鍼灸学生の疑問に答える鍼灸学釈難2009年、2月 ついに待望の増刷が出ました!
鍼灸学釈難
著者 李鼎
翻訳 浅野周
発行所 (有)源草社
定価 4000円A5判 247頁 (ISBN4-906668-06-2 C3047)
源草社で、直接お求めください(TEL03-5215-1639)。書店では入手できません。 出版社で入手出来なければ、訳者の私が売ります!
cover ←ここでも高い料金で買えます。
紀伊国屋では買えません。 

推薦文 「本書は、たにぐち書店『全訳経絡学』の副読本。セットで買ってね」
※1985年ごろに中国で発売され、その十年後の1996年頃に再発行され、さらに十年後の2006年頃にも再増版された鍼灸界のベストセラー書! 最後の三版にはのことも前書きに載っている。 たぶん本文でなく、前書きに載ったヌッポン人は、が初めてではないかと思う。みんなリッパな仕事で内容を書かれているから。
 中国では中医薬大学の鍼灸系教科書の副読本として広く読まれています。鍼灸学生の疑問に答える本として。
 「どうして経絡は太陰肺経から始まるのか? なぜ陽明胃経は陽部の背中を通らないのか? 三焦とは、どんな臓器なのか? また厥陰肝経は最後に中焦へ戻るのか?」など、鍼灸を学んで抱いた数々の疑問、それが本書で次々と解明されています。
 私が本書と出会ったのは1986年頃。そのころ鍼灸学校生だった私は、鍼灸を勉強してゆくうちに、さまざまな疑問を抱きましたが、学校で質問しても応じて貰えませんでした。それならば本場の中国へ行けば教えて貰えるだろうと思って北京中医へ留学しましたが、やはり疑問に答えてくれる先生はいませんでした。その中国で様々な書に出会い、私の疑問に答えてくれたのが『鍼灸大成』と本書でした。
 自分の勉強のため1989年頃、中国で訳していた本書を、日本の鍼灸学校の学生にも理解しやすいよう、原作者の許可を得て私が解説を加えました。本書の内容は、経絡や絡脈、経別や経筋などを理解していなければやや難しいので(経絡流注や経別の話がしょっちゅう登場する)、経絡や経筋、交会穴を見ながら理解できるようにと考えた私は、『鍼灸学釈難』を、たにぐち書店の『全訳経絡学』との同時出版を目論みましたが、この本をを出版した8カ月後に『全訳経絡学』が出ました。当時、本書の評価は、いい本だという評価と、内容がよく判らないという評価の、まっぷたつに分かれていました。まだ『全訳経絡学』が出ていなかったので、よく内容が理解できなかったのも当然です。当時の鍼灸学校では、経絡や絡脈、経別や経筋などの内容を教えなかったからです。何が疑問なのかも判らない状態でした。
 本書は、『最新鍼灸治療165病』や『急病鍼灸治療学』、『美容と健康の鍼灸』などと違って、具体的な治療法が書いてあるわけではありません。経絡がどのようにできてきたのか?とか、経穴はどうやって命名されたのか?などという素朴な疑問に回答している書です。しかし読みこなすには、経絡とか経別が詳しく書かれている書(例えばたにぐち書店の『全訳経絡学』)を参照しなくてはなりません。
 「恐らく本書は、東洋医学史に残る名著になる」と思っていましたが、やはり20年以上を経てみると、当時のの見込みは、正しかったのです。このような本を出版できたのは、信じられないほどの幸運です。あとあと『鍼灸学釈難』の訳者として記録に残るから。そもそも10年ごとに出版される本など、中国では非常に数少ないのです。
 本書の欠点といえば、まあ私の訳が悪いかな?これが50%の人しか理解できないとしたら、全て私の責任です。でもアインシュタインの相対性理論じゃあないてーの。
 まあね、下手が訳さねば上手は出て来ない。前座が出なければ真打は出て来ない。カラオケも、下手がやらねばトリは出ない。「こんな中国語の下手な奴が、こんな名著を訳すのでは、自分がやった方がまし」と、トリや真打を誘い出すためにやっているんですよ。そのうち若い人は、「昔、浅野というアホな人がいて、下手な翻訳をしていたな」と、思うことでしょう。まあ、私が少しぐらい中医分野を荒したって、千冊ぐらいは鍼灸書が中国にはあるから、文句は言われないでしょうが。
 なにせ、この本も1995年に、の二度目の翻訳を持って著者に会い、出版社を探して出版にこぎつけたのは、2000年にもなっていました。そのとき李鼎先生は「私の本を訳すのか? あの出版社は1985年に『鍼灸学釈難』を出版して、なにも私には言ってこない」とおっしゃってました。そのときに別のサイン本を貰ったのです。李鼎先生のサイン本、価値あるかなぁ?
 最初に本書と出遭ったのは1986年ぐらいのこと、少し読んで1989年に全部訳し、1993年ごろにふたたび訳し、1996年ごろに原稿をもらって増補分を訳しました。まさに執念ですな~。現在は『鍼灸学釈難』にあやかって、中国では『黄帝内経釈難』、『傷寒論釈難』も発行されています。『鍼灸学釈難』の図も、日本版でが加えた図をパクり、さらに図を増やしてあります。
 それと、出版にはどうしても打ち間違いがあります。重要な打ち間違いは、このページの下で訂正してあります。
 この目次の質問を、どなたか偉い人に尋ねてみてください。どんな答えが返ってくるでしょうか? 本書以外の回答も、当然あります。別の本には、別の回答が書かれていました。本書は、答えの一例です。 


【目次】
問1:十二経脈は、どのようにして命名され、どんな変遷をしてきたか?
問2:「脈」は、どのようにして「経」と「絡」の名称に分化したか?
問3:脈書の『十一脈』と霊枢の記載は、どこが違うのか?また区分の意味は何か?
問4:「十一脈」と「十二経脈」では、どの脈が異なるのか?
問5:「血気」と「気血」は、どう違うか?
問6:真気、元気、原気と原穴の関係はどうなっているのか?
問7:十二経脈の気血の多少は、なぜ記載により違うのか?またどれが正しいのか?
問8:「気を得る」とはどんなことか?刺鍼して、どのような「気」を得なければならないのか?
問9:「三才」に分ける刺鍼とは、どういうことか?また三才は『内経』『難経』の理論と、どうつながるのか?
問10:気血の多少と「出気」、「悪気」の意味をどう解釈すればよいか?
問11:肌肉、筋肉、肉の違いは何か?
問12:「五態の人」は刺鍼と、どういう関係があるか?
問13:臓腑の陰陽と経脈は、どのように対応しているか?
問14:三焦、大腸、小腸は本経に合穴があるのに、なぜ足にも下合穴を持つのか?
問15:「中気穴、則鍼遊於巷」とは、どんな意味か?
問16:「支節」や「三百六十五節」とは、関節のことなのか?
問17:どのように背兪穴は進歩してきたのか?鍼灸各家で、位置がどう違うのか?
問18:華佗夾脊穴の位置は、どのように定めるのか?背兪穴と、どう違うのか?
問19:チベット医学での「兪」「膜」と「脈」の特徴は何か?
問20:どのようにして募穴は定められたのか? その特徴は何か?
問21:胸腹部は、どんな線で経を分けているのか?また各書の記載は、どう違うのか?
問22:手少陰心経の無穴の経脈には、どんな特徴があるか?
問23:心系とは、どんなものか?
問24:なぜ耳と目は「宗脈の聚るところ」なのか?
問25:「目系」とは何か?そこにどんな経絡が通っているのか?
問26:、咽、喉、肺系、頏の部位と経絡の関係は?
問27:「標本」「根結」とは何か?また両者はどう違うのか?
問28:経絡の五輸穴は、なぜ四肢末端から始まっているのか? またその意味は?
問29:手の陰経と足の陽経は、五輸穴の脈気の流れと走向が矛盾しているのではないか? そこのところをどう解釈すればよいのか?
問30:標本理論は臨床取穴に、どのような意味があるのか?
問31:足陽明胃経は、どうして陽経なのに陰部である腹部を循行しているのか?
問32:手太陰肺経は、どうして中焦から起こるのか?
問33:督脈の命名意義は何か?なぜ「陽脈の海」なのか?
問34:任脈や督脈では、営気の運行方向はどうなっているのか?
問35:督脈の循行分布には、どのような特徴があるのか?
問36:陰陽脈の循行と、衛気の関係はどうなっているのか?
問37:胃と衝脈は、なぜ「五臓六腑の海」と呼ばれているのか?
問38:なぜ衝脈は「経絡の海」や「十二経の海」、「血海」などと呼ばれるのか?
問39:衝脈は「少陰経と一緒に行く」のか「陽明経と一緒に行く」のか?
問40:帯脈の循行と、各経脈の関係はどうなっているのか?
問41:陰維脈と陽維脈は、どうして「不能環流、潅漑諸経(還流して諸経を潅漑できない)」というのか?
問42:奇経八脈は、八脈交会穴を循行してもいないのに、なぜそこが交会穴なのか?
問43:『素問・刺腰痛』に記載された諸脈の臨床意義は何か?
問44:「是動病、所生病」とは何か?これについてどういう解釈があるのか?
問45:陰経は是主「臓」所生病なのに、なぜ陽経は主「腑」所生病でないのか?
問46:『脈書』では、なぜ手の三陽経を、歯脈,肩脈,耳脈と呼んでいるのか?
問47:手の三陽経は、なぜ主治が「津」,「液」,「気」の所生病なのか?
問48:足の三陽経は、なぜ主治が「血」,「筋」,「骨」の所生病なのか?
問49:十二経別とは何か?その働きと治療での意義は何か?
問50:十二経別と十二絡脈は、どう違うのか?
問51:『難経』と『霊枢』の十五絡脈に関する記載には、どのような違いがあるのか?
また、どう理解すべきなのか?
問52:足太陰脾経には「足太陰の絡」が記載されているのに、なぜまた「脾の大絡」があるのか?
問53:十二経筋とは、どんなものか?それは経脈と、どう違うのか?
問54:経筋の働きと疾患、および治療の特徴は何か?
問55:皮部とは何か?それと皮刺にはどのような関係があるのか?
問56:六経皮部の名前は、臨床辨証にどのような意義があるのか?
問57:「命門」という名前は、どうしてついたのか?その意味は何か?
問58:臍と水平な経穴には、どのようなものがあるか?その効能は?
問59:賁門,幽門,闌門,魄門の意味と、穴位の関係はどうなっているのか?
問60:なぜ『霊枢・本兪』には、手少陰経穴の記載がないのか?

   以下108問まで続くが、省略

● 本文内容見本  P30~33 
 問14:三焦、大腸、小腸は本経に合穴があるのに、なぜ足にも下合穴を持つのか?の一部分 

 答え・『霊枢・本輸』に各経の井,滎,輸,原,経,合の各穴について論述してある。まず五臓が手足に出る陰経について述べ、引き続き六腑が手足に出る陽経について記載し、最後に「六腑はみな足の三陽に出て、手は上合するものである」と結論付けている。なぜこう言っているのか? この結論をどう理解すべきか?

 これを理解するには臓腑や経絡の法則を理解する必要がある。臓腑と経絡の関係では、臓腑が横隔膜から上にあるものはほぼ手に経絡があり、横隔膜から下にあるものは足に経絡がある。肺,心,心包は手の三陰と連絡し、脾,腎,肝は足の三陰と連絡する。このように陰経の上下の区分は比較的はっきりしている。しかし腑は腹部にあるため『霊枢・九鍼論』は「六腑と肝、脾、腎の三臓は横隔膜の下、腹の中にあるので腹に応ずる」とし、上下に分けられない。六腑が腹部にあるために、すべてが足の三陽と対応する。そうすると胃,膀胱,胆は自経である足の三陽経にそれぞれ合穴を持てるが、大腸,小腸,三焦は足に経絡がないので、それぞれ関係する足の三陽経に下合穴を持つ必要がある。これを六府下兪とか六府下合と呼び、六腑はみな足の三陽に出るといっている。

 では六腑は手足の三陽にどのように出ているのか?

 まず胃である。足の陽明胃経の上に合穴の足三里がある。胃と直接つながっているのは小腸と大腸である。大腸は胃とのつながりから足の陽明胃経にある足三里の下に下合穴の上巨虚を持ち、小腸はその下に下巨虚を持つ。これは『霊枢・本輸』の「足三里の下三寸は巨虚上廉である。さらに三寸下がると巨虚下廉である。大腸は上廉、小腸は下廉に属し、みな足の陽明胃経と関係がある。大腸と小腸は胃の水穀を受け、消化伝導しながら精微なるものを吸収して精を生む。そのため胃に従うので下合穴も足の陽明胃経にある」との文から判る。つまり足の陽明胃経は、ただ単に胃と関係する経絡というだけではなく、さらに後につながる大腸や小腸とも関係がある。それは胃,小腸,大腸という縦関係では、胃がトップで後のものがその部下だからである。
 胃腸以外では、胆は自経の足の少陽胆経の上に合穴の陽陵泉を持つ。膀胱も自経の足の太陽膀胱経の上に合穴の委中を持つ。また三焦は水道なので委中の横に合穴の委陽を持つ。『霊枢・本輸』の「三焦の脈気で下に行くものは、足の太陽経の前、少陽経の後を行き、膝窩の外側の委陽に出る。委陽は太陽経脈の別絡の始めで三焦の下兪であり、手の少陽に属す」という文とそれに続く文で三焦、特に下焦と膀胱は深い関係があることが判る。足の太陽膀胱経は膀胱のほか、三焦水道とも関係がある。そのため「三焦は、中瀆の腑なり。水道の出るところは膀胱に属す」となっている。

 六腑の下合穴に臨床的根拠はあるのか?

 『霊枢・邪気臓腑病形』の「内腑の治療はどうするのか?」という問いに「合穴を使う」と答えている。また「合穴は内腑を治療する」とも言っている。この文は六腑の病は下合穴を使って治療するという意味である。胃病には足三里を使い、大腸病には上巨虚を使い、小腸病には下巨虚を使う。胆病には陽陵泉を使い、膀胱病には委中を使い、三焦病には委陽を使う。胃,胆,膀胱の合穴は全て自経上にあるので、その関係はいうまでもないが、大腸,小腸,三焦と下合穴の関係についてもすでに述べた。
 『霊枢・邪気臓腑病形』に「大腸病、腹が急に痛み、水の音がする。冬に再び寒さを受けると下痢をし、臍のところが痛み、長く立っていられない。大腸は胃につながっているので上巨虚を使って治療する」「小腸病、下腹が痛く、腰骨に睾丸が引っ張られるように痛む。大小便が切迫した感じがする。これは手の太陽の病だから下巨虚を使って治療する」「三焦病、腹が膨れる。特に下腹が激しい。小便が出なかったりひどい切迫感がある。水道が通らないので水が皮下にあふれて水腫となる。あるいは腹に溜って腹水となる。三焦病は足の太陽外側にある大絡の変化を観察する。大絡は太陽経と少陽経の間にあり、三焦の下兪を委陽とする。三焦が病むとき、ここの脈が必ず赤くなる。治療には委陽を使う」とあり、列挙してある腑病の治療には下合穴を使って治療している。臨床では腹痛、下痢、食あたりの下痢、虫垂炎には上巨虚を使い、腹痛、食あたりの下痢、腰骨が強く引っ張られるような感じには下巨虚を使い、下腹の腫れや小便の濁り、尿が出にくいなどでは委陽を使って効果がある。治療作用からすると下合穴と六腑は特殊な連絡関係がある。

 以上で説明したのは「六腑皆足の三陽に出る」の部分だが、もう一つの疑問、なぜ手に上合穴を持つのか?

 手で上合するとは、大腸は手の陽明に合穴があり、小腸は手の太陽に合穴があり、三焦は手の少陽に合穴を持つことである。これた大小腸と三焦は手の三陽で上合するといっている。五臓と手足の陰経の関係は、横隔膜から上の臓器は手と対応し、下の臓器は足に対応するので上合など関係ない。六腑はすべて横隔膜から下の腹部にあるが、すでに手足の三陽があるために六腑も上下の三陽に分けなければならない。消化グループは足三里,大腸,小腸、水液グループは膀胱と三焦、そして孤立した胆がある。各グループの代表者が足を占めるので、残りは手の三陽に甘んじなければならない。そこで本来の足の三陽経に出るだけでなく、手の三陽にも合穴を持つ。六腑と手足の三陽の関係では、足の三陽との関係の方が重要である。その根拠は六腑の下合穴の存在である。手の三陽との関係は副次的なものなので、手で上合すると言っている。手で上合することで足の三陽と手の三陽が対応し、経脈は連絡する。楊上善は「六腑のこと。足の陽明は手の陽明と上合し、足の太陽は手の太陽と上合し、足の少陽は手の少陽と上合する」と言っている。上合することで手足の三陽経の脈気が互いに通じ、手足が連絡する。また別の面からも手の三陽経と足の三陽経の違いを説明できる。『霊枢・邪気臓腑病形』に
「五輸は外経を治療し、合は内腑を治療する」黄帝曰く「内腑を治療するにはどうするか?」 歧伯曰く「合を使うなり」黄帝曰く「それぞれ合の名をなんというか?」 歧伯曰く「胃の合は足三里、大腸の合は上巨虚、小腸の合は下巨虚、三焦の合は委陽、膀胱の合は委中、胆の合は陽陵泉……経絡病を治療するには五輸を使います」とある。そうすると足の三陽経の下合穴を使って内腑病の内臓疾患を治療し、手の三陽経の五輸穴は外経病である運動疾患を治療する。だから手の三陽経の病候記載に腑病の記述が乏しいのである。これは臨床とも一致する。『霊枢・邪気臓腑病形』の滎輸とは四肢の五輸穴を表し、合は下合穴である。

  問19のチベット医学の経穴についてですが、この部分は原稿でなく中国で出版された『針灸学釈難』を翻訳しました。そこに使われていた固有名詞が違っていたのですが、それを仏教に疎い私は、気づかずにそのまま掲載してしまったのです。これはどう読むのだというご指摘で調べた結果、誤りだと知りました。42ページの『医方四読』、『薬師如来八支甘露心要秘密教授続』、『根本続』、『理論続』、『決要続』、『後補続』です。これらは仏教の経典であるらしいので、『医方四経』、『薬師如来八支甘露心要秘密教授経』、『根本経』、『理論経』、『決要経』、『後補経』でなければなりませんでした。仏教のことなので気が付かず、確認を怠っていました。お詫びを申し上げます。それから81ページの下から5行目、問・痿論』には「陽明、総宗筋之会。は、問・痿論』には「陰陽、総宗筋之会。の誤りでした。ひらに、ひらにお許しを。
※本文は出版社の了承を得て転載しています。

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