斜頚の治療
by Asano Shu

 一般的に今までの治療報告は、治癒したものだけが報告されていました。俗にサンタ報告というもので、「やった、効いた、治った」のサンタです。
しかし、このコーナーでは、治るかどうか判らないものを治療します。
 患者さんは、九州は福岡市の某氏。車の販売をしており、頚が動かなくて運転が危険だとのこと。病院とか鍼とか整体とか、様々なことをしたという。鍼は経絡治療をしたが、まったく効果がなかったとのこと。それなのに何故うちに来る気になったかというと、私の『難病の鍼灸治療』に「斜頚の鍼治療」が掲載されていたからとのこと。当然「鍼治療は近所で」と主張する私としては断ったのだが、「いろいろ治療をしました。経絡治療も受けました。まったくダメでした。この上は、先生に治療していただくよりありません」と、断ったら自殺でもしそうな勢い。四月からホテルに泊まり込みで治療するという。
 私としては、そんな遠くから来られて、もし治らなかったらどうしよう。それに皆が失敗している斜頚を、はたして自分が治せるのだろうか? それより『難病の鍼灸治療』に「斜頚の針治療」など載っていたのだろうか? 翻訳したのが、あまりに昔なので忘れてしまった。そもそも『難病の鍼灸治療』は、私が書いたのではなく、張仁が書いたのだ。私は紹介しただけだ。翻訳はしたものの治療を手掛けてない病気は、山ほどある。メチャメチャ不安。 でも、こんなことを電話してきた患者さんが聞いたら、卒倒だろうな。

 とにかく現在は引っ越しで忙しいし、四月から暇になると思っていたら、現在の翻訳を頼んでいる会社が、「実は、もう一冊翻訳して欲しいので」と言ってきた。

 とにかく、この患者さんは、四月から治療に島根へ来る。病気は、福岡地方の鍼灸師には歯が立たなかった難病らしい。そして私は「斜頚の鍼治療」など初めて。東京から患者はよく来るが、それはすべて胃下垂治療だけ。患者は、あらゆる治療をしたがダメだった。以上のことがはっきりしている。

 まあ正直言って、福岡地方で、あらゆる鍼灸師に見てもらって治らなかったのだから、いまさら島根の田舎くんだりまで来て治療を受けても治るわけがない。私も、そう思う。
 しかし本人が真剣で、私に治療してもらうのが手っとり早い最後の手段と信じ込んでいるのだから、断るのも道義に反する。それに、もしそれが治れば、私は皆が治せなかった難病を治す技術を持った名人という認識ができる。それに、皆が治せない病気を、果たして私の筋肉弛緩理論で治せるかどうかの興味もある。
 そこで、これを引き受けることにしました。

 まあ結果が出るのは、1ケ月ぐらい後になるのではないかと思いますが、読者の皆さんは、私が斜頚を治せるかどうか? おそらく福岡には一流の鍼灸師もおりましょう。それを田舎の二流鍼灸師が治せるものなのでしょうか?

 なお、これは治ってしまった症例を報告しているのではなく、私が治療したことのない症例で、しかも一流の鍼灸師も治せなかった患者です。正直言って、どうなるか凄く不安。 四月になったら翻訳作業もしなければなりませんが、できるだけ報告しようと思います。


  斜頚の初日
 実は今日が4月1日火で、引っ越しとか忙しかったのでコロッと忘れていた。突然、電話もなく人が来るので、何かなと思って少々腹を立てていたら「福岡から来ました」というので思い出した。今は背中まで痛むという。なんだ、斜頚と言ったって寝違いと変わらないじゃないか。右が悪いようで、三ケ月前から痛みもなく頚が自然に右を向くようになり、正面を向いていられないという。最近は、背中の痛みや反対側まで痛くなってきたという。
 さっそく上半身を裸にして、右側を上にして横向きに寝かせる。触ってみると中国鍼を使うほど収縮していないようだ。頚の筋肉が硬直しているような感じしかしない。そこで風池から背骨の両側を第7頚椎まで刺鍼する。そして完骨と安眠、翳風に二寸鍼を打ち、止まる処まで刺入する。そして後斜角筋、中斜角筋、前斜角筋に寸六から二寸鍼を刺入する。中斜角筋と前斜角筋が頚椎付近の奥で硬くなっていた。胸鎖乳突筋の内側頭と外側頭も硬直して張っていたので、それも肺に刺さらないように少し後ろ向きに刺入し、完骨から斜角筋に四本ずつ刺入して40分置鍼する。そして40分して「できあがったかな?」と言いつつ抜鍼すると正面を向けるようになってしまった。
 なにせ福岡地域で、いろんな鍼灸院を巡って、何十年ものキャリアがある鍼灸師の治療を受けたという患者なので、私もホームページで治るかどうか?と遊んでいるもので、あまりあっさりと治ってしまわれては、どうしようもない。 そして反対側の頚を治療しようとすると、そちらもさっきの右治療で良くなったという。指の痺れも消えたという。
 一回だけの治療では面白くないが、幸い右側の下部分の前斜角筋に、まだシコリが残っている。そこを狙って刺鍼するが、あまり下には肺があるので鎖骨から3cmぐらい上を狙う。そしてまた40分置鍼すると、反対側のほうが張っているぐらいになった。
 とりあえず治ったようになったが、うちは3日に一度の治療である。この治療のために1週間の休暇を取っているらしい。近くのホテルに泊まることになった。
 これは単なる寝違いにしか思えず、うちにはもっとひどい患者が来る。3回ぐらいで完治した寝違いもある。
 まあ、みんなが失敗した斜頚なので、もしかすると元に戻るかもしれないが、とりあえず次の治療する金曜日までお預け。これでもし、再び元のように戻ったらどうしたものかと案じながら、まあただの寝違いだろうから、こんなもので治らなかったことはないしとは思う。とりあえず「こんなに簡単に治る病気が、福岡の鍼灸師がよう治さんということになると、福岡の鍼灸師は、よっぽどヘボだということになりまっせ!」というと、「まあ、あれこれ行ったといっても、全部を回ったわけではないですから。でも、全部を回るより、ここ来たほうが早い」という。なるほど理屈だ。治れば来たかいがあったというもの。治らなくても、島根にまできてダメだったのだから、一生諦めて仕事を変える生き方も模索できるだろう。

 4月2日。
朝早くから福岡の人がまた来た。治療を終えた後は調子がよかったのだが、ローソンまで運転したとき、また斜頚が復活したという。うちからローソンまで500mの距離、時間にして何分もないだろう。朝は予約が入っているので、後で来てもらう。頚は斜めに歪んだまま。
 この前は3番の日本鍼を使ったので効果が弱かったと思い、やりたくはないが頚に中国鍼を打つことにする。そして前は右だけ刺鍼したが、今回は両側に刺鍼することにする。
 福岡でも、最初は「簡単に治る」と言ってくれた所もあったそうだが、実際は治らなかったという。劇的に治ったものが、劇的に元どおり。やはり、そんなに甘くはなかった。長期戦の構えで行こう。とはいうものの、引っ越しで水道を外してくれと言われるし、翻訳の締め切りは迫っているしで、気はそぞろ。こんな治療日記を書いてる場合でない。
 右の斜角筋群と背中の夾脊7番目ぐらいまで、風池や翳風へ骨に当たるまで深刺し、やはり40分の置鍼する。そのあと左側も同じ治療をする。やはり治療を終えた後は劇的に治っている。
 この治療の発想は、触ってみると斜角筋群が相当ひどく痙攣している。だから痙攣している斜角筋群と胸鎖乳突筋に刺鍼して置鍼し、筋緊張を解す。そして夾脊に刺鍼しているのは、斜角筋群と胸鎖乳突筋は頚椎からダイレクトに神経を受け取っているわけではなく、ほかの筋肉群の中を通り抜けながら斜角筋群と胸鎖乳突筋に分布しているということだ。つまり脳に異常があって筋肉が痙攣したり、頚椎に腫瘍や圧迫があって運動神経を刺激しているのでなければ、斜角筋群と胸鎖乳突筋へ行く運動神経を、通過経路にある他の筋肉群が圧迫しているため、その刺激によって神経がインパルスを出し、その神経が分布する筋肉が収縮しているのではないかと見た。だから後頚部の筋肉も緩めるため夾脊にも刺鍼した。

 4月3日。
「肩甲骨の痛みが取れた」と患者は言ってきた。最初は頚が曲がるだけだったが、そのうち肩甲骨の痛みも起きてきたらしい。治療の結果は、一昨日はローソンまでしかもたなかったが、昨日は松江のホテルまでもったとのこと。手を使わないと左が向けなかったのだが、自力でも向けるようになったようだ。しかし斜頚が起こったり、正常になったりする。はたで見ていると正常のようだったが、しばらくすると歪んできた。
 今日は患者の希望で『難病の鍼灸治療』に書いてある方法で治療してくれという。残念ながら『難病の鍼灸治療』は図書館に寄付したので持ってない。原書ならあるが。そこで同じ張仁の『165種病症・最新鍼灸治療』を見ながら治療する。訳者といっても全てを覚えているわけではないのだ。それに書いてある通り刺鍼する。内容は『難病の鍼灸治療』と全く同じ。少し疾患がつけ足してある程度。マニュアルに従って刺鍼し、そして通電する。右側だけの治療では、ほとんど効果がなかったが、左側も治療すると完全に正常になった。しかし前の治療でもこうだったので油断できない。それに15回が1クールなので、実際に島根へ来て治療するなど、しょせん無理である。午後は患者が来なくて暇になるので、午後に来てくれと約束する。どうせ来たのだから花見でもしたらと勧める。
 病院では、骨や脳、MRIもCTも異常がなかったのだから精神的なものだという。
 「治療が終わって治っていても、また再発するのだから、職業を嫌うあまりに発病した精神的な病気かな」という思いもチラリと頭をかすめたが、イヤイヤ、前に腰が痛くて整形と精神科を往復していたお姐も、触ってみたら腰方形筋の収縮が原因だったので、結局は完治した。背骨が悪いというオジジも、頚から背中の筋肉が収縮していたのが原因だったので結局は完治した。これも恐らく頚の筋肉が収縮しているために起きたもので、精神的なものではないのだろうと思い直した。もし精神的な物なら、病気をうっかりしたときは反対側に曲げることもあるはずだ。
 そこでマニュアルの治療が終わった後、「神経は全て背骨から出ている」という私の治療理論にしたがって頚椎両側と胸椎両側へ刺鍼し、頚椎では神経根近くの筋肉を緩める。左頚椎6〜7間が異様に堅い。それが原因の一つだろうか?
 徐々には斜頚でない時間が長くなっているのだが、劇的に治らない。果たして1週間で治るのだろうか? マニュアルには15〜20回とある。
 こういう風に、人の病につけ込んで金を取るというのも因果な商売だ。本当のことを言えば、もう治療など止めて、軌道に乗ってきた翻訳一本で商売しようかとも思うが、それでは鍼の威力を伝道している鍼教伝道師としての使命が果たせない。
 最近は、医学分野を正確に訳し、中国を含めた日中医学の壁を取り払うことも重要な使命だと感じてきた。どちらも金がらみだが。
 まあ1週間で治るか治らないか判らないが、患者も少しずつ手応えを感じ始めているようだ。筋肉や神経関係の分野は、やはり鍼が手軽で効果的な治療法だろう。

 4月4日金。
 肩甲骨の痛みも消え、頭痛もなくなり、起床してしばらくは斜頚が起きなくなったという。今日会ったときは、頚は真っ直だった。しばらく見ていても歪んでは来ない。手を使わなくとも自分で反対側が向けるようになったらしい。見た目は正常。斜角筋群は大分柔らかくなった。骨に近い筋肉も、以前のように堅さがない。こんな浅い電気鍼で、効果があるのかと疑問に思いつつ、それに加えて、うつ伏せにして頚と背中に深刺して40分の置鍼する。
 本人も手応えがあったらしく、1週間の治療予定だったのを繰り上げて、今日は九州へ帰り、会社と相談して本格的に1ケ月ぐらいの予定を組んで治療を再開するらしい。
 私としては、好転してはいるものの、完治するかどうか判らないのだから、それほど責任を負わされると辛いものがある。
 1回目と2回目の治療では、治療が終わってから酒を飲んだらしい。こちらが治療後に酒を飲まないことを言わなかったのが悪かったのだが。
 最初の1〜2回は『難病の鍼灸治療』に頼らず、北京堂式の治療をしたのだが、それなりの効果があった。しかし、酒を飲んだから効果が悪くなったと考えられるので、もう一度試してみたい気もする。
 福岡で十軒ぐらい回っても治らなかったという斜頚は、こちらで見ているぶんでは無意識な行動をしないかぎり、良くなっているように見えるが、ずーっと観察しているわけではないので、よく判らない。まあただ以前は、ほとんど真っ直になる時間がなかったのだから、改善していることは私にも判る。これが本当に精神的な病気なのか、それとも運動神経圧迫による筋肉痙攣なのか良く判らないが、少なくとも痙攣した筋肉へ太い中国鍼を刺鍼して痙攣を除けば、徐々に治っている時間が長くなってゆくようだ。もしかすると治療直後の真っ直な頚を見ることで、自分の頚は曲がらないのだという精神的な治療になっているのかもしれない。患者は、以前に一番多く通ったところで十回という。でも刺鍼した直後に改善したところはなかったという。
 精神的な病気ならば、催眠療法とかのほうが治りが早いような気がするが、それもちょっと言い出せない。
 陽極:天容、容后、天窓。
 陰極:陽白、臂臑、合谷。
 電流が心臓を流れないよう、すべて同側に配線する。頚が動く程度の強さで30分置鍼。
 毎日1回治療する。(詳しくは緑書房『難病の鍼灸治療』を参照)
 それプラス、終了後に腹臥位で、風池、安眠、完骨に3番2寸。それ以外の夾脊と斜角筋へ中国鍼を刺鍼して40分置鍼。日本鍼を使っている三穴は、同側の前歯に向けて軽く刺入して頚椎に当てる。
 もう最近は引っ越しの後始末、翻訳依頼の片付け、花見もしないといけないで、何から手を付けてよいか判らず、泣きたい気分。
 本人は、会社で改善具合を見てもらって、再度の治療に来るのかな。

 4月7日月。アトムの誕生日。
 今日は休みだったが、九州から斜頚で来た。PHSで受けて帰って治療をした。当初は1ケ月の治療予定だったが、会社に帰ったところ、同僚から「かなり良くなったので、1ケ月も治療を続ける必要ないだろう」とのことで、長期休暇は貰えなかったらしい。
 帰ったときの結果は、土曜日は午前中は調子がよかったらしいが、日曜日は朝起きてしばらくすると調子が悪くなったという。今日会ったときは、まったく治っているようで、自力で頚も左右に向けることができた。本人は「先生の顔を見ると良くなるのだが、そうでないときは調子が悪かったりする」という。
 前の治療では酒を飲んだため効果が悪かった可能性もあるので、しばらく『難病の鍼灸治療』のマニュアルを離れ、後頚部と斜角筋群への置鍼だけにしてみる。それで治りが悪いようであれば、元の治療法に戻ることにした。そうすれば筋肉の硬直が原因で斜頚が起きていることがはっきりし、神経の通路にある筋肉群を緩めることで斜頚が治るという北京堂理論が証明できる。まあ最初に治療したときも、抜鍼した直後には治っていたのだから、この理論は短時間では証明されたようなものだが。
 やはり左右一側ずつ、40分ずつ置鍼する。治療ポイントは、風池、安眠、完骨が日本鍼の2寸3番、頚夾脊、前中後斜角筋群に四本ずつの中国鍼。胸鎖乳突筋は、柔らかくなってきたので刺鍼しない。頚夾脊は、かなり柔らかくなって正常とあまり変わらない。やはり斜角筋群は、骨の近くで堅さが残っている。
 治療が終わったものの、治療前から頚が真っ直なので、治療効果があったのか、なかったのか見ていて分からない。だが本人は自覚症状として良くなっていると言っているのだから信じるしかない。
 このような治療をして、どうやら治りそうだが、イラク戦争があるので、治しても治しても片方で病人を作っていくのだから、なんだか悲しくなってしまう。
 アメリカも最初はイラクが大量破壊兵器を持っているからと、査察の最中に戦争を仕掛けたが、大量破壊兵器が見つからないと、テロ支援国家だから戦争を仕掛けたと理屈を変えてくる。どこの国がイラクをテロ支援国家と認定したのか? じゃあアフガン戦争は、何だったのか? アメリカが十年ごとに中古の兵器を一掃セールして、新たな兵器を買わねば軍需産業が成り立たないというのは分かるが、我々のやっていることは何でしょう?
 それに実家の椅子にツメダニがいたらしく、膝窩が咬まれてアトピー性皮膚炎のようになってしまった。アトピー性皮膚炎と思っていても、ツメダニが原因だったりすることがかなりあると思う。

 4月8日火。
 北京堂理論で、電気を使わないで治療したが、結果は思わしくなかった。松江のホテルに到着するまでは良かったが、今日の朝は悪かったという。今日会ったときは、頚が歪んでいた。肩甲骨の痛みも再発したという。もとの『難病の鍼灸治療』の治療と夾脊の刺鍼を組み合わせる治療に戻す。

 4月9日水。
  やはり少し頚が歪んでいた。こんどは左右の『難病の鍼灸治療』と頚夾脊の鍼を併用した。治療後もわずかだが歪んでいたので、仰向けで胸鎖乳突筋へ刺鍼して40分置鍼すると治った。

 4月10日木。
 会社の人間が急死し、仕事が忙しくなったとの電話で、治療をキャンセルして帰った。



北京堂鍼灸ホーム