北京堂に松江税務署が来た! 税務署顛末記。

 北京堂の税被害
 これは性被害、セックスハラスメント、中国語で言う性危機ではない。これは北京堂セックスハラスメントならぬ、タックスハラスメント物語である。

 税務署が調査に来た。個人の鍼灸院に税務署が入るのというは驚かれるかもしれないが、地震で死んだ神戸の先生が「最近は鍼灸院に税務署が来るようになった」と驚いていたことがある。
 税務署は予約帳やら出納帳やら、カルテやらを持って帰った。
 「まあ、うちは患者さんから現金を受け取ったら、キチンとレジを打つようにしているのだから、つけ込まれるようなことはないだろう」とタカをくくっていた。
 だが、その予約帳と出納帳の現金が合ってないという。まぁ驚いた。でも、そんなことはあるかもしれない。一年のうちに3回ぐらい打ち間違いをやっている。そのことだろうと思っていた。ところが敵は、そんな生易しいものではないという。
 出納帳にはレシートが貼り着けてある。そして予約帳とレシートが合っていないので、その分だけ売上が落ちているという。嫁からは税金をごまかしたという話は聞いていない。むしろ私の方が、長銀とかリソナとか、税金は使い方にメチャクチャな面があるからごまかしたらどうだべ、と言うぐらい。
 税務署がおかしいと示した予約患者のコピーには、両替と打ってあった。
 うちのレジは、何かを打ち込まないと開かないようになっているのだが、回数券を受け取ったときは、現金扱いなので現金と一緒にレジへ入れている。以前は回数券を売ったときに現金で挙げ、回数券を受け取ったときに、両替で打ってレジに収めていた。正直言ってレジの打ち方をあまり知らない。レジを打つぐらいなら、蟒鍼でも打った方が間違いがない。
 患者さんで、
「あのような複雑なホームページが出来て、なんで銀行のATMで振り込むのが怖いのですか?」と聞いた某青尾さんがいた。確かにホームページの内容を打っているのは私だが、アップの手順を作っているのは嫁です。私は、ただサンヨーのSM75でドス変換し、ウインドウ95の一太郎を使ってドス18に変換し、嫁の作ったホームページに貼付しているだけなのです。知らない人に解説すると、このドスというのは、なんでも京都で発明されたとか聞いております。こうして嫁がホームページをやっているとは、口が裂けても言えません。ホームページも作れんようなアホに治療されとると思われはる。「そうですねぇ〜、私のようなアインシュタイン級の天才になると、難しいことは出来ても、一般人の行うような日常生活っぽいことが難しいのですよ」と、私。「判ります。判ります。天才というのは、私ら凡人には判らないものですねぇ〜」。 セーフ !  
 このセーフは、政府という意味ではない。 カタカナに弱いおばあちゃんのために解説すれば、「セーフ !」とは「大丈夫だぁ〜」という意味である。徳川様から政府に変わったと判っているおばぁちゃんには、政府というとなにやら恐ろしいものに聞こえる。でも御安心。これは英語のセーフ。私がアホだとバレなかった意味である。これで青尾さんは一生、私が天才だから、一般の人が出来ることができないと信じ込むに違いない。
 冷や汗ものだった。私がアホだとバレたら大変だ。まず恥ずかしい。
 それはとにかく、レジに回数券を両替で打っていたことは、前に税務署職員が説明を聞きにきた時点で
「以前は回数券を買ったときに現金で売上げて、それを切り離して使用したときには、実際に現金を受け取っていないのだから両替で打ち込んでいたことを説明してある。そして「それでは本当の両替なのか、回数券なのか判別できないので、あとで1円で売上げを打つように改善した」と言った。実は、回数券を受け取ったとき、何とかしてレジに納めなければならないと感じたのだが、どのキーを叩いてもレジは開かない。ちょうど天井から吊したバナナを取るために棒を振り回すチンバンジーのように、メチャクチャにレジを打っていたら、たまた両替に当たって開いただけのことである。それ以降は、両替を打つとレジが開くことを学習した。
 2回目に税務署員が来てから1週間して、税務署の兄ちゃんは別の税務署職員を連れてきた。どうやら上司らしい。
 その予約患者のところが現金で打っておらず、両替で打ってあるので売上になっていないという。そこで、その上司である内×さんに、再度「回数券のときは、売ったときに現金で売上げ、使ったときは現金でないから両替で打ち込んであります」と説明した。
 
「でも、患者のところに両替となっているのはおかしいだろう」内×さん
 「回数券を売ったときは売上になっているのだから、それを買った患者さんと両替の回数と引き算してみれば、この両替が回数券かどうか判るでしょう」と答える。なんで、そんな判りきったことを聞くのかという思いだった。
 内×さん
「でも回数券を買った人が、そのときの1回きりしか来なかったり、財布に入れて無くすこともあるだろう」
 「エエッ!そんなアホな」
 そんな気前がいい人間なんて、いるはずがない。みんな割引になると思って回数券を買うのだ。わざわざ高い金払って、1回しか治療を受けない人など考えられない。
 うちは1回の治療費が3500円、回数券は1回が3000円である。もともと1回で治りそうな人には回数券など勧めないし、1回来て鍼を打ち、どうやら6回以上はかかりそうだという場合のみ回数券を売りつける。もともと割引率が大きいので、正直言って回数券をあまり買って欲しくないのだが、嫁が目立つところに「回数券もあります」と貼り紙しているのだ。回数券は六回以上回数のかかりそうな患者さんのために、1回で治すという風評のある私の技術を信じてやってきた患者さんへの、せめてもの罪滅ぼしで割引率を大きくしてある。回数券は六回以内に治すことを前提に、5枚綴りになっている。だが5枚綴りの回数券であっても、こうした不況の世の中で、万円もする回数券を買っただけで使わない人などあるわけがない。患者さんは、
「治りさえすれば何度でも来ます」というが、よっぽどでないと、そんなことはない。みな痛みが消えた時点で来なくなってしまう。
 「そういう人は、いません」と私。
 すると内×さんが抜粋し、コピーしてきた飛び飛びの3ページ、8月、10月、12月を出してきた。1ページに1週間分記載されれている。
 
「どれが回数券なんだ?」
 そこに、たまたま回数券を使うことを覚えている常連さんが3人いた。「この人と、この人は回数券」と説明したが、予約帳には回数券かどうかは書いていない。時間が重ならないように、予約時間が書かれているだけなのだ。
 
「じゃあ、このページで、はっきり回数券を使う患者さんというのは、これだけなんだな?」

 そのページに記載されていない回数券の常連さんもいる。そのページに記載されていないのだが、そんなこととは関係なく、回数券を受領したときに打ち込んだ「両替」は、売上げすべてで落ちていると内×さんは主張する。
 「では、回数券を買って使ったことを私が覚えてない人は、すべて回数券を買ったけれど、1回しか使わないで紛失したとおっしゃるのですね?」
 
「両替としか打ってないのだから、それが回数券かどうか証明しようがないだろう」内×さん
 まあ、うちのレジに回数券を打つキーがなかったことが問題の始まりだ。
 確かに、本当に両替することもあるのだから、回数券が現金を受け取らないから両替で打ち込んだのはまずい。ある程度レジの打ち方を学習はした私は、後に1円で入金することに変更した。そうすれば両替と回数券の区別がつくからだ。それは今年になってから気が付いた。ずいぶん遅い。でも人類の進歩は、黎明期では、この程度なのだ。
 両替と打ち込んでマズイなら、これしかない!
 「じゃあ、回数券を売ったときにはレジを打たないで、回数券を受け取ったときに3000円と打ち込むのはいかがでしょう? こうすれば回数券を使ったときに現金扱いとなるので、回数券の売上げがピッタリ合うじゃあないですか?」と私。
 内×さん
「それはダメだ!もし回数券を買っても、その時1回しか使わなかったら、売上げは回数券分だけ売っといて、それ以降は1回も回数券を買った患者は来ないのだから、1回の割引治療費分の3000円しか上がらないことになる。だが現実には回数券分だけ現金が売上がっているのだから、そのときレジに打ち込まなければならん!」
 なるほど。そうすれば税務署は、まず回数券を売り上げた時点で税金が取れ、またそれを使った時にも、実際に現金のやりとりがないのに関わらず、両替で打てば打ち間違いという理由をつけて1回3500円の治療費を間違えて打ったという計算で税金が取れるわけだ。これでは鍼灸院が回数券を売ったとき、まず1回で大きく税金が取れ、回数券を使うたびに3500円ずつの税金が取れるシステムだ。これでは、うちが回数券を止めない限り、税金の二重取りができてしまうという、すばらしいアイデアだ。内×さんは、回数券を買っても1回しか使わず、後は紛失してしまうと決め込んでいる。

 
「患者を両替で打ち込んでいる」という理由で、売上げの13%をごまかしているということで、その分を払わされることになった。実際は回数券の人なのだが、内×さんの話では、回数券など買ったときの1回だけで紛失してしまうので、それを使うことなどあり得ないという。つまり患者さんは回数券を買ったとき1回限りで紛失してしまったのだから、あとの回数券分は泣く泣く現金で払ったのだという。つまり私が両替で打ち込んである部分は、実は回数券ではなく、回数券を紛失して仕方なく現金で払った。つまり両替部分を3500円で打つべきと、すべてを計算してきたらしい。「ええっ!そんなアホな!」
 なんだかホッとした。どうやら内×さんのアホは、私の上を行っているらしい。私はATMの操作とかパソコン操作は苦手だが、回数券ぐらいは覚えていて使い切る。500円の図書券でさえそうだ。ましてや1回3000円の回数券なら、絶対に無くさないだろう。とはいえ2万円の現金をポケットから落としたことがあるので、自信はない。中国で財布をすられたので、財布を持たないことにしたのだ。コシノジュンコの財布だった。妹からもらった。妹が、この財布をてっきり私の同級生の越野純子から盗んだものと思っていたが、どうやらコシノジュンコは財布のデザイナーで、私の同級生がローマ字を貼り付けたわけではなく、えらく高価なものだったらしい。私は、てっきり妹が、越野純子のスキを見て盗んだものだとばかり思っていたが、どうやら誤解だったらしい。そのときは財布の中身百元より、財布の方が遙かに高かったらしい。それを知ってから財布を落とすのが怖くなり、財布を使わなくなったのだ。でも、そんな高価な財布を、「中国へ行っても財布がない」とぼやいた私に、愛人でもないのにポンとくれる妹は、やはり私以上にアホなのだろう。だが日本で二万円を落としたとき、さすがにコシノジュンコの財布より高かったので、百元ぐらいの財布を持ち歩くようにした。だから盗まれたり落としたりは、5年に1遍ぐらいしかない。当然にして、その後は百円の財布を持ち歩くようにしている。
 税務署の両替打ちの計算では、両替が3500円という計算で13%になっているが、現実には回数券を切り離して使っているので3000円だから11%になる。
 でも回数券の患者さんが、あまり勧めていないのにも関わらず、売上の1割もあったことを知って、いまさらながら驚いた。
 しかし回数券の両替打ちがオカシイと言い、その両替から、回数券患者のことごとくから税金を取ってゆく方法、しかも回数券を買っても患者さんは紛失したりして1回しか使わないという、およそ一般常識では有り得ない話の展開だが、おたくが両替で間違って打ち込んだのは、実は回数券を無くした患者が現金で払ったものなんだよ、と説得する力。さすがはプロというかアホというか!
 一般人なら「回数券を買った人もいるので、予約の名前があっても、回数券の回数だけマイナスしてください」と言えば、納得して引き算した余りを打ち込み落ちとしそうなものだが、そう言っても
「回数券を買った人は、そのとき1回きりしか治療を受けず、残りの回数券は全部紛失し、そのあとの両替で打ち込んであるのは、実は現金で払っているのだ」と主張して納得しない。さすがに内×さんは、言うことが一般人とは一味違う。
 
「おたくが回数券を両替で打っていると言っても、回数券を買って使わないケースだって考えられるのだから、それが兼合いでね」と職員。
 「じゃあ、こうしましょう。それでは私の方としても、確かに現金を受け取っていないから両替で打ち込みましたが、それは回数券を両替で打ったのは、私としても確かにミスがありました。だから両替で打ち込んである半分が落ちということでどうでしょうか? それなら兼合い、そっちもこっちも半分ずつの痛み分けということで」
 内×さんは、ただ笑っているだけだった。そして内×さんの出した書類は、回数券の患者が、全員すべて両替と入力ミスになっていたというもの。つまり回数券を買った患者は、そのページの3人を含めて、すべて回数券を買ってみたものの、1回きりしか使っていないことになっている。そのページの3人ですら、その職員の計算では、1回きりしか回数券を使っておらず、後は紛失して現金で払ったことになるというものだった。1回きりしか回数券を使わない北京堂は、高い金だして回数券を買っても、もう二度と来たくない鍼灸院なのか?
 「これでは交渉じゃあないじゃあないですか!」と私。
 回数券を両替で打ち込んでいるおたくが悪い!と言われれば、そうかもしれないが、回数券を買った患者さんは、全員が1回治療を受けたら、もう二度と北京堂へ来るのは嫌だということになってしまう。じゃあ、うちを推薦してくれている患者さんは、とんでもないところを紹介しているということになってしまう。それに回数券を買った人は、全員が買ったときだけの1回分のみを使い、後は全て紛失し、現金で払っているのを両替で打ち込んでいるという書類だ。この内×さんは、万円もする回数券を買っても100%紛失し、後で現金で払うのかもしれないが、そんな内×さんのような人が全てではないだろう。少なくとも、うちの患者さんなら1回3000円になる回数券など紛失しないし、紛失するような人なら回数券など買わない。内×さんは、自分より物忘れしない人間が、この世に存在しないとでも思っているのだろうか? 有頂天になっている人間には、自分以上の存在がいることが判らないのだ。私も以前の私はそうだった。これだけ寝る間を惜しんで勉強しているのだから、よもや自分より上の存在があるとは気付かなかった。だが「上には上がある」というのは本当だった。 それで僕は、自分のたどってきた道筋を学生諸君(古典とか)や弟子に学んでもらい、私の代わりに上を打ち破らせようとしているのだ。しかし教えても、弟子には悪いが人材が……。
 
「まぁ、これで落ちを認めてハンコを押して」と、内×さんは言う。だが、うちの患者さんは全員が、回数券を買っても1回しか使えず、あとは紛失するような、内×さん並みのアホなんか? 少なくとも私の接している限り、患者さんは回数券を使い切っている
 税務署員は、最初は営業日に2人で来て、待合室を占領した。もう3日も来ている。
 
「何度も来るのも何だから」、判を貰わなければ、何度でも来るという意味だ。それが仕事だから仕方がない。
 「うちは、何回来てもらってもいいし、全部を調べたらいいじゃあないですか!」
 全部を持ってくれば、回数券を売った人の名前と、両替で打ち込んだ人の名前が一致してしまうので、両替が回数券だと証明されてしまい、税金は取れなくなる。また続けて十ページを持ってくれば、回数券を買った名前の人を両替で打っていることが証明されてしまう。だからバラバラに1ページずつのコピーを持ってきたのだった。1ページには1週間分しか記載されれていないのだから。それをサンプリングしてランダムに持ってきたという。一年分を持ってきたとしても五十数ページしかないはずなのに。もっとも内×さんは、回数券を買っても全員が紛失し、それから1週間ごとに来るときは現金で払って両替に間違って打ち込まれたとする書類を作っているのだから、いくら回数券を売ったあとの両替打ちであっても、関係ないのだろう。
 それに、恐らく自分の経験にも基づいてのことだろうが、回数券は買ったときだけ1回使い、あとは紛失して現金で払ったとして計算してしまっているので、自分の計算書を認めてもらうまでは内×さんは帰るわけに行かない。もし認めなかったら、当然にして患者のカルテや帳簿を返さないことは当然のこととして、患者さんのいるところに来るであろう。なにせ回数券を買ったら90%は使わないで落としてしまう人だ。この人だけは常識では計れない。温厚そうな顔からは、そんな突飛なことを考えているとは想像できない恐ろしさがある。そんな内×さんが回数券を買えば、そのとき1回だけ使ったあと、残りは1週間後に紛失してしまうのだ。なんというか、自分を基準にしてしか世の中のことが考えられないのだろう。ほとんどの人は、回数券を買ったら全部を使い切るというのに……。うちにも回数券を買わない人もいる。だけどそれは回数券を無くすから買わないのではなく、回数券で割引してもらうのが申し訳ないから現金で払うと言っていた。回数券を買って1度でなくし、残りを現金で払うなどという人はいなかった。
 いや、一人いた。某塩冶さんだ。回数券で払おうとして、財布を覗いたが回数券がなかった。半年前ぐらいのことならば、こっちも覚えている。「確かに回数券を買われたことは覚えています。だから次に出てきたときに、出して貰えばいいです」と言った。某塩冶さんは、その次に回数券を持ってきたので、しっかり前回の分と二枚取った。
 回数券を紛失したからといって、現金を患者さんに貰うわけにはゆかない。そんなことすら内×さんは判らないのだ。税務署の兄ちゃんも、哀れな人間を連れてきたものだ。そりゃあ我々は商売だから現金を貰わないと成り立っていかない。だが金を儲ける商売なら、他にもいくらでもあるだろう。そりゃあ鍼灸師だって、鍼一本で脳溢血を軽い症状で治めることができる。だから、そうした場合に立ち会ったとき、鍼灸師なら間違いなく、患者と料金の交渉をする前に鍼を打ってしまうだろう。中国へ行き帰りする船の中で、また中国にて、旅行者が胃痙攣で苦しんでいれば鍼で治めてやり、また同じ旅館に泊まっている日本人が苦しんでいれば、病院へ連れていって通訳してやる。でも金を取ったことはない。中医では、融通性がポイントなのだ。杓子定規ではならない。でも内×さんは、本当に回数券を無くした患者から現金が取れると思っているらしいのだ。別の人が治療するわけではなく、私一人しかいないのに。そんなことしたら、患者さんだって、あんたから回数券を買ったのに、何で売ったことを覚えてないのだと苦情が来るに決まっている。こんなんが私の弟子でなくて良かった。まあ、いたら破門だけどね。
 
「まあ、当分は来ませんので」と言う。判子を押して貰って、どうやら内×さんは帰ることにしたらしい。
 こっちも、また営業中に来られたら嫌なので、言われるままに判を押してしまった。痴漢でも、身に覚えのない痴漢行為を認めなければならないといった心境。これで税務署員には、今回だけで、もう17時間もつき合わされている。
 全てが終わると、現物の予約帳と出納帳を袋から出して返してくれた。判子を押して、両替打ちは間違いだということを認めてしまうと、予約帳と出納帳を返してくれた。「これで全部ですね」と言いながら。
 印鑑を押してしまったあとでは、コピーを出されたページの前をめくって、「ホラ!その両替で打っている患者さん、その数週間前の、ここで回数券を買っているじゃありませんか?」と言っても、もう遅い。そういうことを証明されたら税務署員は困るので、ワザワザ全てが終わってしまってから帳簿を返却したのだから。紛失することは人並みはずれていても、内×さんは知恵が回る。つまり税務署員が帳簿を押収する前に、こっちもそれをコピーしておかねばならなかった。こちらがあまりにも無防備すぎたのだ。こちらの言い分を証明する帳簿は、回数券を買った人が1回きりしか使用せず、残りを紛失したと私が認めるまでは返却しない仕組みになっているのだ。
 世の中、商工ローンとかサラ金などしか悪どいものがないと信じていた私は、全てコピーをした帳簿本体も、嫁から取り上げて持ち帰っているとは知らなかった。ふつうコピーした上に本体まで取る必要はないだろう。じゃあ、コピーは何のためだったのだ? こっちは回数券を証明する帳簿さえ手元にない。考えてみれば猪野詩織さんのときも、警察に都合のよいところだけ出されていた。税務署だって両替で打っているところだけしか提出しない。その前を持ってくれば、その名前のところに回数券を買ったことが明記されている。だから帳簿本体は渡しては、ならなかったのだ。コピーして持って帰ればいいだろうといえば、こっちも手元に帳簿があるので、申し開きができたのだった。「誰も信用してはならない」という中国の鉄則が頭に浮かんだ。

 結局、回数券を売った患者さんは、買ったときの1度だけ使い、後は全員が回数券を紛失したことにされた。回数券だと言っている3人を含めて。鍼灸院へ来るのは、ボケ老人は一人もいない。そんな紛失した人など一人もおらず、全部使い切っている人ばかりだ。それなのに全員が1回で紛失したとは。
 そんな不自然なことは納得できないが、それを証明する帳簿は、税務署員に押さえられている。それを返してもらわねば証明できない。それに、また営業中に来られても困る。もし患者さんに税務署員が来ているのを見られたら
「この先生、リッパそうなこと言っているけど、影ではキチンと脱税してはるわ」と思われてしまう。悪どい鍼灸師ということになってしまうと、うちを紹介してもらっている患者さんに申し訳がない。悪どい治療所を紹介されていると思われ、紹介した患者さんまで悪どく思われてしまう。だからじっと唇をかむしかない。そうした事情を判っていて、両替が回数券だと証明する帳簿を取り上げてしまい、打ち込みミスの判子を押させるのが、さすがにプロ。
 しかし、どうしても治まらない北京堂の怒り。回数券を買った人は、その1回は使うものの、次回から来たときは紛失しているので現金で払っているはずだという、この不自然な理論。内×さん、うちの患者さんを、そんな落とし物する人と一緒にしないで。それに落とすと判っていたら、あなたと違って回数券を買うようなことしません。と、思わず腹を立て、自分のホームページで、うさ晴らしてしまいました。それに同じような目にあう鍼灸院があってもかわいそうだ。天安門騒ぎのとき、北京にいた日本人たちは、日本大使館に対する恨みを忘れれないだろうが、今度は税務署にやられてしまった。とにかく1989年は外務省に、2003年は税務署に怒りを覚えてしまいました。

 そこで私が考えた対策法。
 回数券を売った人が、回数券を出した場合、レジを打たずに捨てましょう。患者さんならば
「回数券は現金ではないのですからレジを打ちません」と言っても、もの判りがよいので納得してくれるでしょう。そして回数券を受け取ったら、予約帳から消しましょう。実際に現金のやり取りがないのだから、よけいな誤解を避けるため、来なかったことにするしかありません。これしか税金の二重取りを避ける方法はありません。現金のやり取りがないからといって、両替を打つのはやめましょう。両替を打つと、それは売上があるのに打ち間違えていると言われます。
 私の弟子も、私と同じ方法を採用しているので、税務署に二重取りされる恐れがあります。願わくば、これを見て師匠の失敗に気づき、回数券の二重取りをされませんように。たぶん、まだ税務署に踏み込まれていない全国の鍼灸院のなかにも、回数券を使っているところがあると思います。
 この馬鹿な私の失敗を他人のこととして笑ってもよいのですが、同じ失敗はされませんように。
 だって回数券を買った人は、すべて1回しか治療を受けてないなどと言ってくるのですよ! 実際に調べれば、回数券を買った人と使った人の名前が一致しているから判るはずです。両替で打ってある患者さんは、前を調べれば回数券を買った患者さんのはずです。回数券を1回しか使わないなどという、ちょっと考えられない話を言ってくるのでは、ちょっと私には相手できません。頭がパニックです。
 「税務署は恐いもの」と聞きますが、今回の私の経験でも「そんなムチャな」と思ってしまいました。不正をしていなくとも二重に取られてしまいます。賢い鍼灸師の皆さん、アホな私の二の前を踏まないよう、心して注意しましょう。キチンと申告しても、以上のように追加で取られてしまうのですから。脱税していると挙げられている皆さん!もしかするとうちと同じケースでやられているのかも知れません。もううちには同じ手口では来れないので、たぶん他の理由を見つけて来るのでしょうが。今度来たら、こっちも帳簿のコピーを取り、回数券買った人を両替で打っているのを証明しますから。初めてのことで、回数券を買った人は1回しか使わず、後の分は現金で払っているという言い分に、面食らっただけですから、次は同じ手は食わないと思います。これはフィクションぽいけれど、これはノンフィクションです。このあいだも患者さんから、「突発性難聴を一発で聞こえるようにするとは、あんた天才ちゃいますか?」と崇められる私も、税務署の手に掛かれば、回数券の両替打ちから二度の税金を搾り取られる只のバカでした。でも純粋に落ちがあったのだと思っていた私も、こんなアホな理屈で回数券の両替打ちを咎められるとは、全く思いも寄らぬことでした。
 と、最後の患者さんの言葉を書いたら、なぜか怒りもスッと収まった。税務署からはバカにされても、私には、まだ「天才よ、名人よ、生き神よ、生き仏よ」とおだててくれる患者さんたちがいるのだ。といっても、やはり、どう考えても不自然な話ではあるが。この税務署員、いや、1回で回数券を紛失するという話を、アホじゃないか、この人という顔で聞いていたもう一人の税務署員は別として、内×さんは本当に、回数券を買っても1回きりで紛失しているのだろうか? また自分は紛失しやすい人間だと判っていても、回数券を見ると毎回ムラムラッと買ってしまうのだろうか? 本当にそんな人がいたなんて、いまだに信じられん。
 私が以前、蛇蝎のごとく嫌っとったのが外務省。何せ天安門事件で、午前中は安全だと言っていたのに、午後になると急に危険ですから帰国してくださいという。もう事件があって1週間ぐらい経っているというのに。「そんな馬鹿な、日本大使はどこにいる? 日本大使を出せ」と皆が騒ぎ始めたとき、避難用にバスをチャーターしてきた職員が「大使はとっくに日本へ帰っておりますので」と言った。そのあとに湧き起こった非難の言葉は、決して職員さん、あんたを攻める言葉じゃおまへんのや。それは同胞を見捨てて自分だけ日本へ逃げ帰った在中大使に向けられた言葉だったんですえ!あかん、だんだん出雲弁になってきよった。しかし以上のヤリ口を体験し、税務署の人も大丈夫かいなと感じてしまった。こんなアホな世の中、せめて自分だけはまともにと思う私でした。まぁ兎に角、こうしたことがあるので注意してくださいというお話。
 今回は外務省の同国人を見捨てて我先に逃げる行為と、税務署の「あまりにもアンタ、アホなことを言っているんじゃないの」という行為に腹が立ちました。でも、どちらかというと税務署の方が許せる気がします。まあ私の弟子だったとしたら、外務省は患者を見捨てるため問題外。税務署も、あまりの融通性のなさに「あんた、うちには向いてないよ。どっかよそで教えて貰ったら?」とて破門するところです。
 もちろん、この税金に関しては、裁判でもしてみれば、患者が回数券を1回で無くすなどというバカな理論を裁判官が信じるとはとうてい思えず、回数券を買ったあとに1週間に1度ずつ来て両替で打ち込んであるレシートは、どうみても回数券を消却していて、紛失して現金で貰っているのをこっちがごまかしているとは判断されないだろうが、そんなことに時間を使うより、ホームページで古文でも掲載した方が有意義に決まっている。あとで「浅野周、ここで税務署の内×氏と、回数券を巡る些細な金額のために、少額裁判で争った」などというエピソードができた日には、なんぼ厚臉皮の私でも恥ずかしい。証拠書類の帳簿が返った今ならば、それが不自然だと主張できるが、正直いって鍼灸院では、ごまかそうと思えば、いくらでもごまかせるので、そんな裁判などで時間使って争いたいとは誰も思わないだろう。
 そりゃあ、本当に理屈の通った不備の指摘なら納得するが、どう考えても
「回数券を1回しか使わない」などと、あり得ない理屈を言われれば相手だって怒る。そうなると鍼灸院は敵に回り、まともに申告しようとする気がなくなるのは当然だ。でも、それは自然の流れだから、防ぎようがないのかも知れない。人生、禍福、あざなえる縄のごとしという。そうしたことを教えてくれたのも、私の鍼神の啓示かも知れない。私には、鍼の神様が着いているようだ。思わぬところで手に入らない本を買わせてくれたり、こうすべきだと啓示を与えてくれたり、いろいろと小さな失敗によって、どうすべきなのかを教えてくれる。アホな後輩が神鍼と名乗っているのも、鍼神の繋がりがあるのかも知れない。鍼神の加護がなければ、ただの田舎のオッサンが全国版で6冊も本を出すこともなかったろうし、球麻痺や胃下垂の鍼で、全国的に有名になることもなかっただろう。ただの鍼灸書の好きな、古典の読める田舎のオッサンで終わりだ。鍼神は尋ねている。「あんた、こんなアホなことをいう税務署員、どう思う? これだけ頭、狂ってまっせ! まともに相手できまっか?」。私も返事しなければならない。何せ、北京では、まず私が手に入れられない『科技辞典』を天津でプレゼントしてくれ、ハルピンでは『資生経』をプレゼントしてくれた。こんな鍼の神様、裏切れるわけないでしょ!
 まぁ、たぶん、「何を腹立てている。レジを打たず、帳簿にも記載しなければ、証拠も残らず、二重取りすらされることはない。馬鹿正直にやっていた、アンタが悪いんや」という声が、同業者から聞こえそうである。でも、何も悪意を持たん相手に、こっちから税金をゴマカシに行くのは、非常にやりにくいことどすえ。向こうから歩いて来た小学生を、何もしていないのにポカリと殴れますか? 爆弾テロが流行り、小学生が爆弾抱えてやってきて、それが自分なり身内なりに被害を及ぼせば、小学生でもポカリとやるでしょう。今回初めて、税務署とは使ってもないダイアルQ2の請求をしてくるような機関であるということを知ったのですから。まさか税務署員が、受け取ってもいない料金を、ありえないような理屈で売上に計上しろと言ってくるとは。使ってもないような料金請求されているのと一緒でっせ。まあ、私が甘いと言えば甘い、バカといえばバカでした。
 反省して税務署の顛末記は終わり。
 そう考えてみると、自分の幸せさに思いが至ります。自分の弟子は、少なくとも中在大使のように、患者を見捨てて自分だけ逃げるようなことはないでしょう。また回数券を買って、すぐに紛失するというような馬鹿さ加減はないだろうし、患者さんが回数券を無くしたからと言って、覚えている患者さんから現金をむしり取ることもしないと思う。まあ、一人は即破門、一人は別の職業を勧めるでしょう。私の弟子も、あまり忠実ではなかったので、不足はありますが、この二人のように不適格者ではなかったことが幸せです。しかし回数券を買っても1回しか使えないので、あとは仕方がないので現金で払っていた人がいるとは。返す言葉が見つかりません。もしうちであれば、買ってから1カ月ぐらいだったら覚えていて、紛失した回数券分だけ追加発行なり、なんなり手当をしたでしょうが、内×さんにはむごく代金を請求するほど、世の中それだけ世知辛くなっているのでしょうか?
 まあ、うちは自宅でやっているし、翻訳収入だけでも十分に生活してゆけるので、そんなドギツイことは患者さんによう言いませんけど。
 弟子は、治療所借りて住居借りて、これもアホかいなという生活をしています。よう金が続く。そんなことするのなら一つにまとめて治療費下げろ。
 まあ税務署は、とんでもなく不幸な経験をした係員を送り込んでくることがあるので、そうした特殊な不幸人間に出会って、同情して税金の二重取りをされないように気を付けたほうがいいです。もしかすると、考えたくはないのだが、その不幸体験はマニュアルに記された同情を買うためのテクニックかも知れない。我々鍼灸師は、不幸な人に弱いので、誰かと相談したのち結論を出すと良いと思います。
 実質上の損害はないとしても、こんなアホな理屈に首を傾げる私でした。これが事実かどうか、今ひとつ信じられません。なんだか腑に落ちない不思議な話でした。
 北京堂鍼灸ホーム