方舟子著   『批評中医』   

  中国医学の論争は、現代医学の発展に有益である

  『中医新世紀大論戦』叢書の序

 

  現在、中国医学の論争は、中国人に注目されている。中医の性質や作用、価値について異なる見解があり、対立する観点すらあるが、こうした論争の意義は、いかに中医を評価するかではなく、我々の思考を促すことにある。現在の中国では、どのような医学が必要なのか?  医学は、どのように発展すべきか?

  医学とは人の生命プロセスと予防治療の知識システムであると、我々は認識している。人は社会と自然の中で生きており、人の生命と疾病は、社会と自然による多くの影響を受けている。つまり医学は、純粋な自然科学にはなりえず、自然科学と社会科学が交わった学科にしか過ぎない。しかし現代医学は、自然科学の方向を追い求め、治療では多くの実験器具や検査機器に頼り、患者の精神状態や社会問題には関心を注がず、医師と患者の交流は減り、医師に対する患者の信頼は消え、診断治療技術は単一で、治療効果には限りがあり、医師と患者の対立は増え、衝突がひどくなる。

  そのため現代医学の有識者は「医学は、生物医学の様式から、生物、心理、社会、環境医学の様式へと変化すべきである」と訴えている。こうした転換は、患者の気持ち、哲学、倫理、宗教などの思想的要素を医師が理解することが求められるが、大部分の中国人に影響を与える伝統思想は、やはり伝統文化の中に根付いている。それならば中国における現代医学の発展は、中国伝統文化の健康と疾病に関する考えを重視する必要がある。中医は、こうした面で多くの探求と経験を積んでいるが、それが中国の現代医学が発展する豊富な資源となる。

  また中医が長期に発展したが、現在も自然科学の段階に入っておらず、多くの成功した治療経験は、依然として古代の学説によって説明したり、原始的な喩え話で説明しており、疾病に対する個別化と動態化の考察は、法則性の認識より重要で、医師の個人的な経験の総括は、標準化の模索より重視している。

  現在のようなハイテク社会になり、科学技術が大きく影響する社会において、未だに「陰陽五行学説」や「元気論」を使って病気を解釈し、「風寒暑湿燥火」を使って病因を説明し、医者は指先の感覚のみによって脈を測り、医者の個人的経験によってのみ病気を診断治療する。

  これでは中医で効果のあった治療経験が科学で説明できず、中医の科学的部分も取り出せない。中医が触れた客観法則は、真実の認識とは見なされず、中医の診断治療の方法も標準化できないので、中医に対する批判と疑問は常につきまとう。実際、中国の現代医学は中医のように人文精神や芸術を学ぶべきであり、また中医も現代医学の科学思想と方法を学ぶべきであって、両者が結び付いて中国の医学が正常に発展する。過去には現代医学が「医学様式転換問題」を取り上げたが、中医の豊富な伝統文化資源に注目しなかった。中医の内部にも「中医の現代化」と「中西医結合の試み」があるが、明らかに科学思想と方法論に基づくものではなく、中医理論の科学性を証明しようとするだけのものだった。

  ここで中医に関して討論することは、中国の現代医学と伝統医学の発展を含めて、現段階の医学の発展を全体的、現実的に考えさせ、一方の苦手は相手の得意なので、互いの長所を補い合わせることができる。自然科学の発展法則からすれば、伝統医学は最終的に現代医学へと編入されるが、中国の現代医学と伝統医学は、まだ当分は別々に存在する。その期間、中国の現代医学は徐々に伝統文化の健康と疾病に対する考えを認識し、それによって医学様式が変化する。中国伝統医学の発展には、次の3パターンがある。

  中医で成功した多くの治療経験を科学的方法によって検証し、伝統医学の科学的な部分を常に現代医学に取り入れて、現代医学を発展させる。

  現代医学と伝統医学の両方に精通した人材を育成し、中医の長所を十分に発揮させ、どのように患者と交流したらよいかを知っており、患者が病気と戦うように誘導し、また予防治療の科学的方法も知っていて、それによって現代医学の様式転換させ、そうした探求の重要な力となる。

  中医の伝統的特色を完全に保ち、小規模で伝統文化の形式を保存し、基礎教育から専門教育、教育内容から治療技能まで、本来の伝統を完全に回復する。

 

  もう現代医学と伝統医学の対立は、いらない。確かに両者は東と西の違いはあれど、どうやって人々を健康にするかという目的は同じであり、ましてや「西洋医学こそが中国の現代医学である」と大多数の中国人が認識していれば、中国で使われて進歩しているのが現代医学である。それは中医と同じく、やはり中華民族の知恵の結晶である。我々は中国の医学発展が目的であり、中医の臨床経験に対する科学的検証は、現代医学の科学的内容を豊かにし、中医の豊富な伝統文化思想は、現代医学の様式を転換させる助けとなり、中医伝統の完全回復は、中医伝統文化の継承と保存に役立つ。

  現代中国は、中国人ならびに中国人文化を熟知して、現代医学の知識と技術に精通する医師が必要であり、中国の医学をできるだけ早く、生物、心理、社会、環境医学様式にする必要がある。

  中医の論争は、多くの人に困惑や懐疑を抱かせ、怒らせたりもするが、我々は理性的にならねばならない。中医の存亡は、部外者がどのような評価をするかにあるわけでなく、いかに自身が発展するかにある。もし中医自体が、創造と発展のエネルギーを失ってしまえば、どれほど部外者が賞賛し、保護しようとしても、どうしようもない。

  そうした意味から言えば、誰かが中医を批判することは悪いことではなく、第三者の批判が自身を見つめ直させる原動力となる。

  歴史からすれば、中医の発展は中医人の努力目標であった。しかし、こうした努力は医学の発展問題の一つにしか過ぎず、民族感情、文化血脈、社会心理と常に密接に関係し、中医の伝統観念、認識構造、理論基礎の本流を激しく衝き動かしてきた。

  発展とは幾らか改善することであるが、いかなる改善であっても新と旧の衝突を招く。創造と伝統の衝突は、少数派の理性と多数派の感情が衝突することである。中医界や中国社会が、こうした改善を受け入れることができなかったり、完全に拒絶したとき、発展する中医は、必ず中医謀反や中医否定と見なされる。そうなれば努力している人々は、自分の努力目標を骨抜きにするか放棄するしかない。

  今回の中医論争は、さらなる中医を発展させる契機となるのだろうか?  現段階では結論を下せないが、こうした幅広い思考と論争は、多くの中医学生、教師、医師の魂を揺さぶり、中医の現状を深く分析させることになり、中医の未来について真剣に考えさせることになり、中医発展エネルギーを活性化し、現代医学の発展につながると思う。

 

  中国医学科学院協和医科大学  院校長助理      袁鐘

  中国協和医科大学出版社      社長            2007年1月

 

 

 

 

 

  前書き-私と中医の関係

  ほかの中国国内で育った人々と同様、私は幼い頃から中医を見て育ち、中国漢方薬を飲んだ。今でもはっきり覚えているのは、最後に中医に診てもらったときの情景である。たぶん高一のときで、なぜだか分からないが高熱になった。

  その頃は生物や医学が好きで、関係する科学書籍を読んでいたことから、中医には生理解剖の基礎がなく、科学的根拠もないことを知っており、もう中医を信じておらず、魯迅の中医に関する名言を、その通りだと思うようになっていた。

  両親は当り前に中医を信じており、中医に通じていることで名の知られた御近所を呼んできて、私に「望聞問切」をおこない、薬を処方して煎じた。私はスッキリしなかったが、両親の勧めもあり、試してみようという気持ちから飲んだ。病人は常に意志の弱いものだ。

  薬は非常に濃く、きわめて苦いものだった。しかし薬を飲んでも熱が退かないばかりか、腹まで下すようになった。薬を一服ほど飲んだだけなのに、そのあと二~三日も下痢が続いた。

  そのときから「もう中医には診てもらわず、漢方薬も飲まない」と誓った。その後、数年ほど、私は「医者を廃して薬を残す」状態にあった。もう中医には診てもらわないが、板藍根冲剤やベルベリン、感冒清など、市販されている総合漢方薬(感冒清のように西洋 薬を添加したものを含め)は飲んでいた。中医理論は信じてなかったが、漢方薬は経験の 結晶であり、やはり効果があって安全だと思っていたからだ。

  その後、私は漢方薬の有効性と安全性にも疑問を持ち、総合漢方薬も飲まなくなった。

  現在のように十全大補湯などがスーパーで食品とともに並んでいる状態は、常に薬種を調味料としている国では、完全に漢方薬から離れることは不可能だ。私は調味料としての薬種まで否定しようとは思わない。当帰カモなどは、とてもおいしいし、たまに食べてもたいした問題ではない。

  本を読むほど、学歴が高くなるほど、私は中医理論を否定し、漢方薬に疑問を抱くようになった。私の専門は生物化学であるが、現代生物学と基礎医学は同類であり、それが私の中医批判に専門的色彩を帯びさせる。

  中国語のインターネットができてから、中医の優劣についての論争は衰えない話題であり、懐疑的なのは生物医学を学ぶ留学生が主で、支持するのは他の専門を学ぶ人が主であった。私は中医批判者であることを隠さず、ネット上で活躍し、また中医批判を続けてきた。1998年、私は中医を系統的に批判した。2000年、私の新語絲ホームページで中国の学術ニセ問題を取り上げ、すぐに「中医詐欺師」というコラムを作ったが、それは中医をいい加減な詐欺師とし、中医界の嘘についてである。その後は新語絲ホームページが、中国人世界で中医を批判する主要なメディアとなり、現在では600余りの中医批判文が寄せられている。こうした文章、とりわけ中医学博士と臨床医師から寄せられた批判文は、私の知識の不足を補い、私に多くのヒントをくれた。私は2005年から相次いで『北京科技報』、『中国青年報』、『経済観察報』に週一回のコラムを受け持ち、いつも中医批判の内容を書いていた。これは恐らく中国国内で初めて、大衆メディアから登場した中医に対する疑問の声であり、たちまち私は中医界の避難の的となった。

  その代表的なものが「私は中医を判ってない」とするものである。だが私の中医に対する知識は大多数の中国人に比較して、いや大多数の中医支持者よりは豊富である。歴史や文化的興味、また批判する必要性から、私は中医学教材を独学し、中医の古典を読み、名中医のカルテや経験談を読んで、中医とは何かを知り、その理論的基礎と思考方法を学んだ。当然、私は系統的に中医を学んだわけではないので、どのように中医の方法を使って診断し、処方するか判らず、中医の細部については専門家には及ばない。しかし中医の理論体系と思考方法を批判するには細部を知る必要はなく、一般の科学基準に基づいて評価すればよい。それは風水や占いの非科学性を批判するようなもので、最初に風水や占いについて学ぶ必要はない。とりわけ現代医学が対照群を使った比較試験をおこなう中、現代医学の知識さえあれば、中医の非科学性は簡単に判断できる。そうした意味でいえば、私は現代医学知識のない老中医より「中医」を判っている。

  もう一つは、私の中医に対する見解が極端すぎるというものだ。しかし私の見解は少しも極端でなく、国際的な生物医学界の主流な見解と完全に一致するものである。私は自分の生物医学知識を使って、少し科学を普及しているにすぎない。

  また中医に反対することは、中国伝統文化に反対することであり、表面的なだけで根本を忘れていると非難する人もある。だが中医は、中国伝統文化の一部に過ぎず、中国の伝統文化を代表するものではなく、中国伝統文化の全てではない。だから中医に疑問を持つことは中国伝統文化に反対することにはならず、それは風水や占いに反対することが中国伝統文化に反対するものではないのと同じである。もともと中医は国学でもなく、国粋でもないが、その地位が近代に高まり、中華文化を代表する貴重な宝だと驚くような状況にある。しかし我々は科学的な角度から中医に反対しているのであり、文化的な角度から反対しているのではない。中医の科学的価値を否定することは、中医の文化的価値を否定することと全く違う。私は中医を文化遺産として保護、研究することに賛成で、少なくとも古人がどのように診察し、薬を処方したのか知ってもいいと思う。甲骨文を研究し、古人はどうやって占い、漢字はどのように変遷してきたかを調べることには賛成だが、占いは科学であるとか、普及させねばならないとする態度には断固として反対である。

  中医批判が、このように大きな反発を招き、十分な人身攻撃も受けたが、それは漢方薬の既得利益に反するだけでなく、民族感情に触れたからである。中医批判は、中医と西洋医の争いであり、それは中国医学と西洋医学を代表する中医と西医の争いと見做されている。こうした不要な民族感情を解消するため言っておきたいのは、中医は決して中国医学を代表しておらず、それは中華民族の古代医術体系に過ぎないのである。そして西洋医学も、西洋特有の医学ではなく、西洋を起源とし、広まったものではあるが、とうに全人類のものとなり、各国や各民族に溶け込んで、中国を含めた中華民族に貢献している。つまり西洋医学こそが世界医学であり、現代医学であって、医学科学なのである。今は科学を洋学や蘭学とは呼ばないようなもので、現代医学を西洋医学と呼ぶべきではない。現代医学が誕生する以前の西洋伝統医術こそが、本当の西洋医学なのである。つまり中西医の争いは、古い医学と新しい医学の争いなのであり、地域の医学と世界医学の争いであって、伝統医術と現代医学の争い、非科学医術と医学科学の争いなのだ。

  私の中医に対する批判が多くの不要な攻撃を受けているもう一つの原因は、多くの人が辛抱強く、丹念に私の文章を読むのではなく、歪曲しているからだ。誤読を避けるため、私の中医に関する見解を以下のようにまとめた。

  1.中医理論体系は科学ではなく、現代科学の思考、方法、理論、体系とは噛み合わないので、全体からすれば否定して捨てるしかない。

  2.漢方薬や鍼灸などの中医療法は、幾らかの治療経験を含んでおり、発掘する価値があるものの、現代医学の方法によって有効性と安全性を検証する必要がある。

  3.中医のうち有効な部分は、現代医学によって吸収でき、現代医学の一部となる。ただし中医と現代医学は、二つの完全に異なる体系であり、絶対に結び付くことはない。患者に正常な現代医学で治療すると同時に、不要な漢方薬を買わせたり、漢方薬に科学薬物成分を加えた「中西医結合」には断固として反対する。確かな証拠もないのに「中西医結合」が現代医学のみの治療より効果があるはずだとするのは、かえって現代医学の治療を撹乱し、患者の経済的負担を増やす。

  4.「漢方薬には副作用がない」という嘘の宣伝を看破することが、現在もっとも差し迫っている問題であり、はっきりと漢方薬の説明書に毒作用や副作用を明記しなければならない。毒副作用が不明だったり、大きすぎる漢方薬は、少なくとも医師の指示なしで買える処方薬として販売しない。

  こうした主張は「廃医験薬」と言える。つまり中医理論体系を捨て、漢方薬(他の中医療法)の有効性と安全性を検証する。そのほうが前人が主張した「廃医存薬(医者を廃して薬を残す)」より正確であり、盲目的に漢方薬の合理性を承認するものではなく、検証の必要性を強調している。

  科学は万能ではなく、限局性があり、常に進歩し続けている。現代医学は科学なので、中医のように「どんな病でも治せる」と吹聴することはありえない。多くの疾患は、現代医学でも効果的な治療方法がない。もしあなたが不幸にして、こうした病気になり、中医を試してみたいと思ったら、だまされたつもりでやってみればいい。それはあなたの権利である。あなたの病気は良くなるかもしれないが、大金を無駄にし、必要のない苦痛を味わう可能性が高い。我々が中医に懐疑的になるのは、国民の科学的素養を高めるだけでなく、国民の健康と身近な利益に関係するからである。素朴な民族感情から抜けだして科学的に中医を取り扱うことは、中国人の科学的理性を検証する試金石である。

 

 

 

  一、中医学は科学ではない

 

  ()科学とは何か

 

  現代科学の源は、古代ギリシアの自然哲学であるが、ヨーロッパのルネサンスに誕生し、発展し始め、全世界に広まった。古代中国にも輝かしい文明があり、ある種の技術や発明ではヨーロッパを長期にわたって凌駕していたのに、どうして中国では科学が誕生しなかったのか?  それはイギリス科学技術史学者であるジョセフ・ニードハムが出した問題なので、「ジョセフ・ニードハム問題」と呼ばれている。1953年、物理学者であるアインシュタインは、手紙の中で「西方科学の発達には、二つの偉大な成果が基礎となっている。ギリシア哲学者はユークリッド幾何学においてロジック体系を発明し、ルネサンスには系統的な実験によって因果関係が見つかることを発見した。私の見るところ人々は、中国の聖人賢人が、そうした進歩を作り出さなかったことに驚かなかった。こうした発見は、現れてから初めて人を驚嘆させる」と回答している。つまり科学の起源は日常的なことではないので、古代中国に雅楽が登場しなくても驚く必要はないと、アインシュタインが考えている。

  中医は中国古代文化の一部分となったが、それが誕生した時期は、はるか科学の以前である。中医の理論体系の成立は、四冊の中医著作が基礎になっているが、それが『黄帝内経』、『傷寒雑病論』、『難経』、『神農本草経』である。『傷寒雑病論』だけは後漢末期に張仲景が書いたと判っているが、あとの三冊については作者不詳、しかし前漢と後漢の時期に本となった。その後の中医理論体系には、大きな変化がない。中医理論体系が、人類が科学を持つ遥か以前に確立されていれば、中医学は科学でないことは明白である。

  しかし「サイエンス」が中国へ入ってくると、それが良いものだと徐々に公認され、正確と真理の化身となった後、中医も科学の光にまみれてゆく。現在出版されている中医学教材は、冒頭で中医学の定義を科学としている。例えば人民衛生出版社の『中医学(五版)』は、「中医学は、中国文化の特色に富む医学であり、生命科学に属している。これは中華民族が、長期にわたる医療、生活の中から蓄積され、まとめられた、独特の理論と豊富な診療経験を持つ医学体系である」と書いている。また多くの中医ホームページに記載された『中医基礎理論』には、「中医学の理論体系は、中医学の基本概念、基本原理、そして中医学ロジックと演繹プロセスに基づき、基本原理から導き出した科学的結論であり、科学法則で構成されたもので、中国古代の唯物論と弁証法思考、すなわち気一元論と陰陽五行学説を哲学的基礎とし、整体(全体)観念を指導方針とし、臓腑経絡の生理と病理を核心として、辨証論治を診療特徴とする独特の医学理論体系である」と書かれている。1955年に作られた中国中医研究院は、200511月に中国中医科学院と名称変更し、わざわざ「科学」の2文字を付け加えたが、それは長年にわたって「中医は科学でない」という論争を終わらせたかったからである。

  そうすると中医を科学とするのは、現在の中医学界では共通の認識であり、多くの中国学者と一般大衆の見解である。そうした見方が成立するのならば、科学が西方で誕生する遥か昔、古代中国には世界に先んじて科学があったことになり、世界に1000年以上も先んじた偉大な成果が事実ならば、それは中国人が誇りにしてよい一大事である。しかし、そうした観点は国際的に認められてない。国外に出ると、中医学は科学であると認める学者を探すことは困難である。例えばアメリカ国立衛生院とアメリカ医学会は、中医を他の民間医術と一緒にして「類医学(alternative medicine)」とまとめているが、一般に「代替医学」と翻訳されており、alternativeとは「伝統に存在するとか体制外の」という意味であり、医学科学ではない。

  私も中医は科学でなく、哲学、玄学、迷信、民間医術、心霊術の混合体だと考えている。科学的なものでなければ価値がないのではなく、科学的価値はなくとも、文化や歴史など他分野の価値がある。しかし、それがどうしても科学だというのならば、それはエセ科学である。エセ科学とは、科学を標榜しているが、実際は科学でないものである。

  最初の反発は「どんな理由で中医は科学でないと言えるのか?  まさか君が科学と言えば、どんなものでも科学だというのではあるまい」というものだ。中医の問題に限らず、こうした難癖をつけてくる人もある。この数年、私はエセ科学を暴露する仕事を続けてきたが、やはり同じように反問する。私は、ある学説が科学でないと言っているのではなく、それが科学と一致しない特徴を持っているからだ。ならば科学は、どんな特徴をもっているのか?

  辞書を見てみよう。「科学」を様々に定義しているが、多くは「知識体系」から科学を定義している(科学とは、ラテン語のscientiaから来ており、知識という意味である)1999年度版『辞海』は「カテゴリー、定理、法則などを運用した思考形式で、現実世界の様々な現象の本質と法則を表す知識体系」と定義している。この定義は漠然とし過ぎて、科学と非科学を分ける助けにはならない。きちんとしたエセ科学も、やはりカテゴリー、定理、法則を完成させ、現実世界の本質と法則を反映していると叫んでいる。だから、この定義も科学の本質を掴んではいない。科学の本質を示しているのは、その研究方法である。つまり観察と実験によって仮説を打ち出し、そのあとで新たな観察と実験によって仮説を検証する方法である。『エンサイクロペディア・ブリタニカ』は「物質世界とその現象に関し、客観的観察と系統的実験が必要な知識体系」と定義しているが、それが正確な定義である。

  だが、科学の本質に対する研究とは何かについて、まだ学術界には共通の認識がない。哲学分支-科学哲学が、その問題を研究する。科学哲学の著作から科学の本質を討論すれば、異なる流派があって、誰も他流派を認めない。「科学」という異常に複雑な事柄は、みんなが納得するように単純に定義できず、そのため科学哲学界には様々な科学の本質に関する学説があるが、それも正常なことである。

  しかし未だ、みんなが納得するような定義を「科学」に与えられず、科学とは違うが、はっきりせず、はっきりいえない曖昧な物でも、何が科学で、何が科学でないのか誰も判断しようがなく、各人が自分のやっていることを「科学だ」と主張できる。公認された定義もなく、公認された判断基準もない。学術界でも「人とは何か」とか、「生物とは何か」について様々な見解があり、現在でも普遍的に受け入れられる定義がない。それは我々が「人と他の動物」、あるいは「生物と非生物」を区別できないという意味なのか?  そうではない。一般的な状況ならば、「人か人ではないか」、「生物か非生物か」を誰でも判断できる。同じように科学に対して正確な定義がなくても、科学とエセ科学が区別できないわけじゃない。もし、ある科学哲学者が誰にでも受け入れられる科学の定義を発見したとしても、それは哲学理論上の意義でしかなく、実際の科学にとって何の影響もない。

  だから科学を適切に定義する必要はない。私の関心は、科学と非科学を判断する基準なのだから。科学界の何が科学かという判断は、その公認された基準であるが、ほとんどの科学従事者が意識しないまま使っている。その基準は、ロジック的基準、経験的基準、社会学的基準、歴史的基準の四である。そのうち重要なのが、ロジック的基準と経験的基準である。ここでいう経験は、生活経験や歴史経験の経験ではなく、哲学でいう経験であり、観察と実験を指しているので、科学とはロジックに証明を加えたものといえる。

  ロジックからすれば、まず科学理論は自身に都合がよくなければならず、つまりそれ自体が論理的に一致しており、少なくとも自身の説をうまくこじつけて、前後で自己矛盾が起きてはならない。第二に科学理論は簡明でなくてはならず、不要な仮定や条件を含まず、以後の失敗に逃げ路を残していて、つまり「奥峠姆のカミソリ」の原則と一致しなければならない。第三に、科学理論は反証されなければならず、いかなる条件にあっても永遠に正確で、いかなる修正も拒絶するようなものではない。科学は反証されなければならないという論法は、多くの人が誰でも知っているが、それが多くの誤解を生む。科学研究をすることとは、常に反証され、覆されるものだと考え、自分の出した理論が誤りであることを発見し、これは私の理論が科学的だということだと喜ぶ人までいる。実際、彼の理論は反証されるが、最初の証明も不正確なので、科学ではない。反証は科学の必要条件ではあるが、充分条件ではない。反証性は一つの科学理論と言え、いかなる状況下で覆されるかはっきり説明せねばならないが、どうしても覆さなければ科学研究ではないとはいえない。やはり人々が研究する主な目的は、ある理論を証明したいからなのだ。第四に、科学理論は応用範囲の境界線が明確であり、一定の条件下で、一定の領域内でのみ適用でき、全てを含むわけではない。

  経験からすると、まず科学理論には実験や観察によって確かめられる予測であり、単なる空想ではない。第二に、実際に証明された予測であり、言い換えれば一つの科学理論は反証さえできず、証明されたこともなければ、そのような理論は意味がない。第三に、検証された結果は、必ず別の独立した人に再現されなければならず、一度こっきりではダメで、また一家だけで支店がなかったり、彼のみが出せる結果であり、別の人は再現できなかったり、別の人は自分ほどの才能がないなどの言い訳は通用しない。第四に、データの事実かそうでないかを区別するのに一定の基準があり、何が正常現象で、何が異常現象で、何が系統誤差で、何が偶然誤差か、すべて明確に区別し、自分に都合のよいように結果を勝手に解釈してはならない。

  科学は一種の社会現象と歴史現象なので、この理論はロジックと証明の基準と一致しなければ、科学界が受け付けないのではなく、社会学と歴史の面から有用かどうかを決める。社会学からすれば、一つの科学理論は必ず既知の問題を解決できるはずで、それができなければ、その理論は存在する必要がない。科学者は、さらに研究した新たな問題ならびに、そうした問題を解決するモデルを出さないといけないが、言い換えれば検証できる予測を作り出さねばならず、そうしないと使いものにならない。新しく出した概念に対し、適切で実行できる定義を作り出さねばならないが、それは根も葉もないことだったり、問題解決に何の助けにもならないエセ概念、例えば「気功場」とか「天人感応」の類であってはならない。歴史からすると、一つの科学理論は、古い理論で解釈した全てのデータを説明できねばならないが、言い換えれば、自分に都合のよいデータだけを選んで解釈し、不利なデータを無視してはならない。そうでないと古い理論のほうが現実に合っていることになる。他の有効な平行理論と矛盾したり、他の理論を無視し、自分だけの体系を作ったり、ひどければ唯我独尊で、すべての科学理論を全て覆さねばならない。

  以上が「科学とは何か」だが、簡単に言えば「科学でないものは何か」である。

  科学とは、前人類に共有されており、国境もなく、民族や文化の限界もなく、東洋科学と西洋科学の違いもない。ある種の科学は中国人(あるいは中国文化を熟知した外国人)にのみ掌握できると公言しているものは、絶対に本当の科学ではない。科学と信仰は関係がないので、「信ずればあり、信ずれば効果ある」と言い張るものは、絶対に科学でない。科学の立場からすれば、もしあったり、効果があれば、信じなくとも同じようにあり、効果がある。もしなかったり、効果がなければ、信じたところで、やはりなく、効果がない。科学は絶対に正確なものではなく、間違ったりもする。しかし間違えば改めることができ、自己修正メカニズムによって修正する。そうして科学は発展する。

  科学の一つならば、以上の基準を全て満たしていねばならない。もし一門の学科が一つでも基準から外れていれば、それは科学ではなく、基準に一致していないほど科学性が低くなる。こうした基準を使って中医学を検査する。この基準は1995年以来、何度も紹介し、使用してきたもので、中医を批判するためにわざわざ作り上げたものではないということを言っておきたい。

  ()中医理論の非科学性

  中医理論の基礎は、元気論、陰陽学説、五行学説である。

  気は万物の根源であるが、人は万物の一つなので、やはり気が凝集して作られており、「気は、人の根本である」(『難経・八難』)。気は生命活動の前プロセスを受け持つので、「人が生きているのは、すべて気のおかげである」(『類経・摂生』)。いかなる事象も、いかなる変化も、すべて気の形成と変化の結果であり「気が始まって生と化し、気が散って形があり、気が広がって繁殖し、気が終わって現象が変わる。こうした四季の移り変わりは、気と一致している」(『素問・五常政大論』)。すると気は、すべての事象を構成しているようだが、基本粒子のように実在する物質の基礎ではなく、摩可不思議で曖昧な抽象概念に過ぎない。これを利用すれば、ほとんど全てのことが説明できるが、現実には何も説明していないのと同じである。

  陰陽も同様に抽象概念で、「陰陽は、名前はあるが形がない」(『霊枢・陰陽繋日月』)とあり、それはどこにも存在し、いかなる物も陰と陽に分けることができ、陰や陽も陰陽に細かく分けることができる。このように区分し続けられるので「陰陽は、数えれば十となり、押し広げれば百となり、また数えれば千となり、押し広げれば万となり、万より大きくなれば、数え切れなくなるが、実は一つである」(『素問・陰陽離合論』)とある。しかし何が陰で、何が陽なのか、明確な基準がない。内臓は、六腑が物を伝化して貯えないのだから陽に区分され、五臓は精気を貯えて漏らさないのだから陰に分類するが、全て主観による分類である。そして陰に属している五臓でさえも、さらに陰陽に分類でき、胸腔の心と肺は陽に区分され、腹腔にある脾、肝、腎は陰に分類するが、これも主観による分類である。一つ一つの臓器もさらに陰陽へ分類され、心陰・心陽、腎陰・腎陽と区分されるが、どのように決定されるのか説明が難しい。陰陽の相互対立と制約、そして互根と互用、相互依存があり、それらの間で常に、一つが衰えれば相手が盛んになるという消長の運動変化が起こり、また相互に転化する。「陰が勝てば陽が病み、陽が勝てば陰が病む。陽が勝てば熱となり、陰が勝てば寒となる」(『素問・陰陽応象大論』)、「陽が虚せば外寒となり、陰が虚てば内熱となる」(『素問・調経論』)、「陰が極まれば必ず陽となり、陽が極まれば必ず陰となる」(『素問・陰陽応象大論』)とある。万物が気ままに陰陽へ分けられるのならば、陰と陽の間には如何なる関係も存在しなくてよいことになる。このような学説は、当然にして全ての事象や変化を説明できるが、事実上は何も説明してないに等しい。

  古代人は木・火・土・金・水という五物の属性を観察し、木生火(木は燃える)・火生土(燃えると灰になる)・土生金(鉱石から冶金できる)・金生水(金属が熔けて液体になる)・水生木(水が木を生長させる)、木尅土(木は土を破って芽を出す)・土尅水(土は水をせき止める)・水尅火(水は火を消す)・火尅金(火は金属を熔かす)・金尅木(斧は木を切り倒す)という五行の相生と相尅を発見した。こうした観察は、非常に原始的で、いい加減なものなので、例えば水銀は金なのか水なのか?  多くの金属と非金属元素は燃焼するので、金生火や土生火でもいいじゃないか?  などの例外には答えられない。宇宙万物の変化全てを、この五物の相生と相尅にまとめるのは、あまりにも強引すぎる。例えば五行を四季と対応させるために五季(長夏を加える)とし、五色(青・赤・黄・白・黒)も現代の三原色と一致しない。人体は五行と対応するとし、五臓(肝・心・脾・肺・腎)、五腑(胆・小腸・胃・大腸・膀胱)、五官(目・舌・口・鼻・耳)、五体(筋・脈・肉・皮・骨)、五志(怒・喜・思・悲・恐)、五液(涙・汗・涎・涕・唾)、五声(呼・笑・歌・哭・呻)という。無理矢理に五つとするため、中医本来では六腑としているものも一つ(三焦)捨て、七情からも二つ(憂と驚き)捨てる。たとえ五つあったにせよ、それの五行との組み合わせは、やはり勝手に指定している。例えば、どうして肝は木に属すのか?  「肝の性質は、ゆったりして気持ちを好んで上昇するから、木に帰する」と答える。だが、何によって肝はそうした性質とするのか?  また肝が木に属する理由は「木の性質は、曲がったり真っ直になりながら枝葉を伸ばし、上や外へ向かって生長し、のびのび広がる特性を持っている。肝は木に属すが、その性質もリラックスすることを好み、抑えられるのを嫌う。だから肝は疏泄する」というが、これは典型的な循環論法ではないのか?  こうしたこじつけで帰属させたら、その相生と相尅の関係を明らかにするのは、さらに難しくなる。そこで融通が必要になる。五行の相生相尅は固定したものではなく、いずれかの一行は他の四行から影響され、いずれかの一行も他の四行に影響するので、相尅関係は発生変化し、相生と相尅は相対的なものとなる。例えば金は水を生み出し、水も金を助け、土は金を生み、金も土を助ける。相生と相尅だけでなく、相乗と相侮もある。一方が強すぎたり、一方が弱すぎれば、過度の尅が乗となり、逆方向の尅になると侮である。このように五臓、五腑などには、すべてに相生・相尅・相乗・相侮の関係があるので、どうとでも解釈できる。しかし事実上、何も説明していないのと同じだ。

 

               

 

 

               

 

 

  そうすると、気、陰陽、五行は、非常に曖昧で抽象的な概念であり、客観的な事象や現象ではなく、境界や証明がない。しかし、それらはどこでも存在し、時間とともに変化して、様々な可能な関係をひっくるめて何でもでき、全てを含み、一切の事象と現象を解釈できる。だからこれを使えば、既知の病気だろうが未知の病気だろうが診断や治療ができるので、中医には判らない病気はなく、治せない症状もない。もし治せなければ、それは彼の医術が低レベルなせいか、あるいは患者の命がそれまでだった(「だから病は治すが命は治さず」という)からで、中医理論の問題ではない。こうした理論体系は確かめようがないので、否定のしようもないのだが、科学学説では有り得ず、やはり哲学か玄学の学説である。

  だから中医は辨証の玄学系統であり、表面的には完全無欠であって、全体的には反論のしようがないが(例外を排除しなければ)、自己修正機能がなく、外来の力によって打ち捨てられるだけである。もし現代科学がなかったら、我々は中医の諸説を信じ込んでしまう。だから二千年前の中医はそうしたレベルだが、二千年のちでも同じレベルなのである。昔の中医は、破傷風・結核・腹水・喘息・梅毒などに無策であり、無数の死者を出していたが、現在も無策であり、すべて現代医学によって治療している。だが現代医学も、かつては治療できなかった。こうした一般の疾患は、中医の手に掛かれば難病となり、各人の意見があって、治療法について論争が終わらない。

  現代医学の研究は、他の実験科学と何も変わりがなく、「観察→モデルの確立→予測→検証」という方法が遵守されている。それと逆に、中医著作には検証しようのない予測が溢れている。例えば歴代の中医家は「夜中に受精すれば、生まれた子は必ず長寿で金持ちになる」というが、どうやって検証したのか?  孫思邈は「十二人の女とセックスして漏らさねば、老いることなく美色である。九十三人の女とセックスして漏らさねば、万歳まで生きる」という(『房内補益』)。これもどうやって検証したのか?  たんなる空想にしか過ぎない。

  科学的な検証は客観的でなければならず、実証と理性を守って、できるだけ主観的な偏差をなくさねばならない。しかし中医は逆に主観的な「心法」、非理性的な「悟り」を強調する。それを2000年の著作では「慧然独悟」や「昭然独明」と称し、2003年の著作では「禅悟」や「心悟」と書いているが、それこそ玄学(道教のような悟り)の方法であって、科学的な方法ではない。現在、中医理論は全く「内証実験」によって創造されたものだと主張する人まである。それによると「内証実験」は、自分自身を修練することにより、「内視反観」という特異機能が備わらねば生み出せず、こうした「内視反観」の能力があれば、経絡穴位・五臓六腑・血気運行などがはっきりと見えるという。これは完全に神秘主義の言葉である。

  また検証できる客観性を保証するため、科学的方法では再現性と数量化が強調されている。しかし中医は逆に、再現できず、数量化できないことを強調している。上述した「心法」や「悟り」、「内視反観」などは、純粋な古人の主観体験であり、宗教的な境地なので、当然にして別人が再現したり計測できない。医療では、中医はまた「因時、因地、因人製宜」を強調し、また全ては流転のなかにあることを強調するが、実は再現性可能な検証を否定している。中医の数量化できないことも同じように問題となる。精気・陰陽・五行などは抽象的な概念なので、数量化できない。臓器は計測できるはずだが、六腑のうち「三焦」は「名があって形のない」臓器なので測れない。後世の中医家は、五臓六腑の機能描写が解剖生理学と一致していない問題を避けるため、五臓五臓六腑は抽象的記号に過ぎないと主張したため、すべての臓器が計測不能となってしまった。抽象的すぎるだけでなく、中医が数量化ができないもう一つの原因は、曖昧な描写と比喩である。例えば脈状の描写では、革脈は太鼓の皮に触っているよう・渋脈は軽く刃物で竹を削っているよう・滑脈は盆の上で珠が転がるよう・弦脈は琴の弦を触っているよう・緊脈は引っ張ったロープが弾けるようなどなど、ただ医者の主観的感覚と比喩に訴えるだけなので、他の医者は違う判断をしてもよく、客観的な計測ができない。こうした曖昧さは、勝手に解釈するのに便利であり、理論的な失敗にも言い訳が残されている。

 

  ()中医学は、なぜ科学でないのか

 

  「科学とは、どんなものでないか」という角度から、中医学は、なぜ科学でないのか解説する。

  科学は新機軸を重んじて、古いものを崇拝したりしない。だから科学では、誰でも必読だとか、信じなくてはならない聖典など存在しない。現代医学の学生は、本人が医学士に対して関心があるならいざ知らず、ヒポクラテスや盖倫、維蘇里、哈維など歴代医学大家の著作など読む人はおらず、そうした古典を読まなくとも医業をおこなううえで全く差し支えがない。現代医学の論文も、前時代の賢人の語録を根拠にし、教典を引用して自分の正当性を証明することなど有り得ない。しかし中医では、『黄帝内経』、『傷寒論』、『金匱要略』などの古代文献を中医学生が読まねばならず、暗記して、根拠とすべき至高無上の教典である。それを診断や処方する根拠とし、中医の論文もこうした教典を明らかにしたり検証したものが多い。だから中医は人文学のようで、科学ではない。

  科学研究とは、広く適用できる自然法則を見つけ出すことであり、国境もなく、民族や文化の属性もない。確かに現代科学は西洋で発達したものだが、とうの昔に全人類の共同財産となっており、東西各国の科学者が貢献している。一門の科学学科は特定民族だけにあって他民族は除外されたり、特殊な文化背景のある人だけ理解できて他文化の人々には学べないなどということは有り得ない。中国人ならば、西洋文化を学んでからでないと現代医学を学べないことになるが、そうしなくてよいのは現代医学が民族や文化的属性を必要としない科学だからだ。だから中医を中国特有の科学とし、中医の科学的地位を西洋科学界が認めないのは、西洋人が中国文化を知らないからだとするのは、荒唐無稽な話である。

  科学は完全な知識体系であり、各学科は互いに関連し、一体となっていて、そのうち一つが他学科と無関係だったり、互いに矛盾して衝突する独立した科学学科など存在しない。現代医学は生物学を基礎として成り立っているが、生物学も物理や化学を基礎として成立している。だが中医は総体的に現代医学と相容れず、また生物学や化学、物理学とも噛み合わないので、中医学は現代医学だけでなく、現代科学体系すべてと矛盾している。このようなものは科学と無関係な哲学か玄学、あるいは別個のものではあるが、科学ではありえない。

  中医を弁護するため多用されるのは、中医は一門の経験科学であり、数千年の経験が蓄積された結晶だという理屈である。確かに経験には科学的要素の含まれることがあるが、経験自体は科学ではなく、経験だけに頼り、科学的方法を使って研究しないのならば、科学理論として受け入れられるはずもなく、「経験科学」という呼び名自体が科学ではない。歴史は古いかもしれないが、それは科学とは関係ない。科学学科(例えば現代医学)によっては歴史が非常に短く、また非科学学科(例えば占い、心霊、占星術)の歴史は中医より長い。

  実際には、中医の主流は経験的なものを軽視し、経験によって生まれた民間処方や経験処方を軽蔑してきた。中医理論の基本は経験の蓄積ではなく、陰陽五行の相生と相尅という玄学によって作られた憶測であり、こうした憶測に基づいて診断や処方をしている。李時珍の『本草綱目』は漢方薬経験の集大成と思われているが、それは天人感応の持論に満ちている。例えば夫婦が、それぞれ立春の雨水を一杯飲んだあとセックスすれば、不妊症に「神効(神のような効果)」があるという。これは経験の蓄積でも何でもなく、「春は万物が始まる季節である」というだけの理由だ。中医では、虎骨・虎鞭(虎の陰茎)・熊胆・犀角を良薬と信じているが、こうした動物が猛々しく凶暴なことから連想したものである。こうした形を取って類型とするのは、心霊と似ている。水蛭は血を吸うので、それを干して薬にすれば、活血化瘀(血行を良くして欝血を消す)でき、ミミズ(地龍)は土壌の中を掘り進むので、干して薬にすれば通絡利尿(静脈を通じさせて利尿する)でき、フンコロガシ(推車客)を薬にすれば排便できると考えているが、こうした例は枚挙に暇がない。それが死んでも生物の習性が薬効になるとするのは、明らかに経験の結晶ではなく、心霊術が変化したものである。

  科学に導かれなければ、貴重な経験も違ったものへと変質しやすい。抗マラリア良薬のアルテミシニンを例に挙げたい。その開発は、晋代の『肘後備急方』に葛洪がマラリアを治療した経験処方にヒントを得ており、それには「青蒿一握りを二升の水に漬け、その汁を絞って飲み尽くす」とある。これは明らかに経験処方であるが、中医の辨証論治や複方配伍(処方組み合わせ)の理論とは全く関係がない。後世の中医書、例えば『本草綱目』にも青蒿でマラリア治療する記載があるものの、それは芳香があって食用にできるカワラニンジン(青蒿・香蒿)を指しているが、それではマラリアが治療できない。中医からはアルテミシニンがマラリア治療薬とは認められない。これは「気は辛臭く、食べられない」と書かれている別種のクリニンジン(臭蒿・黄花蒿)から抽出したものである。葛洪が青蒿と呼んだのは臭蒿なのだが、後の中医家が混同したとしか考えられない。だから現在では臭蒿を青蒿と呼ぶことが多い。

  中医を弁護するもう一つの理由は、その有効性である。しかし有効性は科学性と同じではない。科学は確かに有効ではあるが、有効ならば科学というわけではない。だいたい明代に中国人は、人の種痘を使って天然痘が予防できることを発見したが、それは経験の結晶というべきもので、それには一定の効果があった。しかし中医では天然痘を、小児が先天的に命門に持っている「胎毒」だとしており、種痘は胎毒を引き出すためのものだった。より安全で効果のある牛の種痘術が19世紀初めに西洋から中国へ入ってくると、中医家も「中西医結合」へと変わり、種痘したあとの反応について「脾経毒甚、血熱違和」などと辨証施治するようになった。現在から見れば、種痘を有効な経験と結び付ける理論は、とても変である。

  中医治療の有効性については、非常に疑わしい。多くの人は中医の治療効果を信じているが、それは自分が中医で治ったことがあるからで、中医家もカルテにて、ある難病患者を如何にして治したか得々と述べている。不幸にも患者の証言と医者の「カルテ」は、現代医学では治療効果の証明と見做されない。多くの疾患は自然に治癒するが、心理的暗示があれば尚更である。患者が治癒したのは治療を受けた結果とは限らないので、その患者は中医の治療を受けて治癒したのでなければ、その中医の医術が優れており、その治療が確実に有効だと証明できない。一つの治療法や薬物が有効であるかどうかは、きちんとデザインされた臨床試験をしないと確定できない。現代医学では、遅くとも20世紀の1940年代には、この原則が確立しており、古人の迷信や名医のカルテは、何の意味もない。しかし現代になっても、一握りの「中医オーソリティー」は、依然として現代医学の臨床検査基準を拒絶し、たまたま「治癒した」難病だけを宣伝し、治らなかった症例については口を閉ざし、自分の身内を治療して死んだところで反省もしなければ、どこが藪医者と違うのか?

  中医が科学でなくても、おかしくはない。しょせん現代医学が興るまで、各国、各民族の医術(西洋医学を含め)に科学はなかった。中医は「超科学」や「人体科学」であり、将来に科学が発達すれば、その正確さが必ず証明される云々と言う人があるが、それは「占い先生」や「風水大師」達が、四柱推命や風水は現代科学を超越した「予測科学」や「環境科学」だと公言するのと変わりなく、根拠のない願望に過ぎない。現代医学が中医の某治療法を承認することは可能だが、中医理論を受け入れることは全く有り得ない。確たる理由もなく、古代人の知恵が現代科学を超越しているとは考えられないからだ。科学は将来へ向かって発展し、再び無知蒙昧な世界に戻ることは有り得ないからだ。天文学が占星術に戻ったり、化学が錬金術へ戻ったり、生物学が「神が創造した」とする理論に戻れないのと同様、医学科学も玄学や原始医術に戻ることは有り得ない。

 

  ()現代科学は中医理論を否定する

  中医では内臓を臓腑と呼ぶ。心・肝・脾・肺・腎が実質性臓器であり、合わせて五臓と呼ぶが、それが化生したり精気を貯蔵することから、蔵に肉を付けて臓と呼ぶのであり、生命活動の中心である。胆・胃・大腸・小腸・三焦・膀胱などの中空性臓器を六腑と呼ぶが、それは食物を受納して充満したり、水穀(水と穀物)を伝化(ウンコにする)することから、集まる意味の府に肉を付けて腑と呼んでいる。このほかにも脳・髄・骨・脈・胆・女子胞(子宮)があり、こうした中空性臓器も腑に属しているが、その働きが「貯蔵して出さず」ということから臓に似ており、奇恒の腑と呼ばれる。

  中医家のなかには、中医の臓器が解剖生理学と矛盾することを避けるため、中医の示す臓器とは具体的な解剖器官ではなく、一種の抽象的記号であると言い出す人も現れた。これは詭弁である。『内経』には「八尺の男で、ここに皮肉があれば、外から測って、触って得られる。彼が死ねば、解剖して見ることができ、その臓の堅さ、腑の大きさ、中に入る穀の量、脈の長さ、血の清濁、気の多少……すべて基準がある」(『霊枢・経水』)とあり、『霊枢・腸胃』では胃腸の寸法が記述され、『難経・四十二難』では胃腸の長さだけでなく、肝・心・脾・肺・腎・胆・胃・小腸・大腸・膀胱の形態と重さが列挙され、いずれも具体的で、実際の臓器の大きさと誤差が少なく、抽象的ではない。現在の注意学教材でも臓腑を紹介するとき、「心は、胸腔の内、横隔膜の上、両肺の間に位置し、開く前の蓮のめしべを逆にしたような形、外は心包に守られて」と、部位と形状を描写している。そうすると昔から現在まで、中医の言う臓腑とは解剖器官だったのだ。

  しかし中医の臓器に対する観察と描写は、非常にいい加減で間違っていることさえあり、臓器の機能についても推測が多く、解剖生理学とは一致しない。中医の代表的な誤りが、「心は五臓六腑の大主であり、精神の宿るところである」(『霊枢・邪客』)、「心は、君主の官であり、神明が出る」(『素問・霊蘭秘典論』)などだが、これは感情変化によって心臓の鼓動が変化することから、心を思考器官と考えた錯誤であり、他民族にも同様の誤りがある。しかし中医だけは、現在でも「心主神明」を堅持し、五臓と他臓器が人の頭脳活動を分担するとして「心は神を蔵し・肺は魄を蔵し・肝は魂を蔵し・脾は意を蔵し・腎は志を蔵する」(『素問・宣明五気篇』)、「心は君主の官で、神明が出る。肺は相傅の官で、治節が出る。肝は将軍の官で、謀慮が出る。胆は中正の官で、決断が出る。膻中は臣使の官(大臣を使う官。総理大臣)で、喜楽が出る」(『素問・霊蘭秘典論』)というが、どうしても大脳機能を他器官に分けたいのである。そして脳の機能を中医では「泣いて鼻水が出るのは、脳である。脳は陰である。髄は、骨を満たすものである。だから脳が滲んで鼻水となる」(『素問・解精微論』)とし、王冰が「鼻竅は脳に通じている。だから脳が滲むと鼻水になる」と解説している。また中医では「心は血を生み出す」(『素問・陰陽応象大論』)としているが、これは心臓が血を造り出していることであり、誤った観察によって導かれた結論である。古代人は骨髄が血を造る器官だと知らなかった。中医は「心は血脈を管理する」と言うが、この点だけは現代医学と近い。しかし「主血」とは血液循環であり、中医は哈維より2000年も早く血液循環を発見したと主張する人があるが、それは現代医学が中医学を参考にしたとする誤った推論に過ぎない。「心主血脈」は、「肺主皮毛」・「肝主筋膜」・「脾主肌肉」・「腎主骨髄」に対応するもので、五行に分類する必要性から出来上がったもので、解剖によって発見したものではない。考えてみれば、中医の心臓解剖では「七孔三毛」、「蓮の蕾を逆さにしたような形」、「心包(心膜)」、「脈管」などの大ざっぱな構造概念だけで、心臓には二心室二心房あることさえ知らず、血液循環理論を決定付けるのは房室の弁なのに、それを知らずして、どうして血液循環など発見できるのか?  その根拠は?

  中医の腎に対する見解も荒唐無稽である。左右に二つある腎は、同じではないという。左側のが本当の腎で、右側のは命門であり「精神の宿る所である。男子は精子を貯え、女子は胎児を繋ぐ」(『難経・三十九難』)という。つまり腎を主な生殖器官としているが、明らかに精液と尿が尿道から排出されるからで、腎の形状が睾丸と似ているため誤って連想し、排泄器官を生殖器官と考えたのである。中医では腎が排泄器官に過ぎないことを知らず、根拠もないのに腎の作用を「先天の本」とか「生命の根源」とし、その働きは精を貯蔵し、水を管理し、気を納め、骨を管理し、髄を生み、その状態は頭髪に現れ、耳に開竅し、大小便を管理するとしている。そして多くの疾病が「腎虚」から発生すると主張し、内分泌系・生殖系・泌尿器系・運動骨格系・呼吸器系など多くの病気と関係する。それだけでなく「癆瘵(癆咳・結核)」などの伝染病ですら「腎虚」と関係するとし、「滋陰降火」の様々な療法を考えるが、どれ一つとして効果がない。現代医学が「癆瘵」は結核菌による肺結核であることを発見し、有効な治療方法がある。

  脾臓は、血液を貯蔵する重要な器官であり、最大の末梢リンパ器官であり、血液を濾過して古くなった赤血球を壊し、血流量を調整し、リンパ細胞を作り出して免疫に反応するなどの機能があるが、消化機能などない。しかし中医では、現在でも「脾は運化し、消化器系の主要な臓器である。もし脾の機能が減退すれば、消化吸収代謝に異常が起きる。また中医では「脾は統血する」という。つまり脾臓は経脈(血管)を流れる血液運行を管理していて、脈外へ血が漏れないように防いでおり、もし脾気虚となって統血できなければ、血便や血尿、不正出血などの疾患が発生するという。中医の立場からすれば、脾臓の機能は非常に重要で、脾がなくして生存できないという。しかし現実には外傷によって脾臓破裂したり、難治性の突発性血小板減少性紫斑病、住血吸虫による巨脾などで脾臓を切除した患者に、中医が述べるような症状が現れない。

  血液を貯えたり量を調節する脾の機能は、中医では肝臓の機能とし、「肝臓血」と呼ぶ。現実には肝臓こそ人体最大の消化腺であり、栄養分であるグリコーゲンを合成したり貯蔵したり、胆汁を分泌して消化を助けたり、解毒したり、防御したりするが、中医では肝臓と脾臓の作用を全く反対にしている。肺は呼吸器官だが、中医では「肺主気」と「司呼吸」を正確に認識しているだけでなく、肺に備わってない機能まで付け加えている。それは水道を通調し、体内の水液代謝の運行と排泄を担っていると主張している。「脾気は精を散布し、肺へ上げて入れ、水道を通調し、膀胱へ下ろして輸送する」(『素問・経脈別論』)というのが、それだ。また肺は皮毛を管理し、「肺は皮毛に合し、その状態は体毛に現れる」(『素問・五臓生成篇』)という。

  そうすると中医の臓器に対する解剖生理の知識は、基本的に間違っている。古人が解剖を知らないので、このような誤った憶測があっても不思議ではなく、そのために古人を責める必要もないが、こうした間違いを現在でも改めない現代人こそ批判されるべきである。こうしたマクロ的な臓器に対して中医は正確に認識してないが、さらに現代医学では発見されない神秘的なミクロシステムである経絡まで承認している。

  実は、経絡は少しも神秘的なものではなく、もともとは大小の血管に対する呼び名だった。「経脈は十二あって、肉の分かれ目の間を隠れて進み、深くて見えない。諸脈で、表面に見えるものは、すべて絡脈である」(『霊枢・経脈』)、「長さが決まっていれば経脈で、総数の内に入らないのが絡脈である」(『霊枢・脈度』)などから、経絡とは皮肉の間にある肉眼で見れる管道であり、大きくて数の少ないものを経脈と呼び、小さくて数が多く、数え切れないものを絡脈としている。現代用語にすれば、大血管(動脈や静脈)が経脈、皮下の小静脈網が絡脈である。古代人の解剖観察がいい加減であり、経脈を中国の河川に喩えたため、十二経脈の分布や走向が、実際の大血管の状況とは異なっている。中医では「経脈は気が走り、動脈は気管」と考えているが、やはりいい加減な観察から出たものである。人が死ぬと、動脈中の血は直ちに流れ出て空になるが、そのため死体を解剖したとき動脈が空になっており、静脈の中にだけ血が残っている。それが古代人に「動脈は血を運ぶのでなく、気を運ぶのだ」と思わせた。古代ギリシア医学も同様な誤りを犯し、動脈は「気」を送っていると考えた。それで動脈の拍動を、中医では気の拍動であると思い込み、清代の王清任の『医林改錯』にも「頭面四肢を触ると跳動しているものは、すべて気管である」と書かれている。切脈(脈診)は、人体の気血や臓腑の状態を知り、それによって様々な疾病が診断できるとするが、それは脈拍の重要性を無限に誇張したものである。

  古代人の描いた経絡図が、現代解剖学の血管や神経分布と一致しないことが判明すると、古代人のいう経絡とは、まだ現代解剖学で発見されていないシステムだと考え、多くの人力と費用を使って経絡を検証しようとする人達まで現れた。例えばラジオアイソトープ(放射性元素)による追跡、赤外線変化、電気抵抗、超音波などを使い、自分は現代生物技術によって経絡の存在を立証したと宣言する人が、必ず一定の期間を置いて登場する。こうした研究は、いずれも「経絡がある」という先入観に基づいた発想で、「循経」を計測するが、実験デザインそのものに問題があるので、実験結果も人の信頼を得られるものではなく、国際生物医学界から相手にされない。生物医学文献データベースを調べれば判るように、国際的な刊行物に発表される経絡関係の論文は非常に少なく、そのほとんどが中国人だったり韓国人であり、たまに西洋人の研究があるものの、やはり経絡の存在を否定するものである。例えば昔、赤外線記録によって経絡を計測したという人があったが、オーストリアの格拉茨医科大学の研究員は、その結果を再現できなかった。

  ある臨床医が指摘したように、簡単な推理によって経絡の存在を否定できる。外科医は手術において、神経解剖と血管解剖を局部ごとに、層ごとに熟知している必要がある。もし誤って神経や血管を傷付けたら、大変なことになるからだ。しかし経絡を知っていなければ執刀できず、メスで経絡を切断したり、経穴を刺してしまうことを心配する外科医はいない。経絡は細い毫鍼にすら反応するのに、どうして太いメスには無反応なのか?  経絡は、どうしてメスを恐れないのか?  それは経絡など存在しないからである。経絡理論によると、人の下肢には6本の重要な経脈があり、陰陽に分かれていて、それぞれ脾・胃・腎・膀胱・肝・胆など、肝心な臓腑に属している。しかし両足を切断した症例も珍しくなく、患者は歩けなくなるものの、それ以外の生理機能は正常人と全く変わらない。こうした単純な事実も、経絡理論がデタラメであることを裏づけている。

 

 

 

  二、中医の「神話」を分析する

 

  ()「中医は広く深く精通しており、世界医学の中の優れた一枝である。以降は西洋医学も中医を模範に学習せねばならない」

 

  中医は伝統的医術の一種であり、その特徴は世界中の他民族の伝統医術からも共通する物が見つかり、それほど特色があるわけではない。中医が中国の伝統医術だとするならば、中医に相応する西洋医は西洋国家の伝統医術でなければならず、それは現代医学が誕生する前に流行した西洋国家の医術である。そうした意味では、西洋医と中医の思考や方法に、多くの共通点がある。中医の陰陽五行説と臓象学説に対し、古代西洋医にも天地の四元素から出た四体液学説がある。西洋医学の父であるヒポクラテスは、土・気・火・水の四元素から人体が構成され、肝が造った血液、肺が造った粘液、胆嚢が造った黄胆汁、脾が造った黒胆汁という、四種の体液のバランス(平衡)が失われることから疾病が発生すると考えた。人が発病するのは、四種の体液のバランスが崩れるからで、治すには体液のバランスを回復させればよい。だから余分に作り出された体液を、放血・発汗・嘔吐・下痢などによって排出すればよい。ヒポクラテスは整体概念と博物学者の目線によって、人体と疾病を取り扱い、患者と患者の環境の関係を研究した。彼は、気候・食物・職業などの外界要因が発病させることに注目し、病気は自然に治り、自然が身体を平衡状態へと回復させると考えた。適切な飲食・休息・鍛練が病気を自然に治し、健康を維持させると彼は主張して、できるだけ薬物を使わなかった。古代の西洋医学でも植物を薬にし、薬草によって熱・冷・乾・湿の属性が異なり、その属性を使って体液のバランスを回復させられると考えていた。西洋医学の処方も、同時の多くの薬草を併用することが多く、異なる薬草における組み合わせが研究されたが、それも中医処方とよく似ている。

  現代医学が19世紀に興り、20世紀の半ばに成熟すると、西洋医学界で西洋医学が徐々に打ち捨てられたが、やはり西洋の民間では信奉者がいて残った。それが自然療法とか薬草療法と呼ばれるもので、伝統的な西洋医学の残骸である。こうしたものは二度と主流な医学に返り咲けず、民間医術と見做されて「代替医療」とまとめた。その主なものが次である。

  順勢療法:食べると、ある病気と似た症状が現れる薬物を、その病気を治す良薬と考え、しかもその薬物成分が薄いほど、希釈倍数が多いほど、治療する効果も高くなる。

  カイロプラティック:病気は神経システムの乱れによって起きるとし、背骨を按摩することによって治療する。

  反射療法:人の手や足は、全身の各部位と対応する部分があり、手足の対応部分を指圧することによって治療する。

  虹彩診断術:全身の疾患は、すべて眼の虹彩に現れる。

  顱骶療法:指で感じるような拍動を人の脳も出しており、脳の拍動に異常があれば、手で頭蓋骨に触れることで診断、治療できる。

  手かざし療法:手のひらでエネルギーを患者に送り(気功に似ている)、あるいは患者のエネルギーを集めて治療する。中医、チベット医学、インド医学など東洋民族の伝統医学も、こうした代替医療に分類される。

  こうした類し医学は、いずれも自分が現代医学より優れていると自慢する。彼等は、「自分のは整体観念があるが、現代医学は局部だけを見て全体を知らない」とか、「自分は患者に対してヒューマニズムに溢れているが、現代医学は人を機械と見做しており、物としてみている」、「自分は患者の免疫力をアップし、自然治癒能力によって病気を治しているが、現代医学は劣悪な外力によって病気に対抗する」と異口同音に攻撃する。そして自分の療法の歴史的長さ、長年に渡って効果があったこと、その有効性が無数の患者によって証明されたこと、また患者の体験談を証拠としたりしている。こうした内容は中医の支持者から飽きるほど聞いている。

  20世紀の1960年代からは、現代医学が急激に発達したが、一方では代替医療が西洋でますます盛んになった。その原因はいろいろある。まず西洋社会で反文化運動が始まったこと。人文学界で反科学、オカルトが流行したこと。代替医療の主導者が団結し、全国的、世界的な組織を作り、西洋の政界に圧力をかけ、政府に代替医療の制限撤廃や代替医療を援助するように要求したこと……現在のアメリカでは、1/3以上の人が何らかの代替医療を受けており、心霊治療を含めると60%を超える。まだ医学科学が克服できない疾病であり、国民が安価で効果的な医療サービスを受けられない状況であれば、代替医療が生き残り、はびこるが、国民の科学的素養が低ければ、さらに勢いが増す。

 

  ()「中医は、中華民族の繁栄に不可欠の貢献をしており、五千年来の中華民族の繁栄と生存の事実が、伝統中医薬学が確かに人類の貴重な財産だと証明している」

 

  一民族の繁栄や生存は、決して医術によって維持されているのではなく、その医術の科学性を証明することにはならない。他の民族、他の生物だって数千年も繁栄し、生存している。一般的な疑問は「歴史において中国人は瘟疫(コレラやペスト)に直面したとき、どのように対処してきたか?  中医漢方薬の功労はなかったのか?」というものである。実際、死亡率が100%などという伝染力のきわめて強い伝染病などありはしない。現代学が誕生する前、歴史において中国人が瘟疫に直面したときの結果は、他の民族と同じで、自分の免疫力に頼って自然淘汰されてきた。現代医学が入ってくる前の中国人の平均寿命は、他民族と違いがなく、古代でも近代でも三十歳前後であった。最高の食事と中医治療を受けている皇帝の平均寿命でさえ、現在の人から見ると羨ましいものではない。中国歴代の王朝の中で、もっとも長寿なのは清朝であり、清朝の十人の皇帝の平均寿命は52歳、その中で唯一長命だったのは乾隆帝の89歳で、ほかは全員70歳以下である。康煕と道光が69歳、嘉慶と宣統が61歳、雍正58歳、光緒38歳、咸豊31歳、順治24歳、同治18歳である。現代中国人の平均余命は大幅に向上して七十歳以上だが、それはすべて現代医学のおかげで、特に公共衛生、周産期死亡率の向上、予防接種、抗生物質などの進歩が重要な作用をしている。実際の中医は、中華民族の繁栄と生存に対してマイナスだろう。本来ならば自然治癒するものが、間違った治療を受けたり、健康のため毒性のあるサプリメントを飲んだため早死にした中国人が、いったい何人いたか分からない。また中医では、女性が受胎するのは月経が終わった六日以内とし、また奇数日に受胎すれば男、偶数日に受胎すれば女と考えているが、そのころは女性がもっとも受胎しにくい「安全日」に相当する。もし古代中国人が「子が多いほど幸福だ」と考えているのならば、中医が指導する「セックス日」は、逆に産児制限になってしまう。

 

    中国とヨーロッパの時代による平均寿命比較表

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|西暦|1800年|1929年|1947年|1951年|1981年|2000年|2004年|

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|欧州|25~30 59.12 62.70 69.0  74.0   75.1  76.0 

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|中国|25~30 ~30  36.4  42.0  67.8   |71.3  71.8 

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  1947~1951年は上海の統計。他の資料は「だいたい35歳」と記述している。

 

 

  ()「中医はシステム論で、整体(全身)と関連を研究する。人を一個の整体として扱うが、西洋医学は人を機械と見做し、頭痛なら頭を治療し、足が痛ければ足を治療する」

 

  古代医学は、人体の解剖生理に対して具体的な知識がなく、人体を細かく研究する能力もなかった。だから漠然とした整体やシステムを強調するしかなかった。中医だけではなく、他民族の古代医学、例えば古代ギリシア医学も整体観念を使って人体を扱っている。だが、こうした「整体」、「システム」、「連絡」は証明されたことがなく、信頼できる事実に基づいておらず、信仰のうえに成り立っている。彼らのいう連絡も事実に基づいたものではなく、憶測に基づく間違った連絡であり、現代医学によって多くが否定されているものである。したがって本当のシステム論や整体論ではない。

  現代医学も同じように整体とシステム、連絡を強調しているが、それは実証されている。それは解剖や生理の具体的な知識に基づく整体であり、分子レベルで深く分析されたあと、総合的にまとめられている。現代生物医学は、分子・細胞・組織段階での生体外実験(試験管内実験。インビトロという)から始めるが、最後には動物や人体で実験しなければ医学で使えない。生体外実験の結果は、体内での結果と一致するとは限らないので、ダイレクトに体内に応用できないのが、生物医学研究の常識である。新薬の開発は、手順通りに生体外研究(インビトロ)→動物実験→人体実験の幾つかの段階を経て、やっと治療効果と副作用が確定できる。これは理論に基づく試験管内試験だけではなく、動物という生体、さらには人体を使って安全性を確かめることから、現代医学が人を整体として見るのを忘れてしまったわけではない。

  「頭痛なら頭を治療し、足痛に足を治療する」という言葉は、もともと中医師どうしが嘲笑する言葉として使われていたが、それを現代医学に用いるのは偏見である。現代医学も「頭痛なら頭を治療し、足痛に足を治療する」をしないだけではなく、「頭痛なら頭を治療し、足痛に足を治療する」ことに反対している。それは症状を消すだけで原因を治さなければ、病気が本当に治ったとはいえず、また症状を覆い隠すことになり、手遅れにして非常に危険となるケースもあるからだ。あなたが医者に頭痛を訴えたとき、まともな医者ならば「痛み止め」を与えて帰らせたりは絶対にしない。必ず痛む原因を突き止めて、それに対する薬で対処するはずで、頭痛は症状に過ぎない。そうしなければ半年経っても一年経っても、治ることなどないからだ。いやしくも医者ならば、一時的に痛みだけを止め、原因を放置することなどしない。その頭痛が、足によって発生していることが判ったら、やはり足を治療するだろう。そして足の痛みが、足の骨や筋肉の損傷によって起きていれば、当然にして足を治療し、それが中枢神経の原因で起きていれば、たぶん頭を治療するだろう。ときには原因が分からなかったり、原因が分かっても現段階で治療法がなければ、そのときは症状だけを治療する。

 

  ()「中医は辨証論治を研究し、標本兼治(症状と原因を同時に治療すること)する。西洋医は標(症状)だけ治療して本(原因)を治さず、根本がなくならないので再発しやすい」

 

  中医が研究する辨証論治は、本当に「証」が判ることが、どうやって治療するかに繋がらない。中医は「標と本を治す」というが、それが「標と本を治す」ことに繋がらない。中医は、ほとんど全ての疾患において、本とは何かが判っていない。それなのに、どうやって治療するのか?  逆に現代医学は、標も本も治す。あらゆる方法を使って、病気の原因を解明するので、ワクチンを接種したり、病原体を消滅させたり、腫瘍を切除したり、欠乏した栄養分を補給したりなどなど、現代医学の方法により多くの疾患を根本から治療するが、それこそ本当の「本の治療」である。

  マラリアを例にすると、中医ではマラリアの原因を「瘧邪を感受し、瘧邪に衛気が集まって邪正が争い、陰陽が互いに移ってマラリア症状の発作が起きる。……瘧邪には虚実が入れ替わる特性がある。瘧気の深さ、その進む速さによって衛気の集まる周期が決定され、それが発作周期の特徴になる。マラリアは、間日(一日置き)に発作が起きる患者が最も多いので、『素問・瘧論』には『間日に発作を起こす患者は、邪気が五臓に迫り、募原(腹膜)に連なる。だから邪気の通路が体表から遠く、その気が深く、速度が遅ければ、衛気と一緒に進むことができず、すべては衛気に追い出されない。だから間日に発作が起きる』とある。瘧気が深くて、さらに速度が遅ければ、二日を挟んで発作が起き、三陰瘧となるが、それを三日瘧とも呼ぶ」と認識している。こうした誤った原因に基づいて、中医では数十種の処方を出すが、当然にして薬効はない。その典型的な例として、1963年に康煕皇帝がマラリアになったが、御殿医は手の施しようがなかった。処方する薬が、全く効かない。最後には宣教師が献上したキナの樹皮によって治癒した。マラリアの本当の原因は、ハマダラ蚊がマラリア原虫に感染させたことで、異なる種類のマラリア原虫に感染したため三日熱や四日熱の違いとなる。これはキナの樹皮に含まれる有効成分のキニーネがマラリア原虫を殺したので、マラリアが治ったのだ。

  また貧血を例にすると、中医では貧血を全て「血虚」としている。また「血は水穀(水と穀物)のエッセンスであり、脾によって造られる」(『景岳全書・伝忠録・臓象別論』) と考え、脾虚では気血を作り出せないのが本病の主な病機(発病メカニズム)としている。そこで健脾益気養血(脾を健康にして気血を作り出す)ことが、主な治療法となる。しかし貧血の原因は非常に複雑であり、原因だけでも百以上はある。それが一般的な「鉄欠乏性貧血」だったにせよ、それが起きる原因は様々なので、原因を解明して治療せねばならず、単純に鉄を補うだけとはゆかない。それが食事の鉄不足によるものならば食生活を改善すればよいが、もし消化器系出血(潰瘍や癌など)による貧血ならば、それなりの治療をせねばならない。婦人科の過多月経ならば婦人科へゆかねばならず、鉤虫症による貧血ならば虫下しせねばならない。このように貧血の原因は様々なのに、ただ「健脾益気養血」だけでは治療できない。

 

  ()「中医は、すでに発病したものではなく、これから発病しようとするものを治療する。それは身体機能を調整し、免疫力を高めることによってウイルス感染を防ぐ」

 

「免疫」と「ウイルス」は現代医学の概念であり、中医のどこに「免疫」や「ウイルス」があるのか?  中医は免疫やウイルスについて何も知らないのに、どうやって「身体機能を調整し、免疫力を高めることによってウイルス感染を防ぐ」のか?  それは現代医学の「ワクチン接種」などの方法によってのみ成し遂げられる。「未病を治す」を治療に対する考え方としては受け入れられるが、このような思想だけでは何もできない。まず本当の原因は何かを知り、初めて本当の予防ができる。中医は、本当の原因について何も知らないのに、どうして「未病を治す」ことができるのか?  現代医学は公共衛生とワクチン接種を強調し、バランスのとれた食事によって、栄養不良、心臓血管障害、糖尿病など多くの疾病を予防して免疫力を高め、人々に「煙草を吸うな」と警告して肺癌などの発生を防ぐ。これこそ本当の「未病を治す」ことに繋がる。

 

 

 

  三、中医の効果は不確実

 

  ()現代の医薬品は、どのように開発されるか?

 

  中医の治療効果をどのように扱うかについて検討する前に、どのようにして医薬品が開発されるか、どうして臨床対照試験が薬効を確認するポイントとなるのかを知らねばならない。

  「自分は病院へ行ったことがない」とは、よく耳にする言葉だが、「自分は薬を飲んだことがない」とは聞いたことがあまりない。人が生まれてから死ぬまで、何度か病気にかかるのはどうしようもない。病気になれば薬の世話にならなくてはいけない。現代医学は多くの病気に数々の良薬を送り込んできたが、やはり多くの病気に特効薬がなかったり、治療薬がなかったりする。そこで常に新薬を探したり開発しなければならない。そして不治の病に奇跡の新薬があるという広告が毎日テレビや新聞で宣伝され、患者や友人達は心を躍らせる。しかし往々にして、それは金をだまし取ろうとする甘い言葉に過ぎない。自分の財産を守りたければ、そうしたデタラメな広告に惑わされてはいけない。財産を失い、失望させられたくなければ、新薬開発の常識を知らねばならない。

  以前は、薬物の発見を偶然に頼っていた。しかし現在では、ある疾患に対して意識的に新薬をデザインし、研究開発する。現代の薬物開発はグループ開発なので、さまざまな分野の専門家が協力しなければならない。まず生理学者、生物化学者、分子生物学者が、細胞や分子レベルで生理や病理を研究し、薬物をデザインする。そして有機化学者が薬物を合成し、毒物学者が薬物の毒作用を調べ、薬理学者が薬物の薬理作用を調べ、コンピュータ技術者がシュミレーションと分析し、医者が薬物に臨床試験(治験)と効果の観察をおこない、統計学者が治療結果を統計するなどである。

  新薬開発の第一歩は、人体の生理機能を研究することから始まる。生理学者は正常状態における人体の様々な生理機能と変化法則を研究し、生物化学者は生命プロセスにおける化学変化を研究し、分子生物学者は生命プロセスに関わる様々な分子の働きと相互作用を研究する。このように

  人体が正常状態ではどのように営んでいるのか、そして発病するとどの部分が異常となるのかなど、人体の様々な段階を分子・細胞・器官により調べる。発病は、一連の非常に複雑なプロセスである。このプロセスを細胞や分子レベルで解けば、どの段階で問題が起きているか追跡でき、新薬がデザインできる。そして異常が起きた段階を標的とし、特殊な構造や性質を持つ化合物を加えれば、分子や細胞の生理活動がどのように変化するか?

  もしかすると病変を是正して治療できるんじゃないだろうか?

  すぐに研究員が、こうした特殊な化合物を発見することもあるが、それはラッキーである。しかし大抵は、研究員は何万種という化合物の中から選びだし、やっと有効な数種を探し出す。現在の研究員は、コンピュータのシュミレーションによって標的を見つけ、それに適合する化学構造をデザインし、どんな構造と性質の化合物を合成すべきかを化学者に伝え、そこから選択範囲を狭めてゆく。

  薬物化合物のテストは、試験管と体外培養した細胞を使って実験する。体外(インビトロ)実験では、薬物が標的に直接作用するので、はっきりと効果が現れやすいが、それが必ずしも人体に有効とは限らない。薬物が体内へ吸収されないかもしれないからだ。もし吸収されても作用を発揮するかは不明で、不良反応が起きるかもしれない。これは培養した細胞では確かめようがない。だが人道的な見地から、すぐに人体実験することはできない。そこで体外実験で成功した化合物を動物実験しなければならない。

  そこで一般にマウス・ラット・ウサギ・ネコ・イヌ・サルなどを使って動物実験する。動物実験では異種の動物を使うが、それは種類によって薬物に対する反応が違うからである。まず薬物が実際の身体において、どのような作用を起こすか、動物の身体を使って化合物の効果をテストし、どのような毒副作用があり、どれぐらいの薬物用量が安全なのかを知る必要がある。次に生体では、どれぐらいの薬物量が血液中に吸収され、体内でどのように代謝や分解され、代謝物に毒性がないか、薬物や代謝産物が体外へ排出される速さはなどなど、身体が薬物に対し、どのように反応するかを調べなければならない。もし薬物の有効成分が血液内へ吸収されなかったり、血液に入っても代謝や分解、排泄が速すぎれば、それは役に立たないので、薬物の化学構造を変えたり、他の化学成分を加えたりして薬物の吸収を助けたり、代謝や分解、排泄速度を遅くしたりすることを考えなければならない。また薬物の代謝産物のほうが、薬物本体よりも効果のあることもある。

  しかし動物と人は、生理的に幾らか違いがあるので、動物で有効だったり、毒副作用が小さな薬物だったとしても、それが必ずしも人間には当てはまらない。そこで最終的には臨床試験(試験)して、その薬物が人間にも効果があるのか、どのような毒副作用があるのかを決定する。だから新薬は、インビトロと呼ばれる体外試験と動物実験をクリアし、新薬として希望の持てそうな物質だけを薬事管理局へ臨床試験の申請する。臨床試験は3段階あり、一、二、三期臨床試験と呼ぶ。

  一期臨床試験は、短期で小規模である。試験対象は通常20100人で、健康な志願者でも患者でもよい。それは、新薬に急性で重大な毒副作用がないか観察することが主な目的で、試験に適合した安全な投薬量を使って、最初は人体の薬物吸収と代謝、排泄を調べる。これは数カ月で終わる。そこで受け入れられないような重大な毒副作用がなければ、二期臨床試験に入る。だいたい70%の薬物は、この試験をクリアする。

  二期臨床試験は、中期で中規模なものとなる。試験対象は患者で、通常100300人である。新薬に効果があるかどうかを観察するのが主な目的だが、短期の安全性についても観察を進める。だいたい数カ月から2年ほどかかる。だいたい33%の新薬が、この段階をクリアして、三期臨床試験へ進む。

  三期臨床試験は、長期で大規模なものである。試験対象は患者で、通常10003000人である。それは新薬の効果と安全性を確認し、投薬量を確定することが目的である。1~4年が必要である。25~30%の新薬が、この段階の試験をクリアする。

  三期臨床試験が終わると、製薬会社は薬事管理局へ販売申請し、薬事管理局が組織した専門家が鑑定する。アメリカならば食品薬品管理局(FDA)が新薬の販売を許可するが、それは最初に臨床試験を申請した新薬総数の20%しかない。

  ときには臨床試験中に、ある薬物が悪性疾患を効果的に治療することが発見されたりするが、そうなれば臨床治検を早目に切り上げて、直ちに患者へ投与することもある。例えばエイズの治療新薬であるAZTは、二期臨床試験で患者の生存率が顕著に向上することが発見され、アメリカ食品薬品管理局が直ちに臨床試験を中止させて、市場販売する前に4000名のエイズ患者へ使用することを許可した。

  新薬の販売が認可されても、やはり広範囲で長期の臨床応用により、治療効果と安全性を観察して、それまでの薬物と比較するが、それを四期臨床試験と呼ぶ。それまでの臨床試験では児童や妊婦、老人が除外されるが、販売されたあとは、そうした人々や特定疾患の患者に対する安全性や効果、投薬量が観察され、完全なデータとなる。もし長期使用によって、思いもよらない重大な副作用が見つかれば、直ちに市場から回収される。

  新薬の開発は、非常に時間と金のかかる作業なので、小さな企業にはやれない。アメリカでは、ある新薬を研究開発に取りかかってから認可されるまで平均8.5年が必要で、数億ドルが費やされる。毎回5000種の薬物候補から、5種だけが臨床試験でき、1種だけが認可されて市場販売できる。

 

  ()どうして対照試験しなければならないか?

 

  一般の人には、薬物の効果をテストすることは、簡単なことのように思えるかもしれない。している。一陣の患者を捜しだし、彼らに薬を与えて、彼らが治ったかどうかを見ればいいんじゃないのか?  確かに以前は、その方法で臨床試験しており、はっきりした効果を上げていることがあった。1885年7月6日、パスツールは、ある9歳の少年に狂犬病ワクチンを注射したが、それが歴史上もっとも有名な臨床試験となった。この少年は2日前、ある狂犬にひどく咬まれていた。そのあと十日で、その少年にパスツールは12回ほどワクチン注射した。数日すると少年は、元気になって帰宅した。その翌年の3月1日、パスツールはフランス科学院へ狂犬病の治療結果を報告し、狂犬病ワクチンセンターをつくるように呼びかけた。

  1890年、世界各国の多くの場所に狂犬病ワクチンセンターがつくられた。

  人が狂犬病になると死ぬこと間違いなしで、死亡率100%なのに、狂犬に咬まれた人をパスツールが治療すると生き続ける。だから結論を出すのは簡単で、それだけパスツールの治療法が優れているということである。だが、この有名な試験も非常に珍しい事例である。こうした起死回生の霊丹妙薬は、きわめて稀である。通常の薬物は、症状を軽くしたり無くしたり、軽い病気を減らして、死亡の危険を低下させる。絶対多数の疾患からすれば、薬物効果は「これでなければあれ」、「効果があるか無いか」という単純なものではなく、「効くかもしれないが効かないかもしれない」という中間状態が存在する。そうならば、薬物の効果を判断することが非常に難しい。

  さまざまな要素が薬物効果の認定に影響する。多くの疾患、例えば風邪や不眠症は、治療しなくとも自然に治ってしまう。癌のような「不治の病」でも、自然に治ってしまう人もある。また多くの病気も患者の精神的要素が大きく影響し、まったく効果のないニセ薬(プラセボ薬・偽薬)でも一定の効果がある。特に高血圧・不眠症・不安症候群・胃十二指腸潰瘍など、発病メカニズムが精神や感情と関係する疾患では、ニセ薬の効果が30%以上にも達する。また慢性疾患の喘息・関節炎などの病状も、勝手に好転したり悪化する。そして心筋梗塞や脳卒中のような致命的疾患でも、その死亡率は年齢・性別・生活習慣など多くの要因が関係し、変動も大きいので、一人の患者の結果を万人に当てはめることが難しい。それに症状の好悪も、患者の訴えか医師の主観的判断に任せるので、その結果に患者や医師の主観的願望が入ってしまう。

  こうした要因を避けるため、一つの新薬の効果を臨床試験するとき、入念な試験プランをデザインしてから比較対照試験する。対照臨床試験では、Aグループの患者を新薬で治療し、他グループの患者は、まったく薬物治療しない・ニセ薬の治療・従来の薬で治療する・異なる投薬量の新薬で治療するなど、さまざまな対照群と比較して結果を出す。ニセ薬は、まったく薬理作用を持たない製剤で、外観はテストする新薬と同じか似ているが、主成分はデンプンか生理食塩水である。新薬の臨床試験で、ニセ薬と対照比較するのは、薬物効果に対する心理効果を押さえるためだが、それが新薬の臨床試験では必ず守らねばならない基本原則である。それならば外科手術における新薬の効果をテストするときは、別の対照群にも手術するのか?  それは論議すべき問題である。しかし研究によって、例えば心霊手術のようなニセの手術であっても、疾患によっては治療効果のあることが判っているが、それはニセ薬と同じような作用だと考えられる。

  対照試験では、できるだけ主観による偏りを排除するため、ほかにも守るべき原則がある。まず薬物効果に様々なことが影響するため、新薬群と対照群の患者は、同等か類似していなければならない。例えば患者は全員が同じ病気か、または同一疾患で同じ進行度でなければならない。そのうえ新薬群と対照群の患者は、年齢・体重・健康状態・受けている他の治療など、さまざまな内容ができるだけ一致していなければ信頼性がない。これを達成するため「無作為割付け」の原則を守らねばならない。つまり臨床試験に参加する患者の全員が各群へランダムに分配される。患者が何群に入るかは無作為にナンバリングされ、新薬群と対照群へ入る人を選んで分配するのではない。もし試験に参加する患者の母集団が十分に大きければ、無作為に割り付けた結果は、ほぼ新薬群と対照群の患者が似た特徴を持つ。そうせずに研究員が選んだならば、恐らく病状の軽い患者が新薬群に、重症患者が対照群に編入されるので、新薬群の治療効果が際立ったものになってしまう。

  臨床試験で、もし新薬群の患者が自分は新薬を飲んでいるのだと知っており、対照群の患者が自分は効果のないニセ薬を飲まされているのだと知っていれば、心理的要因から新薬群の効果が高くなり、対照群の効果が悪くなる。また研究員が新薬を認可してもらいたいという希望から、新薬群の患者だけに手厚い看護をしたり、暗示的な態度で接すると、治療効果の判定において新薬群が高く、対照群が低く評価され、新薬に有利なデータだけが収集されて、不利なデータが無視されるなどの傾向になる。こうした偏りを避けるために、臨床試験では「二重盲検」しなければならない。もし誰が新薬で、誰がニセ薬を飲んでいるか患者が知らず、研究員(医師や看護師、データ分析員)だけが知っていれば「ブラインドテスト」である。しかし研究員も患者も、誰が新薬で、誰がニセ薬を飲んでいるか知らなければ「ダブルブラインドテスト」になる。ダブルブラインドテストは、主観的な偏りをなくす最も優れた方法である。ダブルブラインドの状況で、割付け状態を部外者だけが知っており、医者と看護師は「何も知らされてない」状況で、患者に薬物かニセ薬を与え、治療効果の観察と病人のデータを収集し、そのデータをやはり「何も知らされてない」データ分析員に渡して分析させる。最終的に新薬群と対照群の効果を比較するとき、初めて研究員と患者は、自分が何群に属していたかを知らされる。

  ときには他の方式(臨床治療の蓄積や細かな観察)でも薬物効果が発見されることもあるが、そうした発見は信用できないことがざらで、本物だとする根拠に乏しい。無作為、二重盲検、比較対照とそろった臨床試験が、薬物効果を発見する唯一の方法とは限らないが、薬物効果を確定する最も信頼性のおける方法である。

 

  ()漢方薬の治療効果を軽々しく信じてはならない

 

  人々が漢方薬を効果があると信じる理由は、それが何千年にも及ぶ経験の結晶だというからだ。しかし我々は、あるものが何千年も広まっているからといって、それが必ず効果があるとは絶対に思ってはならない。やはり風水、占い、心霊術も何千年に渡って続いている。だが我々は伝統医術に少し寛大すぎる。確かに何千年も医療行為を続けており、ある種の治療法を模索したり、薬物を発見したことだろう。しかし経験は有効だろうが、知れたものである。口伝えの経験は、捏造や誇張が含まれていたり、成功した治療例だけに注目して失敗例は無視するなど選別が働くので、信頼性に乏しい。多くの疾患の治療効果も、経験だけに頼っては確定できない。したがって長年の模索において、もし本当に効果のある薬物を発見したとしても、本当に効果があるかどうか、何が有効な成分なのか、どのような毒副作用があるかなどについては、現代医学の方法で検査しなければ確定できない。

  歴代の名医が「どんな処方を使って何の患者を自分は治療したことがあるか」をカルテで得意げに書いたり、患者が「どのような薬物を使って自分は効果があったか」を体験談として文章で紹介したりしているが、そうした者は現代医学から見ると全く価値がない。効果の面で見れば、薬物にしろ治療法にしろ、一例のみでは少しも説得力がない。ある患者が何かの薬物を飲んで病気が治ったとしても、それは薬物の作用とは言えない。それは恐らく自然に治ったものであり、多くの疾患は薬を飲まなくとも自然に治癒する。もしかすると心理的な暗示の効果かも知れない。かなりの人は多くの疾患で、全く薬効のない「ニセ薬」を飲んでも治癒する。何年か前に流行した気功治療や特異能力による治療など、実際には心理的暗示の作用を利用したものである。ひどいものは誤診で、患者に全く病気がなかったりする。そのため薬物の治療効果を確かめるには、必ず大人数を使った臨床試験を実施し、統計しなければ確定できない。まさに最初に述べたように、無作為・二重盲検・比較対照のそろった臨床試験こそが、薬物の効果を確定するのに最も信頼できる方法である。これは20世紀の1980年第初期に始まり、中国では漢方薬に対する臨床試験の結果が発表され始めた。1999年には『イギリス医学雑誌』に「1997年に中国は1万種の漢方薬臨床試験結果を発表している」と記載されたが、そうした臨床試験には多くの問題があった。その発表には、どのように群へ割り付けたのかが記載されていなかった。15%の試験にだけ二重盲検が使われていた。そうした臨床試験の規模は一般に非常に少なく、いくつかの試験だけが300人以上の患者に実施されていた。多くの試験で不適切な対照デザインがされていた。多くの試験で、短期や中期の効果が研究され、長期効果はなかった。投薬量を定めた有効性の表示は、報告がわずかだった。多くの試験で薬物の副作用が報告されていなかった。そのため現在でも、どの漢方薬も三段階の臨床試験を完全にクリアし、アメリカ食品薬品管理局に認可された漢方薬など一つもない。

  現代薬物(つまり西洋薬)と呼ばれるものは、すべて前述したような臨床試験を経て販売される。しかし中医は「辨証論治」を重視し、同じ病でも患者が異なれば薬物に対する効果が違うので、臨床試験しても漢方薬の有効性が調べられないと考える人もいる。「個別化治療」と呼ばれるものは臨床試験の検査を拒絶するが、それは自分を欺き人をだます口実に過ぎない。現代医学も人によって個人差があることを認めており、薬物が一部の患者にのみ効果があり、大部分の患者には効かなかったりするので、統計を使って処理する。しかし現代医学では、各人で特定の処方しなければ薬の効果がないとするほど、個人差は大きくないと考えている。本当に効果のある薬物ならば、相当多くの人にも効果があるはずだとしている。

  薬物によっては治療効果があっても、毒副作用が強すぎるため使用できなかったり、慎重に使ったりする。例えばアヘンは唐代に中国へ入り、北宋の劉翰が『開宝本草』で初めてアヘンを薬として記載した。宋の謝採伯は、著名な軍官で詩人の辛棄が下痢にアヘンを使って治癒したことを『密斎筆記』に記している。だが、およそ明代の万暦年間にならないと、アヘンは薬物として民間に広まらなかった。『本草綱目・穀部』にアヘンが阿芙蓉として記載され、「慢性下痢」や「慢性咳」の治療に用いると記載されている。確かに効果があるが、現在では下痢止めや咳止めとして使う医者はいない。習慣性があるからだ。こうした急性毒や劇毒の薬物なら経験によって発見できる。しかし長期間も使用しないと毒副作用の現れないような、例えば薬物による発ガン性、肝障害、腎障害、心臓血管障害などの慢性毒は、経験では発見できないので、動物実験や長期臨床試験、疫学調査を使う必要がある。これまで無毒と考えられていた多くの漢方薬に、実は重大な毒副作用のあることが判った。それについては後で述べる。

  漢方薬の治療効果と毒副作用については判ってないので、それに対しては新薬開発と同じように薬理と毒理を研究し、インビトロの体外実験と動物実験、一から三期の臨床試験、疫学調査をする必要がある。それには世界の医学界に認められたニセ薬を使った比較対照、無作為割付け、ダブルブラインドの試験原則を遵守し、効果と毒副作用が確定して初めて承認される。そして本当に数量化できれば、現代薬物として認められるが、それには麻黄から抽出したエフェドリン、青蒿から抽出したアルテミシニンなど、有効成分を抽出する必要があるが、それらは認められた数少ない成功例である。抗マラリア良薬のアルテミシニンは、これまで漢方薬開発の模範とされてきたが、実際の研究開発は少し違う。それは晋代の『肘後備急方』から、搾り取った青蒿汁で葛洪がマラリアを治療した記載によって研究したものだが、実際のマラリア治療の伝統漢方薬とされた「青蒿鼈甲煎」は効果がなかった。それは中医で使用する青蒿(香蒿・カワラニンジン)が、アルテミシニンを抽出する青蒿(臭蒿・クリニンジン)と別物だったからだ。そのうえ煎じたためにアルテミシニンの化学構造が破壊され、薬効を失った。数十年の研究によって、その植物が臭蒿だと判った。つまり漢方薬から新薬を発見することは一定の価値があるが、植物自体を間違えているので、あまり価値がない。世界の各製薬会社が一時期、漢方植物の中から新薬を開発しようとやっきになったが、効率が悪く、収益が低かったので、徐々に打ち切っていった。そして分子レベルで薬物をデザインし、選別することが新薬開発の趨勢になってしまった。

 

  ()人を迷わせる鍼灸

  1971年7月、アメリカ国務長官のキッシンジャーは訪中し、米中関係を正常化させる準備した。その一行にいた『ニューヨークタイムズ』のコラムニスト、ジェームズ・レストン(James Reston)が急性虫垂炎になり、薬物麻酔して盲腸切除した。手術の二日後に、彼は20分の鍼治療を受けて痛みが和らぎ、非常に効果があったらしい。

  こうした変わった治療はキッシンジャーに興味を抱かせ、全世界が注目するニュース発表会で、わざわざそのことを話した。レストンは7月26日の『ニューヨークタイムズ』で、自分の不思議な体験を紹介した。この話は人から人へ伝わるうちに、ますます大げさになり、ついにはレストンが鍼麻酔によって手術したという話に変化した。

  そしてニクソンが訪中したとき、自分の眼で鍼麻酔を見ようと、大勢の記者や学者、医師達が同行した。鍼麻酔下で腹を切り開く手術は、西洋諸国へ向けた中国医療革命の政治パフォーマンスとなった。イタリアの演出家であるアントニオは、1972年の記録フィルム『中国』で、ある妊婦に対する鍼麻酔下での帝王切開の全プロセスを記録している。

  こうした国際鍼灸熱は数年しか続かなかったが、鍼灸という古めかしい東方医術が、西洋民間に代替医療として根を下ろすことになった。しかし大多数の西洋医は専門の訓練を受けているので、変わった治療法を簡単に信じるはずがなく、まず疑ってかかる。そうした疑いは当然のことである。私は大学時代、先生と一緒に鍼麻酔のデモンストレーションを見に行ったことがある。彼女の言うことには、デモンストレーションを始める前に、精神的暗示にかかりやすく、痛みに強い患者を選び、手術中は革命的意志を堅持し、けっして「痛い」と叫ばないように指示される。

  しかし鍼灸の作用は、始めに宣伝されたほど奇妙なものでないにせよ、ある種の鍼灸効果は西洋の病院でも再現されれば、単なるインチキではない。たとえ効果が再現されても、現代医学の訓練を受けた人は、やはり実際の効果を疑う十分な理由がある。

  多くの疾患で、多くの患者の病状が、治療しなくても、あるいはニセの治療を使っても、好転したり治癒したりすることを現代医学発見した。だから一つの治療法の効果を確認するため、無作為に割付け、対照群を設けた、ダブルブラインドの臨床試験が必要になる。患者を無作為に2群へ割り付け、一群を治療して、一群にニセの治療する。しかし患者も医師も、どの群に自分が属しているのか判らない。最後に両群の結果を比較する。

  しかし鍼灸にダブルブラインド試験は難しい。新薬のテストでは、対照群の患者に外見は新薬とそっくりなニセ薬を飲ませるので、患者と医師をだませてしまう。しかし自分が鍼灸治療を受けているかどうかを判らせないようにすることは、容易ではない。一つの解決方法として「ニセ刺入」の使用がある。患者に見えない状況下で、鍼を接触させるだけで刺入しない。もう一つの方法は「外し刺入」であり、わざと穴位を避けて刺鍼する。しかし、こうした方法は治療する医師をだますことができず、患者だけだますので一重盲検にしかならない。そのうえ刺鍼では、術者が患者に「得気」の有無を質問することにより、正確に穴位へ刺さっているか確かめることが多い。こうした相互交流が必要ならば、さらに二重盲検は困難となる。

  そのめ新薬のような厳密な検証が鍼灸効果には使えないので、臨床試験によって結論が異なってしまう。アメリカ2006年第45版の『メルクマニュアル』には、鍼灸に関する科学研究結果を以下のようにまとめている。鍼灸は、脳卒中の回復に助けとなるようだが、さらに高品質の研究によって、そうした発見が証明される必要がある。鍼灸は運動機能の回復に対しては効果がないが、障害の回復には幾らか効果があるものの、より高度な研究がなければニセ薬程度の効果かどうかが確定できない。慢性疼痛の治療効果については結論が下せない。腰痛の治療効果は、鍼灸群が対照群より優れているが、鍼灸群を比較すると本当の鍼灸治療とニセの鍼灸治療で差がない。膝関節炎の痛みと機能増強の効果については、限られた証拠では鍼灸が対照群より優れており、痛みについては本当の鍼灸がニセの鍼灸より優れていたが、機能自体に対しては本当の鍼灸とニセの鍼灸を比較しても結論が出せない。急性歯痛の治療では、ニセの鍼灸や対照群より鍼灸が優れていたので、鍼灸は歯痛の補助治療とできる。鍼灸治療は再発性頭痛の助けとなる。鍼灸で慢性喘息を治療するという十分な証拠が得られなかった。手術後の悪心や嘔吐の治療では、鍼灸と抗嘔吐薬では同じ効果だった。本当の鍼灸とニセの鍼灸では、禁煙の効果が同じだったので、鍼灸は禁煙に対して効果のないことが証明された。鍼灸は、麻薬中毒治療に効果がない。

  そのなかで最も多い研究は、鍼灸の鎮痛効果だった。たとえばアメリカの関節炎患者570名に対する研究では、薬物治療と同時に鍼灸治療を受けた患者では、その痛みの緩解効果が明らかに「ニセ刺入(接触鍼)」した患者より優れていた。しかしドイツでは、302名と960名の片頭痛患者を使った研究をおこない、鍼灸と「外し刺入」の鎮痛効果は同じように優れており、いずれも鎮痛薬と同じような効果だったので、穴位に当たるか当たらないかは関係ないと発表した。

  角度を変えれば、鍼灸は恐らく何らかの生理メカニズムによって作用すると思われる。多くの実験によって、鍼灸は神経システムを刺激してエンドルフィンを分泌させるが、それはモルヒネと化学構造の類似した神経ペプチドであり、強烈な麻酔や鎮痛作用がある。もし動物の体内へエンドルフィン抑制剤を注射すれば、もう動物に鍼灸しても鎮痛の作用は起きない。エンドルフィンには心血管を調節する作用もあるので、それが「なぜ鍼灸がある種の心血管障害を治療できるか?」という回答になりそうだ。

  現在では大脳の活動状態を観察する方法があるので、鍼灸すると同時に効果を観察できる。ある研究がイギリスでおこなわれた。鍼灸、ニセ刺入(患者が状況を知らない)、不刺入(患者が状況を知っている)のいずれでも、関節炎患者の大脳ではエンドルフィンに関する部位が活発になったが、鍼灸治療を受けた患者では大脳だけでなく、ライル島と呼ばれる部位まで活発になった。しかし残念なことに、この試験では「外し刺入」がおこなわれておらず、ライル島と鎮痛にどんな関係があるのか現在でも判っていない。

  まだ鍼灸には多くの謎があり、明らかにしなければならないが、次の二点ははっきりしている。○鍼灸はいくつかの疾患、特に鎮痛には一定の効果があるが、伝えられているような不思議なものではなく、ツボ(経穴)も重要ではない。○鍼灸は神経システムによって作用しているのであり、「経絡」のような未知のシステムを利用しているのではない。

 

  ()「中西医結合」とは、こんなもんだ

  アメリカ食品薬品管理局は200411月2日、中国から輸入した健康食品「蟻力神」カプセルを買ってはならないと消費者に勧告し、この食品をアメリカへ輸入することを禁止した。それは男性の性機能障害を治療し、男性の性能力をアップさせるという、この健康食品に、表示されていない処方薬成分が含まれており、もし使用法を間違えると生命の危険があるからだ。

  以前、中国のテレビやメディアで、何度も「蟻××」カプセルの広告を見かけた。そのメーカーは「中国特産の擬黒多刺アリの体内から抽出した貴重な栄養素を主原料に、多くの高価な漢方薬材料を加え、十数人の専門家が心血を注いで研究し、ハイテクノロジーが心を込めて研究製作した専売特許製品」と自称し、その保健効能は「補腎益気」、注意事項は「妊婦、乳幼児、青少年、児童が食べてはよろしくない」、原料は「擬黒多刺螞蟻、絞股藍、枸杞子、肉蓯蓉など」とある。しかし『アメリカ医学学会雑誌』2004年2月号に発表された文は、「蟻××」カプセルは全く天然健康食品ではなく、それには強い薬物成分であるシルデナフィルが含まれている。

  シルデナフィルはバイアグラの活性成分であり、医師の処方によってのみ購入でき、医師の指導によってのみ服用できる処方薬である。勃起障害の治療に使われる投薬量は50mgだが、「蟻××」1カプセルには55mgも含まれており、明らかに標準投薬量を基にして密かに添加されたものだ。FDA(アメリカ食品薬品管理局)のテストにより、『アメリカ医学学会雑誌』の発表が確認された。シルデナフィルを硝酸塩類の薬物と併用すれば、重度の低血圧となり、死亡する恐れもある。心臓血管障害、糖尿病、高コレステロールなどの患者は、常に硝酸塩類の薬物を使っているが、この種の患者に性機能障害が多い。もし彼らが「蟻××」の広告を信じて勝手に服用すれば、恐らく薬物反応が現れて死亡する可能性がある。だからFDAが警告と禁止をしたのだ。

  2003年、「蟻××」が密かに添加したシルデナフィルが検出されたことで、日本各地の保健所が公布したニセ健康食品の名簿に載った。これは西洋薬の添加された中国産健康食品や漢方薬製剤が、初めて見つかったものではない。台湾衛生署が2003年7月1日に発布したサンプリング調査報告書では、中国で生産された46種の漢方薬製剤をサンプリングしたところ、そのうち10種は密かに西洋薬成分が添加されていた。7種はシルデナフィルが検出され、2種は解熱鎮痛薬であるアセトアミノフェンが検出され、1種は血糖降下薬であるメトホルミンとフェンフルラミンが検出された。このほか1種には重金属の水銀が高濃度で検出された。

  「効能が足りなければ、西洋薬を併せる」というのが、中国の漢方薬製剤では現在、普通におこなわれている。多くの「補腎壮陽」の漢方薬は、「バイアグラ」の改造版にすぎない。糖尿病治療の漢方薬製剤には全て血糖を降下させる西洋薬が添加され、漢方薬の感冒冲剤の多くも解熱鎮痛薬が添加されている。こうした漢方薬製剤で本当に作用しているのは混ぜられている西洋薬であるが、説明書と広告には「蟻××」のように西洋薬成分が隠されているか、できるだけ西洋薬成分を少なめていると宣伝されている。

  現在販売されている銀翹錠を例にすると、多くの銀翹錠にはアセトアミノフェンやクロルフェニラミンなどの解熱鎮痛薬が混ぜられており、風邪をひいて銀翹錠を飲むと症状が治まるのは、こうした西洋薬が作用するからである。銀翹錠に加えられている西洋薬成分は、通化×薬業集団が製造したビタミンC銀翹錠のようにメーカーが成分を表示したものもあるが、ほとんどは表示がなく、広州×薬廠が製造したビタミンC銀翹錠などは、台湾衛生署薬物食品検験局が未表示の西洋薬成分であるアセトアミノフェンを検出している。ついでに、北京の某著名な漢方薬企業が製造した銀翹解毒錠は、台湾衛生署薬物食品検験局が少し高濃度のヒ素を検出し、長期に服用すれば重金属中毒が起きる可能性がある。

  また糖尿病治療薬として有名な漢方薬である「消渇丸」は、「葛根、地黄、黄耆、天花粉、玉米須、五味子、山薬、グリベンクラミド」と成分表示されているが、この最後に表示されている「グリベンクラミド」が西洋薬成分で、それが本当に血糖を下げるのに有効な成分である。しかし、このような包装をしてしまえば、みんなが「消渇丸」を純粋な漢方薬製剤だと思ってしまう。だが糖尿病治療を唄った漢方薬でも、混ぜられたグリベンクラミドが表示されていないケースもある。グリベンクラミドは、中国で「優降糖」や「格列本脲」とも表示され、血糖降下作用がはっきりした西洋薬であるが、副作用も強く、ほとんどの患者は服用するのに適してない。そうしたことを知らずに服用することは、非常に危険である。多量のグリベンクラミドを長期に服用し続けると、低血糖と腎臓病になってしまうだろう。

  寧心安神作用があるという漢方薬は、不眠や健忘を治療できるというが、それには睡眠薬が混ぜられている。例えば「養血安神錠」は、「仙鶴草、熟地黄、首烏藤、墨旱蓮、地黄、鶏血藤、合歓皮」が成分であると表示されている。しかし江蘇省南京市薬監部門が検査すると、吉林省×薬業有限公司が製造した「養血安神錠」に「エスタゾラム」が含まれていた。「エスタゾラム」は誰でも知ってる睡眠薬で、国家二類の向精神薬である。国家二類の向精神薬は、医師の処方がなければ買えない。だが「養血安神錠」は天然漢方薬成分とあるので、西洋薬が入っているはずがなく、患者は薬局で買えるのである。睡眠薬は1箱が数元ほどなのに、「養血安神錠」は70元以上する。また「中医が徹底的に不眠や鬱病を治癒させるため、さらに輝きを添えた」と宣伝する「特効舒神カプセル」は、香港衛生署が西洋薬成分の「ジアゼパム」と「クロルプロマジン」を検出した。二つとも医師が処方する薬物で、副作用がある。「ジアゼパム」は昏睡と眩暈が起きる恐れがあり、「クロルプロマジン」は肝障害を起こす可能性がある。

  さまざまなダイエット漢方薬でも、フェンフルラミン、エフェドリン、ジエチルプロピオンなど、強い副作用のある西洋薬成分が検出された。脱毛に使う外用漢方薬でも、脱毛治療に一定の効果がある西洋薬のミノキシジルが混ざっていた。

  こうした漢方薬なのに中身が西洋薬という嘘宣伝は、中国人の民族的自尊心と現代医学知識の欠乏を利用したものである。前に風邪薬で「西洋薬で症状を治し、漢方薬でウイルスに対抗する」という広告を見たことがあるが、それは多くの中国人が「西洋薬は標を治し、漢方薬が本を治す」という迷信を信じる心理に迎合したものである。実は現代医学には、まだインフルエンザウイルスを殺す特効薬が見つかっていない。インフルエンザの治療は、ただ症状を軽減して患者にスッキリした感じを与えるだけなので、「西洋薬が症状を治す」ことは本当だ。しかし「漢方薬がウイルスに対抗する」は、デタラメもいいところである。ウイルスに対抗するというのが本当ならば、西洋薬を使って「症状を治す」必要がどこにある?  昔、中国では「漢方薬でエイズを治療する」と大いに宣伝されたものである。こうした宣伝は重要な事実を見逃している。エイズ患者の治療には、やはり西洋薬を使ったカクテル療法が使われており、漢方薬は補助薬物に過ぎない。漢方薬が西洋薬の副作用を軽減できるかどうかテストしているのだ。だから漢方薬でエイズを治療しているのではなく、西洋薬によるエイズ治療を漢方薬で補助できるかどうか臨床試験しているに過ぎない。

  漢方薬に混ぜられた西洋薬は、さまざまな害がある。重い副作用のある処方薬が西洋薬として混ぜられていることもあり、それは医師の指導によって服用しなければならない。漢方薬の説明書に西洋薬が表記されていなければ、患者は知らず知らずのうちに西洋薬を飲んでしまうので、西洋薬の副作用を防ぎようがなく、病気の治療に障害となるかもしれない。また薬は多く飲めば多く飲むほど効くというものではなく、漢方薬と西洋薬を一緒に飲めば、恐らく漢方薬は西洋薬の効能を抑え込んでしまうであろうし、薬物どうしが反応して毒副作用が現れることだってある。不必要な薬物を多く吸収すれば、排出解毒するために肝臓や腎臓の負担が増える。そのうえ漢方薬の名を借りた西洋薬の価格は、西洋薬本体の価格より遥かに高いので、消費者の経済的負担も増える。

  漢方薬の名を借りた西洋薬は、西洋薬を盗用して漢方薬を売ろうとするものである。こうした「中西医結合」は、漢方薬の効能に対する自信を完全に失ったことを示しており、西洋薬の効果にすがり、また中国人の漢方薬を信じる心を利用して金儲けしているに過ぎない。こうした手法が中国ではまかり通り、暴かれたり処罰されることは滅多になく、奨励すらされている。隠蔽と虚偽のなかで、国粋の輝きを発揚し、名を得たり利を得たりする人もあり、慰めを得られる人もあって、それぞれが適所に落ち着く。

 

 

 

 

  四、漢方薬の毒性に注意しろ!

 

  ()漢方薬の毒副作用の数々

  しばしば「漢方薬は天然薬物なので、毒副作用はない」という宣伝を見かけるが、昔から人々は漢方薬の毒副作用を知っていた。最も古い植物の書物である『神農本草経』には365種の漢方薬材料が記載され、上・中・下の三品に分けられている。無毒なものが上品で君、毒性が小さければ中品で臣、毒性が激しければ下品と呼んで佐や使とした。「下品は多毒、長く飲んではならない」とあり、大戟、芫花、甘遂、烏頭、狼毒などがそれである。実は『神農本草経』で中品や上品とされている漢方薬材料にも、現在は有毒薬物だと証明されているものもあり、中毒による死亡例もある。19881227日、国務院は毒性薬品を「毒性が激烈で、治療投薬量と中毒投薬量が近接し、使用法を誤れば中毒したり死亡するであろう薬品」と定義して、『医療用毒性薬品管理辧法』を発布した。その毒性漢方薬材料には、砒石(紅砒、白砒)、砒霜、水銀、生馬前子、生川烏、生草烏、生白附子、生附子、生半夏、生南星、生巴豆、斑蝥、青娘虫、紅娘虫、生甘遂、生狼毒、生藤黄、生千金子、生天仙子、閙陽花、雪上一枝蒿、紅昇丹、白降丹、蟾酥、洋金花、紅粉、軽粉、雄黄などがある。『中華人民共和国薬典』2005年版には、有毒漢方薬材料が全部で72種類記載され、そのうち毒性の強い漢方薬材料が10種、有毒漢方薬材料が38種、弱毒漢方薬材料が24種である。

  しかし現実には、こうした毒性漢方薬材料を乱用すると重大な結果を引き起こす。台湾衛生署とアメリカ各地の保健機関は、さまざまな漢方強壮剤に過剰なヒ素や水銀などの重金属が含まれていることを発見した。こうした強壮剤は「発熱」や「上火(上気)」させるもので、ポカポカして元気が出たような印象を与えるが、ただの重金属中毒の症状に過ぎない。

  漢方薬は食品としてアメリカに輸入されており、認可されなくても販売できるのだが、有毒と判れば禁止になるだろう。実際に多くの普通の漢方薬製剤が、検出された重金属の含有量が高すぎるためにアメリカで販売できない。1991年、アメリカ食品薬品管理局は、華僑の13歳の子供が虫下しの漢方製剤である「鷓鴣菜」を飲んだ4年後に、大脳を損傷した。検査すると「鷓鴣菜」には水銀が2.3%も含まれており、「鷓鴣菜」の服用と販売を禁止する公示を出した。漢方薬製剤の「鷓鴣菜」は、まったく一種の植物の名前などではなく、小児の腸管寄生虫を主治する中医漢方薬製剤の商標で、山杜蓮、山楂、羅仙子、牛銀、馬銭子などが含まれている。

  アメリカの法律では、ワシントン条約の希少生物が含まれた製品を輸入できないが、アメリカ漁業野生動物部の法医研究室が20世紀の1990年代中期に抜き取り検査したところ、12種類が虎骨や犀角を含んだ漢方薬丸薬だということだったが、そうした成分は検出されず、意外なことに有毒元素のヒ素や水銀が驚くほど高濃度に含まれていることを発見した。水銀は一丸あたり7.8621.3mg、ヒ素が0.136.6mgも含まれていた。こうした丸薬に、中医で薬用とされる鉱物の雄黄(硫化ヒ素)と朱砂(硫化ヒ素)が含まれているためだろうと思われるが、こうした物質は表記されていなかった。そのうち最も多く含まれていたのは、原鳳凰衛星放送の司会者である劉海若の「脳死」を治したと噂される、安宮牛黄丸(牛黄安宮丸とも呼ぶ)である。南京の某制約メーカーが製造した安宮牛黄丸は、一丸あたりヒ素が3.2136.6mg、水銀が80.7621.3mgも含まれていた。研究によると一日に10mgの硫化ヒ素か、260mgの硫化水銀を飲めば、十分に慢性中毒になる。劉海若は「毎日、朝晩、鼻腔から牛黄安宮丸1粒を流し込んだ」と報道された。これが若を危険から救った「切り札」だという。事実そうならば、恐らく彼女は重金属中毒になっているだろう。これ以外でも「大活絡丸」や「牛黄清心丸」、「再造丸」、「牛黄降圧丸」など一般的な漢方薬製剤にも、ヒ素や水銀が含まれている。アメリカのカルフォルニア州では、ヒ素や水銀の入った食品や薬物の販売を禁止しており、アメリカ東洋医学学会は、こうした漢方薬製剤の使用を避けたほうがよいと提案している。

  重金属を含んだ漢方薬には、非常に一般的な漢方製剤もある。例えば多くの人が飲んだことのある牛黄解毒錠()は、説明書によると一錠に50mgの雄黄が含まれている。雄黄の成分は二硫化ヒ素だが、熱で分解されると劇毒の三酸化ヒ素へ変わる。それを俗に砒霜と呼び、10mgほど飲めば中毒し、100mgで死亡する。たとえ牛黄解毒錠が正規な製薬工場で生産され、生産ラインで厳格な品質管理がされており、雄黄の原料から砒霜などの不純物が除去されていたとしても、安心して飲んではいけない。雄黄そのものが毒だからだ。もっとも毒性は砒霜ほど強くはないが。『中国薬典』によると、雄黄は有毒で、常用される投薬量が1日50100mgである。牛黄解毒錠の使用量は、薬典によると1日4~6錠であり、実際に飲み込む雄黄が200300mgとなるので、結局は通常の雄黄投薬量の3~6倍になる。牛黄解毒錠を服用したことによる中毒や不良反応は、珍しくない。『中国薬房』は1998年、牛黄解毒錠による不良反応を38例報道したが、それは雄黄が原因していると思われる。そんなに牛黄解毒錠()を服用しておらず、すぐに中毒しないからと言って安心してはいけない。雄黄が含有するヒ素は、体内に入っても排出されにくく、蓄積されるので、長期に服用を続ければ慢性中毒となり、神経や血管、心臓、肝臓、腎臓、脾臓などを損傷する。ヒ素を含む漢方薬製剤には、ほかにも牛黄消炎丸、六神丸、至宝丹、梅花点舌丹などがあり、民間の処方薬や経験処方でも雄黄は常用される薬物である。

  こうした毒性漢方薬は、毒性が大きいので、昔から知られていた。しかし、あまり重視されなかった。毒性が慢性だったり、弱毒の漢方薬は、毒性について認識が難しく、さらに重視されなかった。歴代の中医が無毒としていた多くの漢方薬で、現在では慢性毒が発見され、腎不全や発ガン性、胸腺萎縮、重金属中毒、胎児奇形などが起きる。例えば霊芝を多量に服用すれば急性尿細管壊死となり、黄連は新生児溶血性黄疸を起こすためシンガポールとアメリカで禁止になり、「咳止めの良薬」である款冬を長期に服用すれば肝臓癌になる。最も有名なのがアリストロキン酸を含む漢方薬が腎不全を起こす問題で、その名前が「龍胆瀉肝丸」に及んだときは大騒ぎになった。

  2003年2月、新華社通信は中国の大衆に向けて、北京の某有名漢方薬製薬集団が製造した「清火の良薬」である龍胆瀉肝丸は、主成分の「関木通」が含むアリストロキン酸が尿毒症を起こす恐れがあると発表した。新華社通信の報道は、多くの人の意見によって誘発されたものだった。作家の張家瑞は、中医でいう「上火症状(歯茎の腫れとか)」に毎日悩まされていた。そこで「清火」効能があるという龍胆瀉肝丸を飲み始め、服用し続けた半年後に尿毒症となった。清華大学美術学院副教授の馬××も、やはり龍胆瀉肝丸を服用したために腎機能障害の症状となった。記者が調査したところ、北京中日友好医院(日中友好病院)199810月に最初のアリストロキン酸患者を入院させた。こうした患者は現在では百例以上に昇るが、龍胆瀉肝丸を服用して腎障害となった患者が最も多い。北京協和医院や朝陽医院でも同じ症例が多い。北京協和医院、中日友好医院、南京軍区総医院らは、龍胆瀉肝丸の主成分である関木通で動物実験した。その結果は、ラットの薬物反応は、人と同じだった。投薬量が多ければラットに急性腎障害症状が現れ、長期に少量の投薬量で間欠的に与えると慢性腎損傷となった。龍胆瀉肝丸が尿毒症を起こす原因は、薬物中の関木通がアリストロキン酸を含んでおり、それが進行性腎不全や慢性腎不全を起こしやすいからだ。病人は知らず知らずのうちに発病し、身体がおかしく感じたときは、すでに重症の尿毒症にかかっている。

  事実、西洋医学界ではアリストロキン酸が腎不全を起こす問題で、1993年に注意を呼びかけている。当時のベルギー研究員は、19901992年に「ダイエット食事療法」に参加した百名あまりの女性が腎臓病となり、そのうち少なくとも70名に透析か腎移植が必要なことを発見した。彼女らが服用していた「ダイエット薬」に、アリストロキン酸を含む漢方薬材料の防己(ツヅラ藤)が混ぜられており、それによって腎不全となったことが研究によって判明した。その後、世界の各地で似たような症例が続々と発見された。フランスでは7例の腎臓病が見つかり、19891992年の間に防己を含む薬草を服用したことと関係していた。1999年、イギリスではアリストロキン酸を含む薬草を服用したことによる2例の末期腎不全患者が発見された。アメリカでも2例の同様な症例が見つかったが、1例は1994年からアリストロキン酸を含む薬草を服用し始め、8カ月後に末期の腎臓病となった。もう1例はアリストロキン酸を含む薬草をおよそ2年服用したあと、1994年に末期の腎臓病となった。こうした腎臓疾患は、アリストロキン酸を含む漢方薬製剤を飲んだことが主な原因である。アリストロキン酸は腎臓間質組織を繊維化し、皮質の腎尿細管を多量に失わせるが、それは典型的な「漢方薬腎臓病」である。これ以外にも臨床により、アリストロキン酸を含む漢方薬材料は尿道癌や膀胱癌を起こすことが判った。実験によると、ネズミ類にアリストロキン酸を食べさせると、リンパ腫、腎臓癌、肝臓癌、胃癌、肺癌が発生した。1994年、最初にフランスがアリストロキン酸を含む漢方薬の販売を禁止し、イギリス、ベルギー、オーストラリア、オーストリア、スペイン、アメリカ、エジプトなど多くの国が続々と同じように禁止した。

  2002年の初め、中国国家薬品監督管理局は、龍胆瀉肝丸に重大な副作用のあることが判り、7月に「薬品不良反応ニュース通報」を出して、この情報を関係する企業や医療機関、各地の薬事監督局などへ通知した。新華社通信が報道したあと、国家薬品監督管理局は2003年4月1日、関木通の薬用基準を取り消し、龍胆瀉肝丸の関連薬品(丸薬、カプセル、錠剤)を生産している企業は、4月3日までに処方中の関木通をアリストロキン酸を含まない木通に交換する、他の関木通を含む薬品は当年の6月30日までに交換しなければならないと通知した。2003年末、台湾衛生署中医委員会は、アリストロキン酸を含む馬兜鈴、関木通、天仙藤、青木香、防己など5種類の漢方薬材料と製剤の禁止を正式に宣言した。そのため69種の漢方薬製品も、薬店で販売禁止にせねばならない。

  龍胆瀉肝丸は、非常に有名なうえ親しまれている漢方製剤であり、公費医療薬物の目録に名を連ね、中国で生産している製薬メーカーは十社以上にのぼる。漢方薬は、西洋薬に較べて穏やかだと、患者の多くも信じているため、しょっちゅう龍胆瀉肝丸を飲んで「火を追い出して」いる。多くの漢方薬師が、その薬に腎臓障害の副作用があることを知らない。北京崇文医院で、ある中医の家柄である老中医も、多くの患者と同じように龍胆瀉肝丸を服用して、尿毒症になった。

  龍胆瀉肝丸の歴史は古く、宋代には『和剤局方』という書籍へ収められている。元の処方は木通を使っていたが、1983年に木通が減少したため、薬典は木通を関木通に替えた。しかし関木通と木通は、まったく別の植物である。関木通は馬兜鈴科に属してアリストロキン酸を含むが、木通は木通科に属してアリストロキン酸を含まない。多くの人々が龍胆瀉肝丸の事件に巻き込まれたのは、この薬典のせいであり、処方の木通を有毒な関木通に替えたからである。実際には関木通のほかにも、アリストロキン酸を含む漢方薬材料は十数種あり、馬兜鈴、天仙藤、青木香、防己などを含めて、しばしば無毒の薬物として「火を敗る」とか「毒を排出する」ために使われ、ダイエットや心臓病などで服用するが、それを含む漢方薬は全て腎不全を起こす可能性がある。

  腎不全を起こすかもしれない漢方薬材料は、馬兜鈴科の薬物に限ったことではない。腎毒性があると判明した漢方薬は、植物類、動物類、鉱物類の薬物がある。

  植物類で、腎毒性のある漢方薬材料:雷公藤、草烏、木通、厚朴、使君子、益母草、蒼耳子、苦楝皮、天花粉、芫花、牽牛子、洋金花、金桜根、紅娘子、土貝母、蓽橙茄、馬兜鈴、土荊芥、巴豆、側柏葉、蘆薈(アロエ)、鉄脚威霊仙(威霊仙)、大楓子、柴胡、山慈菇、曼陀羅花、鑽地風、油酮子、夾竹桃、昆明山海棠、板藍根、沢瀉、防己、萱草根、甘遂、山道年、千里光、臭梧桐、丁香、檳榔、鈎藤、肉桂、補骨脂、白頭翁、矮地茶、苦参、松節、土牛膝、虎杖、棉花子、鴉胆子、臘梅根、千年健、相思子、番瀉葉など。

  動物類で、腎毒性のある漢方薬材料:斑蝥、魚胆、海馬、蜈蚣、蛇毒など。

  鉱物類で、腎毒性のある漢方薬材料:ヒ素を含む(砒石・砒霜・雄黄・紅礬)、水銀を含む(石朱砂・昇汞・軽粉)、鉛を含む(鉛丹)、他の鉱物類(明礬)など。

  まだまだ、かなりの漢方薬植物が肝臓を損傷する。各病院の報告によると、漢方薬による肝障害は、薬物性肝障害総数の4.832.6(北京地壇医院427例中139例で32.6%。北京302医院323例中56例で17.3%。福州市伝染病医院130例中20例で15.4%。広東273例中13例で4.8)を占めた。日本でも小柴胡湯が肝障害治療の薬物として、慢性肝炎患者へ長期に広く使用されたことがあった。その結果、小柴胡湯は平均2カ月の潜伏期間ののち急性肝炎を引き起こし、薬を中止したあと2~6週間で正常に回復した。別の報告では、小柴胡湯を服用した40例の患者のうち9例が、薬物使用中にトランスアミナーゼが上昇して黄疸が現れ、肝生検にて急性肝障害と判り、薬を止めたあと回復した。そのうち4例は、小柴胡湯を再開し、再び肝障害が出現した。アメリカの報告では、少なくとも10名の急性肝炎患者と1名の慢性肝炎患者が金不換と関係があり、金不換を服用したあと肝臓病が平均20(6日~52)ほど続き、症状と異常な肝機能は、薬を中止した平均8週後に消えた。1996年に4例の患者が、漢方薬の麻黄を服用したため急性肝炎となったが、うち1例は突発性肝不全だった。乾癬治療に常用される「克銀丸」と「複方青黛丸」には、土茯苓や青黛が含まれているが、それには肝臓に対して毒作用があり、治療投薬量では皮膚掻痒、尿が黄色くなる、身体や目が黄色くなる、トランスアミナーゼの上昇など、薬物性の肝臓障害が発生する。川楝子や苦楝皮などは、肝臓に有毒な甘楝素を含んでおり、正常な投薬量では黄疸、肝腫大、トランスアミナーゼ上昇などが発生し、薬物性肝炎となる。雷公藤や雷公藤多苷錠は、可逆性のトランスアミナーゼ上昇と肝腫大を引き起こし、多量に使用すると重症肝炎となる。五倍子や石榴皮、訶子などの漢方薬材料に含まれる加水分解性タンニンは、肝臓に毒性があり、長期に使用すると脂肪肝を起こし、ひどければ肝硬変となる。千里光や農吉利、天芥菜などは、ピロリジジン類のアルカロイドを含むため、慢性の肝毒性があり、肝静脈を閉塞して黄疸や腹水などを起こす。蒼耳子が含む毒プロテインと毒グリコシドは肝臓を損傷し、突発性の肝不全となる。癲癇、乾癬、精神病、ヒステリーに常用される鉛丹や鉛粉、密陀僧などは酸化鉛を含んでいるので鉛中毒を起こし、腹痛、肝腫大、黄疸、トランスアミナーゼ上昇となる。黄薬子にはジオスシンなどの有毒物質が含まれており、使用して2週間後に黄疸性あるいは無黄疸性肝炎となり、腹水や昏睡が起きたりする。蓖麻子にはリシンが含まれており、肝臓を傷害して中毒性肝炎になりやすい。その他の肝毒性漢方薬材料として、艾葉、大風子、天花粉、肉豆、合歓皮、金国欖、沢瀉、満山紅などがある。

  多くの漢方薬草に発癌性がある。中国科学院のアカデミー会員である曽毅らは1992年から1693種の漢方薬草と植物を調べ始め、52種の漢方薬草と植物に発癌補助物質が含まれていることを発見した。鳳仙子、鉄海棠、紅背桂、仮連翹、射干、青牛胆、懐牛膝、土沈香、芫花、狼毒、巴豆、沢膝、甘遂、鶏尾目、紅雀珊瑚、木油桐、独活、金銭草、蘇木、曼陀羅、烏柏などの漢方薬草には、発癌補助物質が含まれていた。千里光や農吉利、猪尿豆などはセネシオアルカロイドを含んでいるが、それは強力な発癌物質である。蘇鉄に含まれるサイカシンは発癌物質であり、肝臓癌や腎臓癌などを誘発する。檳榔は加水分解性のアレコリンを含んでおり、やはり発癌物質である。細辛、桂皮、八角茴香はサフロールを含んでいるが、それは肝臓癌を誘発する物質である。漢方薬材料の巴豆、砒石、砒霜、甘遂、瑞香、芫花根、狼毒、蘇木、三棱、金果橄などは、すべて発癌活性がある。20世紀1990年代初め、日本の研究者はマウスを使って「婦人科の良薬」である益母草の抗癌作用を研究していたが、思わぬことに妊娠と関係する乳腺癌の増殖を促すことが判った。

  現在、漢方薬草の毒副作用について系統的な研究が少なく、まだ毒副作用の判っていない漢方薬草がどれだけあるか知らない。

 

  ()漢方薬草の毒性をどうするか?

  中国国内の報道によると、2006年8月、イギリス薬品と衛生製品監督署は、5種類の漢方薬に重大な毒副作用が見つかったと宣言した。そのうちの二種で、特に注目されたのは「複方蘆薈カプセル」に水銀が1113%含まれていたということで、この国の基準を11.7万倍も超えており、この薬物を卸したり小売りしていた店が5000ポンドの罰金に処せられた。何烏首は、肝炎と黄疸などを引き起こすことが発見された。漢方薬の毒副作用については、目新しいニュースではなく、一定期間ごとに世界や香港、台湾の薬物安全機構がこうした公告をして、現地の消費者に注意を促しているが、あまり中国国内では報道されない。このたびは中国国内で直ちに報道されたため、中国ではニュースになった。

  誰かが漢方薬の悪口を言えば、漢方薬をなりわいとする既得権益者、ならびに中医を盲信している国粋的な一般大衆の強烈な批判を浴びるが、それは想定内のことである。それは信仰に先行する非理性的な反応に過ぎず、考え抜かれたものではない。ある漢方薬に毒副作用があると聞いたとき、いくつかの典型的な反応がある。

  一つは、漢方薬が有毒だと絶対に認めない反応。広東新聞は今回の事件に対して、「省漢方薬局の関係筋によると、イギリス薬物安全機構が述べる副作用は、発病した証拠がなく、問題の説明にはなってない」とか「広州市中医院の原院長、著名な中医専門家の呉維城教授は、肝炎のような病気は、すべてウイルス感染によって発病するもので、草本植物自体に肝炎ウイルスなどあるはずがない。例えば何烏首は、補腎効能のある漢方薬であり、我が国の中医が数千年も薬として使ってきた歴史があり、まったく肝炎を起こした症例など報告されていない。この漢方薬が有毒であるという推測は絶対にできない」と報道している。

  こうした報道では「著名な中医専門家」の医学水準に権威を感じてしまうが、食物中毒による中毒性肝炎と薬物による薬源性肝炎を無視し、ウイルス性肝炎だけが肝炎かのように述べているだけだ。医学界では、肝炎を起こす薬物が数千種も知られており、その中には川楝子や黄薬子、蓖麻子、雷公藤の製剤など、多くの漢方薬が含まれているので、著名な中医専門家の談話など、まったく根拠がない。

  イギリス薬物安全機構が、何烏首が肝炎を起こすと非難するのは、「症例の報告がない」のではなく、7名の症例も公示している。この7名は、抜け毛防止のために何烏首製剤を服用し、肝炎や黄疸などの不良反応が起きたが、服用を中止して全員が回復した。事実、1996年から外国の医学文献には、何烏首によって肝炎となった報告が少なくとも4編ある。

  ある薬物が数千年も使われてきたからといって、それが無毒の証明にはならない。薬物毒性によっては、特に毒性が慢性で、中毒症状もはっきりしなければ、何年や十何年しなければ慢性毒の症状が現れず、発癌性や催奇性、肝腎損傷などの薬物毒性は、経験などで発見できるものではない。必ず動物試験したり、厳密な臨床試験や疫学調査によって発見される。これまで無毒と見られてきた多くの漢方薬も、現在では重大な毒副作用が発見されている。

  「複方蘆薈カプセル」に驚くほど高濃度の水銀が含まれていた原因は、それに配合されていた朱砂だが、その主成分は硫化水銀である。インターネットでは「イギリス薬物安全機構は基本的な化学概念すら分かってない。水銀の有毒性は、硫化水銀の有毒性と同じではない」と非難されている。しかし水銀の有毒性も、硫化水銀と同じでないから無毒なのか?  硫化水銀に毒があるのかないのか、実験によって証明せねばならない。硫化水銀は水や脂に溶けないため、人体に吸収されないから無毒であるという人もいる。だが違う。英語の医学文献資料を調べてみると、硫化水銀を動物に食べさせると、水銀が体内に吸収され、脳、肝、腎などの臓器に蓄積され、こうした臓器に永久的な損傷となる。そうすると溶解しない硫化水銀は、腸の中で変化し、吸収されてしまうことになる。臨床でも、硫化水銀を含む漢方薬を長期に服用していて、水銀中毒になった症例もある。

  もう一つの反応は、漢方薬は有毒だと認めるが、人体には無害で、「毒をもって毒を制する」というものだ。例えば同じように広東新聞が「省の漢方薬局の関係筋によると、多くの漢方薬草が水銀含有量で基準を超過しているが、他の薬物と一緒に飲んでいるので、人体に有害とは限らない。例えば砒霜などは、複方蘆薈カプセルよりも多くの水銀を含んでいるが、現在、世界では白血病の補助治療として使われており、韓国などでは酒に浸し、駆寒の効能を利用している。ただ使用時は投薬量に注意せねばならない」と報道している。

  こうした状況は、当然にしてありうる。多くの毒物が病気の治療に使われているが、やはりインビトロの体外実験→動物試験→臨床試験を経て、ある特定毒物が特定疾患を治療できると確定したあとのことであり、一般論として論じられない。確かにそうした状況もあるが、薬物の毒性について曖昧なままで、適当に毒を飲ませるわけにゆかない。砒霜に含まれているのはヒ素で、水銀ではないのだが、白血病の補助治療に使われる。だが砒霜の毒性はやはり危険でなので、どんな病気でもヒ素を使って治療するわけでなく、ましてや食品とすべきものではない。確かに「不治の病」になれば仕方なく毒薬を使うが、「降火」などの些細な症状のために慢性中毒となるのは割に合わない。鴆毒を飲んで渇きを止める(後の困難を考えず、場当り的措置を講ずること)のと変わらない。韓国では砒霜を酒に浸すかもしれないが、やはり愚かな行為である。中国でも地域によって同じような習慣があり、やはりヒ素を含んだ雄黄を酒に浸すが、雄黄は過熱すると分解して砒霜になる。端午の節句に雄黄酒を飲んでヒ素中毒になるが、現在では悪しき習慣と考えられている。

  第三の反応は、漢方薬は有毒だが、それは騒ぐほどのことではないとするもので、「薬も三分の毒」じゃないか、西洋薬にも毒副作用があるじゃないかとするものである。しかし市場で販売される西洋薬は、薬効や安全投薬量、毒副作用について試験し、細かく分析しているので、毒副作用の前兆が現れても防ぐことができ、問題が出ても救うことができる。中医には「薬は三分の毒」という言い方があるが、どんな毒副作用がその薬物にあり、服用すると身体の器官にどのような損害を与えるか分かってなければならないので、それは無駄口に過ぎない。現代の薬物は説明書に、どのような毒副作用があるか詳しく書いてあるが、私が幾つかの漢方製剤を調べたところ、毒副作用に全く触れておらず、「注意事項」として「妊婦は服用を禁じる」とあるだけなので、普通の人に対して漢方薬は全く毒副作用のないような印象を与える。漢方薬は現在の中国においても、毒副作用が分からなくてもよいという特権を得ており、問題が起きれば「薬は三分の毒」を言い訳にして責任逃れをしているが、それは人命を軽視しているのではなかろうか?  毒副作用について詳しく説明されていないのならば、「薬は三分の毒」というのは無駄口と責任逃れの口実に過ぎなくなる。また証拠もないのに「調整や配合、あるいは辨証施治によって各薬草の毒性を消した」とか、「毒をもって毒を制す」などの言い方は、人命を軽視した嘘っぱちに過ぎない。

  龍胆瀉肝丸事件は、それについての教訓となる。西洋医学界は1993年からアリストロキン酸が腎不全を起こす問題に注意し、アリストロキン酸を含む漢方薬が多くの国で続々と販売禁止になった。中国国家薬品食品監督管理局は2002年、ようやく関係部門に「薬品不良反応信息通報」を出した。そして2003年2月、新華社がシリーズ報道として、龍胆瀉肝丸の主要成分である「関木通」が含むアリストロキン酸は尿毒症を起こす可能性があることを初めて中国民衆に公表し、国家薬品監督管理局も中国全土へ通知した。世界がアリストロキン酸を販売禁止にしてから十年も経過しており、その十年間に多くの患者がアリストロキン酸を含む漢方薬を飲んだため、永久に治らない損傷を腎臓に与えてしまった。我々は、もう十年かかって無数の患者の健康を犠牲にしなければ、薬品監督管理局が漢方薬の安全性について真面目に検討しないのか?  消費者は自分のみを自分で守ることを学習し、どれほど耳触りのよい言葉を「専門家」や公告がささやこうが、薬効が分からず、毒副作用も曖昧な薬物や健康補助食品は、買わないようにしなければならない。身体は自分自身のものである。むやみに漢方薬を飲んで問題が起きれば、後悔しても遅い。

 

  ()「中西医結合」が安全とは限らない

 

  中国大陸では中西医結合が宣伝され、多くの臨床医が漢方薬と西洋薬を併用して治療し、それによって治療効果を高めて、西洋薬の毒副作用を軽減できると信じている。しかし現在、漢方薬と西洋薬を併用すれば優れた薬理作用があることは証明されていない。理屈からすれば、漢方薬と西洋薬を併用すれば相乗効果があるかもしれないが、拮抗作用が生じる可能性もあり、効き目を悪くするばかりでなく、不良反応が起きる可能性もあり、薬源病が起きるかもしれないのだ。例えばホルモン成分を含む漢方薬として、甘草、鹿茸、人参があり、鹿茸片、参茸丸、甘草浸膏片、脳霊素などには糖質コルチコイド様の作用があるため、血糖を上げて血糖降下薬の効果を弱めるので、血糖降下薬と併用してはいけない。朱砂を含む漢方薬は、ヨウ化カリと一緒に飲むと、刺激性の強い硫化水銀ができ、医源性の腸炎となって赤痢のような便が出る。多量のタンニンを含む漢方薬は、金属イオンやアルカロイド、強心配糖体を含む西洋薬と併用すると、消化管内に吸収しにくい沈殿ができる。すべての西洋国家で禁止されている漢方薬麻黄の主成分であるエフェドリンは、エピネフィリンと似た薬理作用を持つ。麻黄は、利舎平、グアネチジン、クロルプロマジンなど、交感神経抑制薬と併用すれば、両者に拮抗作用が働いて薬物の効果が半減する。

  注意すべきことは、漢方薬と西洋薬を併用すれば、毒副作用が起きるかもしれない。例えば麻黄とアミノフィリンは抗喘息薬であり、気管支平滑筋を弛緩させる作用がある。しかし両者を併用すると効果が悪くなり、毒性も1~3倍に増加して、悪心や嘔吐、頻脈、不正脈などとなる。漢方薬の貝母をアミノフィリンと併用しても中毒が起きる。麻黄や麻黄製剤をジキタリスやジゴキシンなどの強心剤と組み合わせても、エフェドリンが心筋を興奮させて頻脈を起こすので、強心剤の心臓に対する毒性を増加する。麻黄や麻黄製剤をモノアミン酸化酵素抑制薬と併用すれば、高血圧となる。漢方薬の小活絡丹、香連丸、川貝枇杷露を西洋薬のアトロピン、カフェイン、654-2(塩酸アニソダミン)と併用すれば、アルカロイドの毒性を強める。益心丸、六神丸、麝香保心丸など、センソ(蟾酥)を含む漢方薬は、キニジン、プロカインアミドのような不正脈治療の西洋薬と一緒に使えない。漢方薬の甘草はグリシルリジン酸を含むが、それはステロイドと作用が似ており、長期に服用していれば体内のカリウム排出量が増加し、カリウム欠乏となる。甘草を強心配糖体と併用すると、強心配糖体が誘発される。また甘草をヒドロクロロチアシドのようなチアジド系利尿薬と併用すれば、重症の低カリウム血症や麻痺が起きるかもしれない。甘草を避妊薬と併用すれば、身体のグリシルリジン酸に対する感受性を高める。牛膝、萹蓄、沢瀉、夏枯草、金銭草、糸瓜絡など、カリウムを多く含む漢方薬は、カリウムを温存する利尿薬である西洋薬のスピロノラクトン、トリアムテレンと併用すれば、高カリウム血症となる恐れがある。カルシウムを含んだ龍牡壮骨冲剤や白虎湯などの漢方薬は、西洋薬の強心配糖体と併用すれば、西洋薬の毒性が増す。六神丸や益心丹などの漢方薬は、西洋薬のプロパフェノンやキニジンと併用すれば、急に心停止する。漢方薬の蛇胆川貝液は、西洋薬のモルヒネ、ペチジン、コデインと併用すると、呼吸不全を起こす。漢方薬の人参は、フェノバルビタール、抱水クロラールなどの鎮静鎮痙薬と併用すると、中枢神経に対する抑制作用を強化する。石膏、代赭石、龍骨などの漢方薬を西洋薬のテトラサイクリンと併用したり、漢方薬の黄連上清丸をビタミンB1と併用したり、漢方薬の麻仁丸を西洋薬の水酸化アルミニウムと併用したり、漢方薬の元胡止痛片を西洋薬のカフェインと併用したり、漢方薬の五味子を西洋薬のニトロフラントインと併用したり、漢方薬の牛黄解毒片を西洋薬のネオマイシンと併用するなどは、すべて毒副作用を起こす。漢方薬によっては、西洋薬と併用すると有毒化合物となり、毒副作用を強める。例えば漢方薬の薬酒は、三環系抗鬱薬であるイミプラミン、アミトリプチリンなどと併用すると、体内の肝臓代謝が強まって毒性産物が形成され、三環系抗鬱薬の毒性反応が強まる。またシクロセリン、ヒドララジン、グアネチジンなどと併用すれば、中枢神経の中毒症状が現れる。インスリンなどの血糖降下薬と併用すれば、低血糖となる。ほかにも桃仁、苦杏仁、白果など青酸配糖体を含む漢方薬や製剤を、麻酔、鎮静、鎮咳などの西洋薬と併用すれば、呼吸中枢が抑制されて重大な結果となる。

  手術する前に、ある種の漢方薬を飲むと麻酔の薬効に影響し、出血が多くなって手術の危険度が増す。2002年から2003年、香港中文大学の麻酔ならびに外科治療学系、臨床薬理学系が、香港で259名の手術待ち患者を調査したところ、その9割の患者が定期的に漢方薬を服用しており、44%が中医の診察を受けたことがあり、13%が入院当日も処方された漢方薬を服用し続けていたが、自分が何を処方されているか知っていたのは19%に過ぎず、そのうち最も多くの人が飲んでいたのが党参、次が枸杞子、杜仲、人参、天麻だった。ものによって麻酔薬と相互作用があると判っている漢方薬もある。例えば人参は低血糖と出血を引き起こし、銀杏、当帰、党参は出血させ、麻黄は血液循環を不安定にさせる。ある約40歳の女性は、子宮頚癌のため入院して切除しなければならなかった。彼女は手術の4週間前、いつも定期的に中医が処方した薬を飲んでいたが、入院してから肝臓障害と出血傾向が発見され、下半身の局所麻酔の予定だったが、全身麻酔に切り替えねばならなかった。あとで彼女の漢方処方を見てみたら、あまり使われない薬材が3~4種ほど入っていたので、それが彼女の症状と関係していると思われる。専門家は、手術する2週間前に漢方薬を止めるよう勧めているが、それは漢方薬が体内で分解されるのに十分な時間であり、漢方薬を服用していることを事前に麻酔医へ知らせなければならない。もし手術中に異常が起きたとき、すぐに麻酔医が発見でき、他の麻酔方法を選んで、西洋薬と漢方薬ができるだけ衝突しないようにするからである。

 

  ()漢方薬の毒副作用の便覧

 

  (薬品監督管理局の通知、医学研究文献、専門のホームページなどの資料を集めて整理した。毒副作用を持つすべての漢方薬材ではない。主に腎臓毒性、肝臓毒性、発癌性の漢方薬を主にしている。ほとんどの漢方薬が、毒副作用について研究されておらず、現在でも判っていない)

  毒副作用は一般の副作用と異なり、薬を飲むことによって器官を傷害したり、身体の機能を障害したり、あらたな疾患を発生させたり、死亡することすらある。

 

  【アリストロキン酸を含む薬材】

  アリストロキン酸は腎毒素であり、腎細管を破壊して腎不全を起こす、典型的な「漢方薬草腎臓病」であり、重症ならば一生涯に渡って人工透析したり、腎臓移植しなければならない。アリストロキン酸は潜在的な発癌物質でもあり、動物実験でアリストロキン酸を食べさせると、リンパ腫や腎臓癌、肝臓癌、胃癌、肺癌を起こす。

  アリストロキン酸が含まれていたり、含まれていると疑われる薬材には、馬兜鈴、関木通、天仙藤、青木香、広防己、漢中防己、細辛、追風藤、尋骨風、淮通、朱砂蓮、三筒管、杜衡、管南香、南木香、藤香、背蛇生、仮大薯、蝴蝶暗消、逼血雷、白金果欖、金耳環、烏金草などがある。

  上述した薬材と混用され、アリストロキン酸が混ざっていると思われる薬材は、木通、苦木通、紫木通、白木通、川木通、預知子、木防己、鉄線蓮、威霊仙、香防己、白英、白毛藤、大青木香などである。

  以上の薬材を含む漢方製剤には、龍胆瀉肝丸、耳聾丸、八正丸()、純陽正気丸、大黄清胃丸、当帰四逆丸()、導赤丸()、甘露消毒丹()、排石顆粒、跌打丸、婦科分清丸、冠心蘇合丸、蘇合丸、辛荑丸、十香返生丸、済生結核丸、止嗽化痰丸、八正合剤、小児金丹片()、分清五淋丸、安陽精製膏、辛夷丸、児童清肺丸、九味羌活丸(顆粒、口服液)、川節茶調丸()、小児咳喘顆粒、小青龍合剤(顆粒)がある。

 

  【朱砂】

  主成分は硫化水銀で、水銀中毒を引き起こして、中枢神経や腎臓、消化管を障害する。

  朱砂を含む漢方製剤には、一捻金、二十五味松石丸、二十五味珊瑚丸、十香返生丸、七珍丸()、七厘散、万氏牛黄清心丸、小児百寿丸、小児至宝丸、小児金丹片、小児驚風散、小児清熱片、天王補心丸、牙痛一粒丸、牛黄千金散、牛黄抱龍丸、牛黄清心丸、牛黄鎮驚丸、安宮牛黄丸、安宮牛黄散、紅霊散、蘇合香丸、医癇丸、補腎益脳片、局方至宝散、純陽正気丸、抱龍丸、柏子養心丸、胃腸安丸、香蘇正胃丸、保赤散、益元散、梅花点舌丸、琥珀抱龍丸、紫金錠、紫雪、暑症片、舒肝丸、痧葯、避瘟散、人参再造丸、平肝舒絡丸、再造丸、複方蘆薈膠嚢などがある。

 

  【雄黄】

  主成分は硫化ヒ素で、ヒ素中毒を起こして、神経や血管を傷害し、肝臓、腎臓、脾臓、心筋など実質臓器の脂肪変性と壊死、癌化を引き起こす。

  雄黄を含む漢方製剤には、七珍丸、小児化毒散、小児至宝丸、小児驚風散、小児清熱片、牙痛一粒丸、牛黄至宝丸、牛黄抱龍丸、牛黄消炎片、牛黄清心丸、牛黄解毒丸()、牛黄鎮驚丸、六応丸、安宮牛黄丸()、紅霊散、医癇丸、局方至宝散、阿魏化痞膏、純陽正気丸、珠黄吹喉散、梅花点舌丸、紫金錠、暑症片、痧葯などがある。

 

  【千里光】

  不飽和ピロリジジン類のアルカロイドを含み、ひどく肝臓を損傷し、強力な発癌物質でもある。腎毒性もある。

  漢方製剤には、千柏鼻炎片、感冒消炎片、千喜片などがある。

 

  【柴胡】

  主成分は柴胡サポニンで、副腎肥大や胸腺萎縮を起こし、人体の免疫機能を低下させる。腎毒性があり、腎臓を障害する。

  漢方製剤には、小柴胡片、小柴胡顆粒、柴胡口服液、柴胡舒肝丸、小児熱速清口服液、午時茶顆粒、牛黄清心丸、気滞胃痛顆粒、龍胆瀉肝丸、加味逍遥丸、護肝片、補中益気丸、乳疾霊顆粒、逍遥丸、消食退熱糖漿、通乳顆粒、黄連羊肝丸、得生丸、清瘟解毒丸、舒肝和胃丸、感冒清熱顆粒、鼻淵舒口服液、鼻竇炎口服液、平肝舒絡丸、安坤賛育丸などがある。

 

  【板藍根】

  長期に服用すれば腎臓を損傷する。また内出血を起こし、造血機能を損傷する。

  漢方製剤には、板藍根顆粒、二丁顆粒、児童清肺丸、小児肺熱咳喘口服液、小児熱速清口服液、小児清熱止咳口服液、小児感冒茶、小児感冒顆粒、護肝片、利咽解毒顆粒、金嗓散結丸、複方魚腥草片、健民咽喉片、羚羊清肺丸、清開霊口服液、清熱解毒口服液、感冒退熱顆粒、清開霊注射液などがある。

 

  【款冬】

  発癌成分を含み、肝臓癌を起こす。

  漢方製剤には、川貝雪梨膏、止咳橘紅口服液、止嗽化痰丸、橘紅丸などがある。

 

  【蜈蚣】

  ヒスタミン様物質と溶血蛋白質の二種類を含むが、それは蜂毒の有毒成分と似ている。過剰に摂取して中毒すれば溶血作用があり、アナフィラキシーショックを起こす。少量では心筋が興奮し、多量では心筋麻痺となり、呼吸中枢が抑制される。

  漢方製剤には、止痛化癥膠嚢、中風回春丸、中風回春片、医癇丸、金蒲膠嚢、狼瘡丸、通心絡膠嚢などがある。

 

  【水蛭】

  ヒルジンを含み、トロンビンの凝血を阻止し、内臓が広範囲に出血する。腎毒性があり、腎臓障害する恐れがある。

  漢方製剤には、大黄蟅虫丸、血栓心脉寧膠嚢、通心絡膠嚢、清脳降圧片、化癥回生片などがある。

 

  【黄連・黄柏】

  ベルベリンを含んでおり、妊婦が服用すれば新生児溶血性疾患になり、児童が服用すれば急性溶血となり、ひどければ黄疸が出る。

  漢方製剤には、複方黄連素片、黄連上清丸、黄連羊肝丸、一清顆粒、万氏牛黄清心丸、万応膠嚢、万応錠、小児化毒散、小児清熱片、木香檳榔丸、五福化毒丸、牛黄上清丸、牛黄上清膠嚢、牛黄千金散、左金丸、左金膠嚢、石斛夜光丸、戊己丸、芎菊上清丸、当帰龍薈丸、安宮牛黄丸()、導赤丸、婦科分清丸、芩連片、撥雲退翳丸、参精止渇丸、駐車丸、枳実導滞丸、梔子金花丸、香連丸()、複方仙鶴草腸炎膠嚢、桂龍咳喘寧膠嚢、臓連丸、狼瘡丸、消渇霊片、清胃黄連丸、葛根芩連丸、蛤蚧定喘丸、癃清片、人参再造丸、平肝舒絡丸、再造丸、二妙丸、九聖散、三妙丸、大補陰丸、小児肝炎顆粒、分清五淋丸、功労去火片、生血片、白帯丸、如意金黄散、固経丸、知柏地黄丸、河車大造丸、健歩丸、清肺抑火丸、頚復康顆粒、鼻炎片、三黄片などがある。

 

  【麻黄】

  高血圧、心悸、神経損傷、ミオパシー(筋肉病)、脳卒中、精神錯乱、記憶力喪失、死に至ることもある。肝毒性がある。

  麻黄を含む漢方製剤には、児童清肺丸、九分散、千柏鼻炎片、小児肺熱咳喘口服液、小児咳喘顆粒、小児清熱止咳口服液、小青龍合剤、小青龍顆粒、止喘霊注射液、止嗽定喘口服液、風湿馬銭片、風湿骨痛膠嚢、風寒咳嗽顆粒、防風通聖丸、宝咳寧顆粒、複方川貝精片、急支糖漿、洋参保肺丸、袪風舒筋丸、通宣理肺丸、清肺消炎丸、蛤蚧定喘丸、舒筋丸、痧葯、疏風定痛丸、鼻炎片、鎮咳寧糖漿、鷺鷥咯丸、人参再造丸、再造丸などがある。

 

  【何首烏】

  中毒性肝炎となる。

  何首烏を含む漢方製剤には、乙肝寧顆粒、七宝美髯顆粒、児康寧糖漿、三宝膠嚢、天麻首烏片、心通口服液、再造生血片、血脂寧丸、血脂霊片、産復康顆粒、安神補脳液、安神膠嚢、更年安片、亀鹿補腎丸、養血生髪膠嚢、首烏丸、脂脉康膠嚢、益気養血口服液、人参再造丸、平肝舒絡丸、再造丸などがある。

 

  【大黄】

  ビリルビン代謝を掻き乱して黄疸を起こす。肝細胞の退行性変化、前立腺の肥大や増殖を起こす。

  大黄を含む漢方製剤には、一捻金、一清顆粒、十一味能消丸、十香止痛丸、十滴水、十滴水軟膠嚢、八正合剤、三黄片、大黄清胃丸、大黄蜇虫丸、小児化毒散、小児化食丸、小児熱速清口服液、小児清熱片、木香檳榔丸、止痛紫金丸、止嗽化痰丸、牛黄上清丸、牛黄上清膠嚢、牛黄至宝丸、牛黄消炎片、牛黄解毒丸()、分清五淋丸、六味安消散、当帰龍薈丸、竹瀝達痰丸、防風通聖丸、如意金黄散、婦科通経丸、利咽解毒顆粒、利胆排石片、金蒲膠嚢、参精止渇丸(降糖丸)、導赤丸、枳実導滞丸、梔子金花丸、胃腸安丸、胆寧片、柴胡舒肝丸、脂脉康膠嚢、狼瘡丸、消食退熱糖漿、黄氏響声丸、黄連上清丸、麻仁丸、麻仁潤腸丸、痔康片、羚羊清肺丸、清寧丸、清肺抑火丸、清淋顆粒、跌打活血散、痧葯、檳榔四消丸、礞石痰丸、蠲哮片、人参再造丸、化癥回生片、再造丸などがある。

 

  【沢瀉】

  実験動物の肝臓と腎臓を損傷する。

  沢瀉を含む漢方製剤には、七味都気丸、三宝膠嚢、山菊降圧片(山楂降圧片)、五苓散、分清五淋丸、六味地黄丸、六味地黄顆粒、龍胆瀉肝丸、帰芍地黄丸、馮了性風湿跌打葯酒、耳聾左慈丸、血脂霊片、麦味地黄丸、杞菊地黄丸、更年安片、啓脾丸、補腎固歯丸、明目地黄丸、知柏地黄丸、金嗓散結丸、参茸固本片、枳実導滞丸、前列舒丸、済生腎気丸、桂附地黄丸、消栓通絡片、消栓通絡膠嚢、鎖陽固精丸、癃精片、安坤賛育丸などがある。

 

  【益母草】

  長期に使用すれば腎臓に有毒である。動物実験によると、妊娠と関係する乳腺癌の生長を刺激する。

  益母草を含む漢方製剤には、八宝坤順気丸、女金丸、加味生化顆粒、再造生血片、産復康顆粒、参茸白鳳丸、得生丸、痛経丸、化癥回生片などがある。

 

  【延胡索】

  長期に使用すれば心臓と腎臓を損傷する恐れがある。

  延胡索を含む漢方製剤には、九気拈痛丸、女金丸、元胡止痛片、止痛化癥膠嚢、少腹逐瘀丸、気滞胃痛顆粒、仲景胃霊丸、傷痛寧片、壮骨伸筋膠嚢、安中片、安胃片、婦宝顆粒、婦科十味片、婦科調経片、腸胃寧片、金蒲膠嚢、参茸白鳳丸、茴香橘核丸、胃康霊膠嚢、胃舒寧顆粒、舒肝丸、猴頭健胃霊膠嚢、痛経丸、痛経宝顆粒、化癥回生片、平肝舒絡丸、安坤賛育丸などがある。

 

  【檳榔】

  発癌物質である水溶性アレコリンを含む。腎毒性がある。

  檳榔を含む漢方製剤には、一捻金、九気拈痛丸、大黄清胃丸、山楂化滞丸、小児至宝丸、開胸順気丸、木香分気丸、木香檳榔丸、化積口服液、四正丸、利胆排石片、国公酒、金嗓利咽丸、肥児丸、茴香橘核丸、柴胡舒肝丸、消食退熱糖漿、消癭丸、舒肝和胃丸、檳榔四消丸、蠲哮片などがある。

 

  【厚朴】

  腎毒性があり、腎臓障害を起こす恐れがある。

  厚朴を含む漢方製剤には、十香止痛丸、開胸順気丸、木香分気丸、午時茶顆粒、六合定中丸、四正丸、馮了性風湿跌打葯酒、如意金黄散、利胆排石片、抱龍丸、国公酒、金嗓利咽丸、胃腸安丸、香蘇正胃丸、香砂養胃丸、保済丸、柴胡舒肝丸、消食退熱糖漿、麻仁丸、清寧丸、舒肝丸、香正気口服液、香正気水、香正気軟膠嚢、平肝舒絡丸などがある。

 

  【胖大海】

  腎毒性があり、腎臓を損傷する恐れがある。

  胖大海を含む漢方製剤には、金果含片、健民咽喉片、黄氏響声丸、清喉利咽顆粒などがある。

 

  【天花粉】

  腎毒性と肝毒性があり、腎臓や肝臓を損傷する恐れがある。

  天花粉を含む漢方製剤には、児童清肺丸、小児化毒散、牛黄消炎片、導赤丸、如意金黄散、利咽解毒顆粒、撥雲退翳丸、乳癖消片、宝咳寧顆粒、梔子金花丸、保済丸、消渇霊片、通乳顆粒、羚羊清肺丸、清肺抑火丸、清胃黄連丸、清音丸、清瘟解毒丸、解肌寧嗽丸、鷺鷥咯丸などがある。

 

  【牽牛子】

  ケンゴシ脂は糸球体基定膜を障害するとともに、神経系も損傷する恐れがある。

  牽牛子を含む漢方製剤には、一捻金、大黄清胃丸、山楂化滞丸、小児化食丸、開胸順気丸、木香檳榔丸、檳榔四消丸などがある。

 

  【穿山甲】

  肝毒性があり、肝臓障害を起こす恐れがある。

  穿山甲を含む漢方製剤には、婦科通経丸、金蒲膠嚢、茴香橘核丸、通乳顆粒、再造丸などがある。

 

  【石菖蒲・八角茴香・桂皮・花椒・蜂頭茶・七荊芥】

  すべてが有毒成分のサフロールを含んでおり、肝臓癌を誘発する。

  これらを含む漢方製剤には、児童清肺丸、天王補心丸、安神補心丸、辛芩顆粒、複方仙鶴草腸炎膠嚢、茴香橘核丸、鎖陽固精丸、複方甘草片、撥雲退翳丸、化癥回生片などがある。

 

  【川楝子】

  心臓、肝臓、腎臓を損傷し、中毒性肝炎を起こす。

  川楝子を含む漢方製剤には、乙肝寧顆粒、三子散、止痛化癥膠嚢、陰虚胃痛顆粒、婦宝顆粒、乳塊消片、茴香橘核丸、舒肝丸などがある。

 

  【黄葯子】

  有毒成分のジオスシンと黄薬子テルペンなどを含み、中枢神経、心臓、肝臓、腎臓に大して有毒作用があり、中毒性肝炎を起こす恐れがある。

  黄葯子を含む漢方製剤に金蒲膠嚢がある。

 

 【山慈菇】

  コルヒチンを含んでいるが、その作用は亜ヒ酸と似ており、ヒ素中毒のような症状が現れる。ひどければ死亡する。

  山慈菇を含む漢方製剤には、金蒲膠嚢、紫金錠などがある。

 

  【硝石】

  主成分が硝酸塩で、ニトロ化合物へと変わって肝臓癌を誘発する。

  硝石を含む漢方製剤には、紅霊散、純陽正気丸、紫雪などがある。

 

  【甘遂】

  粘膜を強く刺激して、炎症や充血、蠕動運動を増す。また赤血球を凝集や溶解させ、呼吸や血管運動中枢を麻痺させる作用がある。発癌物質を含む。腎臓に有毒。

  甘遂を含む漢方製剤に控涎丸がある。

 

  【艾葉】

  肝臓、中枢神経、血管を損傷し、中毒性肝炎を起こす。

  艾葉を含む漢方製剤には、艾附暖宮丸、加味生化顆粒、婦科通経丸、参茸保胎丸、化癥回生片、安坤賛育丸などがある。

 

  【補骨脂】

  大量投薬や長期に服用すると、腎臓に有毒である。大量投薬すると、実験動物の胎児に悪い影響がある。

  補骨脂を含む漢方製剤には、七宝美髯顆粒、千金止帯丸、四神丸、馮了性風湿跌打葯酒、再造生血片、壮骨関節丸、腸胃寧片、補腎益脳片、青娥丸、国公酒、固本咳喘片、茴香橘核丸、首烏丸、蚕蛾公補片、荷丹片、益腎霊顆粒、鎖陽固精丸、強陽保腎丸、安坤賛育丸などがある。

 

  【側柏葉】

  大量投薬や長期に服用すると、眩暈や悪心、嘔吐を起こす。腎臓に有毒。

  側柏葉を含む漢方製剤には、婦宝顆粒、清寧丸などがある。

 

  【蒼耳子】

  腎臓に有毒。大量投薬では、呼吸や循環、あるいは腎機能不全などによって死亡する。

  蒼耳子を含む漢方製剤には、辛芩顆粒、通竅鼻炎片、鼻炎片、鼻淵舒口服液、鼻竇炎口服液などがある。

 

  【丁香】

  腎毒性があり、腎臓を損傷する恐れがある。

  丁香を含む漢方製剤には、二十五味松石丸、二十五味珊瑚丸、十六味冬青丸、十香止痛丸、十香返生丸、七味広棗丸、八味檀香散、木香分気丸、止痛紫金丸、六応丸、妙済丸、純陽正気丸、潔白丸、紫雪、痧葯、避瘟散、人参再造丸、中華跌打丸、化癥回生片、平肝舒絡丸、再造丸などがある。

 

  【肉桂】

  過度に使用すれば、腎臓に有毒で、血尿が起きたりする。

  肉桂を含む漢方製剤には、十六味冬青丸、十全大補丸、十滴水、十滴水軟膠嚢、七味葡萄散、人参養栄丸、女金丸、五苓散、五味清濁散、止痛化癥膠嚢、牛黄清心丸、艾附暖宮丸、仲景胃霊丸、補腎固歯丸、純陽正気丸、茴香橘核丸、柏子養心丸、複方皀礬丸、済生腎気丸、桂附地黄丸、桂附理中丸、痛経丸、痛経宝顆粒、強陽保腎丸、麝香保心丸、人参再造丸、化癥回生片、平肝舒絡丸、再造丸などがある。

 

  【巴豆】

  クロトン油とクロチンを含む。クロトン油は、強力な腐食作用と発癌成分がある。クロチンは赤血球を溶解し、局部組織を変性、壊死させることにより、血便や血尿が起きて死亡する。腎毒性があり、腎臓を障害する。

  巴豆を含む漢方製剤には、七珍丸、婦科通経丸、胃腸安丸、保赤散などがある。

 

  【独活】

  腎毒性があり、腎臓を障害する恐れがある。

  独活を含む漢方製剤には、天麻丸、壮骨関節丸、抱龍丸、国公酒、袪風止痛片、舒筋丸、舒筋活絡酒、疏風定痛丸、中華跌打丸などがある。

 

  【北豆根・番瀉葉・虎杖・大戟・金櫻根・千斤抜・苦参・昆明山海棠・蘆薈・千年建・使君子】

  以上の植物薬草には腎毒性があり、腎臓障害を起こす恐れがある。

  これらを含む漢方製剤には、北豆根片、小児清熱止咳口服液、青果丸、荷丹片、胆寧片、熱炎寧顆粒、控涎丸、三金片、婦科千金片、四味土木香散、金蒲膠嚢、清肺抑火丸、雅叫哈頓散、昆明山海棠片、当帰龍薈丸、舒筋丸、疏風定痛丸、化積口服液、肥児丸、疳積丸などがある。

 

  【海馬・紅娘子・生蜂蜜・魚胆・猪胆】

  以上の動物薬材には腎毒性があり、腎臓障害を起こす恐れがある。

  これらを含む漢方製剤には、複方皀礬丸、護肝丸、胆楽膠嚢、脳立清丸、藿胆丸などがある。

 

  【洋金花(曼陀羅)

  アニソダミンを含み、中枢神経を興奮させたあと抑制する。ムスカリン様の作用があり、死亡することもある。腎毒性があり、腎臓障害を起こす恐れがある。

  洋金花を含む漢方製剤には、止喘霊注射液、壮骨伸筋膠嚢などがある。

 

  【馬銭子】

  ブルシン(ストリキニーネ)を含んでおり、大毒で神経系に作用する。

  馬銭子を含む漢方製剤には、馬銭子粉、馬銭子散、九分馬銭片、舒筋丸、疏風定痛丸などがある。

 

  【川烏・草烏】

  全草が大毒で、主な有毒成分がアコニチンとハイパコニチンであり、心臓と神経系に作用する。

  川烏や草烏を含む漢方製剤には、小活絡丹、木瓜丸、風湿骨痛膠嚢、骨刺消痛片、袪風舒筋丸、中華跌打丸、二十五味珊瑚丸、三七傷葯片、小金丸、五味麝香丸、袪風止痛片などがある。

 

  【商陸】

  商陸毒素を含み、胃腸、中枢神経、心臓を損傷し、呼吸や循環不全となり、死亡することもある。腎毒性。

 

  【斑

  主成分のカンタリジンは、皮膚や胃腸粘膜から吸収され、消化管炎症や粘膜壊死を起こし、急性腎不全となる恐れがある。心筋、肝臓、神経を損傷する。

 

  【全蝎】

  アレルギー、血尿、糖尿、蛋白尿を引き起こす。

  全蝎を含む漢方製剤には、七珍丸、小児至宝丸、小児驚風散、止痛化癥膠嚢、中風回春丸、牛黄千金散、牛黄抱龍丸、牛黄鎮驚丸、風湿馬銭片、医癇丸、通心絡膠嚢、人参再造丸、再造丸などがある。

 

  【金不換・天芥菜】

  肝毒性があり、肝臓を損傷する恐れがある。

 

  【七葉一枝花】

  蚤体苷や蚤休士寧苷、アルカロイドなどを含み、消化器系、神経系、心臓などに有害作用がある。

 

  【飛龍掌血】

  主な有毒成分は、ケリドニンとケレリトリンである。神経筋肉毒なので、心臓に抑制作用があり、胃腸粘膜にも強力な刺激作用がある。

 

  【無名異】

  主な成分は二酸化マンガンで、マンガン中毒を起こす。

 

  【茵芋】

  スキンミアニンやスキンミンを含み、心筋の抑制や痙攣を起こし、血管を拡張させるなど、死亡することもある。

 

  【火麻仁】

  キノコ毒のコリンとフェノール成分を含み、中枢神経に作用して、毒性反応を起こす。

  火麻仁を含む漢方製剤には、麻仁丸、麻仁潤腸丸などがある。

 

  【附子】

  心臓を損傷する。

  附子を含む漢方製剤には、天麻丸、四逆湯、附子理中丸、前列舒丸、済生腎気丸、桂附地黄丸、腎益霊顆粒、人参再造丸、再造丸などがある。

 

  【蟾酥】

  主成分は強心配糖体(ガマ毒)で、迷走神経と心筋に作用する。

  蟾酥を含む漢方製剤には、牙痛一粒丸、牛黄消炎片、六応丸、血栓心脉寧膠嚢、霊宝護心丹、金蒲膠嚢、梅花点舌丸、痧葯、麝香保心丸などがある。

 

  【冬虫夏草】

  アレルギー、皮疹、皮膚掻痒、生理不順や無月経、房室ブロック(心臓の伝導障害)を起こす恐れがある。腎毒性があり、長期に服用すれば腎臓に有毒である。

 

  【薏苡仁】

  胸腺を萎縮させる。

   薏苡仁を含む漢方製剤には、児康寧糖漿、参苓白朮散、骨刺消痛片、補済丸、前列舒丸などがある。

 

  【野百合】

  肝臓や腎臓を損傷し、肝臓や腎臓を壊死させる。モノクロタリンは肝臓癌を誘発する。

 

  【蓖麻子】

  主な有毒成分はリシンで、肝臓や腎臓を損傷し、中毒性肝炎を起こす。また赤血球を凝集させたり溶解し、呼吸や血管運動中枢を麻痺させて、呼吸不全や循環不全となる。

 

  【雷公藤】

  肺水腫、中毒性肝炎、腎不全を起こす。

  【苦楝皮】

  中毒性肝炎や腎損傷を起こし、死亡する恐れもある。

 

  【白花藤(白花丹)

  有毒成分の藍雪素を含み、大量投薬や長期服用では、腎臓に有毒である可能性がある。

 

  【矮地茶・八角楓(華木瓜)・蓽橙茄・白頭翁・臭梧桐・丟了棒(五味藤)・鬼臼・含羞草・夾竹桃・蝋梅根・六軸子・松節・土貝母・土荊芥・土牛膝・望江南子・相思子・萓草根・油桐子・芫花・皀角刺(皀莢)・鑽地】

  以上の植物薬草は、いずれも腎毒性があり、腎臓を損傷する恐れがある。

 

  【大楓子】

  大量投薬を長期に服用すれば、失明の恐れがある。腎臓に有毒。

 

  【烏桕】

  巴豆や牽牛と似たような作用で、胃腸に強力な刺激作用があり、吸収されたあとも中枢神経と末梢神経の麻痺、そして循環不全となる恐れがある。腎毒性があり、腎臓を損傷する恐れがある。

 

  【烏胆子】

  烏胆子毒素は、内臓血管を顕著に拡張させ、ひどければ出血させる。肝臓や腎臓の実質性細胞を損傷し、白血球を増加させる。中枢神経に対して、全般的に抑制さようがある。

 

 

 

  五、中医は「海外で脚光を浴びている」の真相

  中医薬は国粋と呼ばれ、外国でも主に華僑の間で流行っている。中国では、どういう漢方薬が、いかに海外で脚光を浴びているかについて報道されているが、それは誇張が多い。また「中医は中国で衰退し、外国で脚光を浴びる。そうしたら中国人は、外国へ行って中医を学ばねばならない」云々と予言する人もいるが、それらは願望に過ぎない。本章は、中国留学生が「新語絲ホームページ」に寄せた内容に基づき、中国の中医薬状況を紹介する。

 

  ()世界保健機構は、漢方薬の安全性について危惧する

  2002年、世界保健機構は伝統医術を応援する戦略を取った。この戦略は、治療法を深く研究することを奨励し、各国が開発した伝統医術を助ければ健康の増進に役立ち、また証明されていなかったり乱用されている療法の危険を最大限に減らすことが目的だった。世界保健機構は、鍼灸で鎮痛できたり、ヨガが喘息発作を軽減したり、太極拳が高齢者の転倒を減らしたりなど、ある種の伝統医学が有用であることを認めていた。世界保健機構は、こうした療法を推奨しているわけではないが、各国が一丸となって、そうした療法の安全性や有効性、品質について証明しようとしている。

  世界保健機構は、不幸なことに、ある種の薬草を乱用することで身体を損傷したり、死亡することすらあると注意を促している。アメリカでは、漢方薬の麻黄が健康食品として売られ、長期に服用していたために、少なくとも12人が死んだり、心臓病発作が起きたり、脳卒中になっている。ベルギーでは少なくとも70人が、馬兜鈴科の薬草を健康食品として服用し、腎皮質間質組織の線維化が起きて、腎移植や透析しなければならなくなった。

  患者の安全だけでなく、日ごとに増えてゆく薬草市場と巨大な商業利潤も、生物の多様性に対して脅威となっている。もし制限しなければ、絶滅危惧種の絶滅、および自然環境や刺激の破壊につながる。

 

  ()漢方薬は、アメリカで瀬戸際に立っている

  アメリカ医学界は、漢方薬の効果に疑問をもっている。漢方薬は、医学界が承認していない他の民間医術と一緒で、民間の「代替医療」の一部として存在している。アメリカ医学学会も「ほとんどの代替医療は、有効性と安全性が証明されていない。医師は、患者が代替医療を使ったり、常用されない医術の手段を使って病気の治療することを理解しなければならない。もし現在の常用される治療を中断すれば、どのような危険が発生するのか、患者に告知しなければならない」と声明を出している。

  外国の研究員のなかには、漢方薬草から新薬を発見しようと試みた。しかしアメリカ食品薬品管理局(FDA)は、現在も如何なる漢方薬といえど販売を許可していない。アメリカで売られている漢方薬は、すべて健康食品としてであり、薬として販売されているのではない。食品としてであれば、毒さえなければ認可され、有効性の証明など必要ない。健康食品が身体に何か作用すると言えば、「まだFDAの評価を受けていない。この製品は、診断や処置、治療や病気の予防に使えない」と発表される。それを「何かの病気に効果がある」と宣伝すれば、それは虚偽の宣伝となり、処罰される。もし有毒性が見つかれば、輸入、生産、販売が禁止される。

  漢方薬に有効性の証明がいらないのであれば、アメリカで売れるじゃないか!  それならアメリカは漢方薬に寛容なので、アメリカで漢方薬は緩い環境にあるということじゃないか!  それは漢方薬の発展に有利ではないかと考える人もいるだろう。そうではない。つまりアメリカで漢方薬は、薬品と見做されていないということだから、ある種の病気を治療できると公言できず、医師免許があっても処方に漢方薬を加えられない。医療保険会社も、中医の診断や漢方薬を買う費用を払わない。こうした状況では、アメリカの主流市場に漢方薬は入り込めず、瀬戸際に立たされており、中華街の小中薬屋や東洋店のショーケースで売られている。また漢方薬が薬品扱いをされていないので、その成分や品質は、薬品のように厳しく管理されておらず、漢方薬の生産や使用に基準がなく、それも安全でなくなる。

  漢方薬と同様に、中医従事者の地位も、アメリカでは瀬戸際に立っている。中国では「20世紀の1990年代以降は、人々の自然医学や天然薬物に対する渇望が高まるにしたがって、ますます中医学も受け入れられるようになる。中医人材の需要によって、多数の中医大学がアメリカで誕生する。現在でも、大ざっぱな統計だが、アメリカの中医大学が80カ所以上に達している。これは正規の大学が設けている鍼灸などの関連課程を含まない数字である」、「アメリカの漢方薬に対する需要は、毎年上昇する傾向にある。権威ある統計によると、最近の8年間で、アメリカ国民の代替医療による治療した人数は、遥かに西洋医学を凌いでいる。アメリカ現地で、多くのカイロプラクター、口腔科医、内科医が、次々と中医を学んでいる」と公言する人があるが、それは事実ではない。

  アメリカでも、中国伝統医学を選択科目にしている大学の医学部がある。しかし、それは中医を養成するためではない。「アメリカ鍼灸学校」は、ある医科大学内に付属しているであろうが、それは中国国内でいう「医学院」ではない。それは鍼灸師(修士)を養成しているのであって、「中医師」を養成しているのではない。現在のアメリカでは「中医師免許」はなく、「中医鍼灸師免許」と「漢方薬師免許」のみがある。中医師は、医師(Medical Doctor)と自称してはならず、名刺を作ったり、広告したり、看板を掲げたりするときも、もちろん医師の肩書きを使えば違法となる。「アメリカ鍼灸と東方医学資格委員会(NCCAOM)」の統計によると、現在のアメリカは41州で、有資格鍼灸師の開業が許可されている(2004年のデータ)。アメリカの有資格鍼灸師は、主に4種類がある。それが300時間の訓練を受けたアメリカの西洋医、三年制のアメリカ鍼灸学校の卒業生、中国から来た中医薬大学の卒業生、中医訓練を受けた中国の西洋医医師である。

 

  図:「アメリカ鍼灸と東方医学資格委員会(NCCAOM)」は1982年に成立し、現在まで18000人に証書を交付した。

  こうした免許は一般に州の立法によって制定されている。例えばニューヨーク州の規則では、免許を申請する鍼灸師は、必ずNCCAOMの試験に受からねばならない。免許のある鍼灸師は、一定量の鍼灸と東洋医学に関する課程を4年ごとに履修しなければ、免許の資格を失ってしまう。鍼灸師は鍼灸治療するだけで、病気を診断したり処方したりできない。西洋医から紹介された患者でなければ、鍼灸治療してはいけない州もある。また西洋医の指導の下でなければ、鍼灸治療できない州もある。鍼灸師が漢方薬を処方しても、事実上は漢方薬を健康補助食品として処方しているのであり、料理のレシピを書いてやっているのと同じで、専門の資格も必要なく、誰でも自由に漢方薬が処方できる。鍼灸は資格があり、開業は合法だとしても、多くの保健会社は鍼灸治療の費用を払ってはくれない。老人や身障者、生活保護者のために作られた、アメリカ最大の連邦保健ですら、鍼灸治療の費用は給付しない。独立開業の許された州であっても、しょっちゅう鍼灸師は起訴されたり処罰されたりしている。訴えられる理由は、西洋薬成分を含む漢方製剤の使用、穴位注射の行使、鍼灸師が自分を医師(Doctor)と詐称するなどであり、訴えられれば鍼灸師が敗訴することが多く、法律の保障が得られにくい。鍼灸師の地位は、アメリカでは底辺に属すが、それは按摩師も同様である。収入は中流で、小中学校教師や美容師と同じだが、西洋医とは4~5倍の開きがある。

 

  ()イギリスも漢方薬の天国ではない

  アメリカや他のヨーロッパ国々と較べ、イギリスでの扱いは少しいいようだ。そこで「イギリスは漢方薬の天国」とか「イギリスの中医治療所は3000軒以上に達した」、「中医はイギリスなら正式名称となる希望がある」などと言う人がある。実際はどうなのか?

  イギリスでは、いたるところに中医治療所があり、確かに中医治療所が3000軒以上もある。小さな町に2~3軒の治療所があったり、ロンドンの中国城付近には何十軒もの治療所があったりする。しかし大部分は商店街や大型マーケットの小さな治療所で、10m2の部屋に、1~2台のベッドがあれば一軒の治療所である。こうした治療所の店主は、ほとんどが初期の中国人留学生であり、専門は異なるものの、流暢な英語とイギリス事情に通じており、治療所を作ったものである。少数の店主は、中国で中医をしていた人で、学友や親戚を頼って治療所を開いた。医者の大多数は中国から直接来た人で、ほとんどが中医薬大学を卒業して10年以上も職業経験のある中医師である。また按摩と足裏マッサージが専門の按摩師もいるが、当然にして医師でも何でもない人や、漢方薬をやっていた人、衛生統計をやっていた人なども、イギリスへ着けば中医師へと変身する。ほとんどの医療助手は中国人留学生で、イギリスの大学を卒業したあとも帰国したがらず、他の仕事も見つからないので、中医治療所でアルバイトをして過ごしている。一部の医療助手は就労ビザを手に入れ、1~2年ほど続けている。主に病院やホームドクターから見放されたり、治療拒否をされた、頚肩腰背痛、ノイローゼ、皮膚病、男性疾患、不妊や精子減少症、禁煙やダイエットなどで治療所に患者が来ている例が多い。中医治療所では西洋薬の使用が許可されておらず、鍼灸や按摩、漢方薬だけで治療しており、多くは難病で、もともと治療法のない患者だから、その効果は推して知るべしである。

  競争が激しいため、風変わりな看板を掛けざるを得ない。それをイギリスに住む中国医師は「(イギリス中医治療所)医師が出勤するが、この患者をどうやって治療するかではなく、どうやって患者に薬を欲しがらせ、どうやって治療を続けさせるかを研究している。もともと疾患によっては、鍼灸だけとか按摩だけ、漢方薬だけで済む。しかし患者には三人がかりで、すべてを併用する。そのほうが収益を上げられるからだ。明らかに病気が治った患者もいるが、効果を安定させるためという名目で、患者に治療を継続させる。明らかに西洋薬を使ったほうが効果的な疾患でも、患者に漢方薬を続けさせる。明らかに症状が好転しており、それは疾患の正常な成り行きなのだが、どうしても好転したのは漢方薬の効果だと言い張る。下肢静脈瘤、先天性難聴、イビキなど、漢方薬が全く効かない疾患もあるが、それにも中医の効果は間違いないという。こうした意識的な詐欺は、医師が自らしているのではなく、店主の圧力でしかたなくやっていることである。店主は医師に、どんな疾患でも治療するように求め、治療効果がどうでも知ったこっちゃない。店主は医師に、患者を早く治してはならず、ゆっくりとやって治療回数を長びかせろと求める。

  イギリス薬事監督局は、イギリスで販売されている、ある種の漢方薬は信用できず、危険成分が含まれている恐れがあり、非合法成分の含まれていることが多いので、漢方薬の安全性について何度も警告し、アリストロキン酸、水銀、エフェドリンなど有毒成分の含まれた漢方薬を販売していた商人を起訴している。1995年、イギリス大都市警察は、非合法な漢方薬交易の「魅力的行動」を取り締り始めた。こうした漢方薬は、ワシントン条約にある絶滅危惧種の野生動物を使った製品なので非合法となる。イギリス大都市警察は「魅力的行動」によって、超える非合法交易された野生動物製品を3万件以上も押収したが、その大部分は伝統的な漢方薬であり、虎や犀、熊の製品であった。

  2003年4月、イギリス政府は、医薬管理局と医療器械管理局を併合し、医薬と保険産品管理局(MHRA)を作ったが、それはイギリス最高の薬事監督機構である。

 

 

  ()漢方医学は、どれだけの市場を日本で占めているか?

  日本では、隋や唐の時代に、多くの日本人留学生が中国へやってきて、医療技術を持ち帰った。西暦984年に出版された『医心方』には、850種の内服薬と70種の外用薬が収録されているが、基本的には中国の方式と同じである。16世紀には、中国の漢方薬が日本で発達を続け、日本文化と融合し、田代三喜や曲直瀬道らの努力によって中国の漢方薬医療体系から半独立し、「皇漢医学」と呼ばれた。しかし明治維新に『医制』と『医生開業試験法』が公布され、漢方薬も西洋医学と全く同じ試験を受けるように規定され、合格しなければ新たに開業できなくなった。それ以来、日本では漢方が非合法となり、「皇漢医学」は没落していった。

  それに対して中国では各地に漢方薬メーカーがあるが、日本の漢方薬メーカーは数えるほどしかなく、現在では主にツムラ、カネボウ、小太郎漢方製薬、帝国漢方製薬、三和生薬などが漢方薬を製造し、病院や薬屋に卸している。日本薬局方に収録された、わずか148種の漢方薬だけが医療保険の適用となる。配合が決められた漢方薬が基本で、粉剤か湯剤である。例えば桂枝茯苓丸は、桂枝4g、茯苓4g、牡丹皮4g、桃仁4g、芍薬4gから抽出し、精製して粉剤か錠剤にする。メーカーが勝手に変更できない。薬物ができると、厳格な品質管理が待っていて、各有効物質の正確な濃度を分析して測定する。きわめて少数の医師は、煎じ薬を処方することもある。しかし、そうした漢方薬には、朱砂や雄黄などの有毒鉱物は全く含まれていない。すべての漢方薬に、きちんと毒副作用が表示されている。例えばカネボウの黄連解毒湯は、GOTGPT値が上昇し、食欲不振、しゃっくり、下痢、腹痛などの副作用があると明記されている。猪苓湯合四物湯は、胃の膨満感や発疹、ひどい副作用として食欲不振などが書かれている。小柴胡湯には、よく起こる重大な副作用として発熱、咳嗽、呼吸困難などがあり、たまに起きる副作用として体重増加、血圧上昇、脱力感、手足の痙攣麻痺、GOTGPTの数値上昇、黄疸、嘔吐、下痢、便秘、消化不良、頻脈、排尿痛、血尿、残尿感などの記載がある。五苓散の副作用は、発疹と掻痒などである。六味地黄丸の副作用は、胃の不快感、嘔吐、食欲不振、下痢などとある。市場に流通している健康食品、あるいは処方の必要のない漢方薬にも、きちんと注意事項が表記されている。

  病院では、医師が処方する前に、必ず患者に最近服用した薬物を尋ねる。もし患者が漢方薬を飲んでいたり、現在も服用中であれば、医師は非常に慎重に処方する。一般の状況ならば、患者に漢方薬の服用を中止させ、西洋薬との衝突を避ける。薬屋で、患者が勝手に薬を購入する際にも、薬剤師(薬剤師免許は、正規の大学にて薬物学専門課程を本科で4年間学び、卒業したあと全国統一の非常に厳格な国家試験を受けなければならない)が患者の薬物使用状況を詳細に尋ねるが、中国国内の薬店では利益を追求して売りまくるのと全く違っている。

  一般の読者の漢方薬に関する資料や書籍などでも、漢方薬には副作用があることをきちんと解説している。教科書に類した書籍では、中国人の「漢方薬は本を治し、西洋薬は標を治す」などの言い方がされているが、日本は否定や批判的な見方をしている。漢方薬学は、中国漢方薬の「免疫を助けて邪を駆逐する」という観点を引き継いでいるが、漢方薬は西洋薬を超越した不思議さがあるとは思ってはいない。現在、漢方薬は、基本的に民間処方であり、製薬会社も健康食品と漢方薬を製造していて、薬物濃度が日本薬局方の処方薬より低い。それは毒副作用を考慮してのことである。この20年、末期癌患者の慰安的治療として漢方薬を使用している大学の付属病院もあるが、その出発点は漢方薬によって患者の体質を向上させる効果があるからである。現在は、大学の薬学や医学部、製薬会社で、漢方薬の研究に多くを投資しているが、その目的は伝統的な薬物から有効物質を抽出することにあり、なんでも治す万能薬を開発するためではない。

  日本の漢方薬学をまとめれば、日本は基本的に中国から受け継いだ医薬学を捨て、現代医学を受け入れて発展していると言える。漢方医学は、日本において大した市場ではない。それはCTやエコー、レントゲン、内視鏡が非常に普及した時代に、望・聞・問・切などによる診断を誰も相手にしないからである。日本人の平均寿命は世界一(81)だが、それは漢方医薬の功労ではなく、先進的な医療レベル、発達した医療技術、完備された医療保険制度の賜物である。漢方薬は、民間では依然として存在しているが、それは日本文化が中国文化の影響を深く、長期にわたって受けているからである。

  日本の漢方薬市場の販売額は多いが、それは日本の物価が中国に較べて遥かに高いからである。それに中国では漢方薬の原料や加工が劣るが、日本では高い付加価値と高い技術を含んだ製品開発を重視している。しかし日本の薬品市場に占める漢方薬のシェアは低い。日本最大の漢方薬製造メーカーであるツムラ製薬で、2004年度の販売額が848億円、日本製薬メーカーの販売総額の1.39%、利潤は120億円で0.98%を占めるに過ぎない。日本最大の製薬メーカーである武田製薬、三共製薬、山之内製薬なども、漢方薬と隣接する健康食品と飲料も生産しているが、その利潤は心臓血管障害と関連する薬物、抗癌剤、抗生物質、臓器移植に関する免疫抑制剤などの得意商品から得たものであり、仁丹や狗皮膏薬からではない。例えば三共製薬の得意商品に高脂血症治療薬があり、その利潤は530億円で、利潤の62.4%を占めているが、それは多くの薬物のうちの一つに過ぎない。こうして他の医薬品の利潤を差し引いてゆくと、健康食品と飲料の利潤は1.8%以内になるはずである。日本の薬屋やコンビニでは多くの健康薬品や健康食品が売られているが、その主な理由は日本人特有の「医食同源」の観点にある。

 

  ()シンガポールは漢方薬を厳しく制限している

  シンガポール衛生省のホームページによると、シンガポールの医療システムは、完全に西洋医学を基礎に成立している。政府は中医の診療を商業行為として見做しているので、各種の中医団体と薬屋は、慈善団体か会社として登録されている。中医の医療や教育、研究に政府が援助したこともないので、シンガポールにおける漢方薬の発達は、完全に中医界の自然発生的な組織に頼っている。

  中国政府の中医に対する何年かの姿勢に影響され、管理を強化する目的により、2001年と2002年から、シンガポール政府は鍼灸師と中医師の登録を始めた。これはシンガポールの中医師達をかなり色めき立たせ、これからはシンガポールの医療システムの一部へと変わると考えたが、そうしたことは起きてはいない。中医師が医療する資格に明確な基準が要求されただけで、疾病機構や保険団体の承認が中医の診断では受けられないことに変わりがない。シンガポールには中医学院もあり、創立50年以上だが、毎年の卒業生は平均して33人しかいない。シンガポールの「中医権威者」である中医会長と息子が開いている治療所と薬屋は、およそ50m2で、薬屋では処方箋の必要ない西洋薬、歯みがき粉、うがい薬など個人の衛生用品や保健用品を売っており、また羅漢果や昆布などの雑貨も売っていて、ほんの小規模なものである。シンガポールでは、漢方薬店にてスープ材料や調味料、雑貨、食品、シャンプー、石鹸などが売られているのは、普通の現象である。

  シンガポールでは、漢方薬材の製造、輸出入、販売には多くの制限がある。薬物法令、毒薬法令、薬物売買法令などで管理されている。漢方薬材の商社は、確保した漢方薬材に、法令で定めた有毒あるいは禁止された物質が含まれていてはならず、有毒重金属の含有量がヒ素5ppm以内・銅150ppm以内・鉛20ppm以内・水銀0.5ppm以内と決められており、また微生物に汚染されたり、ウイルスのような結晶性生物などを含む漢方薬の輸入を禁止している。さらにシンガポールには特殊な規則があり、アコニチン、ベルベリン、tetrahydropalmatineを含む漢方薬材も輸入、販売、使用が禁止されている。市場で売られている漢方製剤も、西洋薬が混じっていないか抽き取り調査される。また絶滅危惧種の野生動物保護の観点から、ワシントン条約で禁止されている犀角や関連製剤などの取扱販売も禁止されている。

 

 

  六、中医の有名事件の真相

 

  ()魯迅は晩年、中医に対する見解を変えたのか?

 

  魯迅の『吶喊』の序文である「中医は、故意あるいは無意識の詐欺に過ぎない」という論断は、中学の国語教科書に引用されており、中国では誰でも知っていて、しばしば持ち出される。この言葉は、中医支持者を非常に悩ませている。それは魯迅の父親が水腫となり、ヤブ医者にかかったからだという人がいる。実際は当時の紹興で、有名な漢方医であったが、三年の霜を経た甘蔗(サトウキビ)、最初から夫婦の蟋蟀(コオロギ)一対、敗鼓皮丸(破れた太鼓の皮)という、奇妙な漢方薬を処方されて死んだ(『朝花夕拾・父親的病』)。それで中医を恨んで「偏見」が生まれたという。しかし魯迅は『吶喊・序文』で明白に語っており、こうした彼の中医に対する著名な論断は、新学堂(日本に留学したときの医療専門学校と思う)にて現代医学へ触れ、中医と比較した理性的思索の結果である。

  「その学堂にて、私は初めて世界に物理や化学、数学、地理、歴史、絵画、体操のあることを知った。生理学は習わなかったが、我々は木版の『全体新論』と『化学衛生論』などを見た。私の覚えている以前の医者の意見と処方薬を、現在の知識から比較して、中医は意識的あるいは無意識的なまやかしに過ぎないことが徐々に判ってくると同時に、だまされている病人とその家族が哀れに思えてきた。また翻訳された歴史から、日本の維新は、大半が西洋医学から始まったという事実を知った」

  魯迅の文には、ところどころに中医に対する批判と否定が見られる。1925年、孫文は肝臓癌の末期となり、協和病院が万策尽きたことを宣告したときですら、彼は漢方薬を飲もうとしなかった。そのことに魯迅は非常に感動し、「当時の新聞には小さく載っていたが、そのことは彼の障害の革命事業よりも私を感動させた。西洋医が万策尽きたと言ったとき、中国の漢方薬を飲むべきだと主張する人がいた。だが孫文は断った。中国の漢方薬は確かに効くかもしれないが、診断の知識に欠けている。診断ができなくて、どうやって薬を使う?  飲む必要はない。死が迫った状況では、大概の人は試してみようとする。しかし彼は、自分の命に対してすら、はっきりした分別と堅い意志を持っている」と書いている(『集外集拾遺・中山先生逝世後一周年』)。のちにも「中医は、深淵なこと極まりなく、特に内科は最良であると言う人があるが、全く信じられない」とも述べ、「西洋医学のみの信者」と自称している(『華蓋集続編・馬上日記』)

  のちに魯迅は中医に対する見方を変えたと考える人がいて、次のように述べている。

  経歴が長くなり、思想が成熟するに従って、魯迅の中医に対する見解が、徐々に質的な変化を遂げてゆく。彼の『経験』では『本草綱目』を高く評価し、この書を「豊富な宝倉を含んでいる」と認めている。また他の文では、秦始皇帝が「焚書抗儒」したなかで、農業書と医学書を燃やさなかったことを肯定している。さらに散文では『我的種痘』にて、中国の中医学上の大きな成果である古代の種痘法を賞賛している。1930年、魯迅は日本の『薬用植物』を翻訳までしている。その書籍から当時の生薬研究の最新成果を吸収し、中医学の発展に貢献した。

  また魯迅の息子である周海嬰も『魯迅与我七十年』という回顧録で「魯迅は漢方薬に反対し、中医を信じていなかったと書く人がいるが、実際はそうでもなかったようである」と反論し、その証拠として「母が当時、過労のため帯下がかなり多かった。西洋医は洗浄させたが、あまり効果がなかった。そこで母が烏鶏白鳳を買って飲むと、すぐに効果があった」、「のちに父が母に蕭紅を勧めて服用させた。母は体が弱くて疲労し、生活が不安定なため生理不順となったが、それも治癒した」と書いている。

  確かに魯迅は『本草綱目』を古人の貴重な経験が含まれていると賞賛したが、中医を賞賛しているのではない。我々も『本草綱目』の貴重な経験を否定しているのではないが、内容には憶測や妄想が多い。ある種の漢方製剤を使用することと、注意を肯定することとは違う。当時、激しく中医に反対した人々でも「中医は廃すが、薬は残す」という考えで、ある種の漢方薬では治療価値を認めていた。

  魯迅は『集外集拾遺補編・我的種痘』で、彼の幼い頃には、中国に3種類の種痘法があったことを紹介している。一つは「痘神(天然痘の神様)」から種をもらう(自然治癒を待つこと)、一つは古代の種痘術を使う、一つは西洋から伝わった牛痘術を使うことである。文中では古代の種痘術について何も評価されておらず、「賞賛」もされていない。本人は牛痘を接種している。たとえ古代の種痘術を賞賛していたにせよ、それは中医を誉めているのではない。魯迅が日本の『薬用植物』を翻訳していたにせよ、それは彼の中医に対する態度と何の関係もない。

  魯迅は死ぬまで中医にかかることもなく、中医を賞賛する言論をしているわけでもないが、それは彼が晩年でも中医に対する見方を変えなかったことを示している。

 

  ()中医は、胡適の糖尿病を完治させたのか?

  胡適の書籍や伝記には、名中医の陸仲安が、胡適の病を治したので、胡適は漢方薬を信じたと回想してある。胡適は糖尿病と慢性腎炎などの現在でも難治な病気にかかったが、中医界が崇める「医道に深く通じ」た「太老師」の陸仲安が、奇跡的に治したという。「太老師」の追従者は、胡適が医者にかかった話を、次のようにありありと書いている。

  19201118日、胡適は糖尿病に長年かかっており、慢性腎炎と心臓性浮腫も併発していて、長いこと治療していた。胡氏の信頼している協和病院は、彼に「死刑」の宣告をし、「救いようがない。身辺整理をしなさい」という。彼は「逃れられない災厄」と考え、「非常に慌てて、家族も驚いたが方策がない。有名な西洋医である友人たちも協和病院の診断を肯定する」。そして中医を試してみるように勧める。「坐して死を待つ」わけにゆかず、再三の勧めで、胡適は従った。中医(陸仲安)が診察して「これは簡単なことである。私の薬で治らなければ、私の責任である」という。胡氏が飲むと、すぐに好転し、けろりと治った。

  事実は、胡適が生前に何度も、こうしたデマを否定している。1958年、胡適は余復洋に宛てた手紙で「私は一度も糖尿病になったことがないので、陸仲安が私の糖尿病を治したはずがない」と否定している。1961年にも「三十数年前(1920)、私は些細な病気になった。ある西洋医の友人が慢性腎炎を疑ったが、後で友人の診断が不確かだと判った。もし私が慢性腎炎だったのならば、3~40年もの間、活動できなかっただろう。あなたの友人が、秘伝の処方を使って慢性腎炎を治せると言ったとしても、それは全く根拠がない」と声明し、また「私が慢性腎炎になって、漢方薬で治ったと誰かが言ったとしても、それは信じるに足りない。慢性腎炎は、現在でも特効薬がないようだ」とも語っている。

  胡適が1921年3月30日に作った『題陸仲安秋室研経図』の一節ならびに胡適の日記によると、胡適は1920年、確かに陸仲安の診察を受け、陸仲安が処方した黄耆や党参を主とした漢方薬を飲んだことがある。しかし彼は糖尿病などではなかった。『題陸仲安秋室研経図』によると「私は去年の秋に病気になり、友人の西洋医が、心臓病かもしれないし、腎炎かも知れないという……」、しかし確定診断はしなかった。あとで誤診と判った。1922年、胡適の病が再発したとき、北京協和病院で検査して、結節性紅斑ということになった。それは症候群の一つで、下肢伸側の皮膚に疼痛性結節が現れ、関節の痛みと発熱を伴ったりするが、一般に自然に消失して、再発しやすい。薬物アレルギー、結節性疾患、感染と関係すると思われる。胡適は、陸仲安の診察を受けるまで2カ月以上も罹病しており、陸の漢方薬を3カ月と3日服用してやっと治まったが、それまでに半年ほどかかっている。胡適の病気が治まったのは、陸の治療のおかげとは言えず、自然になった可能性のほうが高い。有名人の胡適が「些細な病気」になったため、黄耆や党参を主とする漢方薬を使って、心臓病、糖尿病、慢性腎炎など3種類の難病を治療したというデマが伝わり、それが彼を名中医にして、その処方も中医の歴史書に記載され、絶えず人々に持ち出されるようになった。

  当時の胡適は中医の知識がないため感激したが、すぐに陸仲安に対する態度が変化した。胡適は、発病中の19221923年の日記に、陸仲安が痔瘻を痔と誤診したことが記録されている。1925年に孫文が末期の肝臓癌になり、協和病院の治療は効果がなかった。陸仲安が胡適の病気を治したという名声から、陸の治療を試すように勧めた人もいたが、孫文が拒否したので、李石曾が胡適に進言させた。最初は胡適が口実を作ってやらなかったが、後には民衆の国父を救いたいという心情のため、しかたなく進み出た。孫文は婉曲に断ったが、胡適は陸が傍らにいたので、「試してもいいでしょう。薬を飲むかどうかは、先生が決めればよい」と言うしかなかった。それをみても胡適が陸を信用していなかったことが判る。

  胡適が中医の治療を受けたのは30歳のことである。のちに胡適は、中医を批判し、否定する態度をとり続けた。20世紀の1930年代、中医問題の論争に関して、傅斯年は強烈に中医を攻撃する文章を2編続けて発表し、その『所謂国医』と『再論所謂国医』を胡適が支持した。国医とは中医、つまり中国伝統の医学のことである。1935年、胡適は『人与医学』の訳本の序文で「この本は、西洋医学は各一分野の変遷プロセスだと述べている。我々が尊重する『国医』の知識と技術が、他人の数世紀の進歩に匹敵するのか明らかになる」、「我が家の陰陽五行の『国医学』を振り返ってみれば、こうした科学的な医学史において、どのような位置を占めるのであろうか?」と述べ、また「医学を学ばない『凡人』も、この本を一読すべきである。……実際、我々は新医学の常識を知らなさ過ぎるからだ。現在も我々は、多くの伝統的な信仰と風習を残しており、それが日常で身体を大事にせず、衛生にも構わず、病気になるとデタラメに医者へ行って薬を飲ませたり、妖術の方法に頼らせたり、科学的医学に反対させたりする」とも書いている。1936年、丁文江の追悼文にて、胡適は自分を「新医学を信じて提唱する人」と呼んでいる。

 

  ()名中医が「鎮めた」汪精衛?

 

  1929年、南京国民政府が中医廃止議案を通そうとしたとき、汪精衛夫人の母親の病を名中医の施今墨が奇跡的に治癒させたことにより、汪精衛の中医に対する態度が変わり、その議案が通らなかったと、中医界では広く噂されている。「施今墨の診察が汪精衛を「鎮めた」物語とは、このようなものである。

  当年の四大名医の一人である施今墨の息子、施小墨先生の説明では、当時の状況は危機的なもので、中医の命運は風前の灯火だった。当時の施今墨は、多方面の支持を求めていた。ちょうど汪精衛夫人の母親が悪性赤痢になり、毎日十数回も下痢していた。当時、有名だった西洋医の治療を求めたが、誰も効果が上げられず、息絶え絶えだった。そのときある人が汪精衛に、施今墨先生を推薦した。最初は汪精衛が反対したが、義母の病を治すためには他に方法がなく、施先生に治療してもらうしかなかった。施先生が脈を診て、母親の病状を探り、その症状を言うと、それが必ず当たっており、母は感心して、その通りだとうなずくばかりだった。ただちに施先生は10日分の煎じ薬を出すと、母が「今度は何時、再診してくれるのか?」と聞く。今度の施今墨は、いつものような謙虚さがなく、「試してみなさい」という。そしてキッパリと「安心して薬を飲みなさい。そうすると3日後に下痢が止まり、5日後に食欲が出て、10日後に治癒する。再診する必要などない」という。「こんなに長い間、病気だったのに、それが一回の診察だけで治るのか?」と、汪精衛と母は半信半疑だった。しかし病状は施先生の言ったとおり、だんだんと良くなって、10日後に母の病気が治った。そのとき汪精衛は、やっと中医の効果を信じた。施先生に感謝して、汪精衛は自分で書いた額を送った。しかし施先生は汪精衛の額を受け取らず、その代わりに「中医が病気を治せることが判ったのならば、中医を取り消すという決定を撤回してくれ」と要求した。そのとき汪精衛は、すぐに返事をしなかったが、その時から「中医を取り消す」という態度を止めた。

  『中国科学技術専家伝略』の「施今墨」伝にも、そうしたことが記載されている。

  1928年、南京国民政府は、中医の取り消しを言い始めた。1929年、余雲岫が最初に騒動を起こし、中医を取り消す議案を提出して、南京国民政府は正式に決議しようとした。中医の生存は、風前の灯火だった。そのニュースが伝わると、国を挙げて大騒ぎとなった。施今墨は南北を奔走し、同業者を団結させ、中医工会を着くっ吏、華北中医陳情団を組織して、何度も南京へ陳情に行き、流れを推し留めようとした。当時の国民党少壮派だった汪精衛は西洋医だけを信じ、また行政院の仕事を執行していたので、どうしても中医を取り消す勢いだった。ちょうど汪精衛夫人の母親が赤痢を患っており、西洋医を訪ねたが効果がなく、まさに死にそうな状態だった。ある人が施今墨の診察を勧め、しかたなく汪精衛も同意した。施今墨が脈を診ると、その言葉通りだったので、母は感心して、その通りだとうなずくばかりだった。処方するときに施今墨は「安心して薬を飲みなさい。一回の診察で治る。再診する必要などない」という。こんなに危険な状態なのに、一回の診察だけで治るのか?  その処方を数剤ほど飲むと、施今墨の言ったとおりになった。そこで汪精衛は、やっと中医の効果を信じ、「美年延年」(荘子の言葉)と書いた額を送り、それからは中医を取り消すと言わなくなった。のちに全国の与論に押されて、国民政府は命令を撤回し、中央国医館を作ることを許可し、施今墨を副館長に任命した。中医は起死回生の効果によって、ついに生存する権利を勝ち取ったのである。

  現場を見たような描写は、まるで小説のようだが、これは明らかに中医家がでっち上げた伝記物語である。中医に対して汪精衛本人は、どのような姿勢だったか論じておらず、1929年の中医廃止事件は、汪精衛と全く関係がない。当時の汪精衛は、とっくに野に下り、本人自体が国内にいなかった。192712月、汪精衛は政界を去ることを宣言し、フランスへ行って、192910月にフランスから香港へ帰った。そして1930年に「中原大戦」が勃発し、汪精衛は馮と閻の反蒋介石連合軍のリーダーに祭り上げられて政壇へ戻ったが、翌年には馮と閻の反蒋介石連合軍が負け、汪精衛が再び野へ下った。1929年の中医廃止の頃、汪精衛の前で病気を治療したり、額を拒んだり、要求したりは、「名医」に超能力があって時間旅行でもしないかぎり不可能なのだ。「起死回生」の事例が真実であったにせよ、何の説明にもなってない。祈祷師や気功師でも、こうした事例をいくらでも出してみせる。哀れな名中医は、このような事例であっても捏造する必要があったのだ。

  実際、汪精衛は、その後も一貫して中医を激しく批判する態度を取り続けた。1933年6月に招集された国民党中央政治会議で、中央執行委員の石瑛ら29名が、1930年に制定された『西医条例』を真似て、『中医条例』(草案)を定めようと提議した。それは中医界が長年奮闘した希望を実現させる目標であり、中医が西洋医と平等な地位を勝ち取るのが目的だった。会議の討論のなかで、行政院長である汪精衛は、その提案に反対しただけでなく、草案の執行にも同意せず、中医と漢方薬を廃止することを提案した。彼は「中医は、陰陽五行を言い、解剖を知らず、全く科学的な根拠がない。漢方薬は全く分析されておらず、治療効果も漠然としている」と述べ、「中医に属するものはすべて開業を許可せず、全国の漢方薬店も制限して休業させるべきだ。現在で国医を提唱することは、刀剣で戦車に立ち向かうようなものだ」と主張した。1934年、汪精衛は、全国医師公会第三次代表大会にて、もし中医と西医を共存させる考えがあれば、それは医学を「非科学の横道に陥れる」ことであると、中医に反対する長編の演説をおこない、中医の非科学性を攻撃した。

 

 

  ()安宮牛黄丸は、脳死した劉海若を救ったか?

  20025月10日、香港鳳凰衛星テレビの女性司会である劉海若は、ロンドンからケンブリッジに向かう列車の脱線事故に巻き込まれて、重傷を負った。香港のメディアは、劉が集中治療室に送られた日、イギリス病院は危篤の通知を出し、劉が脳死状態だと判断した。6月8日、国際SOS救援センターは、劉を北京の宣武医院へ送って治療し、3カ月近くの昏睡のあと、ついに意識が戻って喋れるようになった。事情を知っている人が香港メディアに、劉海若の危機を救ったのは「王印」の漢方製剤、「牛黄安宮丸」だと言った。毎日朝晩、劉は1粒の牛黄安宮丸を流し込まれたが、それが劉の回復に非常に重要な作用をしたという。

  この話は、しばしば漢方薬を作る医学の奇跡の証拠として持ち出され、一気に牛黄安宮丸の価値が百倍になった。だが実際は、完全にメディアの誤報である。脳死は生物学的死亡とも呼ばれ、大脳皮質と中枢神経系すべてに不可逆的な変化が発生することで、機能を失っている。脳死は現在、人の死亡の標示であると国際的に広く認められており、人が脳死すれば助からない。病院が脳死と判断すれば、救急措置や治療をおこなわない。しかし劉海若が入院した初日から北京宣武医院へ送くるまで、常にイギリスの医師が救急治療をしていた。そうするとイギリス医師は、劉海若が脳死しているとは考えなかったのである。2002年5月13日、鳳凰ネットワークニュースでは「イギリスのロンドンに住む劉海若の家族が漏らした話では、海若は現在も危険な状態だが、病状は安定に向かっており、局外メディアの言うような脳死は現れていない」と伝えている。そうすると劉海若の「脳死」とは局外メディアの誤報であり、イギリス医師の判断でもない。

  劉海若の治療が成功したのは、奇跡でも何でもない。劉海若の蘇生には、どのような医療技術が作用したのか?  宣武医院の王副院長は「海若が入院したときの病状はひどく、頭蓋内や胸腔に明らかな損傷があり、身体の何カ所にも腫れや欝血があり、全身に様々なチューブを挿し込んでいた。病院では現代医学の技術を広く駆使するとともに、鍼灸などの中医伝統の療法を併用して、はっきりした効果を上げた。同時に中西医結合(中国医学と西洋医学の併用)を使い、全面的な治療する過程で、按摩、リハビリ、電気刺激など最先端の治療方式を取り入れたことも、最終的に海若を蘇生させるために、はっきりした作用があった」と記者に語っている。劉海若の病状のターニングポイントを、王副院長は7月下旬だと考えており、西洋医学を中心とし、中医の鍼灸を補助とした治療により、海若の病状は回復していった。そうすると宣武医院は、劉海若が蘇生したのは、主に現代の医療技術であり、鍼灸も補助的作用をしたのだろうということで、まったく牛黄安宮丸には触れていない。しかし現在でもメディアは「宣武医院へ行き、鍼灸を主とし、安宮牛黄丸を併用して、ついに3カ月も昏睡していた劉海若は蘇生した」と報じている。

 

 

  ()漢方薬はサーズを治療できるか?

 

  2003年はサーズが流行し、人々が不安になったとき、しばしば目にするメディアが、漢方薬はサーズに特効があると報じたため、多くの名中医が続々とサーズ治療の処方を出し、漢方薬材が人気商品となり、板藍根、白醋()、陳醋(古酢)が広東で買い漁られて入手できなくなってしまった。現在でも、中医は当時、サーズの治療に重要な役割を担ったと言い続ける人がいる。「サーズの死亡率は、世界全体で11%。香港17%、台湾27%、中国国内7%、広東3.8%、広州3.6%、この数字は世界でも最低である。広州中医葯大学第一付属病院では36人のサーズ患者を入院させ、1名の死者も出さず、医療員も1人も感染しなかった。ほとんどの患者は完治して退院し、まったく後遺症もなかった。患者の平均解熱時間は2.97日、平均入院日数は8.86(自分で退院した患者は含まない)だった。広州と香港では、地理と気候、生活習慣もあまり変わらないのに、どうしてこんなに大きな差が出るのか?  その違いは中医が治療に関わっているかどうかにある」というものである。

  中国国内のサーズ死亡率が世界中で最低というのは、事実ではない。死亡率が最低だったのはアメリカで、27例が発病し、1例の死者もなく、死亡率が0%である。アメリカでは患者の治療で、現代医学の方法しか使わず、中医の関わる治療や漢方薬の使用は全くなかった。

  たとえ中国国内ではサーズ患者の治療に中医が関わっていたにせよ、中医が関わらない他地域の死亡率と単純に比較して、中医の効果だとはできない。両群の患者の治療結果を比較したいのならば、両群の状況を同じにしなければならず、その結果を比較して、初めて統計する意味がある。もし両群の患者の個体状況、医師の治療レベル、患者が受ける他の医療措置などを同じか、ほぼ同じにすれば比較できる。こうした条件が同じでなければ、両群の治療結果が著しく変わってしまい、その違いは漢方薬が治療にもたらす影響より遥かに大きくなってしまう。我々は、広州と香港の地理や気候、生活習慣などが変わらないと認めるが、広州のサーズ患者は個体の状況が良く、医師の治療レベルが高くて、現代医学の治療措置が理にかなっていたため、広州のサーズ死亡率が低くなったのであろう。一般には、鐘南山アカデミー会員をトップとする呼吸器系専門家グループが最初にサーズ患者の治療法を模索し、その治療措置がのちに多くの病院で採用されて、必ず使うべき治療方法となった。こうした措置は、まったく現代の医学技術によるものである。

  広州中医葯大学第一付属病院が36人のサーズ患者を入院させ、1名の死者も出さなかったことも、中医の作用の証明にはならない。第一、彼らは完全に中医の方法を使ったのではなく、実際は現代医学の技術を使い、漢方薬は補助として使っていただけである。第二に、漢方薬による補助治療が、本当に効果を発揮したかどうかも疑わしい。彼らが治療したのは、病状の軽い患者だけだったからである。報道によると、広州で病状の重いサーズ患者は全員集められ、鐘南山をトップとする広州医学院第一付属院呼吸疾病研究所へ送られたからだ。「呼吸疾病研究所は重篤な患者を集めて治療し、多くの患者の命を救っただけでなく、サーズによる周辺病院の負担を大幅に軽減した。鐘南山は医師達の頼みの綱となった。……春節の前後、広州の発病患者はどんどん増え、多くの病院がサーズの伝染性と重い損傷性について、ほとんど知識がなかった。そのとき鐘南山は進んで志願し、最も重篤な患者を呼吸疾病研究所へ送るように求めた。……それからは重篤なサーズ患者が次々と他の病院から送られてきた。それらの患者は、合併感染したり、複数臓器が弱っており、治療がかなり難しかった」と記事にある。当時は呼吸疾病研究所の患者が、広州中医葯大学第一付属病院に入院している患者より明らかに重症だったので、後者の死亡率が低かったが、それは漢方薬を使ったからではない。重症患者を他の病院へ送り、軽症患者だけを残して治療し、いかに自分の医術が優れているか宣伝しても、それは卑怯ではないだろうか?

  あるヤブ医者が、なんの病気も治せないのに、先祖伝来の秘方で新たに発見された難病を治療すると宣伝しても、少し頭のある人なら疑わしいと思うだろう。中医を擁護する人は、しばしば「中医は何千年にも及ぶ経験の成果だ」という。長期の経験で模索しても、ある種の疾病の治療方法が確かに発見できるだろう。しかしエイズやサーズのような新型伝染病には、長期の経験が役に立たない。

 

 

  七、朝鮮人参の神話と現実

 

  ある人によれば、中国人は朝鮮人参(Panax ginseng)を服用するようになって、四千年の歴史があるという。しかし始皇帝以前の文献や前漢の歴史書には、朝鮮人参に関する記載がない。最初に朝鮮人参が登場するのは前後漢時代で、儒家教義の緯書みたいな迷信著作に「きらめく光が散って朝鮮人参となる。君主は廃山の水路の利である。きらめく光がなければ朝鮮人参も生えてない」(『春秋緯』)とか、「君が木に乗じ、王として朝鮮人参が生える。下に朝鮮人参があれば、上には紫の気がある」(『礼緯・斗威儀』)とあるが、これは明らかに朝鮮人参が人の形をしていることから神秘的な連想し、それを神草と見做したのである。その少しあとに出た、中国初の薬物学書『神農本草経』は、初めて朝鮮人参を薬物として収録している。この書は「神農」と命名されているが、書物ができたのは、ほぼ後漢時代の中期(西暦100年前後)だが、唐代に散佚してしまい、現存する書は、その内容を様々な書物から転載したものである。『神農本草経』では朝鮮人参が「命を養って天に応える。無毒。多く、長期に服用しても人を傷付けず、身体を軽くして元気が付き、不老長寿となる」という上品とされ、「君」薬の一つである。その薬理は「五臓を補い、精神を安らげ、魂魄を落ち着かせ、心悸を止め、邪気を除き、視野をはっきりさせ、楽しくなり、知能に良い」とあって、まるで現代の「健康食品」の広告である。しかし特別なものではなく、そうした長く服用していれば身体が軽くて長寿になるという上品薬は、この書に120種類も列挙されている。『神農本草経』には、どのように朝鮮人参を服用するか書かれていない。後漢の終わりに張仲景が『傷寒論』を著し、それに113の処方が記載され、うち21に朝鮮人参が使われている。それが朝鮮人参を最初に薬として使った記載である。

  それから千年の間、朝鮮人参は薬ともされたが、贈り物や特産品の献上品として使われることが多く、現在の「健康食品」と変わりがない。例えば唐代末期に「皮陸」と呼ばれる著名な詩人、皮日休と陸亀蒙は、友人への感謝に朝鮮人参を題材とする詩を贈っている。皮日休の詩は最後に「従今湯剤如相続、不用金山焙上茶」と結んでいるので、どうやら朝鮮人参は茶の代用品とされていたようである。宋代でも同じようで、蘇軾が友人に土産をねだる手紙に「沢山の干しナツメと朝鮮人参があればいい。もしなければ人を寄越す必要はない。飲み食いのために万里の労をかけられようか?」と書いている。そうすると朝鮮人参の地位は、干しナツメと同じく嗜好品に過ぎないようだ。明代の末期になって、急に朝鮮人参が「百草の王」や「衆薬の頭」という最高の地位に輝く。李時珍は『本草綱目』に、父の李言聞が作った『人参伝』を収録しているが、それが朝鮮人参を細かく論述した最初の書である。それによると朝鮮人参は、ほとんどすべての病を治す神薬であり、「男女の虚証なら全て治せる」というものである。それによって朝鮮人参は、百倍も価値が上がり、すぐに中原地帯では掘り尽くされ、東北の深山でなければ見つからなくなった。現在でも朝鮮人参は、東北の長白山が特産のように話されるが、古代では山西省の上党の朝鮮人参が良品とされていた。宋代に蘇頌らが著した『本草図経』には「朝鮮人参は上党の山谷、そして遼東に生え、現在は河東諸州と泰山にもある。また河北の場や閩中から来たものは新羅人参と呼ぶが、上党のものには及ばない。その根の形状は防風のようで、湿っていて固い」と書いている。中医では、薬草の成育場所が効能に大きく影響すると考えているので、「相生相尅」に基づいて、寒帯の薬草は性質が温、熱帯の薬草は性質が涼か寒とされ、朝鮮人参の薬性は山西の上党が生産地だったので古代から「微寒」と考えられていたが、現代では北朝鮮との国境にある長白山が主産地なので「温」とされている。

  明代末期の中国人が朝鮮人参に熱狂したことは、東北にいた女真族が勢力を伸ばす助けとなり、朝鮮人参の採集が女真族の経済の源となった。女真族は朝鮮人参を消費しないので、馬市へ持ってゆき、中原の漢人に売っていた。そして万暦35年、明王朝が遼東の馬市を一時閉鎖したため、女真族の朝鮮人参が溜り、二年間で十万斤以上が腐った。そこで彼らは朝鮮人参を長期保存する方法を考え、値上がりを待って売った。清代(女真族の王朝)になると、中国人の朝鮮人参ブームは冷めるどころか盛んになり、毎年数万人が長白山へ朝鮮人参採取に行き、東北の朝鮮人参も絶滅の危機に瀕した。こうした乱獲の風潮を規制し、満州族の発祥地を保護するため、康煕38(1699)、清王朝は許可証を与えて朝鮮人参採取させ、密猟を禁じた。しかし命掛けで密猟するものを止められず、朝鮮人参の生産量は年々少なくなっていった。乾隆25(1760)、人参許可証を1万枚ほど印刷したが、実際に発行したのは6000枚だった。それから百年ほどのちの咸豊2年(1852)には、印刷された人参許可書が753枚、実際に発行されたのが632枚となり、清代末期には野生の朝鮮人参が見つからなくなった。現在では野生の朝鮮人参が一級の国家指定保護植物となり、絶滅に瀕している。だから中国市場で売られている、驚くような価格の「野生朝鮮人参」は、栽培された偽物か、ロシアから輸入したものである。それがロシア産ならば、数年もすればロシアでも野生朝鮮人参が絶滅するだろう。

  まさに朝鮮人参が絶滅しようとしている頃、中国人が代用品を求め、西洋参が売られ始める。1701年、フランスイエスズ会の宣教師ヤトウクス(P.Jartoux16681720)が中国に布教しに来たとき、中国人の朝鮮人参崇拝熱に感染し、朝鮮人参は確かに霊丹妙薬の一つだと信じ込んだ。1708年、ヤトウクスは中国地図を描くという清王朝の命令で、東北に視察へ行き、高麗との国境に接する村で、現地人が新鮮な朝鮮人参を採集しているのを見かけ、原寸大の絵を描いた。1711年4月12日、彼は宣教師会の会長に手紙を書き、彼の描いた朝鮮人参の絵を同封し、朝鮮人参の産地、形態、成育状況、採取方法を詳細に紹介し、地理的環境が似ている別の地方にも朝鮮人参があるだろうと推測した。朝鮮人参の産地は「だいたい北緯3947度、東経1020(北京の子午線を基準としている)の間にある。……それが私の知る限りのことである。もし世界の別の国に、この植物が成育するとしたら、たぶんカナダだろう。そこに住んだ人達の話によると、カナダの森林や山脈は、この地とかなり似ているというからだ」と書いている。

  これは朝鮮人参が、初めて西洋世界に詳しく紹介された記述だろう。この手紙が発表されると、大きな影響があった。別のフランスイエスズ会の宣教師ラフェイト(Joseph Francois Lafitau)は、カナダの魁北克で布教しており、1716年にヤトウクスの手紙を読んだ後、彼のいる魁北克は、まさにヤトウクスが「朝鮮人参がある」と予言した場所だと感じた。ラフェイトが朝鮮人参の絵を現地のインディアンに見せると、それは彼らが「ガラントクエン(garantoquen)」と呼ぶ薬草であると、すぐに判った。大部分の北アメリカインディアン部落では、それが昔から薬用にされていたが、頭痛や創傷、不妊などの治療薬として使われており、中国のように霊丹妙薬だと信じられていたわけではなかった。実際、アメリカ人参と中国の朝鮮人参は同じ科で属だが、同じ種類ではなく、のちに学名もスエーデンの植物学者であるリンネがPanax Quinquefoliumと命名し、中国へ入って西洋参と呼ばれたが、花旗参とか東広人参とも呼ばれる。

  ラフェイトがフランスに西洋参の「発見」を報告すると、すぐに目敏いフランス商人が中国人から利益を得ようと考えた。北アメリカ各地のフランス商人がインディアンと交易するとき、毛皮だけでなくて多量の西洋参も買い始めた。この伝統は現在でも残っており、アメリカの多くの毛皮商は、西洋参も売っている。1718年、あるフランスの毛皮会社が、試しに中国へ西洋参を輸出してみると、中国人に大受けした。それからは西洋参の国際貿易が始まった。北アメリカの大地では「西洋参採取ブーム」が巻き起こり、ワシントンの日記にも、彼が西洋参堀りに出会ったことをが書かれている。費城の文献には、1788年、ダニエル・ボーン(Daniel Boone)という有名な探検家が、そこで15tの西洋参を売り出 したと書かれている。

  西洋参は毛皮製品とともに、新大陸の初期の輸出商品となった。初めは西洋参が間接的に貿易され、まず北アメリカからフランスかイギリスへ運ばれ、そのあと中国に運ばれた。そのため当時の中医著作には、西洋参を「西洋のフランス産で、フランス参とも呼ぶ」と書かれている(『本草備要』)。中国とアメリカが初めて直接貿易したのも、やはり初めての西洋参貿易だった。1784年2月、「チャイナ・クイーン号」がニューヨークを出発し、242箱に約30tの西洋参を満載して中国に向かい、8月30日に広州へ着き、200tの茶葉、シルク、陶磁器と交換して帰っていった。18世紀の後期には、毎年約70tの西洋参をアメリカのニューイングランド地方から中国へ運んだ。主に西洋参貿易によって、1800年の1年で、アメリカと広州港の貿易額は、1925年の中国全土との貿易額を超えている。統計によると、1820年から1903年の間に、アメリカは全部で1700万ポンドの西洋参を輸出し、その平均価格は1ポンドあたり2.5ドルであった。

  こうした西洋参は、ほとんど野生の西洋参だった。西洋参は当時、アメリカ北部の各州の森林なら随所に見られたが、いくら西洋参があったところで何も規制がなく乱獲されれば絶滅してしまう。1870年代には、アメリカ人達も西洋参の人工栽培に取り組み始めた。西洋参栽培の父は、一般にジョージ・スタントン(George Stanton)だと考えられている。1885年、彼はニューヨーク州で150エーカーの西洋参を栽培することに成功した。19世紀の終わりには、ほぼ野生の西洋参が供給されなくなり、人工栽培物が広く使われるようになった。1906年から1970年は、アメリカは毎年平均して21万5千ポンドの西洋参を輸出し、そのうち1951年のみが輸出量が大幅に下降したが、それは朝鮮戦争の影響だろう。しかし、その1年にも7万7千ポンドもの西洋参が輸出されている。

  1960年中期から、アメリカ農業部は西洋参の輸出状況を統計し始めた。1967年から1982年までは、西洋参の輸出量が毎年平均して9%ずつ増えていった。1983年からは輸出量が大幅に増え始め、再び西洋参がアメリカの主要輸出品目となり、毎年の輸出量が平均して25%以上も増え続け、1994年にはピークとなって1年の輸出量が237万ポンド、金額がもっとも多かったのは1992年で1億4百万ドルだった。しかし1994年からは中国も西洋参の移植に成功し、中国市場の需要をほぼ20%ほど満たせるようになり、西洋参に対する需要にも輸入ばかりに頼らなくて済むようになった。もう一つはアジアに金融危機が起きたことにより、アメリカ西洋参の輸出も大きな影響を受け、平均して毎年10%の速度で下降し始めた。アメリカ農業部が発布した資料によると、2003年のアメリカ西洋参の輸出金額は3866.6万ドル(栽培西洋参2408.8万ドル、野生西洋参1457.8万ドル)で、90%以上が東アジア、特に香港へ輸出されている。

  野生の西洋参は、栽培物の西洋参より数十倍も高い。現在の市場では野山参(野生の西洋参)がポンドあたり500600ドル、移山参(森林栽培の西洋参)がポンドあたり200300ドル、園参(畑で栽培された西洋参)がポンドあたり2030ドルである。野生の西洋参も、野生朝鮮人参のように絶滅させないため、アメリカ政府も野生西洋参の採取をきびしく管理しており、漁業ならびに野生生物管理局が、毎年どの州ならば野生西洋参を採取してよいか公表している。

  アメリカは西洋参の最大産出国で、25の州が西洋参を産出しているが、野生西洋参はケンタッキー州の生産量が最高であり、栽培西洋参は威斯康辛州の生産量が最高で、ほとんどの西洋参は威斯康辛産である。こうした西洋参は、ほとんどが輸出用であるが、国内消費用として残されているものも、主として華僑に売るためである。近年は輸出が不景気なことにより、西洋参商人もアメリカ本土の市場を開拓するため、西洋参の不思議な作用を宣伝し始めた。主には西洋参に人の精力を増強する作用があり、「エネルギー刺激剤」であると言うものである。ドラッグストアやスーパーでも西洋参製剤を見かけるが、販売量は少ない。それはアメリカ食品薬品局が、西洋参や朝鮮人参に何かの医療作用があると現在でも認めていないからであり、そのため西洋参製剤は健康食品として売られるしかないのである。

  西洋医学界は、西洋参と朝鮮人参に医学的価値があるかどうか、また何らかの医療作用があるのかについて、現在でも論議が続いている。中医の朝鮮人参に関する治療効果の見解は、神話か迷信によるものと多くの研究者が考えているが、それには科学的根拠があるのではないかと研究する人もある。もし朝鮮人参が本当に薬理作用を持つのならば、ある種の活性物質を含んでいるはずだ。朝鮮人参は主に炭水化物からできており(干した朝鮮人参の約70%を占め、それが朝鮮人参の甘みとなっている)、ニンジン(野菜の赤いキャロット)と変わりがない。朝鮮人参から抽出したニンジン-アルキノールは、ニンジンから抽出したキャロット毒素(一種の神経毒)と全く同じである。民間で「朝鮮人参の服用を誤る」と言うのは、キャロットを食べるのと大差なく、まったく道理に合わない。朝鮮人参には、ほかにも多くの生物活性のある化合物を含んでいるが、抽出や濃縮しなければ薬性を示さない。しかし含有量がきわめて少なく、重要な作用を起こすまでに至らない。朝鮮人参の科学成分には、ほんの少し(5%に達しない)のサポニン類が含まれており、それが朝鮮人参の苦みとなっている。こうした化学物質は、多くの薬草や食物(オリーブやマクワ瓜、大豆)にもあり、薬理活性を持つ。世界各国の研究員が、数十年の歳月を費やして、さまざまなニンジンサポニンを分離、特定し、現在では朝鮮人参から34種のサポニンが見つかっている。そのうち幾つかのニンジンサポニンは、単独で使用すると、ほとんど朝鮮人参すべてを服用したときと同じような作用があるので、現在では朝鮮人参に独自の活性物質は、そのなかのサポニン類であると見られている。

  ニンジンサポニンは、根の外層に集中しており、ヒゲ根()の含有量のほうが、主根より遥かに多くて数倍もある。これは内部と外層、主根とヒゲ根では、内部や主根の薬性が強いとする伝統的な見解と逆である。そのうえ朝鮮人参の葉、花や蕾、果肉のほうが、根部よりニンジンサポニンを遥かに多く含んでいる。したがってニンジンサポニンが、本当に朝鮮人参の活性物質であるならば、朝鮮人参の根を薬とする伝統的な使用法は、本末転倒である。これまで朝鮮人参は、成育期間が長いほど良いとされてきたが、測定結果によると4~5年目の朝鮮人参に含まれるサポニンがもっとも多かった。また朝鮮人参は西洋参より薬性が強く、両者は同属の三七人参より勝と考えられてきたが、ニンジンサポニンの含有量からすれば、三七が最高で、次が西洋参、朝鮮人参が最低だった。すべてデタラメである。そこで我々は、伝統的な言い伝えに根拠があるとは限らず、間違っていることすらあることを覚えておかなければならない。例えば中国で、朝鮮人参の性質は温、西洋参の性質は涼とするのは、両者の生産地から生じた誤解である。西洋参は最初に広州から輸入されたため、当時の中医は西洋参が南方の特産品と考え、その性質を涼とした。しかし西洋参は、カナダとアメリカ北部が主産地であり、緯度からすると朝鮮人参の生産地と同じである。

  面白いことに中国と外国では、ニンジンサポニン含有量の測定結果に大きな違いがある。中国の研究者は、西洋参の主根部分のニンジンサポニン含有量を2.2~5%と測定しているが、欧米の研究者の測定結果では、その半分しかない。その差は、中国と外国の研究者で、朝鮮人参の薬性に対する信仰心が違うことを反映しているのかも判らない。昔は、朝鮮人参が全ての疾患を治せると信じられていた。現在でも朝鮮人参や西洋参に多くの薬理作用があり、中枢神経、心血管、免疫、内分泌などに影響を与え、肉体労働と頭脳労働の能力を高め、疲労度を下げ、高血圧や冠動脈、狭心症、癌、糖尿病などが予防や治療できると発表する研究者もいる。それは動物実験や臨床試験によって支持されたりしているが、別の研究では証明できていない。また朝鮮人参にしろ西洋参にしろ、絶対に安全な健康食品ではないということにも注意しなければならない。アメリカ医学機構は、手術する場合に朝鮮人参や西洋参を服用すると、手術で大出血が起きる恐れがあると警告している。

  現代医学界は、朝鮮人参や西洋参の薬効について100年以上も論争してきた。『アメリカ薬局方』(U.S.Pharmacopoeia)は、一度は朝鮮人参を収録したが、1880年に削除している。『アメリカ国家薬局方』(U.S.National Formulary)1937年に朝鮮人参を削除し、その医療や保健的価値は、中国人の想像にしか過ぎないと考えている。しかし2005年、『アメリカ薬局方』は、再び朝鮮人参を記載している。現在、原産地の医学権威であるアメリカ医学連合会とカナダ医学連合会は、朝鮮人参の医学的価値を認めてない。朝鮮人参に医学的価値があるかどうかについては、世界の医学界が以降も論争し続けることだろう。どんな病気でも治せると考えられた霊丹妙薬は、もしかすると一つの疾患ですら治せないのかもしれない。中国人の朝鮮人参に対する崇拝は、歴史的な要因と、文化的な要因によるものであることに疑いの余地がない。こうした神秘性は、それによって生活している朝鮮人参産業からすれば、大きなセールスポイントである。朝鮮人参に確実な治療効果があると証明され、朝鮮人参の活性物質が本当に特定されて合成されるようになれば、朝鮮人参産業は歴史的生命を失うだろう。

 

 

 

  終わりに:中医は、どこへ向かう?

 

  中医の衰退は、すでに争えない事実であり、そのことは最も熱狂的な中医支持者ですら認めている。中国科学技術信息研究所の中医薬戦略研究課題班の統計によると、1949年の中国人口は5億人に満たないが、中医の人数は50万人だった。2003年の中国人口は13億人に迫ったが、中医免許の医師は49万人、そのうち本当に中医思想によって治療しているのは3万人しかおらず、それもほとんどが50歳以上の老医師だった。全国クラスの病院では、西洋医が絶対多数を占める総合病院と専門病院が、中医院と6:1の割合で存在し、そのうえ中医院は西洋病院より遥かに小規模である。2003年の統計では、中国全土の医薬大学は136校、西洋医科大学が104校、中医薬大学が32校で、医科大学と中医薬大学の比率は3:1、そのうえ中医薬大学は規模が小さく、教育条件、環境、経費投入額など、いずれも現代医学の学校とは隔たりがある。中医薬戦略研究課題班の調査によると、中国において現在の中医薬大学は、ほとんど本物の中医医院を持っていない。こうした「中医医院」では、病気の検査では西洋医学の機器によるデータと血液尿検査に頼り、診断は主に臨床検査の数値によって判定し、処方箋も西洋医学の思想と理論に基づいて出し、調合も漢方薬と西洋薬を併用し、治療効果も西洋医学の機器を使って判定する。「中医医院」で処方する薬のうち70%は、西洋医の手による。全国クラスの中医医院の薬品収入は、漢方薬が40%、西洋薬が60%を占めている。

  このように中医は中国で日々に凋落しているのに、それが中国を離れて西洋諸国で輝きを放つと妄想する人がいる。20世紀の1960年代以降、現代医学が急速に発達する一方で、代替治療が西洋諸国で徐々に流行していった。この勢いは増えることがあっても、なくならない。こうした情勢の中、確かに中医は「古代医学」や「東洋神秘主義」を旗印に、西洋社会へ入り込むだろう。しかしそれは代替医学の一つとして、西洋国家固有の、あるいは他の東洋国家の代替医学と地盤の争奪戦をするだけで、医学の主流の外に排斥され、その峡間や辺境で生存できるに過ぎない。中医を西洋諸国で現代医学と争わせ、医学界の主流にするというのは、まったく馬鹿げた戯言に過ぎない。民族文化の色彩を濃厚に残し、本国ですら衰退してゆく医術が、他の国家で新天地を開拓できるのだろうか?

  中医の凋落は避けがたいとしても、やはり中医理論の非科学性、そして漢方薬を乱用することの危険性を分析し、明らかにしてゆく必要がある。中医とは大言壮語し、おお法螺を吹いてきたもので、それを魯迅は「江湖訣(はったりの秘訣)」と呼んでいる(『華蓋集続編・馬上日記』)。歴史上の「名医」とは、実際は「口達者」なのである。末期癌やエイズ、ウイルス性肝炎を治療できるなどの嘘は、すべて中医の広告であり、軽率に中医を信じてしまう患者心理によって、のさばっているだけである。こうした嘘の宣伝は、ヤブ医者に限ったことではなく、正規の医院や大学の中医師、中医界で「権威者」と見られている人物をも含んでいる。

  大法螺を吹いて世を欺いても、だまし通せるのは一時だけ、情報の発達した現在では、すぐに嘘がバレてしまう。政策の保護に頼り、民族感情に訴えても、いずれ中医は消えてゆく。中医の唯一の突破口は「廃医験薬」であり、非科学的な中医の理論体系を破棄し、漢方薬や鍼灸などの有効性と安全性を、現代医学の方法によって検証することである。そうすれば中医の合理的な部分が現代医学と融合し、現代医学の一部となって、中医の成果も認められ、生き残れる。

  人は、自分の信じる医術を選ぶ権利がある。現在の中医には、まだ多くの民衆の支持が残っており、現代医学の技術を幾らか補うケースもある。南京政府のように行政や法律的手段で中医を取り消そうと試みても、実現もしないし、その必要もない。学術界や科学普及界の人々がすべきことは、科学を普及させ、科学の思想と方法、精神、知識を広く民衆に持たせ、医療や治療が本物かどうか見抜く能力を高めさせることである。政府の管理部門がすべきことは、漢方薬の管理体制を強化し、漢方薬の安全性を研究して監視とコントロールするとともに、中医基礎理論の物質的基礎となっている陰陽五行説や気一元論を徐々に減らし、最終的には消すようにしなければならない。数十年の経験によって、こうした中医基礎研究は、本当の科学研究成果が得られるはずがなく、研究費を浪費するだけだと判っているからである。中医研究に関する科学研究費は、中医の治療法の有効性と安全性を検証するために使うべきである。もし中医を中国の文化遺産と見做し、人文科学的に中医理論体系を研究するのならば、私に文句はない。

  歴史の観点に立ち、世界規模で見るならば、中医の没落は必至である。人類史上において、各民族には特有の非科学的な医術があった。しかし医学科学が誕生すると、各民族の医術は衰退する運命となった。それらは歴史的生命を終えており、それらの合理的な部分は、過去にあるいは近いうちに医学科学へ呑み込まれてしまうだろう。中華民族の古代医術も、例外ではない。医学科学は、とうの昔に中国へ入り込み、確固たる地位を確立してしまっている。すでに我々が優れた現代医学を持っているのならば、1つの古代医術体系を捨てられない理由はないはずだ。

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