸、換蒜復三壮、如此易無数。痛灸至不痛、不痛灸至痛、方佳。若第一日、急灸減九分、二日灸減八分、至第七日、尚可自此以往灸已。後時灸訖、以石上生者、龍鱗薜茘、洗研取汁、湯温呷、即瀉出悪物、去根。凡丁瘡頭瘡、魚臍等、瘡一切無名者、悉治。

 たびたび風門へ刺鍼し、諸陽の熱気を出していれば、永く背中にデキモノができない。灸発背法、オデキの頭が見えなければ、湿った紙で覆い、先に乾いたところが頭である。それに皮を剥いだニンニクを、コインの厚さに切って、まず一つのニンニクスライスをオデキに乗せる。次に三壮すえたら、ニンニクを換えて再び三壮、このように三壮ごとに何回も換える。痛いオデキは痛まなくなるまで、痛くないオデキは痛くなるまで施灸すると効果がある。一日目には灸を九分に減らし、二日目には灸を八分に減らし、七日目は八分以内で灸を終える。灸を終えたあと、石の上に生えた龍鱗薜茘を洗って擦って汁を取り、熱湯で温めて飲めば、悪物は瀉されて出、芯が取れる。丁瘡、頭瘡、魚の心臓のような感染オデキなど、無名のオデキなど、ことごとく治す。


 
凡発腫至堅、有根者、名曰石癰。治法当上灸之百壮、石子当碎出。如不出益壮乃佳。論曰、凡発背、皆因服五石、寒食、更生散所致。亦有単服鐘乳、而発者。又有生平不服、而自発背者、其候率多於背両脾間、起初如粟米大、或痛、或癢、仍作赤色。人皆初、不以為事、日漸長大、不過十日、遂至於死。臨困之時、以闊三寸、高一寸、瘡有数十孔、以手按之、諸孔中、皆膿出、尋時失音。所以養生者、小覚背上癢痛有異、即火急取浄土水、和為泥、捻作餅子、厚二分、闊一寸半、以粗艾、大作、灸泥上、帖著瘡上、灸之一、一易餅子。若粟米大時、可灸七餅子、即差。如楡莢大、灸七七餅、即差。如銭大、可日夜灸、不限数、仍服五香連翹湯、及鐡漿、諸薬攻之、乃愈。
 腫れて堅くなり、芯のあるものを石癰という。その上に灸を百壮すえれば、石子が砕けて出る。もし出なければ壮数を増やすとよい。論は、背中のオデキは五石を食べたり、寒食したことが変化して散り、生じたものであるという。また鐘乳石だけを飲んでも発生する。また日頃は飲まないのに、自然に発背となるものもある。その様子は、背の両脾の間が多く、最初は粟粒ぐらいで、痛かったり痒かったりし、赤くなる。人は皆、最初は問題にしないが、日が経つうちに大きくなり、十日を過ぎないうちに死んでしまう。怠いときは幅三寸、高さ一寸となり、瘡には数十個の穴が穿いていて、手で押すと、その穴から膿が出、続いて声を失う。だから養生するものは、背中に痒みや痛みなど異常な感じが少しでもあれば、火急にきれいな水と土を取り、一緒にし泥とし、それを練って厚さ二分、幅一寸半の餅を作って、粗末なモグサで、大きな円錐を作って泥餅の上に施灸し、ぴったりと瘡の上に付着させる。一壮すえるごとに泥餅を交換する。粟粒大なら餅七つで治る。ノニレの実ぐらいならば七×七=49餅で治る。コイン大ならば、餅の数を定めないで日夜すえ、五香連翹湯と鐡漿を飲ませる。諸薬で攻めれば治る。
(五石は不明。あとで鐘乳石があるので五種類の石か?陽起石とか朱砂とか、雄黄のような鉱物性の薬物?粗の元字は)

 
凡腫、起背胛中、頭白如黍粟、四辺相連腫。赤黒、令人悶乱、即名発背。禁房室、酒肉蒜麺。若不灸治、即入内殺人。若灸当瘡上、七八百壮。有人不識多作、雑腫治者、皆死。
 腫れものが背や肩甲部にでき、キビや粟のような中心部が白く、四方が繋がって腫れている。赤や黒で、人を悶乱させるものを発背という。セックス、酒や肉、ニンニクや麺類を禁じる。もし灸で治らないと、体内に入って人を殺す。瘡の上に七〜八百壮すえる。多くすえることを知らない人が、いい加減な治療をすると、みな死ぬ。


 
郭戸為予言、郷里有、善治発背癰疽者、皆於瘡上灸之、多至二三百壮、無有不愈。但艾小作之、小則人不畏灸、灸多則作効矣。蓋得此法也。然亦不必泥。此近有一医、以治外科得名、有人発背、瘡大如椀、有数孔、医亦無薬可治止。以艾、偏敷在瘡上、灸之。久而方疼、則以瘡上、皆死肉、故初不覚疼也。旋以薬調治之愈、蓋出於意表也。
 郭戸が私に言うには、郷里に発背癰疽を治すことが上手なものがあるが、すべて瘡に施灸する。多いときは二〜三百壮もすえる。治らぬもの無し。但し小さな灸にする。小さければ人も施灸を恐がらないが、灸は多くないと効果がない。この方法である。泥にこだわる必要はない。ここの近くに医者があり、外科で名を馳せている。ある人が発背となり、瘡は茶碗のように大きく、穴が幾つかあいている。医者も薬では治らないから薬は使わない。モグサを瘡の上に敷いて施灸する。長らくすえていると痛くなる。それは瘡の上が死肉で覆われているので、最初は痛みを感じないのである。そのあとは薬で調治すると治る。この方法は意表を突いている。


 
、疽発於背、張生以艾火、加瘡上、自旦及暮。凡一百五十壮、知痛乃已。明日鑷去黒痂、膿血盡潰、膚理皆紅。亦復痛始。別以薬附之、日一易焉。易時、旋剪去黒爛悪肉、月許、瘡乃平。是歳秋夏間、京師士大夫病疽者七人、余独生此。雖司命事然固有料理、不知其方、遂至不幸者。
 王が背中に疽ができ、張生が瘡に朝から夕方まで施灸した。百五十壮すえると痛くなったので終わる。翌日は毛抜きで黒いカサブタを剥ぎ、膿血を出し尽くすと皮膚が赤くなって、再び痛くなる。そこで薬を貼り着けるが、毎日一回貼り換える。貼り換えるときに黒く爛れた悪肉を挟みで切り取る。一月あまりで瘡が平らになる。この年の秋夏の間、都の士大夫が七人ほど疽になったが、それを私だけが知らなかった。司令は昔からの処置をしたが、その方法を知らなかったので、ついに死者が出た。


 
陽輔治腋腫、疽、馬刀。犢鼻治膝癰腫。竅陰主営疽、発、項痛引頭、目痛。凡疽卒著、五指筋急、不得屈伸者、灸踝骨中央、数十壮或至百壮。附骨疽、灸間使後一寸、随年壮、立差。天突療肺癰、唾膿血、気壅不通。亶中療肺癰、嗽、上気、唾膿、不下食、胸中気満如塞。少海治瘍腫、振寒。太衝、臨泣治馬刀、瘍瘻。単方歌云、悪患、是石癰、不鍼、可薬。取当上、灸百壮、石子出如雨。
 陽輔は腋の腫れ、疽、リンパ結核を治す。犢鼻は膝や膝蓋骨のカルブンケルを治す。竅陰は附骨疽、悪性のオデキで、後頚部が痛くて頭に及び、目が痛いものを主治する。急に疽となって五指が引きつり、曲げ伸ばしできないものは、クルブシの中央に数十壮から百壮ほど灸をすえる。附骨疽は、間使の後ろ一寸に年齢だけ施灸すれば、すぐに癒える。天突は、肺膿瘍で唾に膿血が混じり、血気が塞がって通じないものを治療する。 中は、肺膿瘍、咳、上気、唾に膿が混じり、食べられず、胸中が満杯で塞がったようなものを治療する。少海はデキモノで、振寒するものを治す。太衝と臨泣は、リンパ結核、オデキに穿孔したものを治す。単方歌は、悪患、これは硬くて芯がある疔である。鍼はせずに薬を使う。その上に灸を百壮すれば、石子が雨のように出る。
(営疽は兎噛とか、附骨疽とも呼ばれる。発熱を伴う感染性のオデキ、は癘のことで悪性のオデキ)


 
余嘗為、劉和叔序。灸癰疽方云、必以毒薬、攻於内、伐其根也。又以火艾、灼于外、宣其毒也。法盡於此矣。癰疽、始灼艾、服大黄等薬、無不愈者。
 私は劉和叔の序を試した。灸癰疽方は、毒薬で体内を攻めて、オデキの根を断つ。また艾の火で体表を焼き、その毒を掃かす。この方法に尽きる。癰疽は最初に灸で焼き、大黄などの薬を飲ませれば、治らぬものはない。


 
王子高、病背疽、京師、外医以為不可治。得一徐人、教以灼艾、如棗大、近千壮。魯直数患背瘡、亦灼艾、而愈。灸為第一法也。
 王子高は背にオデキができ、都の外科医では治せないと思う。徐という人を得て、ナツメぐらいのモグサで千壮ほど施灸することを教わった。魯直も背中に幾つも瘡ができ、やはり施灸して癒えた。灸は第一の方法である。
(これは感染性の蜂巣炎のようだ)


鍼灸資生経巻七14


 天府、臑会、気舎主瘤、気、咽腫。通天主、灸五十壮、胸堂羊矢灸百壮。脳戸、通天、消、天突主頚有大気。臑会治項、気瘤。明下云,療及臂気腫。気舎治瘤。浮白療、肩不挙。肺兪療気。、上気、短気、灸肺兪百壮。、上気、胸満、雲門五十壮。、悪気、天府五十壮。、労気、衝陽、随年壮。、灸天瞿三百、横三闊寸、灸之。気、面腫、通天五十壮。、灸中封、随年壮。

 天府と臑会、気舎は、腫瘍や甲状腺腫、咽の腫れを主治する。通天は甲状腺腫を主治する。灸五十壮。奇穴の胸堂へ羊矢灸を百壮。脳戸、通天、消、天突は頚の大きな甲状腺腫を主治する。臑会は後頚部の甲状腺腫、そして気瘤という腫瘍を治す。明下は甲状腺腫および上肢が細くなって身体が浮腫となるものを治療する。気舎は腫瘍や甲状腺腫を治す。浮白は甲状腺腫、肩が挙がらないものを治療する。肺兪は甲状腺腫を治療する。甲状腺腫、上気、短気には、肺兪に灸百壮。甲状腺腫、上気、胸満には雲門へ五十壮。甲状腺腫、気血の停滞による血や痰濁には、天府へ五十壮。甲状腺腫と虚労には、衝陽へ歳の数すえる。甲状腺腫には奇穴の天瞿へ灸する。二つは三寸離れているから、そこへ施灸する。甲状腺腫、顔の腫れには、通天へ五十壮。甲状腺腫には中封へ歳の数だけ施灸する。
(羊矢灸は判りません。羊を射る矢尻ぐらいのモグサと思いますが判りません。請指教)


 
、灸肩、左右相対、宛宛処。男左十八壮、右十七壮。女右十八壮、左十七壮。或再三取、差上。又風池百壮、又両耳後、髪際百壮。又頭衝、灸之、各随年壮。、悪気、大椎横三闊寸、灸之。風池、耳上髪際、大椎、各百壮。大椎両辺、各寸半、小垂下、各三十。又臂臑、随年壮。凡五処、共九穴。又垂両手、両腋上、文頭各三百壮。鍼亦良。
 
いろいろな甲状腺腫に肩の灸。左右対称の凹みのところ。男は左十八壮、右十七壮。女は右十八壮、左十七壮。再三取ると癒える。また風池へ百壮、また両耳の後ろで髪際へ百壮。また臂臑へ歳の数だけ施灸する。甲状腺腫、悪気に、大椎の両側1.5寸に施灸す る。風池、耳の上髪際、大椎へ各百壮。大椎の両側1.5寸へ、少し頭を垂れて三十壮ずつ 。また臂臑へ歳の数だけ施灸する。だいたい五ケ所、全部で九穴。また両手を垂らし、両腋の腋窩横紋後端へも各三百壮。鍼も良い。(頭衝は臂臑の別名。 腕を伸ばして、鼻の着くところが頭衝という)


 
大智禅師云、皮膚頭面、生瘤。大如拳、小如粟。或軟、或硬、不痛、不可輙鍼灸。天南星、滴少醋、研膏。先将小鍼刺病処、令気透、以薬膏攤在紙上貼。三五易、差此。亦一説也。故併存之。
 大智禅師は、皮膚や頭面に腫瘍ができたとする。大きければ拳大、小さいものは粟粒大。軟らかかったり硬かったりし、痛みがないが、そのつど鍼灸はしない。天南星に酢を少し垂らし、粉にして膏薬にする。まず病巣を小さな鍼で刺して気を通じさせ、薬膏を紙の上に広げて貼りつける。三〜五回ほど貼り替えると癒えるという。これも一説なので併用する。


 
治脳瘻、諸節諸癰腫、牢堅。治之方、削附子、令如棊子厚、正着腫上、以少唾湿附子、艾灸附子令熱徹、附子欲乾、輙更唾湿之。常令附子熱徹、附子欲乾、輙更。気入中、無不癒。此法絶妙、不伝。凡肉瘤勿治。治則殺人。
 脳瘻や色々なオデキや様々なデキモノで硬いものを治療する。治療方法は、附子を碁石ほどの厚さに削り、腫れものの上に着け、少し唾をつけて附子を湿らせて、モグサで附子を熱する。附子が乾きかけたら、そのつど唾で湿らせる。常に附子を熱くさせ、乾きかけたら、そのつど取り替える。その気が中へ入れば治らぬものは無し。この方法は絶妙だが伝えず。肉瘤のたぐいは治すことなかれ。治せば人を殺すことになる。
(脳瘻が何か は判りませんでした。節はのことでしょう)


鍼灸資生経巻七15

瘰癧
 大迎、五里、臂臑主寒熱、頚瘰癧。大迎治寒熱、頚痛、瘰癧。缺盆治寒熱、瘰癧。缺盆中腫、外潰、則生胸中熱満、腹大水気、缺盆中痛、汗出。五里治寒熱、瘰癧、嗽。臂 臑治寒熱、頚項急、瘰癧、肩臂痛不得挙。少海療腋下瘰癧、臂疼屈伸不得、風痺疼、病。天療瘰癧、寒熱、頚有積気、暴聾、肩痛。

 大迎、五里、臂臑は、寒熱、頚のリンパ結核を主治する。大迎は寒熱、頚の痛み、リンパ結核を治す。缺盆は寒熱、リンパ結核を治す、缺盆中が腫れ、外側が潰れれば、胸中が熱満し、腹水が溜って大きくなり、缺盆中が痛くなって汗が出る。五里は寒熱、リンパ結核、咳を治す。臂臑は寒熱、頚や後頚部の引きつり、リンパ結核、肩や腕が痛くて挙がらないものを治す。少海は腋下のリンパ結核、腕がいたくて曲げ伸ばしできない、風痺で痛む、夏まけを治療する。天はリンパ結核、寒熱、頚に痰気が積もったもの、突発性難聴、肩の痛みを治療する。
(は、窓という意味)


 
灸一切瘰癧、在項上及触処、但有肉結凝、似作瘻及癰節者、以独頭蒜、截両頭留心、大作艾 如蒜大小、帖癧子上、灸之。勿令上破肉、但取熱而已。七壮一易蒜、日日灸之、取消止一切瘰癧、灸両胯裏、患癧処宛宛中、日一壮止、神験。又五里、大迎各三十壮、又患人、背両辺腋下後文上 随年壮。又耳後髪際直脈、七壮。
 すべてのリンパ結核には施灸する。後頚部の上および触れるところである。ただし肉が凝結し、穿孔したり瘤となったものである。まずニンニクをバラバラにし、1カケを取って、両端を落として芯は残す。この輪切りにしたニンニクを瘰癧に貼りつけて、ニンニクと同じ底面のモグサ円錐を作って乗せ、施灸する。肉を破ってはならず、熱を取るだけである。七壮ごとにニンニクを替え、毎日施灸し、すべてのリンパ結核が消えたら終える。両股の内側ならば、瘰癧の凹みに1日一壮すえて止める。神のような効果がある。また五里と大迎へ三十壮ずつ、また患者の背中の両辺で、腋下の腋窩横紋後端の上にも歳の数だけ施灸する。また耳の後ろで髪際の直脈に七壮すえる。



 
有同舎、項上患癧、人教用忍冬草、研細、酒与水煎服、以滓傳而愈。次年復生、用前薬不効、以艾灸之、而除根。有小児、耳後生癧、用薬傳、不効。亦灸之、而愈云。
 親戚の後頚部にリンパ結核ができ、人がスイカズラを粉にして酒と水で煎じで飲めと教え、煎じカスと一緒に飲んで治った。翌年も再発したので、前の薬を飲んだが効果なく、施灸して根を取り去った。小児の耳の後ろにリンパ結核ができ、薬を教えたが効かない。また施灸して治ったという。


 
瘰癧、初生如梅季。切忌、以毒薬點蝕、及鍼刀鎌、割労癧、為甚、既経蝕取之、後無有不死者。蓋外医、既少慈悲、又利於積日、特宜戒之。癧瘍著頚、及胸前、灸乳間。腋下瘰癧漏、臂疼屈伸不得、風痺、漏、鍼少海三分。鍼瘰癧、先 鍼、皮上三十六息、推鍼入内之、追核大小、勿出核三上三下、乃出鍼。頚漏、天池百壮、又心鳩尾下、宛宛中、七十、又章門、臨泣、支溝、陽輔、又肩井随年、又以艾、繞四畔周匝。諸悪漏、中冷、息肉出、灸足内踝上、各三壮。
 リンパ結核は、最初は盛りを迎えた梅のようだ。毒薬を貼って溶かしたり、鍼や刃物、鎌などで切り取るなど、激しいことはしてはならない。そうして取り去っても、のちには必ず死んでしまう。外科医は、慈悲が少なく、毎日利益を積んでいても、このことは特に自戒するがいい。リンパ結核が頚や胸の前にできたら、乳の間に施灸する。腋下のリンパ結核が破れて排膿する、腕が痛くて屈伸できない、風痺、排膿して痒いときには、少海へ鍼を三分入れて七呼吸留め、五呼吸瀉す。リンパ結核の鍼では、まず鍼を置き、皮膚の上で三十六息したのち、鍼を皮内へ入れて大小の核を追う。上下に動かすことなかれ。そして抜鍼する。頚から排膿していれば天池に百壮、また心窩部の下、ミゾオチの凹みに七十壮、又章門、臨泣、支溝、陽輔。また肩井に歳の数だけ施灸する。またモグサをリンパ結核の四方周囲に巡らせる。七壮で止める。さまざまな悪性で膿が出るもの、中寒、甲状腺腫腫は、足の内踝の上へ三壮ずつ施灸する。


鍼灸資生経巻七16

風疹
 
曲沢治風疹、臂肘腕,善動揺。肩治熱風疹。曲池治刺、風疹。湧泉、環跳治風疹。下崑崙療刺、風疹、疼痛、風冷痺。曲池療刺風疹、疼痛。伏兎療疹。合谷、曲池療大小人、身風疹。
 局地はジンマシン、腕肘手がよく動揺するものを治す。肩は熱ジンマシンを治す。 湧泉と環跳はジンマシンを治す。下崑崙を刺して、ジンマシンや疼痛、風痺や冷痺を治療する。曲池を刺して、ジンマシンや疼痛を治療する。伏兎はジンマシンを治療する。合谷や曲池は、大人や小人で前進にジンマシンが出たものを治療する。


 
千金方云、人有風疹、多必眼暗、先攻其風、其暗自差。然則人之目暗、亦有因風疹多、而得者、風疹可不先治乎。
 千金方は、人にジンマシンがあれば、多くは必ず眼が見えない。まず風を攻めれば、隠れたそれは自然に癒える。このように人の目が見えないものは、やはりジンマシンによるものが多く、そうなったらジンマシンを先に治療すればよいではないか。


 
千金翼、灸風熱、赤疹、癢掻之、遂手作瘡法。以一條艾蒿長者、以両手極意尋之、著壁立両手、併蒿竿拓着壁伸十指、当中指頭、以大艾、灸蒿草上、令蒿竿断、即止灸十。十差。差後重発、更依法灸、永差。疹、曲池、灸随年壮、頭痛、疹、天窓七壮。
 千金翼は、風熱により赤い疹ができ、痒くて掻くものに、遂手作瘡法があるという。一本のカワラヨモギを使う。物を探るように両手を広げ、壁に立って両手を壁にくっつける。そして壁へ伸ばした十指にカワラヨモギの茎を置き、その中指の先に、大きなモグサでカワラヨモギに施灸し、カワラヨモギの茎を切断したら終える。こうして十ほど施灸し、十ほど癒える。癒えたあと再発したら、さらにこの方法で施灸すれば、永いこと癒えている。ジンマシンには曲池へ歳の数だけ施灸する。頭痛やジンマシンには天窓へ七壮。


鍼灸資生経巻七17

歴節風(白虎風)
 飛揚、涌泉、頷厭、後頂主歴節、汗出。飛揚治歴節風、足指不得屈伸、頭目眩、逆気。

 飛陽、湧泉、頷厭、後頂は、関節炎で汗の出るものを主治する。飛陽は関節炎で、足趾が屈伸できず、頭がクラクラして、逆気するものを治す。


 
麝香丸、尤治白虎歴節、諸風疼痛、遊走無定、状如蟲行、盡静夜劇。許叔微、在歙川、有一貴家、婦人遍身走。疼痛、至夜、則発如蟲噛、其肌多作鬼邪。治予曰、此正、歴節病也。三服癒。
 麝香丸は、もっとも関節炎を治す。諸風による痛みで、痛む場所が走り回って一定せず、虫が這うようである。深夜になると激しく痛む。話は突然変わるが、許叔微が歙川に住んでいて、ある貴人の家の奥さんが、身体中に灸をすえている。夜になると、虫が噛むような痛みが始まり、その肌は、おかしな邪が悪さしている。それを私は治すに当たり「これは、まさしく歴節病だ」と言った。三服飲んで癒えた。


 
挙体痛痒、如蟲噛。掻之、皮便脱作瘡、灸曲池。
 身体を挙げると虫が噛むように痛痒い。それを掻くと皮が剥けて瘡になる。曲池へ灸。


 
良方服治癩、薬半月。両膝眼、灸二七壮。丞相長安公、医人無数。
 良方を飲んでデキモノを治す。薬を半月。両膝眼へ灸を二十七壮。宰相の長安公は、無数の人を治した。


 
麻風悪疾、千金諸方薬、甚多。或効、或不効。惟兼絲葉細末、地暴。米糊、圓梧子大、日二三服、毎服四五十丸。茶湯下調薬末服、効尤速止。難服、爾病去、後亦宜服、施与人、神効。若更灸曲池、合谷、三里、絶骨等穴、尤佳。予与人、按此等穴、皆疼故也。
 ハンセン氏病や悪疾に対し、千金方の処方は非常に多い。効いたり効かなかったりする。ただ兼絲葉を粉にして地面で日干しする。また米の糊でアオギリの実ほどの大きさに丸めて2〜3服飲む。1服40〜50丸を飲む。さらに茶の湯で薬の粉を調えて飲む。効果が最も速く止まる。飲みにくくなければ病気は去らない。後で再び飲む。次々と人に与えて、神のような効果があった。そのうえ曲池、合谷、足三里、絶骨などに施灸すれば、さらによい。私は人で、これらの穴を圧したところ、皆が痛怠かったからだ。


鍼灸資生経巻七18

丁瘡
 丁腫、灸掌後、横文後五指、男左、女右、七壮、即差已、用得効。丁腫灸法、雖多然。此法甚験出於意表。

 疔瘡は、手のひらの後ろ、腕関節横紋の後ろ五横指に、男は左、女は右に七壮施灸すれば癒える。この方法は効果がある。疔瘡の灸法は多くとも、この方法の効果には意表を突かれる。


 
丁瘡灸法、千金以為神験、亦有先以鍼刺、魚臍瘡上四畔作孔、擣白苣汁、滴瘡孔者、有刺瘡頭及四畔、令汁出、擣生栗黄傳。従旦至午、根抜出者。有用蒼耳根茎苗、但取一色、焼灰醋淀和如泥、塗乾即易之、不過十度、抜根出者。有用皀莢子、取仁、作末傳、五日内差者。有用水獺屎傳、大良者。可考而知也。有道人、傳瓦盤覆、安濃米、 小盞、以火逼之。蟲熱喫、及困死、取脳中白肉、新瓦上膜、乾為末、熱酒調二銭服、仍以少傳瘡、即愈。胡簽母、患此、疼如鉄丁、丁然依此治之効。
 疔瘡の灸法は、千金では神のような効果があるとする。まず鍼で魚の心臓のようなオデキの上と周りを刺して穴を穿け、白苣を叩いた汁を瘡の穴へ垂らす。瘡の頭と周囲を刺して汁を出し、生クリの黄色な中身を潰して塗る。朝から昼までに根が抜ける。蒼耳の根茎の苗を使うが、一色のものを取る。それを焼いて灰にし、酢と米のとぎ汁で泥のようにし、塗って乾けば交換する。こうして十回替えないうちに根が抜ける。皀莢子の種を取り、粉末にして塗れば、五日以内に癒える。水獺の糞を塗って良くなるもの。考えて判る。また道士は、瓦の上にコガネムシを敷き、小さな盃一杯の米のとぎ汁を被せて火で焙る。虫は熱いとぎ汁を飲み、眠くなって死ぬ。その脳中にある白肉を取り、新しい瓦の上で膜にし、乾いたら粉にする。熱い酒で二銭を飲み、少量を瘡に塗れば癒える。胡簽の母が、これを患い、疔のように痛かったが、疔は、やはりこの治療で効果があった。


 
小海治瘍腫、振寒。太衝、臨泣治馬刀瘍瘻。
 少海はデキモノで振寒するものを治す。太衝と臨泣は、腋のリンパ結核、瘍や瘻を治す。

 
一切窩瘡、灸足大指奇間二七壮、灸大指頭、亦佳。予年少、生一瘡、在足内外踝之中、深而疼。陰証瘡也。偶閲古陰陽書、有用青桑漿、治袴口瘡者、用之、即愈。後在武林、内踝上、生一瘡、踰月、又生一瘡。令僕、往江下、取得少黄桑漿、僅可一抹、翌朝愈矣。自是常教人、用皆効。舎姪、腿生瘡、不可行、舎弟取桑根、搗成膏、傳亦愈。
 すべてのデキモノは、第1趾の奇間へ27壮施灸する。親指の先へ施灸しても良い。私は子供の頃、オデキが足の内踝と外踝の中にでき、深くて痛い。陰証の瘡である。たまたま古い陰陽書を見ると、青桑の液を使って下肢のデキモノを治したとある。それですぐ治った。のちに武林で、内踝の上にデキモノができ、1ケ月後にもできた。使用人に江下へ行かせ、少量の黄桑汁を取らせ、わずか一抹で、翌朝には癒えた。それからはいつも人に教え、みな効果があった。私の姪が腿に瘡ができて歩けない。私の弟が桑の根を潰して膏にし、塗ったらやはり癒えた。


 
挙体痛痒、如蟲齧痒、而掻之、皮便脱落、作瘡、灸曲池二穴、随年壮、発即灸之、神験。凡丁瘡、頭瘡、魚臍等、瘡一切無名者、皆治。凡瘡毒、久不合、灸合谷、各七壮至七七壮、極験。小児疳湿瘡、灸第十五椎、侠脊両傍七壮、未差加七壮。丁腫在左、灸左臂曲肘文前、取病人三指外、於臂上処中、灸之。両筋間、従下痛至痛、腫在右、従右灸、不過三日即差矣。
 身体を挙げると痛痒い。虫が咬んだように痒く、掻くと皮が落ちてデキモノとなる。両曲池へ歳の数だけ施灸する。デキモノには、即施灸すると神のような効果がある。疔瘡、頭瘡、魚臍瘡など、デキモノなら全て、無名のものでも治る。瘡毒で永いこと癒合しないものは、合谷へ七壮から77壮ほど施灸すると、極めて効果がある。小児の疳湿瘡には、第十五椎で、背骨を挟んだ両側に七壮施灸する。まだ癒えなければ七壮加える。疔瘡が左にあれば、左腕の肘を曲げた肘窩横紋の前端、そこから患者の三横指外で、前腕の上の凹みへ施灸する。両筋の間、下の痛む所から痛む所まで、腫れが右にあれば右から施灸する。三日以内に癒える。


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